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熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑧熊野那智大社・・・終

熊野那智大社   和歌山県東牟婁郡本宮町本宮
●参道・一の鳥居
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御由緒
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
●二の鳥居
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命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」伊弉冉尊(いざなみのみこと)をおまつりしていたのであります。
●境内全景
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その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。
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この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。
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やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
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ー熊野那智大社HPーより
※昨年の台風12号の大水による崖崩れで社殿が埋まり、未だ復旧工事が続けられていました。早く元のような優美で美しい社殿に戻ることをお祈りいたします。
◆◆    (社殿名) (祭神名)
第一殿   滝 宮    大己貴命(おおなむじのみこ)
第二殿   証誠殿    家都御子大神(けつみこのおおかみ)、   素戔嗚尊 
第三殿   中御前    御子速玉大神(みこはやたまのおおかみ) 、伊弉諾尊 
第四殿   西御前    熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、伊弉冉尊
第五殿   若 宮    天照大神(あまてらすおおかみ)
第六殿  (八社殿) 禅師宮  忍穂耳尊(おしほみのみこと)
聖 宮       瓊々杵尊(ににぎのみこと)
児 宮            彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
子守宮           鵜?草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
一万宮           国狭槌尊(くにさづちのみこと)
十万宮           豊斟淳尊(とよくもぬのみこと)
勧証十五所         泥土煮尊(うひじにのみこと)
飛行夜叉          大戸道尊(おおとのじのみこと)
米持金剛          面足尊(おもだるのみこと)
※第四殿(西御前)におまつりしている熊野夫須美大神・伊弉諾尊(いざなみのみこと)が当社の御主神であります。
●八社殿と御縣彦社(工事中)           ●樹齢約850年と推定される樟の大木
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※平重盛が造営奉行をした折、手植えしたものと伝えられています。★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2012-03-11 13:32 | 旅日記

熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑦青岸渡寺・・・

那智山 青岸渡寺 (せいがんとじ)  和歌山県那智勝浦町
●参道石段
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仁徳天皇時代(313-399:神代)に裸形上人(らぎょうしょうにん)の開基とする。裸形上人は、インドより熊野浦に漂着した僧で熊野各地を巡歴し、那智駅前の補陀洛山寺などを開いたとされている。
●楼門
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正式には、推古天皇(554-628)の時代に、大和の生佛上人が来山し如意輪観音像を刻み本堂を建立した。
●三重塔
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那智山は、もともとは熊野権現を祀る神仏習合の地であり、熊野三山の主神である本宮の家津御子(けつみこ)神が阿弥陀仏、新宮の速玉(はやたま)神が薬師如来、那智山の結(むすび)神が千手観音を本地仏としていた。
●本堂
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明治の廃仏毀釈・神仏分離により那智山は、熊野那智大社と分離され、青岸渡寺には本堂だけが残った。
●神社境内より見る、三重塔と那智の大滝
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※★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2012-03-09 15:37 | 旅日記

熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑥夫婦杉~多富気王子跡~飛瀧神社・・・

熊野古道大門坂
古来より、多くの参詣者たちを受け入れてきた熊野古道。大門坂は、その面影をもっとも色濃く今に残している場所です。
●夫婦杉
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参道入口付近に対の大杉「夫婦杉」が門のように立っています。高さ55m、幹周り8.5mの大木です。
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●多富気王子跡
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夫婦杉から大門坂に足を踏み入れると、うっそうとしたスギ、ヒノキ、クスノキなど樹齢600年以上の木々の木漏れ日が苔むす石畳の上に落ち、その美しさに思わず息をのみます。その大門坂を進んでいくと、熊野参詣道中辺路にある最後の王子社、多富気王子(たふけおうじ)があります。
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この多富気(たふけ)王子は、樹霊や峠の神仏に「手向け(たむけ)」をした場所でもあり、本宮の祓戸(はらいど)王子のように、那智山の霊所に入ることを確かめて身心を清める場所であったと考えられています。現在、那智大社一の鳥居の左に児宮(ちごのみや)としてお祀りしています。

別宮飛瀧神社  和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山一番地
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熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸”にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大滝をさぐリ当てられ、神としておまつりになって、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和へお入リになった」と記録されています。
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千古の老木におおわれた原生林のあいだに光り輝く「那智大滝」の神秘性はいまも昔もかわることのない姿です。
俳人・高浜虚子
神にませば まことうるわし 那智の滝
と詠んでいます。
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※去年の台風12号の大水による影響で、滝壺下には大石がゴロゴロと散乱し、流された材木もまだ片付けられずに残っているものもありました。★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2012-03-08 16:30 | 旅日記

熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)⑤熊野速玉大社・・・

熊野速玉大社
●神社正面
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熊野三山のひとつ。もともとは、速玉大社から南へ1~2km行った千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたのが、のちに現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対し、ここを新宮と呼ぶようになったということです。
●入り口鳥居と参道
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御主神 結宮   熊野結大神(くまのむすび)「伊弉冉命」  
御主神 速玉宮  熊野速玉大神「伊弉諾命」
●熊野速玉大社参詣曼荼羅
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●神門
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創祀
「熊野権現御垂跡縁起」によると、往昔、熊野神が各地遍歴の後に、伊予、淡路を経て新宮の南の神倉山に祀られ、さらに阿須賀社の北、対岸の石淵(三重県鵜殿村矢淵)に遷られたのであって、始めは結(結神)、早玉(速玉神)と家津美御子神を二社殿に奉斎していた。
●拝殿と第一殿・第二殿
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「熊野年代記」には、安寧天皇十八年(紀元前566)に新宮の神倉に祀られ、貴祢谷(石淵)へ遷り、孝昭天皇五年(紀元前480)に二社殿を建立して、熊野三所権現(結、速玉、家津美御子)を奉斎したと伝える。
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諸説によって考察すれば、まず熊野三山の中心の早玉(熊野速玉大神)、結(那智大社・熊野夫須美大神)、家津美御子(熊野本宮大社御主神)の三柱が神代の頃に神倉山に降臨せられ、景行天皇五十八年(129)に、社殿を現在の処に築営して結、速玉の二神を御奉遷申し上げたと思われる。
●社殿全景
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熊野速玉大社は、第十二代景行天皇五十八年に、熊野三所権現降臨の元宮「神倉山」から、現社地に新たに宮殿を遷って遷宮したことから、旧社地に対して、現社地に新しく宮殿を造立したので新宮と号したと古書に記されている。
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その後、熊野信仰の興隆にともなって、次々と諸神を追祀し、平安時代に現在の十二社殿並立の社頭を構成したものと思われる。-熊野速玉大社御由緒より-
◆◆ 社殿名祭神名
上四社  第一殿 速玉宮熊野速玉大神・伊邪那岐大神
      第二殿 結宮 熊野夫須美大神・伊邪那美大神
      第三殿 証誠殿家津美御子大神・国常立尊
      第四殿 若宮天照皇大神
                 神倉宮高倉下命
中四社  第五殿 禅児宮忍穂耳尊高倉下命 おしほみみのみこと
      第六殿       聖宮瓊々杵尊 ににぎのみこと
      第七殿 児宮  彦穂々出見尊 ひこほほでみのみこと
      第八殿 子守宮うが草葺不合尊(う=慮+鳥、が=茲+鳥)
下四社  第九殿 一万宮
                 十万宮国狭槌尊       
    第十殿 勧請宮泥土煮尊 うひじにはにのみこと
    第十一殿       飛行宮大戸道尊 おおとのじのみこと
    第十二殿       米持宮面足尊 おもだるのみこと
●境内社 新宮神社、熊野エビス神社。
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神門の外には八咫烏神社、かぎの宮 手力男神社、熊野稲荷神社
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●国の天然記念物梛(なぎ)の大樹
熊野速玉大社の境内に立つ推定樹齢1000年の梛(なぎ)の大樹。
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平安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられ、梛としては日本最大です。
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by barakan1 | 2012-03-07 16:56 | 旅日記

熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)④大斎原(おおゆのはら)・・・

大斎原(おおゆのはら)
●大鳥居と参道木立
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熊野本宮大社がもともとあった場所。熊野川と音無川の中州でしたが、明治22年(1889年)の洪水で社殿が流出、上四社は現在地に移築されました。
●大斎原案内板
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※『長寛勘文』に記載された『熊野権現垂迹縁起』によると、
熊野権現は唐の天台山から飛行し、九州の彦山(ひこさん)に降臨した。それから、四国の石槌山、淡路の諭鶴羽(ゆずるは)山と巡り、紀伊国牟婁郡の切部山、そして新宮神倉山を経て、新宮東の阿須賀社の北の石淵谷に遷り、初めて結速玉家津御子と申した。
●社殿跡
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その後、本宮大湯原イチイの木に三枚の月となって現れ、これを、熊野部千代定という猟師が発見して祀った。これが熊野坐神社の三所権現である。
とあり、イチイという木に熊野三所権現が降臨したと語られます。
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左(西)に中四社・下四社、右(東)に元境内摂末社をお祀りしています。
ちなみに本宮大社は、明治期まで「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」と称されていた。
●石祠 (向かって左)に中四社・下四社、(向かって右)に元境内摂末社
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◆音無川を詠う
拾遺和歌集(巻第十二 恋二 750)
清原元輔 (しのびて懸想し侍ける女のもとに遣はしける)
音無の川とぞついに流(ながれ)ける 言はで物思(おもふ)人の涙は
夫木抄 
後鳥羽院(28回もの熊野御幸を行った)
はるばるとさかしき峯を分け過ぎて音無川を今日見つるかな
◆熊野河を詠う
新古今和歌集(巻第十九 雑歌中 1908)
後鳥羽院 (新宮に詣づとて、熊野河にて)
熊野河くだす早瀬のみなれざほ(お)さすがみなれぬ波のかよひ路(ぢ)
続古今和歌集(巻第七 神祇歌 739)
後嵯峨院 (くまの河の舟にて)
熊野河せきりにわたす杉舟のへなみに袖のぬれにけるかな
●熊野坐神社水害前の写真(案内板より)
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by barakan1 | 2012-03-06 18:48 | 旅日記

熊野古道(熊野三山)探訪(2012.02.27)③熊野本宮大社・・・

丹敷浦(にしきうら)   勝浦~(浜の宮を通過)~新宮~本宮大社へ
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この付近で丹敷戸畔が誅せられ一味郎党の血潮が流れてこの周辺の海水が赤く染まったので、この海辺を赤色の浜と名づけた。
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<熊野巡覧記>「浜の宮に錦の古名有、今赤色の浜の本名千尋の浜也。神武帝丹敷戸畔と戦い給ひし海辺血に浸しければ血色の浜とも名づく。」
<熊野歩行記>「丹敷浦 渚の浜の海辺を云うなり。赤色 那智の社渚宮東6丁にあり千尋浜とも云う

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)   田辺市本宮町本宮1110
●168号線を熊野川沿いに遡る
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●本宮大社正面鳥居
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古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。
●参道
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鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。158段の石段を登りきると、正面に神門があり、向かって左手のほうには真新しい礼殿(拝殿)が見えます。
●境内社
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●拝殿・神門・札所
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●神門
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神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。
●社殿前全景
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神門の先、中央にあるのが第三殿。この第三殿が本社です。「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。
家都美御子大神という名はのちに付けられたもので、平安初期には熊野坐神(くまのにいますかみ)と呼ばれていました。「熊野にいらっしゃる神」、なんだかとても自然でいい感じです。
●第一殿よりみる
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向かって左に、第一殿・第二殿の相殿。相殿のため、第三殿や第四殿よりひと回り大きく、また、この相殿の正面に礼殿があるため、相殿が本社のように見えるかもしれませんが、中央の第三殿が本社で主神を祀っています。
●第四殿よりみる
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【熊野三山は共通に家都美御子神・牟須美神・速玉之神の3神を祀っていますが、それぞれの主神は異なっています。家都美御子神は本宮、熊野牟須美神は那智、御子速玉之神は速玉の主神です】 ー(熊野の観光名所)ーより
●大斎原(おおゆのはら)より本宮大社をみる(中央の山)
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◆熊野本宮大社の社殿・祭神・本地仏
第一殿  西御前    熊野牟須美大神・事解之男神・伊弉諾尊      千手観音
第二殿  中御前    速玉之男神                        薬師如来
第三殿  證証殿    家都美御子大神                     阿弥陀如来
第四殿  若宮      天照大神                         十一面観音
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by barakan1 | 2012-03-05 13:49 | 旅日記

熊野古道(高野坂)探訪(2012.02.26)②三輪崎~佐野王子

三輪崎~佐野王子
●荒坂神社前~道標
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●三輪崎の海
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●三輪崎
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●孔島(ハマユウ)と鈴島
柿本朝臣人麻呂
万葉集 巻04-0496 
み熊野の浦の浜木綿百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも
※熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。
孔島は自生のハマユウの群生地として有名です。
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万葉集 よみ人しらず
巻07-1226 
神(かみ)の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避道(よきぢ)は無しに
●三輪が崎&佐野の渡り (その他黒潮公園内の歌碑)
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長忌寸奥麻呂
万葉集 巻03-0265 
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
ここは万葉の時代から知られた歌枕の地です。また、熊野詣での古道として中世の頃、多くの人々がそれぞれの祈りと想いを胸に往来したその道すがら、三輪が崎や佐野の渡りに立った旅人たちは数々の歌を詠んでいます。
藤原定家
駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ
慈鎮和尚
さみだれは 佐野の入江に水こえて 出でぬ尾花や浪のうきくさ
源家長
やどもがな 佐野のわたりのさのみやや ぬれてもゆかむ春雨の頃
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藤原実家
三輪が崎 夕汐させばむら千鳥 佐野のわたりに声うつるなり
民部卿為家
みわが崎 荒磯も見えずかかるてふ 波よりまさる袖やうちなむ
後鳥羽上皇
わすれずよ松の葉ごしに浪かけて ?ふかく出でしさのの月かげ
●佐野の一里塚
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●佐野王子跡
史跡 佐野王子跡
佐野(さの)松原の西端、祓川(はらいがわ:王子川)の近くにある熊野九十九王子の一つ。
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承元四年(1210)の『修明門院御幸記』には、『次有佐野昼御御養事、次参二御王子一」とあり、佐野で昼食のあと、王子社に参拝している。文明五年(1473)の『九十九王子記』にも「佐野々王子」と見える。少なくとも、熊野詣が盛んであった鎌倉前期にはその存在が知られる。
後には那智大社の末社となったようで、境内の森は周囲二四〇間(約432メートル)もあり、「若一王子の森」と呼ばれていたという。
明治四十四年十月二十六日、佐野宇山田にある天御中主(あめのみなかぬし)神社に合祀され廃絶となっているが、海辺の王子社として貴重な史跡である。  平成三年一月五日   ー案内板ーより
●神武天皇聖績狭野顕彰碑  佐野王子跡の石碑
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a0016431_15301421.jpg勝浦着15時半、勝浦泊。
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by barakan1 | 2012-03-02 15:36 | 旅日記

熊野古道(高野坂)探訪(2012.02.26)①高野坂(荒坂)-2

●孫八地蔵
高野坂の中ほどにある地蔵。由来はわかりませんが、「孫八地蔵」と呼ばれています。江戸時代初期に建てられたようです。
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●金光稲荷神社
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入ってみると昼なお暗い森。江戸時代に、この森を「おな神の森」と呼んだようです
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※三輪崎から新宮へ抜ける熊野古道高野坂周辺には荒坂山、荒津山と称する山があって、古来御東征時の荒坂津であると伝承している。
●稲荷神社
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近くの「おな神の森」と称するところは丹敷戸畔の塚であるといい、
●???
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※※丹敷戸畔(ニシキトベ)とは
『日本書紀』における神武天皇の東征の折の記述に登場する人物です。その中で、天皇はひとり、皇子の手研耳命(たぎしみみのみこと)と軍を率いて進み、熊野荒坂津(またの名を丹敷浦)に至られた。そこで丹敷戸畔(にしきとべ)という者を誅された。そのとき神が毒気を吐いて人々を萎えさせた。このため皇軍はまた振るわなかった、と記されています。  (熊野を知るためのキーワード)より

●「おな神の森」
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「神武天皇佐野より熊野神邑へ御越し遊ばされ給ふ御途、御足を留められ、四方の景色を御眺められ給ひし御所」と伝承している。その所以でこの地を「おながめの森」=「おな神の森」となったのであろう。現在この地には金光稲荷神社が存在している。
●展望台よりの風景(鈴嶋・孔島が見える)、三輪崎口まであと少し。
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●稲荷神社と首塚
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●高野坂で一番美しい石畳みの古道
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●高野坂降り口(終点)です。
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by barakan1 | 2012-03-01 15:32 | 旅日記

熊野古道(高野坂)探訪(2012.02.26)①高野坂(荒坂)-1

熊野古道高野坂(2012.02.26)コース概要
●8時、天王寺発オーシャンアローで新宮へ。
新宮駅前よりバスにて、広角まで。そこから海岸方向(JR線路)へ2・3百メーター歩くと、熊野古道への案内板があった。そこより少し行くと、大きな案内板があり(高野坂登り口)。
高野坂広角口 → 金剛稲荷神社(おな神の森) → 高野坂三輪崎口 まで 1時間弱掛けて走破し、三輪崎に出る、」三輪崎口 →孔島・鈴嶋→黒潮公園(歌碑)→ 佐野王子跡まで約1時間で巡る→勝浦駅着は15時半であった。
●新宮駅~広角バス停
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●廣津野神社(詳細不明)
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●神社より熊野古道へ
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●高野坂登り口手前より、御手洗海岸をみる
新宮市の御手洗(みたらい)海岸のその地名は、神武天皇が東征の折、熊野の女酋長ニシキトベを討った際に手に付いた血をこの磯の海水で洗ったという故事に因むという。
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●高野坂(ルート図)
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御手洗海岸の熊野古道が世界遺産に登録されている「高野坂」で、浜の南端付近からJRのガード下、逆川の横を通って上がったところに、トイレや高野坂の案内板があります。
●高野坂登り口付近と逆川にかかる木橋
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●高野坂登り口
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●昔を伝える古道の風景
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●王子ヶ浜            
写真上の方に続く浜が王子ヶ浜で、浜が終わり岩山の磯に変わった辺を御手洗(みたらい)海岸といいます。
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●御手洗の念仏碑
三体の石碑が建っています。三体とも江戸時代の中頃に建てられたもので、真ん中が地蔵、左右の二体は「南無阿弥陀仏」の六字名号が彫られた板碑。
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●五輪塔
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五輪塔は寛永5年(1628)に建てられたものですがあまり詳しいことはわかっていません。
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by barakan1 | 2012-03-01 15:06 | 旅日記