j地蔵さん②・・・

a0016431_21252.jpg●六万体にある、ドラえもん地蔵です。

昨日で梅雨も開け、
厳しい暑さの日が続きます。
こう暑いと出歩くのは勿論、
思考も止まってしまいます。
そして、ご多分にもれず、
家でクーラーをかけゴロゴロしています。
去年が涼しかった分余計に暑く感じます。
四天王寺の近くにある、六万体のお寺にあるドラえもん地蔵です。
なかなかありそうでない形です。

先日、当麻寺に行きましたが、そちらのお地蔵さんはさすがに立派なものが多くありました。像そのものもですが、お堂が立派なものが多かったです。そんなところにも、昔の人の神や仏、天然j自然を敬う気持が察せられ心安く、うれしい気持になりました。

★UFJが東京三菱銀行に統合を申し入れ!
# by barakan1 | 2004-07-14 21:26 | お地蔵さん

当麻寺~二上山行、終りの記・・・

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●旧道沿いにある古い民家
元々大和盆地は歴史的に古い場所であるが、当麻辺りも大変古い土地である。その上葛城山地の麓にあるため近代の産業立地からはハズレてしまった。それが今となっては幸いしたと言えるだろう。
古きよき物が沢山残っている。
家屋もその一例である。細い辻道のそこ此処にいかにも古そうな建物が建っている。その幾つかを道すがら撮ってみた。
何の考えもなく唯、カメラを構え写しただけだが、結構絵になっている。
歴史の重みといえるだろう。(それとも私の腕かな?!)
# by barakan1 | 2004-07-13 16:21 | 旅日記

祐泉寺~岩屋峠~馬の背~雄岳(大津皇子のお墓)・・

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●左上岩屋道、岩屋石窟堂跡、左下千年杉、大津皇子の墓
祐泉寺~岩屋峠~万葉の森(雌岳)~馬の背~二上山(雄岳)大津皇子のお墓~二上神社口駅
聖徳太子が拓いたという、岩屋道を這いずるように登る。
何度も、もう限界!!と思ったことか!!
岩屋峠より南河内を眺める。天気がよければホント素晴らしいだろうなぁ。
峠下の岩窟寺院あと千年杉を見て、鹿谷寺跡を見るつもりが道を見つけられずそのまま、万葉の森から、馬の背をめざす。
馬の背は確かに大阪から見ても、近くから見ても、馬の背中のような形をしている。現地に居てもその形は想像できる位だ。馬の背にある売店は2時で閉店しており、ガックリ来て力半減だ!!

15分程、そこで休憩の後気を取り直して、いよいよ最後の難関雄岳をめざす。いやはや、その勾配のきつい事、また階段の長いこと!!(道には木製の階段が付けられ綺麗に整備されていた)。
心臓が止まるかと思ったほどだ!!、それでもノロノロと歩を進め、3・40分も歩いたであろうか、やっと頂上に出た。(*^^*)
頂上には葛城二上神社があり、大津皇子のお墓はその100m程下った所にあった。大津の皇子の悲話は以前に書いたので此処では割愛するが、
その悲歌だけ改めて記しておく。
大津皇子
ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
                             (巻3・416)
大伯(おおく)皇女
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む (巻2・165)

3時前、大津皇子のお墓を出発し、いよいよ帰路につく。またその帰路の勾配のきつい事。標高はたかだか512mしかないが、ダラダラと坂道を下るのではなく、一気に麓の二上神社(本社)まで下るので30度位の石ころ道や木の階段、木の根っこだらけの砂地滑りやすい坂道等、いずれも足を挫きそうなところばかりだ。それらの連続で休憩できそうな平地もない(途中に1ヶ所だけあり)。
慎重に一段ずつ足を揃え下っていったがそれでも途中から両の膝がカクカクと笑い出した。自分の意思ではどうにもならない。それほど膝に負担が懸かっていた。真剣に家まで帰り着けるかな?いや、下山できるかな?と一瞬不安が頭を過ぎったほどだ!!
しかし何とか、事故を起こすこともなく無事下山、3時半過ぎに二上神社口駅に到着、4時過ぎに阿部野橋駅に帰着することが出来た。
今回の撮影行は思いに違い、超ハードであった。
# by barakan1 | 2004-07-12 20:06 | 旅日記

傘堂~祐泉寺・・・

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●左上より傘堂、小川の側の不動様、左下石仏三体、祐泉寺
石光寺から高雄寺を通り山道をドンドン登っていくと、傘堂に出る。左甚五郎の作と伝えられる珍しい、一本柱の建物である。その横はすぐ山口神社の参道の鳥居がある。その道を尚ドンドン登って行くと、こんな所にと?思う当麻池釣り掘りがある。山に囲まれヘラ釣りにはいい環境である。直ぐ側の大龍寺を右に見、石仏三体と裏向不動明王の前を通って祐泉寺へと到着する。近くに町があるとは思えない程、昼なお暗く、深山霊谷の趣がある。ここで人家は終りですというように、此処から景色がガラット変わる。

血は沸騰し、体中は熱く火照っている。
♪ 聞えるのは、ウグイスの声と、
♪ 自分のハァハァという息を切る声だけだ。
何も考えない!!
何も思わない!!
何も感じない!!
それほど山道は苦しかった!!
40年振りの山登りであった。
あれより3日間、ふくらはぎの痛かったこと。
# by barakan1 | 2004-07-11 16:43 | 旅日記

中将姫のお墓・・・

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●中将姫の墓と眼前の二上山
当麻寺と石光寺との間に地蔵堂があり、そのすこし奥まった所に、中将姫のお墓がある。開けっぴろげの墓所の入口近く、十三重の塔の墓がある。私が訪ねたときはカンカン照りの時間で、何かイメージが狂ったが?小さく、暗いのでは?!と考えていたので・・・。二上山が直ぐ後ろにあり、朝な夕なに大津皇子や大来皇女と語らいながら過ごしているのでは?
この後は傘堂~山口神社~石仏三体~と山道を祐泉寺を目指して登って行きます。
# by barakan1 | 2004-07-10 19:08 | 旅日記

中将姫うゆかりの石光寺・・・

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●石光寺(別名染寺)パノラマ
由来など:天智天皇の勅願寺と伝えられる。 中将姫は17歳の身を剃髪して法如と称し、生身の弥陀を拝みたいと当麻寺にこもって念じるうち、霊感を得て蓮の茎を集め、蓮の糸を採りだした。そして、【石光寺】の庭に井を堀り、溢れ出る水に糸を浸したところ、ただちに5色に染まった。その糸を井戸の端の桜の枝にかけた。これが糸掛桜であるが、この桜はかって役小角が仏教興隆を願って植えたものである。そして、糸繰堂で1丈5尺の曼陀羅を織り上げた。その後、生身の阿弥陀如来と25菩薩が現れて、法如尼を生きながら西方浄土へお迎えした。宝亀6年(775)年3月14日のことで29歳のときであった。
當麻寺中之坊には剃髪堂が、當麻寺から石光寺に至る間の共同墓地の一郭に中将姫の墓や五輪塔がある。

この辺りを大字染野(シメノ)というが、しめ縄を張って悪病が入らないようにする神聖な標野(シメノ)即ち、禁野でした。そう有名な額田王の歌
あかねさす紫野行き標野(シメノ)行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20)
あのシメノである(意味として・・、場所ではありません)。そこには染料に使うアカネやムラサキ、アイが生えていたので、みだりに採らないよう禁じていました。
このため禁野や染野と書いてシメと読ませるそうです。(由来の受け売り)
境内に入りましたが誰も居ず、静かなものでした。本堂でお参りをしましたがなかなか立派なほ仏壇(仏様)でした。m(__)m
しかし、染井戸も糸掛桜も見なかったのでこれも次回のお楽しみだ!   
# by barakan1 | 2004-07-09 18:47 | 旅日記

当麻寺・・・

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●当麻寺境内をパノラマでみる
聖武天皇のころ、横はぎの右大臣・藤原豊成が長谷寺の観音さんに願をかけて生まれたのが中将姫。姫が7歳のとき母が死に、継母照夜の前に育てられることになった。13歳になったとき、中将の内侍となり、それから中将姫と呼ばれるようになった。継母は豊寿丸を産んでからは姫を邪魔ものに思い、暗殺しようと毒を盛ったが、かえって仏罰にあたり豊寿丸を亡くしてしまう。それを妬んだ継母は豊成が筑紫の国へ行った留守中、姫を家臣の松井嘉藤太春時に命じて紀州の奥山捨ててくるように命じた。彼は途中の宇陀郡の日張山に姫をかくまって一緒にくらした(ひばり山の伝承は他に有田市糸我町と橋本市恋野の2地方に残っている)。その後、たまたま宇陀に狩にきた父親に発見されて、奈良に連れ戻されたが、姫はつくづく無情を感じ、信仰生活に発心し、ある夜忍んで【當麻寺】にこもった。天平宝字7年(673)6月15日、17歳で実雅法師によって髪をおろしてもらい名を法如尼と改めた。
「われは長谷観音の化身である。生身の仏を拝みたいならば、百駄の蓮華の茎から繊維をとって曼陀羅を織るがよい。」というみ仏の言葉があった。近江・大和・河内から蓮華を集めて糸をとり、石光寺で五色に染めた。3ばの藁と2升の油で灯りをつけ、一節の竹を軸にして9尺四方の糸繰堂で1丈5尺の曼陀羅を織り上げた。その後、生身の阿弥陀如来と25菩薩が現れて、法如尼を生きながら西方浄土へお迎えした。宝亀6年(775)年3月14日のことで29歳のときであった。(インターネットいより)

神社仏閣についてはあまり詳しくないが東大門を入り境内から見た風景は何か他とは異なる印象を持った。寺の歴史(沿革)を読みある程度理解できたが・・・すなわち真言・浄土二宗併立と八ケ寺の塔頭よりなる珍しい寺院だそうだ。また、本命の中の房には入らなかったので、秋のもみじの季節の楽しみに残しておくことにする。
# by barakan1 | 2004-07-08 19:06 | 旅日記

当麻寺~二上山旅日記・・・

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●当麻寺駅方面から見た二上山
今日急に思い立って当麻寺~二上山を旅す。8時45分分自宅出発、10時過ぎ近鉄当麻寺駅着、ここから当麻寺~地蔵堂~石光寺~高雄寺~傘堂、山口神社~石仏三体(裏向不動明王)~祐泉寺~聖徳太子が造ったという岩屋道を通り~岩屋峠~岩屋=二上山雌岳ま・万葉の森を抜け~馬の背へ~雄岳山頂(葛城二上神社~大津皇子墓~急勾配の石ころ道を下って~葛城二上神社〈本社)~二上神社口駅~阿部野橋駅。4時t到着。1時間プロントでコーヒーを飲み、5時に自宅着。
登山は30年ぶり、二上山に上るのは45・6年ぶりか!!兎に角体力が持たない。たった500メーターチョッとの山が2000Mにも3000Mにも思えた。現在の体力の把握ができた!!(負け惜しみであるが・・)と思えば結構な山登り兼歴史散歩でした。
今日は疲れすぎたので、元気回復してから詳しく掲載します。
これで、寝ます。
# by barakan1 | 2004-07-07 20:21 | 旅日記

地蔵尊①・・・

a0016431_18401.jpg天王寺区勝山1丁目にある、
勝一延命地蔵尊です。
道路際にあるのですが、
よく手入れをされたお地蔵様です。

世の中には色々と変わった趣味を持つ人がいるもので、
(私もお地蔵さんの写真を取り出してから)
インターネットで少し調べてみると矢張りいました!!
お地蔵さんの写真を撮り、集めている方が・・・。
私の場合はまだ深く掘り下げて調べるという所まではいきませんが、
インターネットに載せる程の人は結構歴史や謂れ等を調べたりしている方が多いようです。
今の段階ではそこまでのめり込みは無いのですが本当に集めようと思えば、
確かに歴史、由来、等々まで調べないと面白くないし、続かないだろう?と思います。
そこで一つ調べてみました!・・・
お地蔵さまは子供を守護する仏様です。
それは子供は死ぬと現世に生きる両親への幸せを祈って三途の川の川原で石積みをしなくてはなりません。しかし鬼が出て来て石積みを崩したり、子供をいじめたりすると、お地蔵さまが救ってくださり、浄土へ導いて下さると言います。
そういえば、
昔々お婆ちゃんたちが地蔵盆のときにご詠歌をうたっていた、
曰く、一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・・・・。
ここまでははっきりとも覚えていますが後の文句は???です。
また、
直接関係はありませんが、
山上憶良の歌〈巻5・905)(906)を思い出しました、

若ければ道行き知らじ幣(まい)はせむ黄泉(したべ)の使い負いて通らせ

布施置きてわれは乞ひのむあざむかず直(ただ)にゐゆきて天路知らしめ
# by barakan1 | 2004-07-06 18:41 | お地蔵さん

フリーノソフト・・・

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●画像連結した、生駒山です(みえますか)

今日はひどく蒸す。
台風7号が温帯低気圧になり、湿った空気が吹き込んでいるためだ。

画像合成、連結ソフトをDLし、試してみる。
生駒の山並みをパノラマで連結してみたがうまく出来るものだ。
こんなソフトが無料とは本当に有難い。
ベクターなどを廻っていると結構面白そうなのがある。
正に馬鹿とハサミは使いよう!というが、否!
今は馬鹿とパソコンは使いようと言えるだろう。

パソコンを使うことで、世界中の情報や知識が手軽に集められるし、
また保管や加工も色々な形で出来る。
これから人生、益々面白くなりそうだ!!

パソコンは云われたとおりの律義者  (御素松)
# by barakan1 | 2004-07-05 18:59 | 日々雑感