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柏原市探訪(2012.05.29)④河内国分寺塔跡・・・終

河内国分寺塔跡(かわちこくぶんじとうあと)   大阪府柏原市国分東条町3872-2
●国分寺跡前から行宮跡を見る
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天平13年(741)3月、聖武天皇は国分寺(国分僧寺、国分尼寺)造営の詔を発した。天平などという年号とは裏腹に、当時は飢饉や病、新羅との関係悪化、藤原広嗣の乱と不安の種のつきない時代だった。救いを仏教に求め、仏の力で国家の安泰を願おうと寺院の建立を思い立ったものとされている。
●国分寺跡前の道
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河内国分寺伽藍推定地
天平年間後半ないし天平勝宝年間には、国分東条(ひがんじょう)町に鎮護国家を目的とする河内国分寺が創建され,偉容を誇っていたとされている。その場所は、大和川に沿って河内国府から平城京へ通じる幹線道路だった竜田道(現在の国道25号線)や奈良街道を見下ろす高台だった。だが、河内国分寺がいつ頃完成し、どのような伽藍配置だっったのかは、実の所よく分かっていない。
●河内国分寺塔跡
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現在、発掘されて遺構が判明しているのは塔跡だけである。中門跡などの遺構も一部発掘されたが、その他の伽藍遺構は失われたままで全くわからないという。塔は七重塔であったと推定されているから、平城京に向かう旅人は、高台に達つ国分寺の塔に、目を奪われたはずである。
●国分寺塔礎
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大和川を挟んだ対岸には、元正、聖武、光仁天皇が難波の宮への行幸の際に宿泊したとされる「竹原井頓宮」(たかはらのい・とうんぐう)があったとされている。
●国分寺桐塑案内板ー
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塔は1辺63尺(18.9m)、高さ5尺(1.54m)の基壇の上に建てられていた七重塔だったと推測されている。基壇は周囲に凝灰岩の切石を積んだ壇上積み基壇で、基壇の上面には凝灰岩の切石を敷き詰め、ホゾの出た礎石を配してあったという。花崗岩の礎石は心礎を含めて6個残っていた。礎石の位置から、塔の一辺は10.36m、七重の塔であったと推定されている。
●塔礎
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by barakan1 | 2012-06-02 15:02 | 旅日記

柏原市探訪(2012.05.29)②竹原井の行宮跡・・・

竹原井行宮(タケハライノカリミヤ) 大阪府柏原市青谷
●大和川北岸より(行宮跡~国分寺跡を見る
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柏原市の大和川流域山沿いの地域には、すでに飛鳥時代には、文化の象徴である古代寺院河内六寺が、すばらしい景観とともに建てられていた。また、奈良の平城宮から難波の宮(現在大阪城付近)を結ぶ交通の要所として竜田道があった。
●大和川・石川合流付近、古代想像図(柏原歴史資料館より)
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この竜田道は旧大和川沿いにあったものと考えられている。北から続く生駒山地が切れて大阪平野に開けるところに竜田道の山側に古代寺院は存在した。五重塔をもち大きな大伽藍が林立するような壮大なながめてある。
●青谷運動場への吊り橋より行宮跡を見る(左後方山は芝山)
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当地は、平城宮から難波宮に至る旅程(1泊2日)の中程に立地することから、元正帝・聖武帝・孝謙帝・光仁帝らは難波宮行幸に際して当地に宿泊されたといわる。 
上皇・天皇等が宿ったという行宮は“竹原井行宮”と称した(竹原井頓宮・竹原井仮宮・智識寺南行宮・智識寺行宮などともいう)。
●行宮跡(現状)
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その竹原井行宮が、柏原市青谷に建設されていたことが発掘調査でわかった(青谷遺跡)。また、大和川が大きく蛇行する対岸には、聖武天皇が詔を発して造営した、国分寺跡が指呼の間である。
●現場付近航空図と地図
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上宮聖徳皇子(うへのみやのしやうとこのみこ)の竹原井(たかはらゐ)に出遊(いでま)せる時、龍田山に死(みまか)れる人を見(みそなは)して悲傷(かなし)みよみませる御歌一首
万葉集
巻03-0415  
家にあらば妹が手纏(ま)かむ草枕旅に臥(こ)やせるこの旅人(たびと)あはれ

※行宮有力候補地として、JR大和路線・河内堅上駅の南西約800m、青谷青少年運動広場(大和川北岸)付近。
●竹原井行宮跡発掘記録(柏原歴史資料館より)
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広場のすぐ東に隣接する“青谷遺跡”(遺跡の表示なし、民間の資材置き場となっている)。
●遺跡写真(柏原歴史資料館資料より)
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奈良時代(8世紀前半)の建物跡・平安京出土と似た瓦・石敷・石溝跡などが出土したとあり(1984年発掘調査)、当地を竹原井行宮跡とする資料は多い。
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●河内国分寺跡付近より、行宮跡方向を見る。(左奥に見える山は芝山)
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◇また、つきの歌は、大和川が大きく蛇行する芝山。このあたりの風景を詠んだのであろうか!?・・・
難波に宿りて、明くる日還来(かへ)る時の歌一首、また短歌
万葉集
巻09-1751
島山を い行き廻(もとほ)る 川沿ひの 岡辺の道よ
昨日こそ 吾(あ)が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに
峯(を)の上の 桜の花は 滝の瀬よ たぎちて流る
君が見む その日までには あらしの 風な吹きそと
打ち越えて 名に負へる杜に 風祭(かざまつり)せな

by barakan1 | 2012-06-01 16:44 | 旅日記