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高槻市付近探訪2(2011.10.21)③三島江(浜)・・・

三島江浜     高槻市三島江1丁目12
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江戸時代には、内陸の高槻や富田が発展し、これらの外港として唐崎浜や三島江浜が栄えたそうです。
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とくにこの三島浜は、古くから歌枕にされた葦や月の名所だが、近世には三島江の渡しが設けられ対岸の枚方市出口(松ヶ鼻)と結んでいたそうです。
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また能勢の妙見山への参詣道ともなっており、住事を伝える石灯籠が今も残っている。
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高槻市の南部、淀川の西岸に沿う辺りには、かつて広い入江があった。「三島江(みしまえ)」と呼ばれ、薦(こも)や菅(すげ)の生い茂る、緑豊かなところであった。
三島江は「万葉集」以後も、多くの歌人に詠まれた歌枕の地である。
●現在の三島江(淀川の流れ)
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後鳥羽院
後鳥羽院御集
三島江のひしの浮葉にぬる玉を薦しか夏の月もさやけき
大僧正尊行
夫木集
みしまえの水鳥さわぐ夕ぐれに袖うちぬらし今ぞすぎゆく
新古今集
藤原俊成
夏苅の芦のかりねも哀れなり玉江の月の明けがたの空
拾遺愚集
藤原定家
みしま江の波に棹さすたをやめの春のころもの色ぞうつろふ
金槐和歌集 水辺恋
源 実朝
三島江や玉江のま菰みがくれてめにし見えねば刈る人もなし
西行
山家集 1191
風吹けば花咲く波の折るたびに桜貝寄る三島江の浦
●淀川堤防上より三島江辺りを眺める(中央左社叢は三島鴨神社)
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※★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2011-10-28 11:52 | 旅日記

高槻市付近探訪2(2011.10.21)②三島鴨神社・・・

三島鴨神社  式内社 大阪府高槻市三島江2丁目7?37
●神社南側正面鳥居
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祭神
大山祇神、事代主神
●神社北側鳥居(左道路を奥にゆけば三島江浜
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摂社
大将軍社「武甕槌神」
厳島神社「市杵島媛神」
竃神社「奧津彦神、奧津比売神」 唐崎神社「大山祇神、天児屋根神、菅原道真公」
柱本神社「宇賀御魂神、菅原道真公」
西面八幡神社「誉田別天皇」
●境内より拝殿を見る
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由緒
社伝によれば仁徳天皇の時代に百済より大山祇神を迎えて摂津御島に淀川鎮守の社を造ったのを創祀としている。 これは『伊予国風土記逸文』に「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の国の御島の名なり。」とあることを根拠にしている。
●拝殿と狛犬
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さらに社伝によると、三島江の東の淀川沿いにいた物部の韓国連が祭祀に協力したとしている。 素直に、物部の韓国連が百済から奉斎して来た神は渡しの神である、この神を大山祇神と習合させたのかもしれない。と考えて見る。
●左柱本神社 右拝殿・本殿
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伊予の大三島島の大山祇神社の元社はすぐその北側の上浦町に鎮座する横殿神社とされている。この伊予は物部氏の小市國造、風速國造の支配する地であり、ここでも大山祇神の祭祀にかかわったものと思われる。 日本三三島の一である伊豆の三島神社もまた物部系の伊豆國造の国である。伊豆國造は物部連の祖天藐[藐の兒は生]桙命八世の孫・若建命。とされている。深く物部にかかわる神社であると言える。
●摂社 三社と八幡宮
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播磨の式内社伊和都比賣神社[イワツヒメ]の論社である兵庫県明石市大蔵本町に鎮座する稲爪神社[いなづめ]の祭神も「大山祇大神」であるが、ここの由緒に「推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、 伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ、此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、 稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た、依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社となった。 とある。 韓国軍の襲撃の物語は『記紀』には出ていないのであるが、例えば荒蝦夷から防御へ彼らの祀った荒羽祇神を逆利用するしたたかさが祖先達にはあったようである。
●拝殿・本殿   (右唐崎神社)
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当社は摂津国嶋上郡の式内社三嶋鴨神社の論社である。もう一つの論社は高槻市赤大路町字鴨林に鎮座の鴨神社である。 鴨林は今でこそ住宅地で一杯だが、その昔は深い森だったようで、淀川からはいささか離れてはいるが、鴨族の祀る神社ならば、 深い森もまた似つかわしいようにも思われる。
●本殿(直接本殿にお参りできる。拝殿の再建が遅れてそれが習慣になったとのこと)
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祭神については現在は大山祇神、事代主神の二柱となっている。 この神社の名前の三島に重点をおけば渡しの神の大山祇神、鴨に重きを見れば事代主神となるのだろう。 この近くに溝咋神社が鎮座、『日本書紀』によると事代主神が三島溝杙姫(玉櫛姫)に生ました姫が姫鞴五十鈴姫で、神武天皇の妃となった また三島溝杙姫の父神が三島溝咋耳命、その父神が大山祇神となっており、姫鞴五十鈴姫の両方の祖先神が祭神となっている。 大和王権の成立とこの地方の豪族とは無関係ではないことを物語っているようだ。
●摂社 唐崎神社と狛犬
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元の鎮座地は現在の淀川堤防になっている川中島だったそうで、伊予の三島と同様に島であるのは、渡しの神、また造船の神を思わせる。 元禄十年(1697年)に遷座している。
ー神南備にようこそーより抜粋
◆◆ここ三島江辺りは古の歌枕の地です
万葉集
詠人不詳
巻07-1348
三島江の玉江の薦(こも)を標(し)めしより己(おの)がとぞ思ういまだ刈らねど
詠人不詳
巻11-2836   
三島菅いまだ苗なり時またば著(き)ずやなりけむ三島菅笠
詠人不詳
巻11-2766
三島江の入江の薦を刈りにこそ吾(あれ)をば君は思ひたりけれ
◇現在の三島江付近です。
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by barakan1 | 2011-10-27 16:51 | 旅日記

高槻市付近探訪2(2011.10.21)①コース概要・・・

高槻市付近探訪2、コース概要
a0016431_15215572.jpg自宅発11時15分~三島鴨神社~三島江~唐崎神社(祭りの為撮影できず)~溝咋神社~牟礼神社~今城塚古代歴史館~石川年足墓~自宅へ19時半着。
(前回見れなかった今城塚古代歴史館を見るため、2回目の高槻探訪を行う)


■コース概要

by barakan1 | 2011-10-27 15:40 | 旅日記

高槻市付近探訪(2011.09.26)⑦磐手杜(いわてもり)神社・・・終

磐手杜(いわてもり)神社   大阪府高槻市安満磐手町5-6
●磐手の杜
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 祭神
武甕槌命、天児屋根命、齋主神、姫大神、安閑天皇
●神社正面入口鳥居
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境内社
戎神社・弁天神社・鶴尾八幡神社・千観神社・稲荷神社・大将軍社
●参道より拝殿を見る
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由緒
紅葉山の麓で、桧尾川沿いに鎮座。
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もと安満神社と称し、後春日神社と称したが、明治四十四年近隣の神社を合祀した際、現在の名前に改めた。
●啼き石と手水舎 社頭から高槻城へ動かしたら、夜になると鳴き声をあげるので、社頭に返したという。
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伝えられるには、天智天皇五年(666)藤原鎌足の勧請と云う。
●拝殿と本殿
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※(藤原鎌足の願いによって勧請したというのは、社紋にうかがうことができる。というのは一般的に春日大社の社紋は「下がり藤」なのだが、この神社のものは、藤原鎌足と同じ「上り藤」となっているのだ)
●本殿と狛犬
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社殿は美しかったようだが、天正年中(16世紀末)高山友祥の焼くところとなり、僅かに神霊、神器を奉じて山崎に逃れた。元和八年(1622)社殿を造営した。
●本殿内部
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役行者が建立、安閑天皇を祭神とする雲峰神社等を合祀している。
ー神南備にようこそーより抜粋
●境内社
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◆社頭の杜は、古来より「磐手杜」と称する歌枕の地として名高い。
源 頼綱
夫木和歌集
しばしとも磐手の杜の紅葉は色に出てこそ人をとめけれ
僧 慈円
捨玉集
思へども磐手の杜のほととぎす昔に似たり声になれては
by barakan1 | 2011-10-19 13:58 | 旅日記

高槻市付近探訪(2011.09.26)⑥安満宮山(あまみややま)古墳・・・

■安満宮山古墳(あま みややま こふん)   高槻市安満御所の町
●古墳よりの展望
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安満宮山古墳は、安満山の中腹、標高125mの狭い尾根上にある、一辺20mほどの長方形墳です。眼下には史跡安満遺跡、その南側には淀川と大阪平野を一望する雄大な景観が広がっています。
●古墳入口と案内板
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3世紀後半、邪馬台国の時代に築造されたと考えられ、中国・魏の年号「青龍三年(235)」銘鏡や三角縁神獣鏡(さんかくぶち-しんじゅうきょう)を含む青銅鏡5面、スカイブルーのガラス小玉1,600個余り、鉄刀・鉄斧などの貴重な遺物が出土しました。鏡は白銅色に輝き、鏡を包んだ麻布も残っていました。
●案内板と古墳展示施設
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出土した銅鏡は景初3年(239)、邪馬台国の卑弥呼女王が魏から贈られた「銅鏡百枚」の一部ともみられており、ここに葬られた人物―おそらく安満遺跡のリーダーが、当時の政権にあって重要な役割を果たしたことを物語っているのかもしれません。
●掲示板より
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古墳は築造当時の姿に復元整備され、「青龍三年の丘」として公開されています。
●古墳案内板
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※安満宮山古墳からは、眼下に高槻市、茨木市等大阪平野や淀川が一望され、はるか東方に交野連山の交野山や旗振山、竜王山が確認できる。★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2011-10-14 14:28 | 旅日記

高槻市付近探訪(2011.09.26)⑤上宮天満宮・・・

上宮天満宮    大阪府高槻市天神町1-15-5
●正面参道入口
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祭神
菅原道真、野見宿禰、武日照命
●境内全景
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摂社
野身神社「野見宿禰」ほか
●参道より拝殿を見る
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由緒
正暦四年(993)太宰府の道真廟に参拝、左大臣正一位追悼の詔を伝えての帰路、この地で神輿が動かなくなり、占うと、菅神が告げるには、「この山上に祖廟がある。野見宿禰は菅家の祖である。」とあり、早速社殿を建て、左に武日照命、右に野見宿禰を配祀したと云う。
●拝殿と拝殿内部
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この時代既に延喜式は公布されており、山上には式内社としての野身神社が鎮座していたと云うこと。
●本殿正面より
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野身神社は参道の石段を登り詰めるとすぐ右手に野見宿禰の塚と称される古墳の上に鎮座している。北向き。
●本殿(左右より)
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野見宿禰は当麻蹶速と相撲を取り、これを倒して蹶速の地を全て得たのが垂仁七年、皇后の日葉酢媛の陵墓に埴輪を考案しこれを殉死にかえた功績で土部の職についたと云う。
●境内摂社群
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・野見宿禰の墓の伝承地
・兵庫県龍野町字日山 播磨国風土記に記載
奈良県桜井市出雲
・当地
 などが語られている。  ー神南備にようこそーより抜粋
●摂社
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野身神社存在にも気付かず、写真も撮り忘れました。゚(゚´Д`゚)゚。
by barakan1 | 2011-10-05 16:40 | 旅日記

高槻市付近探訪(2011.09.26)④笠森神社(笠森稲荷)・・・

笠森神社(笠森稲荷神社)   高槻市西真上1-7
御祭神: 宇賀御魂神
かつては稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)が祀られていたと伝えられています。創建の年月はわかっていませんが、笠森神社の名は稚武彦命、鴨別命を祖先とする笠氏にちなんだもので、在地の領主、真上氏の崇敬が厚かったようです。
●道のドン突きにある神社入口
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この笠森神社、江戸時代には笠森稲荷(かさのもりいなり)と呼ばれ、瘡(かさ=梅毒のこと)を治す霊験があるとされて、多くの人々の信仰を集めていたようです。「笠」と「瘡」は、ともに「かさ」と読むことから瘡毒平癒の神として信仰されたともいわれています。  
江戸時代後期の文化人・大田南畝(蜀山人)の『武江披抄』には、「摂津国芥川瘡守稲荷を屋敷の鎮守へ勧請」とあり、江戸に笠森稲荷が勧請されたことがわかります。記述の屋敷は、のちに療養所がおかれた小石川の白山御殿跡で、その地に勧請されたようです。その後、江戸・大円寺(台東区谷中)へと瘡守薬王菩薩として勧請されました。
●境内及び拝観日の案内板
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『摂津名所図会』によると、芥川・笠森稲荷の霊験は各地に広がり、多くの人がお参りにやってきては、お稲荷さんに土の団子を捧げて病気平癒を祈っていたようです。昭和の初めごろまで、笠森神社には、土の団子を二つ重ねたものが、神前に供えられていたといいます。
また、淀川の三島江浜、唐崎浜から続く道がこの神社のすぐそばを通っており、道沿いには「神峯山寺道」の道標がたっています。江戸時代、商売繁盛を願った商人たちが行き交ったこの道をかいして、笠森稲荷の霊験の情報発信がされていた姿がみてとれるようです。「大王の国から」より抜粋
※参拝日が決められており(1.5.15.25日の8時~17時)となっており、正面の門が閉じられ、参拝出来なかった。(T_T) 仕方なく外から写真を撮る。
by barakan1 | 2011-10-01 18:01 | 旅日記