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島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑩長浜神社 ・・・終

長浜神社  式内社  島根県出雲市西園町4258
●神社入口・参道・手水舎
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主祭神    八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)
配神     布帝耳命(ふてみみのみこと)
        淤美豆奴命(おみずぬのみこと)
●随神門・狛犬
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『出雲国風土記』の冒頭を飾る「国引き神話」は、綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ縫い合わせた国土生成の話である。長浜神社は、国引きの綱の「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)」を主祭神としてお祀りしている。
●拝殿正面
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海のむこうの土地に綱をかけて引き寄せ大地を造られたご事跡により、綱引きの祖=スポーツ上達・不動産守護の神としてのご神徳が知られる。
●拝殿北側より見る
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国引き終了の時に神は杖をたてられ、その後も杭を打って歩かれる。これが島根半島に点在する要石(かなめいし)であり、社地の妙見山にも土地鎮めの要石と子授け安産の夫婦石(めおといし)が祀られている。さらに神は石見国へも悪者退治に出かけられる。
●本殿南側より・拝殿内
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また、境内にあった神庭桃(かにわもも)から栽培が始まったという当地の桃栽培は、かつて「妙見桃の石見行き」と謳われたほどの産物だった。現在の主要産物はぶどうに変わり、妙見山も桃源郷から桜の園へと変容した。
●境内全景(拝殿・本殿)
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ー神々の国しまねーより
●境内案内板ー
国引き神話(出雲国に伝わる神話の一つ)で有名な八束水臣津野命は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ・・・、最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう」と言われ、国引きを決心されました。
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どこかに継ぎ足して縫い合わせられるような土地はないかと眺めてみると朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、「国来い」と引き寄せて縫い合わせていかれました。こうして出来た土地は島根半島の西端の杵築の岬の一帯ですこの土地をつなぎとめるために立てた杭は三瓶山です。また引いた綱は長浜がそれです
●境内案内図
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●3連の鳥居
三つの鳥居がくっついている珍しいつくり奥には三つの社があります。要石(かなめいし)・夫婦石
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■左の石が要石で国引きの時の土地鎮めに使われた石
■中の石が男石で右が女石、一対で子授・安産のご加護あり
●境内末社(春日神社・稲荷社・天神社・荒神社)
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※荒神社
出雲地方の荒神社は古事記の系譜によるとここの祭神である八束水臣津野命のひいおじいさんのスサノオの命を当てる場合が多いようです。
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
※これで今回の石見・出雲の探訪は終わります。何分2日間の日程なので、訪問したいところも随分残ってしまいました。何とか来年には再訪したいと思います。では、皆さま、よいお年を!!
by barakan1 | 2010-12-29 18:01 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑨出雲大社・・・

出雲大社  式内社(名神大) 島根県出雲市大社町杵築東
主祭神大国主大神
●大鳥居
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由緒 [編集]
日本神話によれば、大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるという。古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に出雲大社と改称した。
●神楽殿                     ●拝殿(御仮殿)
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延喜式神名帳には「出雲国出雲郡 杵築大社」と記載され、名神大社に列している。神階は貞観9年(867年)に正二位まで昇った。江戸時代には社領五千石を有していた。明治4年に官幣大社に列格し、大正時代に勅祭社となった。現在は神社本庁の別表神社となっている。
●現八足門と本殿
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創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格し、平成14年(2002年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。
●御遷宮前本殿(東端垣から天前社・御向社・本殿を望む)
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現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。60年に一度の式年遷宮に際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。ーウィデペキアーより
●神社配置図
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※現在は平成の大遷宮中の為(平成25年まで続きます)、拝殿は御仮殿となっております。参拝のは御仮殿にてお参りします。
by barakan1 | 2010-12-28 15:15 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑧須佐神社・・・

須佐神社    出雲市佐田町須佐730
●正面鳥居
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御祭神
須佐之男命(すさのをのみこと)
●随神門(豊磐間戸神、櫛磐間戸神)
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配祀
稲田比売命(いなたひめのみこと)
足摩槌命(あしなづちのみこと)
手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)
●拝殿
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附 記
その昔、須佐の郷は唯茂れる山であり、僅かに川添いに猫額の耕地をもった寒村に過ぎなかった。須佐之男命が諸国を開拓し須佐の地に来られ、最後の国土経営をされ、「この国は小さいけれ共よい国なり、我名を草木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田を定められたので須佐という、と古書に見えている。
●本殿
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命がこの地に一生を終えられてから二千有余年、その御神徳は今日まで及び村は栄え、子孫は生業を得て繁栄している。須佐大神の恩頼にかかぶりて、農業の成功を、交通の安全を、畜産の発達を、子孫の繁栄を、良縁の結ばれんことを、諸障退散病気平癒を祈るもの、精神錯乱の恢復を祈請するもの、比較的交通の不便をいとわず陸続として来る有様で、その御神徳の程がしのばれる。
●境内摂社 天照社(上(かみ)の御前さん)
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只惜しむらくは、須佐の大宮は何としても僻陬の地であったため、中央との交渉、接触少なく、知られねばならぬことも知られず、顕彰さるべき事もそのままに時は移り、時代々々で国守の崇敬は得ていたとしても神社の社格のことも須佐国造家のことも他国の神社やそれに比して決して十分な待遇がなされていなかった事は色々な事象に照らしても明らかで、後人の等しく遺憾と思うところである。
●境内摂社 三穂社(下(しも)の御前さん)
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須佐家の事を付け加えるならば須佐大宮司家が国土開拓に功ありし国つ神の末裔であるというので国造に命ぜられたのは、二十四代益成宮司の時で成務天皇三十年(一六〇年)今より千八百四十余年前のことである。それより出雲太郎、出雲次郎を名乗っていたが、永享年中(一、四三四年)出の一字を除き、代々交代に雲太郎、雲次郎として今日まで連綿七十八代、二千六百八十余年を経ている。今の宮司建紀氏は雲太郎である。
●境内末社    西末社                       東末社 
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須佐の姓は明治の始めにつけたもので、それまでは須佐国造某と名乗るを常としていた。尚国造の制は大化の改新の時廃されたが、出雲、紀伊、阿蘇及び尾張の国造だけは残されてその名を存している。ー九州神社紀行ーより
●大杉
亭々として天を摩する老杉あり。
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周囲二十余尺(七米余)樹高百尺(三十米余)木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず。須佐神社はもと宮内部落の東南にある宮尾山山麓にありしを、五十三代淳和天皇の天長年間(西暦824~833)に、現社地に遷されたと伝うから、樹齢は約千二百年を算えることになろう。
a0016431_1433664.jpg◆須佐には七不思議
●塩井
境内にある。須佐之男命が自ら潮を汲んで、この地を清めたという。日本海満潮時に附近の地面に潮の花がふく。
●落葉槇
槇(柏)の葉に松葉で通した孔がある。稲田姫命がお産の時に、産具を柏葉で包み、松葉で綴じて流瀬川に流したものが生育したという。
●影無桜
昔、当社境内の桜が影をさすため、隠岐で稲が実らなかった。そこで桜を切ったところ、隠岐で耕作ができるようになった。
               ●素戔川

a0016431_1455784.jpg●星滑
須佐の中山の嶺にある岩石が露出して谷のようになった場所に白い斑点がある。豊年になれば光沢があって大きく見え、凶年になれば小さく見える。
●雨壺
当社の西を流れる素鵝川(須佐川)の1Km下流の田の中に大岩があり、その中に60cmほどの芝生がある。
これを犯せば須佐大神の怒りに触れ洪水が起こる。
●相生松
男松女松が一本になっている。今は枯れてなし。
●神馬
当社に奉納された神馬は、どんな毛色の馬でも、かならず後に白馬に変わり、吉凶や異状を予知するという。
◆境内配置図
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by barakan1 | 2010-12-27 14:08 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑦三瓶山~浮布の池・・・

三瓶山(西の原から見る)
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広くて、大きくて、子供達を遊ばせたら大喜びするだろうなぁ。
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浮布の池   太田市三瓶町池ノ原
北側湖畔より
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太田市三瓶町池ノ原にある「浮布の池」は、三瓶山の噴火で堰き止められてできた湖である。むかし池の原の長者の娘の迩幣(にへ)姫が、美しい若者に誘はれ、この池に身を投げた。若者は池に棲む大蛇であったといふ。
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柿本人麻呂
巻07-1249
君がため浮沼(うきぬ)の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも
※浮沼の池は、大田市三瓶町池田の三瓶山麓にある浮布池とされている。 
姫の着てゐた衣が水面から浮きあがるかのやうに湖水が白く見え、浮布の池の名となった。池の中の島に迩幣姫神社がまつられてゐる。
ー神話の森 > 歌語り風土記ーより
●西側(浮布の池越に三瓶山を見る
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藤原知家
身はかくてうきぬの池のあやめ草引く人もなきねこそつきせめ             
by barakan1 | 2010-12-25 22:11 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑥鴨 山・・・

鴨 山     島根県邑智郡美郷町湯抱
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鴨山記念館 斎藤茂吉
夢のごとき「鴨山」戀ひてわれは来ぬ誰も見知らぬその「鴨山」を
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◆柿本人麻呂は、歌聖といわれながらその生誕地から歿地まで不詳という謎の多い歌人である。人麻呂の辞世の歌である巻2-223に云う「鴨山」に斎藤茂吉は生涯の課題として取り組んだ。昭和5年から12年に及ぶ石見地方の探索の結果、この湯抱温泉の深山にある「鴨山」を人麻呂終焉の地とした。
ー(斎藤茂吉説)ー
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鴨山公園からの鴨山、左奥に頭を出しているのが「鴨山」という。
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茂吉説が全くの賛同を得たわけではないが、ひとつの候補地として大切な故地である。
斎藤茂吉 加茂山公園歌碑
人麿かつひのいのちを終はりたるかもやまをしも此処と定めむ
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※柿本人麻呂が石見国の鴨山で亡くなる時に詠んだ辞世の歌とされている。
鴨山は、益田市沖の鴨島とする説など数ヶ所あるらしい。ー万葉の旅ーより
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◆湯抱温泉の湯元橋傍にある「鴨山 柿本人麻呂終焉地」碑、碑文中に辞世歌を刻する。

柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首
巻02-0223
鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
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by barakan1 | 2010-12-24 15:24 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)⑤物部神社(石見一の宮)・・・

物部神社 式内社  島根県大田市川合町川合一五四五
●正面より全景
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祭神
主神    宇摩志麻遅命
相殿右座  饒速日命、布都霊神
相殿右座 天御中主大神、天照大神
客座  鎮魂八神 高皇産霊神から御食津神の八柱
●正面鳥居
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◇ 境内摂社
後神社 師長姫命(主神の妃神)
●正面参道・拝殿・八百山
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◇ 境内末社
神代七代社(東五社) 国常立尊から伊弉諾尊、伊弉冉尊までの七代十一柱
荒経霊社(西五社の一) 須佐之男尊
皇祖四代社(西五社) 天照大神より鵜草葺不合尊までの五柱
須賀見神社 六見宿禰命(主神の三世孫)
乙見神社 三見宿禰命(上記神の弟)
一瓶社 佐比売山三瓶大明神
柿木神社 柿本人麿朝臣
菅原神社 菅原道真公
稲荷神社 稲倉霊命ほか
粟島神社 少彦名命
八重山神社 八重山神(農耕神、牛馬安全の神)
●拝殿内・本殿
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◇ 境外摂社
漢女神社 栲幡千々姫命、市杵島姫神、抓津姫命
◇ 境外末社
郷原若宮神社味饒田命
中原若宮神社(元摂社)彦湯支命
新屋若宮神社武諸隅命
川合神社竹子命(石見国造)
石上布留神社十種神宝
熊野神社高倉下命・少彦名命
●社殿(東側より)
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◆当社の創建は継体天皇八年。
祭神・宇摩志麻遅命は勅命により、天香具山命とともに物部氏の一族を率いて、美濃、越国を平定し、石見国に入って死去したと伝えられ、社殿背後の八百山の古墳は神墓であるという。また、播磨・丹波国を経て石見国へ入ったともいう。
*境内末社  東五社(神代七代社)             後神社
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当地には大規模な物部氏配下の部民である「物部」の集団があり、古くから集落をなして、中央豪族たる物部氏の部民に編成され貢租や労力を徴収されていたという。
*境内末社  一瓶社                      石祠??
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伝承では、祭神・宇摩志麻遅命が白鶴に乗って、川合の地に天降った。その場所を鶴降山という。鶴降山から国見したところ、八百山が大和の天香具山に似ているので八百山の麓にお住いになることにした。鶴降山から白鶴に乗って降りられた場所は、当社の東600メートルの地・折居田といい、祭神が腰かけた岩があった。
*腰掛岩
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境内に一瓶社という末社がある。祭神が、この地方を平定した時に三つの瓶を三所に据えた。一番目がこの一瓶社。二番目は浮布池の爾幣姫神社。三番目は、三瓶山麓の三瓶大明神。当社から東へ進むと、国立公園三瓶山がある。 古名佐比売山。出雲風土記にも登場する。
*境内末社   稲荷社                      西五社(祖四代社)                  
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境内には、折居田にあった祭神の腰掛岩がある。道路拡張によって、昭和五十六年境内に移動したもの。
八百山へ登る道がある。上には祭神の御神墓がある。
*境内末社  淡嶋神社        柿本神社        菅原神社
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境内右手には一瓶社、石祠、後神社と不明の祠が一つ。境内左手には稲荷神社、天満宮、柿本神社、淡島神社と不明の祠。不明の祠や石祠は、須賀見神社、乙見神社、八重山神社だと思う。
*境外摂社  漢女神社
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ー玄松子の記憶ーより
※※富金石(ふきんせき)
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by barakan1 | 2010-12-23 15:35 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)④静之窟(しずのいわや) ・・・

■静之窟(しずのいわや)  島根県太田市静間町
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●静之窟沿革
静之窟は『万葉集』巻三に「大なむち、 少名彦のいましけむ志都の岩室は幾代経ぬ らむ」(生石村主真人)と歌われ、大巳 貴命、少名彦命の二神が 国土経営の際に 仮宮とされた神話の洞窟である。
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江戸初期まで洞窟の前には滝の前千軒と いう集落があったが、明暦二年(一六五六 年)四月の大津波で一瞬にして海中に没し たと伝えられる。
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窟内は奥行き四十五メートル、横幅三十 メートル、高さ十五メートルほどあり、中 央に万葉歌碑が建てられている。近くの垂水集落には、大巳貴命、少名彦命 の二神を祀る静間神社がある。  -案内板より-
●大田市指定天然記念物
静之窟 一所 (平成四年十二月十六日指定)
静之窟は大田市静間町魚津の海岸にあって、古 く石見地方の国造りに力をあわせて努力された大 己貴命(大国主命)と少彦名命の二神の仮の住ま いであったとの伝承があり、洞窟は奥行三十八m、 幅十八m、高さ十六mに達し、洞底は清浄な海浜 に覆われ、現在では波浪が直接侵入することはま れであろうと思われる。
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門口は大小二箇所あるが奥で一つになった岩屋 がある。この岩屋を古くから静之窟といい伝えている。洞内の内壁や天井には、主として軽石質の火砕 岩が露出しており、ほぼ南北方向に走る節理もし くは小断層が何本か見られる。窟は、侵食に弱い 部分がこれらの弱線に沿って選択的に侵食が進ん だ結果生じた海食洞である。
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◆万葉集巻三の生石村主真人による歌
巻3-0355 
大汝(おほなむぢ)少彦名(すくなびこな)の座(いま)しけむ志都(しつ)の石室(いはや)は幾代経ぬらむ
中央には大正四年に万葉歌碑がたてられ、歌人 生石村主真人が詠んだ「大汝少彦名のいましけむ 志都の石室は幾代経ぬらぬ」(書は千家尊福)の 歌碑(高さ三m)が建っている。「静之窟」の題 字は徳川家達である。 -案内板より-
※「大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経」
に詠まれた「志都乃石屋」と考えられている。ただし、島根県邑南町の志都岩屋神社や、兵庫県高砂市の生石神社もその伝承地となっている。
by barakan1 | 2010-12-21 17:52 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)③静間しずま)神社・・・ 

静間神社 (式内社) 島根県大田市静間町垂水1765
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御祭神  大己貴命 少彦名命
配祀   田寸津姫命 田心姫命 市杵嶋姫命 大歳神 若年神 倉稲魂神
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●正面鳥居、境内社
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社伝によると、光孝天皇仁和二年(886)二月八日の創祀。もとは、魚津漁港にある「静之窟」の中に祭られていたが、延宝二年(1674)六月二十七日、高波により崩壊したため、現社地(垂水山)へ遷座。
●本殿
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式内社・静間神社に比定されている古社。  (*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-12-20 22:23 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)②五十猛(いそたけ)神社・・・

五十猛(いそたけ)神社   島根県大田市五十猛町2348
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御祭神  五十猛命 應神天皇
配祀   抓津姫神 大屋姫神
合祀   霹靂神社 式内社 石見國迩摩郡 國分寺霹靂神社
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創祀年代は不詳。
祭神は素盞嗚尊の御子神・五十猛命。父神とともに新羅へ天降り、新羅より埴舟に乗って我国へ帰り来たった神。その帰路、磯竹村(現五十猛町)の内大浦の灘にある神島に舟上がり、父神・素盞嗚尊は大浦港(韓神新羅神社)に、五十猛命・抓津姫神・大屋姫神の兄妹神らは今の宮山(当社)に鎮まり給うたという。
●手水舎             ●拝殿              ●本殿
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当社に合祀されている霹靂神社は、式内社・國分寺霹靂神社の論社の一つ。祭神は、別雷神と玉依姫命。大同四年(809)正月の鎮座であるというが、明治末年に当社・五十猛神社へ合祀されてしまった。
●境内・神社全景(社叢はありません)
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 ー玄松子の記録ーより
五十猛命を祀る神社
by barakan1 | 2010-12-19 11:34 | 旅日記

島根(石見・出雲)万葉故地探訪2(2010.12.5)①人丸神社・・・

人丸神社   島根県江津市島の里町(高角山公園)
●真島からみる高角山
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江津市内を一望できる高角山の麓にあり、昭和22年4月に開拓者が至難な事業遂行のため心のよりどころとして、農業と学問の神様石見に伝わる人麻呂さんを祀った神社です。
●高角山公園
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柿本人麻呂は、石見の妻、依羅娘子[よさみのをとめ]をめとった後、妻の故郷をいくつか歌に詠み込んでいる。「石見のや 高角山の 木の際(ま)より 我が振る袖を 妹みつらむか」と彫った自然石の歌碑が立つ。
●人丸神社
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石見の国の高角山の木の際から、わたしの振る袖を妻は見てくれたであろうか、という意味があります。※人麻呂と依羅娘子の銅像も立っています。  【http://map-city/】より
●人麻呂・依羅娘子銅像
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依羅娘子
巻02-0140 
な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか吾(あ)が恋ひざらむ
※人麻呂の石見国赴任地は、石見国府のあった浜田市下府町の辺りといわれ、石見相聞歌(131~139)に詠まれた地名から上京の経路は、江津市の都野津町から高角山(島星山)→千金→渡津町(和多豆=柔田津)→屋上山(室神山)→浅利町とするのが順当なところとされている。ー防長人丸社新考ーより抜粋
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柿本人磨呂
巻02-0131
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・・・・・                 いや高に 山も越え来ぬ
夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山

●万葉歌碑
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柿本人磨呂
巻02-0132 
石見のや高角(たかつぬ)山の木(こ)の間より我(あ)が振る袖を妹見つらむか

■行程地図(2日目)

by barakan1 | 2010-12-18 12:34 | 旅日記