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有間皇子結松を見て偲ぶ歌(2013-06-12)万葉故地探訪⑩・・・おまけ

岩代の海岸
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有間皇子結松を見て偲ぶ歌
●長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、結び松を見て哀咽(かなし)みよめる歌二首
巻02-0143 
磐代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも
巻02-0144 
磐代の野中に立てる結び松心も解けず古(いにしへ)思ほゆ

●柿本朝臣人麿ノ歌集ニ云ク、大宝元年辛丑、紀伊国
     ニ幸セル時、結ビ松ヲ見テ作レル歌一首
巻02-0146
後見むと君が結べる磐代の小松が末(うれ)をまた見けむかも

●山上臣憶良が追ひて和(なぞら)ふる歌一首
巻02-0145 
鳥翔成 あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ
あの方は天空をかけめぐり、存命のままこの岩代の地の結び松はご覧になったのだろうが、そのことを我々は気づかないでいるが、松はきっと知っているだろう。
※・・・鳥翔成・・・「カケルナス」「アマガケリ」「ツバサナス」等、その訓みについては、諸説あり。

◇※天智天皇(中大兄皇子)時代にはばかられていた有間皇子への同情は、壬申の乱(672)以降、表立って上のような歌が詠まれるようになる。当時は皇子の結び松と伝える松があったのだろう。
by barakan1 | 2013-07-08 13:39 | 万葉故地

有間皇子結松の記念碑(2013-06-12)万葉故地探訪⑨・・・終

有間皇子 結松の記念碑    和歌山県みなべ町岩代字結
●案内板          ●結松の記念碑      ●結松
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和歌山県指定文化財
史跡 岩代の結松
斉明天皇4年(658)10月天皇と皇太子中大兄皇子(後の天智天皇)は紀の湯(白浜湯崎温泉)に行幸された。孝徳天皇の遺児有間皇子は留守官蘇我赤兄の口車に乗せられ、謀反のかどで捕らえられ天皇のもとに護送された。その途中紀の湯を眼前に望み当地の松の枝を結び自分の命の平安無事を祈って歌を詠まれた。
●岩代の海岸
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有間皇子自ら痛みて松が枝を結ぶ歌
  磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む
  家にあらば?に盛る飯を草枕旅にしあらば椎の葉に盛る
有間皇子は紀の湯で中大兄皇子の尋問に対して「天と赤兄と知る我全知らず」と答えられたが、帰路11月11日、藤白坂において19歳の若さで絞殺された。
                                     昭和34年12月
                                     和歌山県教育委員会 
                                     南部町教育委員会
◆◆有間皇子自ら痛みて松が枝を結ぶ歌
巻02-0141
岩代(いはしろ)の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む
岩代の浜松の枝を引き結んで、幸いに無事であったら、また帰って来て見ることであろう。
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巻02-0142
家にあれば 笥(け)に盛る飯ひを 草まくら 旅にしあれば 椎の葉に盛る
家にあれば器に盛るべき飯を、(草まくら)旅の中にあるので、椎の葉に盛ることよ。  
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※歌に惹かれて、長く、憧れていた有間皇子結松にはからずも訪ねるとこが出来ました。南の洋上に台風3号が北上中という事で、ここら辺りの海上も、波が高くなっている状態でした若者がサーフィンをしていました)。国道42号線際ということで、ゆっくり見学も出来ず、記念碑あたりの写真と、海岸線の美しさを記念にと急勾配の道を登り降りしたお陰で胸がゼイゼイものでした。
by barakan1 | 2013-07-02 13:10 | 万葉故地

野島(2013-06-03)万葉故地探訪⑧・・・

野島   御坊市名田野島(海産物店はし長駐車場横に歌碑)
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中皇命の紀の温泉に徃いませる時の御歌(三首)ー658年ー
巻01-0010
君が代も我が代も知るや磐代(いはしろ)の岡の草根をいざ結びてな
【通釈】あなたの命も私の命も、あたり一帯を支配する霊地である磐代の岡の心のままですよ。その岡に生えている草を、さあ、結びましょうよ。そして命の無事をお祈りしましょう。
巻01-0011
我が背子は仮廬(かりほ)作らす草(かや)なくば小松が下(した)の草(かや)を刈らさね
通釈】あなたは野宿のための仮小屋を作っておられます。適当な萱がなければ、ほらこの小松の下の萱をお刈りなさいな。
●壁川崎の海岸。遠くに海南火力発電所が見える。
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巻01-0012
我が欲(ほ)りし野島(のしま)は見せつ底深き阿胡根(あこね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ
【通釈】私が見たいと思っていた野島は見せていただきました。けれど、水深が深い阿胡根の浦の真珠はまだ拾っていません。
●壁川崎。野島の西之芝地区。
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※中皇命とは、通説では
間人皇女(はしひとのひめみこ。舒明と皇極の娘、孝徳の妃)、あるいは、
斉明天皇(舒明の死後は皇極、孝徳の死後の重祚)に擬せられています
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by barakan1 | 2013-07-02 13:06 | 万葉故地