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滋賀探訪(2011.06.19)⑮唐崎神社・・・終

唐崎神社  滋賀県大津市唐崎1-7-1
御祭神   女別當命(わけすきひめのみこと)
●神社正面                            ●手水舎
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由緒 
日吉大社の古記によると、舒明天皇六年(六三三年)、琴御館宇志丸宿弥が この地に居住して、「唐崎」と名付けた。 御祭神・女別當命は宇志丸宿弥の御妻君で、この地に松を植えて、持統天皇(六九 七年)の御代に創建したと伝えられている。
●拝殿
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天智天皇が白鳳二年(六七五年)三月この地に臨幸あらせられた時、湖上の海舟に田中恒世という者が神命を受けて唐崎の松の下にお送り申上げ、 その時船中にて恒世は粟飯を供した。帝は大へん喜ばれ、毎年この期に粟飯を食されるのを約束されたと伝えられている。この例が今日も日吉大社例祭、山王祭で執行される唐崎沖での「粟津の御供」神事に残されている。
古来この唐崎は七瀬之祓(ひちせのはらい)の一処と定められて、朝廷の夏越の祓を始め、国家の大事に当っての祓を行うについての要所と定められた霊場であった。
●本殿
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古くは唐崎神社を女別当社と別称し、女人の信仰が極めて篤く、近江国はもとより京、 大阪までも御神徳を仰ぐ人々でにぎわいを見せた。今日も毎年夏に行われる夏越の祓の御手洗祭(七月二十八日・二十九日)の両日には遠近より婦人の参拝も多く、殊に婦人病、 下の病には著しい御霊徳が授けられるとして早朝から深夜まで参拝者の波は絶えない。
◆からさきの霊松  滋賀県指定文化財名勝
琵琶湖の霊松の起源は、琴御館宇志丸宿弥がこの地に居住し松を植えた ことに始まると、日吉大社の古記に記されて以来、下記に示す様に万葉集 に柿本人麿が唐崎を詠んだのを始め古人が数多くの詩歌を残すぽどの名勝である。
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初代の松は天正九年(一五八一年)の大風によって倒れ、二代目は大津城 主新庄駿河守直頼が、天正十九年(一五九一年)に植えたとされている。その松の大きさは東西に七十二メートル、南北に八十六メートルもの枝 ぶりを有し、幹の太さ九メートル、 高さ十メートルの大樹であったと 伝えられている。
さざ波寄せる白砂の浜辺に常緑 の松の枝が臥龍の如く延びる雄大なその美しさは近江八景のひとつ に数えられ「唐崎の夜雨」と名づ けられている。
勇名をはせた大樹も大正十年枯 倒、現在の松は大樹の実生であり 三代目となる。唐崎の松を古人は「唐崎の一ツ 松」「唐崎の弧松」と呼び、大切に うけ継がれている。
◆◆万葉集 
柿本人麿
巻01-0030
さざ波の志賀の唐崎さきくあれど大宮人の船まちかねつ
芭蕉
辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて
※※ここで今回の旅も終了です。まずますの天気に恵まれ、いい旅が出来ました。高島あたりはもっと詳しくユックリと探訪したい所です・・・。是非、再訪したいと思います。
by barakan1 | 2011-08-19 15:21 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑭浮御堂・・・

浮御堂   滋賀県大津市本堅田1-16-18
●山門正面より
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近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を臨済宗大徳寺派:海門山満月寺という。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。現在の建物は昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、昔の情緒をそのまま残している。境内の観音堂には、重要文化財である聖観音座像が安置されている。
●浮御堂左右より
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阿波野青畝句碑
五月雨の雨垂ばかり浮御堂
芭蕉の句碑
鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂
高浜虚子句碑
湖もこの辺にして鳥渡る
●句碑(一部)と浮御堂正面より
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※白鬚神社より、唐崎神社まで行ってしまい、暫くしてから行き過ぎた事に気が付き、慌てて引き返しました。到着は閉門ギリギリで10数分のあわただしい訪問となりました。(拝観に間に合ってよかったです)
◆※さざなみの近江舞子・比良~和邇・小野方面探訪記(2008-02)
by barakan1 | 2011-08-18 12:01 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑬日吉神社(打下)~白鬚神社・・・

日吉神社   滋賀県高島市勝野打下あたり
由諸 ???
●神社正面
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●拝殿・本殿
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白鬚神社 別社名:白鬚大明神・比良明神  滋賀県高島市高島町鵜川215
●湖中の鳥居
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祭神
猿田彦大神
●神社正面
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摂社
若宮神社「太田命」、天照皇大神宮「天照大神」、豊受大神宮「豊受姫神」、八幡神社「應神天皇」、高良神社「玉垂命」、加茂神社「建角身命」、天満神社「菅原道眞」、岩戸社「祭神不詳」、波除稲荷社「祭神不詳」、寿老神社「壽老神」、鳴子弁財天社「鳴子弁財天」
●手水舎・拝殿
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白鬚神社(しらひげじんしゃ)は、滋賀県高島市鵜川に鎮座する神社。近江国最古の神社とされる。全国に位置する白鬚神社の本社。祭神は猿田彦大神。
●本殿・拝殿・湖中鳥居         ●本殿・拝殿
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沖島を背景として琵琶湖畔に浮かぶ鳥居が印象的で、「近江の厳島」とも称される。
猿田彦大神を人格化する際に白髪の老人とする端緒は、当社の社名にあるといい、謡曲『白鬚』の舞台でもある。やはり社名から、長寿の神様として知られる。
●境内社   若宮神社
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社伝によると垂仁天皇の25年、倭姫命により社殿を創建したのに始まる。白鳳2年(674年)、天武天皇の勅旨により比良明神の号を賜った。『日本三代実録』の貞観7年(865年)正月18日条に比良神が従四位下の神階を受けたとの記述がある国史見在社であるが、延喜式神名帳には記載されていない。
                                               ●奥宮
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本殿・若宮社・伊勢両宮及び八幡三社は、豊臣秀吉の遺命を受け、豊臣秀頼が片桐且元を奉行に命じ、播磨の大工の手によって造営されたものである。  ーウィキペディアー
◆紫式部が、平安時代の長徳2年(996)、越前国司として赴任する父藤原為時に従って、この地を通った時に詠んだものであり、「近江の海にて三尾が崎といふ所に網引くを見て」という詞書がある。
紫式部 歌碑
みおの海に 網引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも
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◆芭蕉 句碑
四方より 花吹き入て 鳰の湖
◆与謝野寛・晶子 句碑
しらひげの 神のみまへに わくいづみ これをむすべば ひとの清まる
by barakan1 | 2011-08-16 12:53 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑫高島~勝野~三尾へ・・・

高島~勝野~三尾へ(概略図)
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●安曇川あたりの平野  (万葉時代は荒涼たる野であったでしょうね)
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高市連黒人が覊旅(たび)の歌
万葉集
巻03-0275
いづくにか吾は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば

●真長の浦(鴨川勝野湖岸公園より)                ●明神崎(三尾崎)
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碁師(ごし)が歌
巻09-1733 
思(おも)ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾の崎真長の浦をまたかへり見つ

●香取の浦(日吉神社前浜より)
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詠人不詳
巻07-1172 
いずくにか舟(ふな)乗りしけむ高島の香取の浦ゆ榜(こ)ぎ出来(でく)る船
詠人不詳
巻11-2436 
大船の香取の海にいかり下ろし如何なる人か物思(も)はざらむ

●勝野原
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高市連黒人が覊旅(たび)の歌
万葉集
巻03-0275
いづくにか吾は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば 

●勝野津(大溝漁港)・万葉歌碑
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大溝漁港万葉歌碑
詠人不詳
巻07-1171 
大御船(おほみふね)泊ててさもらふ高島の三尾の勝野(かつの)の渚し思ほゆ

●高島山(三尾山)
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高島にてよめる歌
作者未詳
巻09-1691 
旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも

●乙女ヶ池(勝野鬼江)
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◆藤原仲麻呂の乱(764)  kuniomi.gr.jpーより引用
藤原仲麻呂は天平宝字2(西暦758)年に大保(右大臣)に任命され「恵美」姓を賜る。これにより恵美押勝と名乗るが、ここでは藤原仲麻呂として話を進めたい。藤原仲麻呂は聖武天皇の皇后、光明皇后の甥にあたり、これが大きな後ろ盾となっていた。しかし大師(太政大臣)に任命された天平宝字4(760)年に光明皇太后が死去し、さらに従姉妹にあたる孝謙上皇が弓削道鏡を寵愛し、それを讒言した淳仁天皇と上皇が激しく対立、淳仁天皇が政治の実権を剥奪されると藤原仲麻呂の権力も揺らぎ始めた。この事態を打開しようと藤原仲麻呂は天平宝字8(764)年9月「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」という役職を創設、自らこの役職に就く、この役職は都防衛の役職で、中部、近畿地方の諸国から都防衛の兵力を抽出、警備に当たるものという肩書きであったが、実際は兵力を水増しして徴収し、反乱を起こそうという計画であった。
 しかしこの反乱は事前に孝謙上皇側に露見する。上皇側は駅鈴(えきれい)・印爾(いんじ)の争奪をめぐって、藤原久須麻呂(くずまろ―仲麻呂の男子)を射殺し、仲麻呂は自らの墾田がある越前に逃れようとするが上皇側が勢多橋を落として行動を妨害し、さらに近江と越前国境の愛発関を封鎖、越前国内にも兵を入れ、越前国府で仲麻呂の子である藤原辛加知を殺害する。仲麻呂は海路越前に入ろうとするがこれも失敗。上皇側が派遣してきた軍勢と勝野鬼江で戦い、惨敗。仲麻呂以下の一族はほとんどが斬首された。仲麻呂派であった淳仁天皇は皇位を剥奪され、孝謙上皇が重祚して称徳天皇となり、道鏡が政治の実権を握るようになる。
※万葉の人々にも余程色々な意味で愛された処なのでしょう。こんなにも万葉に詠まれたいます。 ★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2011-08-12 16:49 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑪阿渡の水門(みなと)・・・

安曇川河口の船着場は阿渡の水門(みなと)という。琵琶湖西岸の要地であった。
●本庄橋から上流側を見る
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高島は「琵琶湖の西岸、滋賀県高島市。阿渡の水門は高島市安曇川町船木。
●本庄橋から河口側を見る
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◆◆万葉歌
高島にてよめる歌
作者未詳
巻09-1690 
高島の阿渡(あど)川波は騒げども我は家思(もふ)宿り悲しみ
●船木大橋より河口を見る
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高市連黒人の羇旅の歌 
巻09-1718
率(あども)ひて榜ぎにし舟は高島の安曇(あど)の水門(みなと)に泊(は)てにけむかも
●船木崎側の湖岸(港)
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小 弁
巻09-1734  
高島の阿渡 (あど) の湊 (みなと) を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ
●河口あたり(阿渡の水門)
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※河口の側に県立の運動場・こどもの国ができており、車での河口への接近はムリでした(残念、其の雰囲気を味わいたかったのですが・・・)
by barakan1 | 2011-08-10 18:41 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑩阿志都彌(あしずみ)神社・・・

阿志都彌(あしずみ)神社 式内社 滋賀県高島市安曇川町川島615-1
●安曇川流域にできた平野
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御祭神  嶋津彦命
近江安曇川駅の東3Kmほどの安曇川川島にに鎮座。琵琶湖にそそぐ安曇川の河口に近い南岸に南向きの境内。
●神社参道
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●正面入口・社号標
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由緒
式内社阿志都彌神社(アシトミノorアシツミノ)の論社の一。他は今津町弘川の阿志都彌行過天(あしづみゆきすぎ)。 「神社明細書」には、旧加茂大明神と称す。明応二年(1493)船木城主佐々木能登守社殿を再建す。寛文二年(1662)十一月本殿拝殿を再建す。と記されている。
●手水舎・狛犬
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●境内全景・拝殿
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この辺りは京都上賀茂神社領の安曇河御厨の中心地であったことと、当社とは深い関わりがあると、『日本の神々5』で橋本鉄男氏は書いておられる。当社を京都の両賀茂社より古い元賀茂とする口碑があるが、これは三尾神社に伝わって来た『秀真伝』に基づいて語り継がれて来たのであろう。
●拝殿・神門
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●本殿
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祭神の島津彦命は安曇氏の先祖の名であり、社名のアシツミが安曇の延音であるなら、有力な式内社と言えるが、これが定かではない。
●境内社    ●八坂神社             ●本殿横の太田神社
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創祀年代は不詳。加茂大明神とも称した神社で、本殿の扁額には、今も「加茂大明神」と、金文字で書かれている。ー神南備にようこそーより抜粋
◆◆安曇川流域の広大な平野  (正面奥の木立の並んでいる所は安曇川の堤防です)
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※小 弁
巻09-1734  
高島の 阿渡(あど)の湊(みなと)を 漕ぎ過ぎて 塩津菅浦 今か漕ぐらむ
ここまで来ると安曇川河口(阿渡の水門)はスグそこです。
by barakan1 | 2011-08-09 16:50 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑨万木(ゆるぎ)の森・・・

万木(ゆるぎ)の森     滋賀県安曇川町末広2丁目
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滋賀県高島郡安曇川町青柳・西万木付近一帯に、以前は「万木の森」と称する広大な森が存在した。別名鷺の森ともよぶ。後鳥羽院がこの地を訪れ、諸国からよろずの木を集めて植えられたことに由来すると伝えられる。
◆公園内歌碑
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後鳥羽上皇
いかなれば万木のもりのむら鷺の今朝しもことに立ちさわくらん
「古今六帖
高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを
※この辺りから弥生時代の集落跡が見つかっており、遺跡にも指定されている。古くから拓けた土地だったようです。安曇川の運ぶ栄養分で、肥沃な平野と森が広がっていたのでしょうが・・・・。まわりに家々が立ち、今は公園と神社の社叢が少し残る程度です。
万木の森は何処へ行ったのか!? 
by barakan1 | 2011-08-07 11:51 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑧須賀(すが)神社・・・

須賀神社   滋賀県長浜市西浅井町菅浦
●神社参道入口
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御祭神淳仁天皇
合祀大山咋命、大山祇命
●参道
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祭神は淳仁天皇。天平宝字三年(七五九)淳仁天皇が当地に保良《ほら》宮を営んだという所伝、同八年恵美押勝の乱後に同天皇が隠棲したという伝説がある。
●神社入口全景
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もと保良神社・菅浦大明神とも称した。碑ヶ谷に御陵塚、内場に后妃らの墳墓、同天皇の供養塔、蹴鞠の場跡、射弓の場跡、宮居跡などの伝承地がある。
●手水舎・土足禁止の石碑
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当社の神像は天皇の自刻ともいう。同天皇没後五〇年ごとに法要が営まれ、文久三年(一八六三)一千百年法要を勤めた(以上「伊香郡誌」)。
●拝殿
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明治四二年(一九〇九)もと八王子権現の小林神社ともと赤崎大明神の赤崎神社を合祀し、社名を須賀神社とした。大正五、六年(一九一六、一七)頃、当社から菅浦文書が発見された。菅浦与大浦下庄堺絵図とともに国指定重要文化財。近世まではオコナイが執行されていたが、現在では行われない。
●本殿
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※この神社は、第47代淳仁天皇が祭神といわれ、奈良の皇居を修復する際、ここに仮の宮を造営されたと伝わっているそうです。本殿の裏には、淳仁天皇の御陵があります(合祀)。淳仁天皇は政争に巻き込まれて淡路島に流され、そこに御陵があるのが有名なので、遠く離れた奥琵琶湖に御陵を見つけ、ちょっと驚きました。村人に慕われていたのでしょうか。
●参道から見た菅浦の村落と琵琶湖
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by barakan1 | 2011-08-06 11:58 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑦大浦~菅浦湖岸風景&菅浦村落・・・

大浦~菅浦湖岸風景
●大浦付近
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●赤崎丸子船P付近
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●菅浦村落手前
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滋賀県長浜市西浅井町菅浦 菅浦集落
●四脚門
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菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる茅葺きの門が残っている。
●古い町並み
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●』新しい港
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かつては、ここで村に入ってくる外来者の監視にあたったと言われている。また、鎌倉時代から明治時代初めにかけて作られた村落や漁村生活を記した菅浦文書が残されており、菅浦郷土資料館に保存されている。
●菅浦郷土資料館掲示の写真
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菅浦の地には、奈良時代恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で道鏡や孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁(じゅんにん)天皇が住んでいたという伝説が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っている。  ー滋賀県観光情報よりー
●菅浦村落
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◆◆万葉歌碑
(菅浦郷土資料館前庭)
小 弁
巻09-1734  
高島の 阿渡(あど)の湊(みなと)を 漕ぎ過ぎて 塩津菅浦 今か漕ぐらむ
(高島の阿渡の港を漕ぎ過ぎて、塩津菅浦の辺りを今頃は漕いでいるだろうか)
by barakan1 | 2011-08-05 14:21 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)⑥矢合(やあい)神社・・・

矢合(やあい)神社  式内社  滋賀県長浜市西浅井町岩熊733
●神社正面
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御祭神   猿田彦神   応神天皇
303号線岩熊トンネルの東出口近く。創祀年代は不明。
●神社入口、社号標、手水舎
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由諸
当神社創立の年代不詳と雖も延喜式神名帳に登載された神社であって当時すでに著明であったことが窺われる。もと同地山腹に鎮座ありしを後山麓の現在の地に遷し祀りしと伝え今も元の鎮座地を氏神と伝承し神聖の地となしている。明治43年3月同じ字内前沢に鎮座ありし八幡神社を合祀して供に祭祀を続けている。
ー社頭掲示板ー
●境内参道・拝殿                 ●案内石碑
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社伝によると醍醐天皇の御代には、すでに存在していた古社であるとする。
もとは山腹に鎮座していたが、後に、現在地である山麓へ遷座した。
●拝殿全景
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「矢合」の名称について。
昔、浅井姫命と気吹雄命が争った時、気吹雄命が浅井岡を襲い、浅井姫命は当地まで退き、防矢を射たという。
●本殿(覆屋)と狛犬
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祭神は猿田彦神であるが、明治43年、八幡神社を合祀し、現在は、猿田彦神と応神天皇を祀る。ー神南備にようこそーより抜粋
by barakan1 | 2011-08-04 13:40 | 旅日記