散歩・徒然なるままに・・・(2016-05)

5月度の締めとして、
散歩・徒然なるままに・・・をアップします。
いつもの散歩コース(四天王寺~一心寺~天王寺公園~安倍の~自宅)7000歩から、少し足を伸ばして上町台地の浪速七坂を主に拡大散歩8500歩を始めて一ヶ月余りが経ちました。気候のいい時期でもあり色々な発見がありました。
★まず一番目に、17日、市立美術館前の階段よこの木立より、「ウグイス」のさえずりを聞きました。さえずりは「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」、地鳴きは「チャッチャッ」。
a0016431_1631576.jpgさえずるのは縄張り内を見張っているオスで、「ホーホケキョ」が他の鳥に対する縄張り宣言であり、巣にエサを運ぶメスに対する「縄張り内に危険なし」の合図でもある。「ケキョケキョケキョ」が侵入した者や外敵への威嚇であるとされている。(Wikipediaより)


★二番目に、23日、茶臼山のある河堀池で「カワセミ」を見かけたことです。しかもそれから今日までに3回も目撃しました。コバルトブルーの背中が美しい鳥でした(スズメよりチョット大きい位でした)
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■三番目には、24日、一心寺の南門を出るとき、聞きなれない鳴き声を聞きました。「トウキョ トッキョ キョカキョク」と聞こえます。一緒にいたおばあさん達も「なんだろうね?聞いたことのないなきごえだけど・・・」と言っていました。
a0016431_1640135.jpg帰宅後、ネットで調べると・・・な何と!!ホトトギスだそうです。私は生まれて初めて聞きました。本当に「トウキョ トッキョ キョカキョク」と聞こえるんですね!!感激しました。昨日のカワセミに続き、ラッキー続きです。



★四番目は、28日、清水坂を下っていた時、今までに見たこともない位大きさのスズメバチと遭遇しました。
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彼は下の方から、地面より1メートル位の高さを音もなく、悠々と私の側を通って上の方へ飛び去りました。たしかに薄茶・黄色?の体色で、大きさは体長5センチ位あったのではないだろうか!・・・ 一瞬のこととてハッキリ確認したわけではありませんが、私が今まで見た中で一番大きな個体でした。こんな大阪のど真ん中で、あんな大きなハチがいるなんで・・・とても信じられません!!
a0016431_16413044.jpg帰宅後、ネットで調べたら、どうも「オオスズメバチ」のようです。1匹だけで、お散歩中で良かったです。集団で襲われたらアウトですものね!!







★五番目は、30日、四天王寺の境内でトンボを見つけました。弱っていて飛ぶことができないようでした。この葉の上にとまらせ観察しましたが、あまり見たことがない種類でした。
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帰宅後ネットで調べましたが、似たような種類が沢山おり過ぎハッキリとはわかりませんでした。(コシアキトンボのメスに似ているような・・??)
# by barakan1 | 2016-05-30 16:56 | 散策によせて

日ノ御埼沖 M丸 イサギ釣り (2016-05-28)

日ノ御埼沖イサギ釣り
今年はじめてのイサギ釣りに、比井港の岬丸(昼便)にて釣行
自宅発(7:00)~紀の川IC(8:00、70㌔)~有田IC~湯浅(紀ノ国屋、8:40、100㌔)~紀伊内原(9:15、122㌔)~比井港(9:25、128㌔)
爆釣続きのネット情報のためか?結構な人出です。朝二便、昼二便だそうです。10時前に着きましたので、出船まで1時間余待ちました.・・・(T_T)
朝船が10:45帰港。昼便のための船中の清掃と席の準備(人数分のバケツが腰掛けのところにおいてある)完了後、船長より、好きな位置に入ってくださいとアナウンスがある。何時もの通り、このシステムでは出遅れてしまう私。結局、右舷の胴の間、大艫より三人目に座る。
本日の状況:天候:曇り~雨  風向:北  潮:下り~上り潮  水温:22度  波高:0.5
出船11:10~日ノ御埼沖ポイント(トフ)着、船長より、棚40~30mを探ってとの指示があり、実釣開始(11:30)。潮は動いているが上へ下へ真下へと定まりがなくあまり良い潮ではなさそうだ。
早速、船に常備の手釣り仕掛けで期待を込めて、第一投!4色出して、そこでコマセを二振り、一ヒロ上げて仕掛けを止めて待つ。前日のおさらいのように、少し長く待つもり・・・と、待つまでもなく、クンクン、グッリグッリとした当たりがあり、慎重に取り込むと、27~28㌢の標準サイズ。ここで釣っておかねば・・!!と力は入るがダブル・トリプルも少なく、ポツポツ上がる程度。そのうちに二枚潮となり両隣とお祭りが続発。そんな中右舷ミヨシで釣っていた人に強烈なあたり、竿のしなりと、叩き方は尋常ではない。そんななかあがってきたのは45㌢のジャンボイサギだった。私も初めてみたが本当に巨大な魚だった(その人は大型狙い一本じ絞って釣っているようだった)りっぱ!負けました!脱帽です!!
●日ノ御埼沖トフ           ●右舷同船者
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私には、15:30頃少しいい感じの当たりがあり、かなり潮の流れが早くなってきて、お祭りしながらも、タモを使って今日初めて魚をすくいました(今回初めてタモを持参。魚は目算35㌢くらい?)。その後、潮は増々早くなり、糸が真横に出ていくような感じで、結局その魚を最後に納竿(17:15)まで全く釣れませんでした。沖上がり港着(17:30)でした。後半は雨に振られ、寒いは一匹も釣れずで、散々でしたが・・・、一年ぶりのイサギ釣りで気分が晴れました!

比井港発(18:15)~和歌山太郎家(19:15)~自宅(20:50高速、走行距離260㌔)
帰宅後、早速刺し身にして、おいしく頂きました
●最長寸35㌢            ●釣りたてイサギの刺し身
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本日の釣果最長寸35㌢、匹数イサギ29:丸ハゲ1  計30匹でした。
# by barakan1 | 2016-05-29 16:01 | 釣行日記

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)⑦山崎神社・・・おわり

山崎神社    岩出市赤垣内108
★正面鳥居
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御祭神
■(主祭神)大市比売命 大山津見命 須佐之男命 (配祀神)奥津彦命 奥津姫命 火加具土命 大年神 水波能売命 八衢彦命 八衢姫命 久那斗命 誉田別命 八王子神 伊弉册命 天児屋根命 上筒男命 市杵島姫命 天照皇大神 他一三座
★狛犬
a0016431_14575585.jpg摂社
五十鈴神社 寿福神社 八阪神社 金刀比羅社 牛神社 稲荷社









★参道・境内
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★手水舎・狛犬
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■由来
 当神社は、人皇七五代崇徳天皇の御代大治元(1126)年丙午5月、鳥羽天皇が根来寺を下山され熊野三山へ向われる途中、真田の里まで進まれたとき、にわかに天候が変わり、雷雨はげしく行列を進めることが出来なくなり、お供の人々が心なやみ、天地の神にお祈り申し上げたところ、雲間より神様がお姿を現し、わたくしは、大山津見の御子、大市姫神なり、雷雨をすぐに鎮めますからお発ち下さいというと、たちまちに晴天白日が輝き、神のお姿が雲に乗って消え去り、天皇はしばらくここに、御輿をとめられたので、この地を輿止めと呼び、松の大木が繁っていたが今はその松林もなく人々から忘れられている。
★境内・拝殿・本殿
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その後、上皇がこのことを大変よろこばれて神社の神官をおよびになり、詳しく事情をおききになられ、お使いの人をお詣りさせ、幣帛料・物品をお供えされたということですが、天正年間、秀吉の根来攻めにより兵火にあって、本社・摂社及び古い記録などが焼失してしまった。
★拝殿
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★拝殿内
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その後、仮の社殿を建て「雷除祈願」として今も大市姫明神、雷除祈願所と記された年代不詳の古い石碑1基が残っている。
★本殿右五十鈴神社            ★)本殿左寿福神社
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徳川頼宜候も祈願されたということで当時の老松が1本残り、雷除の松と呼ばれ(日本名木集に掲載された事があると聞く)、昭和4年2月に県の天然記念物に指定され近在近郷の人々にありがたい松と親しまれていたが、昭和10年惜しくも枯れ果てて、直径1m80㎝の根元一切を記念に残して伐採された。
明治40年、大市姫神社を山崎神社と改称する。
★八坂神社と手前は牛神社             ★)稲荷社
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ー和歌山県神社庁ーHPより
※大市比売とは、少し、調べてみました。
須佐之男命の妻で、大山津見神の娘。
須佐之男命との間に、大年神と宇迦之御魂神を生んだ。

# by barakan1 | 2016-03-13 15:22 | 神社仏閣探訪

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)⑥荒田神社・・・

荒田神社 (式内社)   岩出市大字森237番地
◆境内案内板
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■御祭神
天疎向津姫命 気長足姫命 誉田別命 大山咋命 大山祇命 天忍穂耳命 大巳貴命 秡戸九柱神 市杵島姫命 素盞鳴命 菅原道真 香具都智命 大社命 大國主命 白髪命
◆正面鳥居
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■由来
当神社も天正の兵火のため、伝うる文書等は一つも存在していないが、『紀伊続風土記』に次の様に記され往時が偲ばれる。
「荒田神社、境内周二町四十間、祀神、高魂神、剣根命、拝殿、神楽所、御供所、攝社、丹生明神社、末社、二社 延喜式神名帳那賀郡荒田神社二座、本国神名帳那賀郡地祇従四位上荒田神、森、堀口、川尻、今中、西坂本、押川六箇村の産土神なり、古は岩出、山崎両荘の総産土神にて荘中の末社百二十社と言伝う、祀宇も壮巖に神職も九名あり、社領十町八反二畝ありしに天正の兵火に罹りて祀宇尽燒亡し、縁起寄附状宝物等皆紛失し社領皆没収せらる、是より神事祭礼廃絶す 且中古以来両部に祭りて社地に別当寺を置来たれり、寛文年中命ありて唯一に復して別当寺を外に移し、神事祭礼稍舊に復する事を得たり、此の神は式に二座とありて和泉国大鳥郡陶器荘にも、陶荒田神社二座と見ゆるに後世両部に祀りし等、改めしや宮居三社造となし来り、且地名弘田なるを以て攝津國廣田社と同神にて、天疎向津姫尊とし、神功皇后、譽田別天皇を合せ祀るといひて三座の数に合せたる説あれとも索強附会にして取るに足らず、神主を西堀氏という」とある。
ー和歌山県神社庁HP-より
◆拝殿
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■祭神高魂命は即ち高御産巣日神(古事記)であっ て、劔根命はその五世孫にあたり、その子孫に葛城直があ り、荒田直もその一族であって、「劔根命之後」である。
『名所図会』によれば、当社は「荒田の直が祖高魂命、お よび劔根命」を祀ったことになる。葛城直といえば、「九州日田の豪族として、神武天皇の東征に従」(『姓氏家系大 辞典』)ったと考えられ、おそらくは紀伊国とも無縁ではな かったろうし、荒田別は、紀伊国荒河戸畔の女を母にもつ 豊城入彦命(崇神天皇紀)四世の孫であって、鹿我別らと共 に、神功摂政四十九年(三六九)には、卓淳国に渡り、新羅 国を破った(神功皇后紀)武将たちであって、紀氏を代表す る紀水軍とも関係深かったと思われるし、更に摂社に「丹 生都比賣神」を祀っていることなどよりして、古代紀伊国 とも縁故深く、この地に祀られたものと考えられ、地方豪 族の尊信も高かったことと思われるが、これを證する資料 はない。    -『式内社調査報告』-
◆本殿(木造銅板葺流造 24,8㎡)
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※そんなに社格のある神社とは思っていませんでしたが・・・。式内社だそうです。そのため写真が少なくなりました。油断するものではありませんね。
幣制年、解体修理が完成し美しく生まれ変わりました。
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# by barakan1 | 2016-03-12 14:25 | 神社仏閣探訪

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)⑤西国分塔跡・・・

西国分塔跡   和歌山県岩出市西国分
◆案内板と石碑
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聖武天皇は741年(天平13年)に諸国に国分寺と国分尼寺(尼寺)の建立の詔を出しました。これを受けて、紀の川市国分寺(現在史跡紀伊国分寺歴史公園となっている場所)に紀伊国分寺が建立されましたが、国分尼寺の方は、国分寺から西方に800mのこの地に、白鳳期に建立された寺院がすでにあり、国分尼寺として使用されたと推定されています。平安時代以降になると廃絶したようです。昭和50~51年の発掘調査では塔の礎石の一部が確認されましたが、その他の伽藍跡については、後世の土地の改変が著しく、発見されませんでした。
◆全景と塔心礎
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発見された塔の心礎は砂岩製で、上面には直径87cm、深さ9cmの塔柱の座が彫られています。座の中央には、直径14cm深さ15cmの仏舎利を入れる穴があります。さらに心礎の下には、平坦な4個の石が並べられていて丁寧な造りになっているようです。 昭和3年2月7日に国の史跡として指定されました。(2011.8.4)    
現地説明板     ーきのくに風景讃歌ーより
# by barakan1 | 2016-03-11 19:48 | 神社仏閣探訪

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)④紀伊国分寺跡・・・

史跡紀伊国分寺跡歴史公園  〒649-6428  和歌山県紀の川市東国分
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国分寺は741年(天平13年)聖武天皇により、全国に60余箇所に建立の詔が出されて建造されたものです。いずれも七重塔・金堂・講堂塔を有する壮大な伽藍でした。
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紀伊国分寺もその一つでしたが、当時の建物は全て焼失し、現在の本堂は講堂跡に江戸時代に再建されたものです。かつての姿を知るために1972年(昭和47年度)から発掘調査が進められ、2000年に完了。
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一方保存整備事業が1988年(昭和63年)から並行して進められ、15年の歳月と5億円をかけて2002年に「史跡紀伊国分寺跡歴史公園」として完成しました。
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※※各地で国分寺は見てきましたがここ紀伊国分寺跡は基壇跡や礎石も残り、そしてよく保存されています。西国分塔跡(国分尼寺跡)に比べると雲泥の差ですが・・・、それもその寺が持つ運命なのでしょう。
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# by barakan1 | 2016-03-10 16:04 | 神社仏閣探訪

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)③日吉神社・・・

日吉神社     和歌山県 紀の川市 東国分734
◆神社全景
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★御祭神    
大山咋命 大己貴命 市杵島姫命 須佐男命 神皇魂命 埴山姫命 蛭子命 国常立命 誉田別命
★本殿   (木造三間社流造銅瓦葺切妻千鳥破風軒唐破風
◆狛犬
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★由来
紀伊国分寺本堂の北東約200mの杜叢の中にある。
古くは山王権現社と称して紀伊国分寺の鎮守社であった。
また、東西両国分村の産土神(現在は紀の川市東国分・岩出市西国分)としてあがめられてきた。
本殿は三間社流造、屋根はもと檜皮葺、正面中央に千鳥破風を設け、さらに軒に唐破風をとりつけるなどしていたって派手に造られている。
◆拝殿・本殿
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これに呼応するかのように絵様や繰形などの彫物も多用するから、そこから受ける感じはずいぶん賑々しい。
さらに柱上部から組物にかけて極彩色を施し軒や縁まわりは紅柄塗と塗分けている。
建立年代を直接示す資料はないが、当地方社殿の年代観からは17世紀に入るものとみてよい。
桃山時代の雰囲気を色濃く残す江戸時代初期の流造本殿、妻飾り等に特色があり、県内では珍しい形式をもった建造物である。   ー和歌山県神社庁ーより
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# by barakan1 | 2016-03-09 16:30 | 神社仏閣探訪

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)②根来寺・・・

新義真言宗 総本山  根来寺  〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286 
★根来寺案内図
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★大伝法堂~大塔~大師堂
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根来寺の歴史
根來寺(ねごろじ)を開創された覚鑁(かくばん)上人は肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。
■大伝法堂
根來寺の本堂で文政10年(1827年)に再建され、本尊は大日如来で、脇仏は金剛薩?(こんごうさった)、尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)です。この堂は真言宗の最も大切な修法を伝える道場で「傳法大会」「傳法潅頂」など、僧侶が厳しい修行をする場所です。
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やがて鳥羽上皇の庇護を受け、学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の岡田・山東・弘田・山崎の荘園を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。しかし大伝法院方は高野山の一部の人たちとの間に確執を生じ、結局、保延6年(1140)に根来に移ることとなりました。
■大毘廬遮那法界体性塔(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)
  通称・大塔(国宝)
この塔は、真言密教の教義を形の上で示したものです。天文165年(1547年)に完成しました。日本最大の木造多宝塔で、明治32年に国宝に指定されている。また、豊臣秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったものですが、その頃の戦乱の弾痕がはっきりとみられます。 高さ40m 横幅15m
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その頃の根来には豊福長者(とよとみちょうじゃ)が建てた葛城山系の山岳信仰をおこなう草庵がありましたが、覚鑁上人は、その草庵を建て直し豊福寺(ぶふくじ)と名付け、学問所として「円明寺」を、お住まいとして「密厳院」を造られ、康治2年12月12日(1143)に根来にて49歳の生涯を閉じられました。
■大師堂
真言宗を開宗された弘法大師・空海像を本尊として祀っています。明徳2年(1391年)に建立つしました。焼打ちから残ったもので、重要文化財に指定されています。
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覚鑁上人の入滅後、大伝法院衆徒の一部は高野山に戻りますが、その後、正応元年(1288)頃、頼瑜(らいゆ)僧正が再び高野山から大伝法院の僧侶を率いて根来に移ってまいります。
■不動堂
「三国一のきりもみ不動」で有名な不動尊を本尊として延宝5年(1677年)までには、再建されたと考えられています。興教大師覚鑁が難に遭われた時に身代わりとなって守られたので、この名があります。その為、交通安全・厄除祈願の身代わり不動さんとして有名です。
この不動堂は平面は正八角形で、外廻り柱は八角柱、内廻り柱は円柱、外陣は畳敷、内陣は床を一段高く構え板敷になっています。県下に遺存例の少ない八角堂として重要な建造物です。
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頼瑜僧正の学風は聖憲尊師に受け継がれ「新義教学」として大成しました。中世根来寺は多くの学僧を抱える「学山根来」であったことが、伝えられた多くの聖教資料から近年明らかになりました。当時の根來寺境内を示す「根来寺伽藍古絵図」には、覚鑁上人の法灯を守る法会を営む堂塔伽藍と中性院に代表される教学を伝受する300~400の院家が描かれております。
■光明真言殿(光明殿)
略して「光明殿」といい、文化元年(1804年)に落慶しています。現在は開山興教大師覚鑁のご尊像を安置し、左右には歴代藩主・座主の位牌を始め信徒の位牌が祀られ、日夜回向がなされています。
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戦国時代、大きな勢力を備えた根來寺は、当時の様子を書いた宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも紹介されています。しかし、こうした強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585)3月に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山消失してしまいました。
■鐘楼門
鐘楼がと付いた門です。毎日、午前6:00に鐘を鳴らしています。除夜の鐘もこちらでお付きできます。
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その後しばらく復興を許されませんでしたが、やがて紀州徳川家の外護を受けて、大門・伝法堂・不動堂など主要な伽藍が復興され、また、東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜されました。
■大門
根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建されたもので、左右に仁王像を配し、この寺にふさわしい大門です。
上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されています。
高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m
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現在 根來寺は新義真言宗の総本山として、興教大師の御廟を守り続けております。葛城連峰の端に、広い境内を有し、国宝に指定される日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」のほか、宗祖 覚鑁上人独自の教学をあらわす、大伝法堂には重要文化財の本尊大日如来(だいにちにょらい)・金剛サッタ(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)、史蹟・根來寺境内は中世の佇まいを残し四季折々桜・青葉・紅葉が変化に富み多くの参拝者の目を楽しませています。  ー根来寺HPよりー引用
■大門の仁王像
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※秀吉の根来攻めでその勢力は壊滅しましたが、そのごいろいろな変遷を経て現状に回復?しました。その辺りの経緯とか・・を詳しく知りたかったのですが、今回はなにぶん時間がなく各所を回るだけで精一杯(まだ沢山みのがしました)。できればきかいをつくりさいほうしたいとおもいますが・・。桜の木が沢山ありましたので、桜の季節が良いのですが・・・。 写真クリックで大きくなります(^o^)

# by barakan1 | 2016-03-08 15:49 | 神社仏閣探訪

大阪城観梅(2016-03-05)・・・

大阪城観梅へ
この数日は気候も春めいてきたので、思い立ち大阪城の観梅へ!!
14時に待ち合わせ、食事を済ませてから大阪樹梅園へ向かう。梅は6・7分の咲き加減でグッドタイミングでしたが、何分見学者が多く大変でした。(花見はもっと混むでしょうね!!)
●大阪城のお堀の遊覧船がでていました
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ご多分にもれず、此処も外国人の方が沢山いらっしゃいました。やはり数年前には見られなかった現象ですね!
■では、梅の花を鑑賞ください。(万葉集では萩に次いで多く、119首に詠まれているそうです)
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大伴坂上郎女
巻8-1656
酒杯(さかづき)に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし
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紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)
巻8-1661
久方の月夜(つくよ)を清み梅の花心開けて我が思へる君
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不詳
巻10-1853
梅の花取り持ち見れば我が宿の柳の眉し思ほゆるかも
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大伴書持(おおとものふみもち)
巻17-3904
梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
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茨田王(まんだのおほきみ)
巻19-4283
梅の花咲けるが中にふふめるは恋か隠(こも)れる雪を待つとか

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# by barakan1 | 2016-03-06 15:39 | 花探索

岩出市~紀の川市神社仏閣探訪(2016-03-03)①コース概要・・・

岩出市~紀の川神社仏閣探訪。
久しぶり(3年ぶり?)の神社仏閣の探訪となった。天気が良くて気持よく回れたが・・。景色的には桜のシーズンにはちょっと早く、枯れ葉や枯れ草の色の目立つ探訪でした。(桜の季節くらいからの探訪は絶好だったろうなぁ)
写真は葛城高天原付近の県道30号から見た「畝傍山~飛鳥遠望」です。写真クリックで大きくなります(^o^)
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※今回は金剛葛城山の裏側に沿う形で根来まで走りました。
コース概要
10時自宅発~葛城御所周りで、紀の川市(根来寺へ)~紀ノ國国分寺跡~西国分寺後~荒田神社~山崎神社~力待神社(此処へは道がわからず結局この日は断念)~和歌山インター~18時自宅着。160㌔。
■地図

# by barakan1 | 2016-03-04 17:06 | 神社仏閣探訪