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明日香探訪(2015-01-24)⑥明日香村埋蔵文化財展示室見学・・・終

明日香村埋蔵文化財展示室  所在地 : 明日香村大字飛鳥225-2
              (甘樫丘北東100m 「あすか夢の楽市」すぐ隣)
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明日香村による発掘の数々を紹介する展示室。小さな展示室だが、出土品は飛鳥の息吹をいまに伝えるものばかり。
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また旧飛鳥小学校の木造校舎を利用しており、レトロな味わいのある建物も魅力的。主な展示品は明日香村内出土遺物、キトラ古墳石室模型の展示のほか、文化財課による最新の発掘情報や成果など。 すぐ南には水落遺跡がある。ー明日香ナビーより
●持統天皇行幸風景『再現)  上山好康氏撮影
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◆利用時間: 午前9時から午後5時まで
◆休日: 年末年始
◆入場料 : 無料
★(*^_^*)写真クリック 大きくなります 今回はこれで終了です。
by barakan1 | 2015-02-04 18:13 | 万葉故地

明日香探訪(2015-01-24)⑤飛鳥坐(あすかにいます)神社・・・

飛鳥坐(あすかにいます)神社  奈良県高市郡明日香村飛鳥707
御祭神
事代主神  高皇産靈神  飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂) 大物主神
●神社正面・鳥居と飛鳥井
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境内 摂社 式内社
摂社 飛鳥山口神社  大山津見乃神 久久乃知之神 猿田比古神
●力石・マラ石
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◆◆国のまほろば大和の国に古代より皇室の守護神と して鎮まります当神社の主神、事代主神は恵美須神 の御名で世に広く知られております。大国主神の第 一子で父神とともに力を合わせ、この国土を拓き民 の衣、食、住は勿論、その他万物の生きるための基 礎作りをされた大神であります。
●万葉歌碑
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雑歌(くさぐさのうた)
巻13-3222 
三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲き
末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし山そ 泣く子守る山

巻13-3229 
斎串(いくし)立て神酒(みわ)据ゑまつる神主(かむぬし)の髻華(うず)の山影見ればともしも
壬申(みづのえさる)の年の乱(みだれ)、平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌
巻19-4260 
皇(おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
右の一首は、大将軍(おほきいくさのきみ)贈右大臣(おひてたまへるみぎのおほまへつきみ)  大伴の卿の作みたまふ。

 古典によりますと、神代の昔皇祖天照大神が皇国 の基を定めようとされ、大国主神のもとに国土を天 の神に奉るよう御使を遣わされました。大国主神は その事を事代主神に相談され、そのすすめによって 国土を捧げられました。そうして大国主神は、わが 子事代主神を数多くの神々の先頭に立たせ皇祖に仕 えさせたならぱ、皇祖の国づくりに逆らう神は無い であろうと、皇室の近き守護神として事代主神とそ の娘神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈留美神)の神 霊を奉斎なされたのが当神社の創建であって、実に 神代から続いている大社であります。
●神社拝殿
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 前述のごとく、この飛鳥の地に永く郡のあったことと神代に当社がこの地に創建されたとする伝承とは決 して偶然ではなく、すでに神代の昔から大和の国は将来都と定めるべき美地なることを父神の大国主神は予 知されていたのであります。以来事代主神、飛鳥神奈備三日女神を始め四柱の神々は協力して皇室の守護を はじめ、日本人に生活のあるべき道を教え、農業、工業、商業など、産業振輿の神として、その由緒の顕著 なことは多くの古書に記述されているところであります。特に子宝、緑結ぴ、厄除、治病、製薬、交通安全、 商売繁昌、家内安全、夫婦和合等、専ら国利民福の増進を図られ、その御神徳は著しいものであります。
●境内各社
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●参道石段より雷丘を望む
a0016431_19574238.jpg当社は、天武天皇朱鳥元年七月に天皇の御病気の平癒を祈る奉幣があったことにも示されるように、皇室 の近き守り神として奉祀され、天長六年に神託により神奈備山より現今の鳥形山へ遷祀されました。延喜式 によれば名神大社に列し、祈年、月次、相嘗、新嘗、祈雨等の奉幣に預かり、祈年祭には特に馬一匹を加え られました。正平元年八月後村上天皇より金五十枚を賜わり中ノ社が再建されております。このように朝廷 でも一般でも広く尊崇せられたことが察せられます。







●境内各社
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 降って寛永十七年(一六四○)に植村家政が高取城主として封ぜられると、当社がその城の鬼門にあたる ため、特に深く信仰されました。元緑頃には境内に末社五十余社が存したが、享保十年(一七二五)に本社、 末社ともに火災に会い、社殿の大部分が焼失したので、安永十年(一七八一)城主植村出羽守家利が再建し、 天明元年(一七八一)正遷宮が行なわれました。これが現存の社殿であります。このように古代から数々の 変遷を経て今に至っています。
●境内各社
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※相嘗祭……朝廷の特別に尊崇された大社に新米を奉られる祭である。名神社三、一三二座中僅に七一座に 限られている。
-由緒書きより-
2004年の飛鳥坐神社
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by barakan1 | 2015-02-03 20:15 | 万葉故地

明日香探訪(2015-01-24)④大原神社~藤原夫人の墓・・・

大原の里
藤原夫人の墓前より、藤原氏の拠点、大原の里を見る。後方は多武峰である。
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小原の交差点と万葉文化館の間に立っている万葉歌碑
万葉集 巻04-0513   志貴皇子
大原の このいち柴(しば)の いつしかと 我(あ)が思ふ妹に 今夜(こよひ)逢えるかも
※大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。
巻11-2587
大原の 古りにし里に 妹を置きて 我れ寐ねかねつ 夢に見えこそ  

大原神社   奈良県高市郡明日香村小原134
祭神  品陀別命、大織冠鎌足
由緒
藤原鎌足は、「大織冠伝」(760年頃成立)によると、推古天皇二十二年 614年)、大倭国高市郡の人として、藤原の第(邸宅)に生まれたと記されている。藤原は、現在のここ明日香村小原の地である。
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 鎌足は、中大兄皇子(後の天智天皇)を助けて、「大化の改新」を推進する偉業を成し遂げた。669年、臨終の床で、天智天皇から、最高位の「大織冠」の冠位を与えられ、その後、千年以上も続く藤原氏の祖となった。(社頭掲示)
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お姿  神社すぐ右手の田圃には、明治初年まで、「藤原寺」(鎌足誕生堂)が建っていて、江戸時代後期に、国学者の本居宣長も訪れている。飛鳥坐神社より通じるこの道は、ここから東へ上がること約4kmの山頂にある、鎌足を祀る「談山神社」への表参道である。
 ここ大原神社の奧の竹田川のほとりには、「藤原鎌足産湯の井戸」、左手の森には、鎌足の母「大伴夫人」の墓がある。
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 また当神社の正面左手には、天武天皇と鎌足の娘の藤原夫人との間に交わされた、万葉集の歌二首を刻んだ石碑がある。(社頭掲示)
天皇の藤原夫人(ふじはらのきさき)に賜へる御歌(おほみうた)一首
巻02-0103 
我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち)
※わがこの里に雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことだろう。
藤原夫人の和へ奉れる歌一首
 巻02-0104 
我が岡のおかみに乞ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ
※私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。
◆「藤原鎌足産井の井戸」跡
大原神社の裏手を流れる竹田川のほとりにあるのですが、以前は竹藪があったのですが、今は切り払われて、スッポンポン。ましてや冬で当たりを草で隠すべくもなく、何だかうら寂しい状態になっていました。
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藤原鎌足の母「大伴夫人の墓」の墓
●夫人の墓                   ●墓より見る大原神社と大原の里
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大原神社のすぐ近くにある「大伴夫人の墓・小原の里」。解説文にはこうあります。「藤原鎌足の母、大伴夫人の墓と伝える。墓は東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの円墳である。また、この辺りは蘇我入鹿を殺し、大化の改新を断行した、中大兄皇子の副審であった中臣鎌子連、すなわち後の藤原鎌足の誕生地とも伝えられている。」-神奈備にようこそ-より
2007年訪問時の大原神社と墓
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by barakan1 | 2015-02-02 15:56 | 万葉故地