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滋賀探訪(2011.06.19)④伊香具(いかぐ)神社-1・・・

伊香具(いかぐ)神社  名神大 滋賀県長浜市木之本町大音688
御祭神  伊香津臣命
●神社入口 一の鳥居
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◆當社由緒概略
祭神は天児屋根命五世の孫伊香津臣命にして創立は天武天皇白鳳十年以前なり。
●入口~参道~二の鳥居
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古傳に、當社祭神始めてこの地に来たり給ふや田園未だ開けず國郡と別れず因って子孫に告げて曰く、吾天児屋根命の命を傳へて皇孫に侍従久しく宝器を守る、尚この地に止まりて永く属類を守るべしと。是より号して伊香郡と言うと、蓋し当社の起源古きを知るべし。延喜式名神大社にして往古より伊香大社を称し実に當郡の総社たり。
●境内入口(二の鳥居) 「伊香式鳥居」変わった形です
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されば歴代の御叡信篤く特に文武天皇慶雲 二年神地千石を賜ひ清和天皇貞観元年正月従四 位下仝八年閏三月従四位上を授けられ宇多天皇 寛平七年菅原道真公の奉達に依って正一位 勲一等大社大明神の菅公自筆の勅願を賜ひ、また管公も當社を崇敬し自ら法華経教光明教を書して寛蔵に納むと。建長三年九月大社の鐘を鋳し建武三年十一月足利尊氏朱印二百石を寄せ、毎年正五九の祈祷を行ふ。この祭今に傳はる當時の隆盛察するに餘りありといふべし。
●手水舎・社務所
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然るに星霜移りて元亀年中織田信長社領を没収し天正十一年賤岳の兵火に罹りて祠廟旧記多く烏有に帰せしも、慶長十三年社殿の再建寛永十三年神宮寺の造営あり、正徳年中漸く旧態に復す。現境内は実に千五百八十七坪にして背後の 香具山には奥の宮天児屋根命鎮座し老樹 鬱茂森森たり。明治九年十月郷社仝三十二年 十月縣社に加列す。
●拝殿
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當社例祭は醍醐天皇昌奉二年初めて四月二十四日に 勅定せられ尓後歴し来りしが旧幕の頃より 四月六日に変更し以て今日に至る  -境内案内板-
◆由緒
「伊香」と書いて古くは「いかご」あるいは「いかぐ」と発音しました。ですから万葉集ではこの背後の山すなわち賊ケ岳連山を「伊香山」と書いて「いかご山」と読ませています。そしてその名は古事記に出てくる火の神「迦具土の神」の徳を受けられたところからきているようで、そのことはこの社のすぐうしろの山の小字名を「かぐ山」とよび、又摂社に有る「意太神社」の御祭神「迦具土の神」となっていることからも証明されます。
●拝殿から参道を見る                   ●拝殿
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それで昔からこの神社は「火伏せの神」「防火の神」としての信者が大変多く、特に火をよく使う商売の人々の間にその霊験は大変あらたかといわれてその加護を祈る人があとをたちません。
●社殿左より(本殿・拝殿・狛犬・)
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さて伊香具神社の御祭神「伊香津臣命」という神様は、神武天皇に仕えて総理大臣の役を果たされた天児屋根命第七代目の子孫にあたられる位の高い方で後の中臣氏(藤原鎌足らの氏族)らの祖先でもある方です。
●社殿右寄り(本殿・拝殿・狛犬)
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九世紀の後半当神社の神官で伊香津臣命から第十六代目にあたる伊香厚行という人は、中央政府でも活躍され菅原道真公との進交が有りました。菅原道真公は幼小の時この北方にある菅山寺という寺で修業されたこともあってこの伊香具神社を厚く信仰され、自筆の法華経、金光明経を奉納されました。
また宇多天皇に申し上げて「正一位勲一等大社大名神」の額を賜りました。そして当時制定された「延喜式」においては大社大名神という高い格を与えられておりました。この「延喜式」に記載された神社を「延喜式内社」とよんでふ古くから信仰の厚かった由緒のある神社とみなされていますが、近江一五五座のうち伊香郡は全国的にみても特に集中して多く当伊香具神社の大社一の他小社四十五座を数えています。
●案内板
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後に足利尊氏が天下を取った時には特に二百石の領地を捧げ毎年正月、五月、九月の十八日に国内の無事を祈るための祈祷祭を依頼されました。以後祭儀は今も絶えることなく続けられています。  -『平成祭データ』-
*ー神南備にようこそーより抜粋

◆◆琵琶湖の北部、近江と越前・若狭の国が境を接するあたりは、古代から北国、いわゆる越の国に抜ける交通の要衝で、万葉集にもこのあたりを詠った歌が幾つか残されている。(伊香山(いかごやま)とは現在の賤ヶ岳を指すと考えられています)
●伊香山全景(山の向こう側に余呉湖があります)
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笠朝臣金村が伊香山(いかごやま)にてよめる歌二首
巻08-1532 
草枕旅ゆく人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも
巻08-1533 
伊香山(いかごやま)野辺に咲きたる萩見れば君が家なる尾花(をばな)し思ほゆ

※今回の目玉の一つです。想像に違わず、神聖でしかも明るさを感じる、いい神社です。
社殿と社叢が余りにも立派なので、写真に夢中にあり、いつも撮る狛犬のアップを撮り忘れました!!
by barakan1 | 2011-07-31 16:31 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)③奥琵琶湖展望・・・

奥琵琶湖展望
●塩津浜~
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●奥琵琶湖展望(右飯ノ浦)
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塩津神社前の国道8号線を大音方面へ、途中工事のため県道飯浦・大音線へ。細いくねった道を通り賤ヶ岳リフト乗り場へ。
●賤ヶ岳リフト乗り場
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本来ならば賤ヶ岳に登り、四方を展望するのであるが・・、曇っていることもあり、場所確認だけで目的地伊香具神社を目指す。細いクネッた山際の道を5分足らずで到着する。社叢がすばらしい。
●賤ヶ岳より余呉湖方面を見る(案内看板の写真より)
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●小谷城跡方面を見る(案内看板の写真より)
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●伊香山
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※NHK連続ドラマ「お江」の生まれた小谷城はスグそこです。訪ねたかったが、今回のルートには入っていません。残念ですが次回にします。
★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2011-07-30 16:32 | 旅日記

滋賀探訪(2011.06.19)②塩津(しおつ)神社~塩津海道・・・

塩津(しおつ)神社 式内社 滋賀県伊香郡西浅井町塩津浜547
●塩津神社遠景(前の道は塩津海道)
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御祭神
鹽土老翁神 配祀 彦火火出見尊 豐玉姫尊
●正面入口一の鳥居
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由緒
当神社創立の年代は詳らかではないが延喜式内社で 既に神威顕著の古社たるを知る 古伝によれば上古 この地の志波谷に塩池あり ささやかな池ながら塩 水間断なく湧出し これを汲んで製塩し敢えて他か らこれを求めず
●一音鳥居と社号標
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たまたま意富々杼王この地を逍遥 し塩池を見給い「小池の潮汐を製塩せんよりは何ぞ 外海に塩を求めんや」と問い給う 一竈丁「吾等は 代々遠祖塩土翁の遺訓を奉じ製塩し他に求めず」と 答う 王これを深く感じ 不日里人を助け塩土翁を 鎮祭せられたりと 即ち之が塩津神社であり 社名 は地名に因み地名は祭神名に因むと云う 
●境内、二の鳥居より拝殿をみる
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塩池は中 古大地震の爲埋没し潮汐も又出でず 製塩に用いた 大釜は湖底に沈めたりと伝う この湖岸を大辛と云 い今も小字名として現存す
●拝殿と狛犬
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この地は會て西浅井郡に属し当社はその半郡の総 社として広く崇敬せられた 社地の背後は鬱蒼とし た塩土山の神林深く又社前は入江の琵琶湖に面し四 季の風光変化に富み 又湖上航行の要港として王朝 時代以降文人武将の往来しばしばあり 
●境内全景(本殿・拝殿・狛犬・神馬)
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又当社を崇 敬せらる わけても和気仲世近江呂介に任ぜられる や数度当社に参籠して霊示の随に譽田別神を境内に 瀬織津姫神を境外地に奉祀された 
●本殿
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文和元年 足利 高氏の子義詮 俊光厳帝を奉じ当社に参籠し 幕を 張り供奉の人々を犒ったと云う 当地の塩津城主  熊谷兵高 熊谷治佐衛門尉直久 熊谷直純等何れも 当社を産土神として常に崇敬した 元亀元年火災に 罹り殿舎悉く烏有に帰し現在の社殿は元禄初期の作 なり 明治十七年郷社に列す 尚当社中古「海北の 宮」の別称があった   ー境内案内板よりー
●境内社 (境内の左側に鳥居があり、上へ延びる階段があった。
境内社(琴平社・愛宕社・鳥居)                    (本殿横には八幡社)
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塩津海道
●塩津浜案内図
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古代、大陸や北陸からの文化や物資は、日本海の敦賀に集められ、陸路の最短距離にある琵琶湖の要港塩津に運ばれ、湖上を船によって都に送られました。
●塩津海道と塩津山
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このことは十世紀に制定された「延喜式」.「諸国運漕雑物功賃」条の中にも、越前国海路(中略)加賀能登越中亦同、敦賀津より塩津へ運ぶ云々とあり、塩津海道が古くから官道として重要なものであったことが伺えます。同時に塩津の重要性がわかる
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◆◆笠朝臣金村が鹽津(しほつ)山にてよめる歌二首
巻03-0364 
大夫(ますらを)の弓末(ゆすゑ)振り起こし射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
巻03-0365 
鹽津山打ち越え行けば我(あ)が乗れる馬ぞ躓(つまず)く家恋ふらしも
●塩津浜からみた琵琶湖
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万葉歌
巻11-2747  作者不詳
味鎌(あじかま)の塩津をさして漕ぐ船の名は告(の)りてしを逢はざらめやも
※塩津には古い街道や家並等見どころは沢山残っています。時間をかけユックリとみれば、一日は十分楽しめ・・・、そして万葉歌人笠朝臣金村あ詠んだ塩津の雰囲気を少しは感じることが出来るのですが・・・。
by barakan1 | 2011-07-29 16:19 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)①コース概要& 沓掛 八幡神社・・・

いよいよ2日目(19日)の滋賀探訪にかかります
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回った個所が多くなかなか連続でアップする気力がありません(:_;)
コース概要。
敦賀発7時~(沓掛)八幡神社~塩津神社~伊香具神社~矢合神社~(菅浦)須賀神社~禪る万木の森~阿志都彌神社~阿渡の水門~(真長の浦)大溝漁港~高島勝野原~乙女ヶ池(洞海)~香取浦・高島山~(水尾崎)白鬚神社~浮御堂~唐崎神社・唐崎の松~名神・自宅着17:40。走行距離680㌔。

沓掛 八幡神社   滋賀県伊香郡西浅井町沓掛
由諸不明
なかなか風格のある神社です。8号線沿いに鎮座しています。
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探訪地図

by barakan1 | 2011-07-28 17:09 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)㉑小浜男山 八幡神社~後瀬山・・・(18日)終

小浜男山 八幡神社   福井県小浜市小浜男山9
●神社一の鳥居・二の鳥居 (後方、後瀬山)
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御祭神 應神天皇・神功皇后(應神天皇御母)・宗像三神(多紀理比賣神
      多紀都比賣神・市伎島比賣神)
境内社多数(13社程度)
●社号標・狛犬
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この神社は、小浜駅の西500m程の辺り、後瀬山の北山麓の鎮座しており、山を背に北向きに鎮座しています。本殿は改装中でしたが、よく手入れされ気持ちの良い神社でした。
●境内参道・拝殿・狛犬 (後方、後瀬山)
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御神徳
古来武神として崇められてきたが、学問の神、産業振興の神でもあり、また海路陸路交通安全の神、安産、子育ての神としても崇敬されている。
●拝殿・狛犬
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由緒
国学者伴信友翁は「八幡考」で神護景雲三年(768)創建、神護景雲四年勅使参向鹿毛の馬奉納(続日本紀)と考証している。
●案内板・手水舎・本殿(修理中)
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大鳥居
小浜八幡宮の木造大鳥居として有名なこの鳥居は明神鳥居の形式に属するが、柱頂に台輪(円形で皿状のもの)あることから、別に稲荷鳥居とも台輪鳥居とも呼ばれている。この鳥居は、素木で高さ約6.4m、柱間は4.63m、柱の直径は48.25㎝である。笠木は銅板葺き、神号額の上部も同様とするが、主要部位には銅製帯金具による緊縛補強を施すなど、保存の苦労が偲ばれる。
●境内社  天何神社・高良神社・六月祓神社・大山祇神社・松尾神社
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●境内社 三輪神社・????・稲荷神社・姫宮神社・若宮神社・粟嶋神社
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後瀬山
伏原の西南にあり、標高一六八メートル。高くはないが小浜湾からの山姿は端麗で、小浜の象徴として親しまれる。山裾北側を通る丹後街道を見下す要害の地で、中世後期には山頂に若狭守護武田氏の本城が築かれた。
●伏原から見る                   ●小浜港から見る
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万葉時代からそこに行くと別れた後も逢瀬が可能という言い伝えがあった(当時の後瀬山の名は都にも聞こえていた)。この短歌で大嬢はそれを引合いに出したのでしょう。
大伴坂上大嬢が家持に贈れる歌二首
巻04-0737 
かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬(のちせ)の山の後も逢はむ君
また家持が坂上大嬢に和ふる歌二首
巻04-0739 
後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
派生歌
思ひ出でよ忘れやしぬる若狭路や後瀬の山と契りしものを   (藤原俊成)
たのめおきし後瀬の山のひとことや恋をいのりの命なりける  (藤原定家)

※ワザワザ小浜までやって来たのは、この後瀬山を見たかったためです。実際に現地で眺めた後瀬山はチョットガッカリ!!でした(:_;)  伏原からも、小浜港からも優美な山の全体像は見えません。家々が立ち並び、五合六号目あたりから頂が見える程度です。期待が大きかっただけに・・残念でした。キット!!どこかに、展望のいいところがあると思うのですが・・。(18日分はこれで終了。次回からは19日分(滋賀編)です。
by barakan1 | 2011-07-23 15:46 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)⑳三方石観音・・・

三方石観音  (北陸三十三ヶ所観音巡礼霊場第七番札所)
福井県三方上中郡若狭町三方
●参道
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福井県若狭町にある北陸三十三ヶ所観音巡礼霊場第七番札所、三方石観音は、国道27号線、JR三方駅のすぐそばにあります。本堂には花崗岩に刻まれた右手首のない観音像が安置されており、弘法大師一夜の作と伝えられています。
●岩観音入口付近
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手足の不自由な人にご利益があるとされ参拝者がたえないそうです。奥深い山々の緑の中を行く美しい参道や境内も一見の価値があります。
◆石観世音菩薩由来記
●手水舎      ●鐘楼                ●全景
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御本尊は一大花崗岩に刻まれたる石観世音菩薩にて南面せらる。
弘法大師一夜の御作にして桓武天皇延暦年間の草創なりと言えば、大師入唐以前の作なりべし。
大師若狭の地に遍歴せらるゝや此地の風光明媚なるを愛でられ、此山に宿らるる。或夜霊像御彫刻中、妙法石上鶏鳴聞えたれば、僅に右手首より先を残して飄然下山せらる。故に片手観音なり。
●本堂                           ●御手足堂
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されば手足のさわりは元より、諸病に御霊験灼にして不可思議なる事実又多し。宣なるかな。各地より参詣者常に踵を絶たず、当山の諸建築什物等一として信者の寄付ならざるは無し。
※観音川に沿って奥の院方向に登ると、霊泉あり。
by barakan1 | 2011-07-21 17:52 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)⑲三方五湖~御方(みかた)神社・・・

三方五湖
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a0016431_12111545.jpg●梅丈岳
三方五湖の景観の特色は、低いゆるやかな丘陵性の山々を湖の周囲に巡らし、温和で素朴な情緒があふれています。車で「レインボーライン」を通って、標高397メートルの梅丈岳(ばいじょうだけ)山頂に登ると三方五湖が一望できます。

●日向湖
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●水月湖他
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※せっかくの三方五湖の美しい風景も、雨と霧で見えたり見えなかったりで、満喫するところまで景色を楽しめなかったのが残念です。晴れていれば、今日の何杯も美しいことでしょう!!

◆三方石観音前、洗心園の、
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佐々木信綱揮毫万葉歌碑
読み人知らず
巻07-1177 
若狭なる三方の海の浜清みい往(ゆ)き返(かへ)らひ見れど飽かぬかも

御方(みかた)神社 式内社  福井県三方上中郡若狭町三方21-1
●神社入口鳥居・参道(左道を登ってゆくと石観音へ)
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御祭神
櫛御方命 
大山咋命・事代主命・山脇大神
合祀山脇神社・蛭子社・日吉神社を合祀(T8)
境内社神明社・大神宮社・山神社
福井県若狭町、三方湖の東に鎮座。
観音前交差点から東へ、三方石観世音方向へ入った所に境内入口がある。
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創祀年代や由緒の詳細は不明。古くは「明神社」「郡神明神」とも呼ばれていた。
現在の主祭神は、櫛御方命。名前に「御方」とあることから採用されたようだが、社名の「御方」は、三方湖に由来しているのは明らかで、当地と何の関連も無い櫛御方命を祭神としているのは疑問。
『若狭国志』では祭神不詳。『神祇志料』『大日本史』では天日槍命となっている。
ただし、これにも確たる根拠はないらしい。
三方は、「美しい潟」だというのが通説。ならば、三方湖の神を祀った神社なのだろう。  
ー玄松子の記憶ーより引用
by barakan1 | 2011-07-20 12:30 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)⑱宇波西(うわせ)神社・・・

宇波西(うわせ)神社  名神大社  福井県三方上中郡気山129-5 
●参道入口
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祭神
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)ー書紀ー
摂社 小美多麻神社「護國の英靈」、八幡神社「八幡大神 ほか」
●川に架かる石橋より
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◆宇波西神社  -社頭案内板-
御祭神うがやふきあえずの命(海 漁と安産の守神)御鎮座と沿革文 武天皇の大宝元年(昭和五十一年 で千二百七十五年前)三月八日、日 向で初めておまつりしましたが程 なく今の療養所のある上野谷にお うつりになりました。
●一の鳥居より
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千余年前にで きた延喜式の神名帳によりますと 当時北陸道七ヶ国にまつられてい た三百五十二座の御祭神の中で年 に三回(祈年祭月次祭六月と十二 月新嘗祭)朝廷から幣帛を奉られ たのは此の社だけであり当時の名 神大社でありました。
●境内全景
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建武元亀年間 兵火の為再度焼失天正年間今富の城 主浅野長政が社殿を造営し参道を 寄進しました国主酒井家から累代 修理改築など篤い崇敬が棒ぜられ 現在の社殿は嘉永四年の造営です 御例祭四月八日午前二時から氏子 各部落の古式豊かな献饌奉幣が相 つぎ正午からは県の無形文化財で ある王の舞、獅子舞、田楽舞、等古雅 で優美な祭礼が奉納され おわっ て子供のみこしの御渡りがあります。

◆宇波西神社案内  -社殿案内板-
御祭神鵜草葺不合命(人皇 第一代神武天皇の御父君)と伝え られ御母豊玉姫命が海辺で鵜 の羽などを葺草にまぜて産殿 の屋根を葺かせられそれがまだ できあがらないうちに御安産あら せられましたので右のような御名 を奉られたらしく古来から漁猟 又安産の守護神としてあるい崇敬 をうけさせられています。
●二の鳥居と拝殿
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延喜式(千余年前にできた書物)の神名 帳によりますと、宇波西神社 名神大 月次 新嘗 、と記されていまして月次・新嘗の祭 と祈年祭(五穀豊穣祈願祭)の案上の 官幣にあずかられましたのは北陸道 七ヶ国三百五十二座の御祭神中ただ このお社だけという得難い由緒を 有せられています。
●本殿
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古伝によりますと文武天皇の大宝元年 日向浦に垂跡あって同年三月八日に上野谷 (現国立療養所官舎付近と伝う)に遷らせら れ一〇四年の後すなわち平城天皇の大同 元年三月八日更に現在の地に御鎮座 あらせられたことになっています大宝 元年から一千三百年になります 建武元亀年間再度兵火の為に 炎上、現社殿は嘉永四年に造営 されたものです。
●本殿内
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御例祭は御鎮座の目にちなんで今は 一ヶ月後の四月八日に行われています
●本殿の周囲には、末社が2つ。    (小美多麻神社・八幡宮)
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小美多麻神社  護國の英靈を祀る
八幡宮       多くの神々を合祀した。
合祀の神々    大山咋命、大將軍大神、大杉大神、八衢彦命、八衢姫命、
           船戸神、菅原道眞、神功皇后。
by barakan1 | 2011-07-19 18:08 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)⑰気比(けひ)の松原・・・

気比(けひ)の松原   敦賀市松島町
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ここには「一夜の松原」という伝説があります。
聖武天皇の御代、この地に来襲した異賊。そのとき一帯は突然震動し、一夜にして数千の松が浜辺に出現した。樹上には無数のシラサギが。それはまるで、風にひるがえる旗差物。敵は数万の軍勢とみて、たちまち逃げ去ったのだという。
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長さ約1.5km・広さ約40万m2という広大さと、白砂青松のコントラストが印象的な松原。赤松、黒松約17,000本が生い茂る国の名勝地です。
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三保の松原(静岡県)、虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の1つである。
◆高濱虚子
松原の続くかぎりの秋の晴
by barakan1 | 2011-07-18 18:27 | 旅日記

福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)⑯気比(けひ)神宮・・・

気比(けひ)神宮 名神大社 福井県敦賀市曙町11-68 
●「土公」  氣比大神降臨の地
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伊奢沙別(いささわけ)神
仲哀天皇
神功皇后
日本武(やまとたける)尊
應神天皇
玉妃(たまひめ)命
武内宿禰(たけのうちのすくね)命


●正面鳥居
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笥飯(けひ)の宮、笥飯大神とも呼ばれた神社。主祭神・氣比大神は、別名・伊奢沙別命といい、また、御食津大神とも言われている。
『古事記』仲哀記には、以下の記述がある。建内宿禰命が、太子(譽田別命、後の応神天皇)を連れて、禊に訪れた時。当地に坐した伊奢沙和気大神が、夜の夢に出現し、「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」と告げた。さらに、「明日の旦、浜に幸すべし。名を易へし幣献らむ」。翌朝、浜へ行くと、鼻の傷ついたイルカが浦いっぱいに集っていた。これを見て太子は、「我に御食の魚を給ひき」、つまり、神が太子のために、食料の魚を下さったと感激した。そして、その神の名を称えて、御食津大神と名づけ、それが気比大神である。鼻の傷ついたイルカによって、浦が血で臭かったので、その浦を「血浦」と呼び、角鹿(つぬが)となった。
●石橋と社号標
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『日本書紀』垂仁天皇の条には、意富加羅国の王子・都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)、またの名、于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)が、当地、笥飯(けひ)の浦に到着し、角鹿と名づけたとある。都怒我阿羅斯等は、白石から生れた姫神を追って日本へ来たともあり、その姫神は、比売語曽社に祀られている。
『古事記』・応神記では、天之日矛(天日槍)が、阿加流比売という赤玉から生まれた姫を追って来たとあり、都怒我阿羅斯等は、天日槍と同一視されている。
●二の鳥居から拝殿を見る
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これらの伝承により、主祭神・氣比大神に関しても、仲哀天皇説や、都怒我阿羅斯等説、さらに天日槍説などの異説がある。以上のことから、氣比大神は、海人族による朝廷への服従のシンボル、特に、海の幸の献上から、食物の神霊を祀った神であったものが、海人族を通して、半島との交流が盛んになると、半島神へと、その性格を変えていったと見ることもできるだろう。
●拝殿
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大宝2年(702)、勅命により、仲哀天皇・神功皇后を合祀し、後に、日本武尊
(東殿宮)、応神天皇(総社宮)、玉妃命(平殿宮)、武内宿禰(西殿宮)の
本殿四隅に四ノ宮として祀られ、祭神七座となった。
●拝殿                       ●内陣
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ここで、玉妃命(神功皇后の妹)が、白玉の姫を追った都怒我阿羅斯等、赤玉の天之日矛を連想させる。社伝では、氣比大神が、この玉妃命に神懸り、神託によって、神功皇后が三韓平定を行なったとある。 ー玄松子の記憶ーより引用
◆◇奥の細道
「芭蕉翁月五句」の碑
国々の八景更に気比の月
月清し遊行のもてる砂の上
ふるき名の鹿角や恋し秋の月
月いづく鐘ハ沈る海の底
名月や北国日和定なき


隣の木陰に「気比のみや」の前書で始まる露塚
なみだしくや遊行のもてる砂の露
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※先の大戦で社殿は全焼しているので、この神社から古社の面影と霊妙なる神威は残念なあがら感じられない。歴史・由諸から言えば、もっと神厳なるものを感じても良いのだが・・・。社叢が少なく若すぎるのが・・・もう100年経てば素晴らしい雰囲気の神社になるだろう。
※五幡くらいから降りだした雨は、ここ氣比神宮で一気に土砂降りとなり、参拝もそこそこに早々に退散した。必ずもう一度尋ね、ゆっくりと参拝したい。
by barakan1 | 2011-07-17 11:36 | 旅日記