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富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑫榊葉乎布(さかきばおふ)神社(阿尾城跡)・・・終

榊葉乎布(さかきばおふ)神社(阿尾城跡) 氷見市阿尾 502番地
●神社(阿尾城跡)入口
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祭神天照皇大神・ 菊理比咩神・ 底筒男命・中筒男命・表筒男命
●入口鳥居
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概要: 榊葉乎布神社の創建年は不詳ですが越中国守大伴家持が勧請したのが始まりと伝えられています。阿尾菊池家初代武勝が当地に下向する際、伊勢神宮の榊樹を持ち帰り阿尾城に植樹したところから榊葉神明宮を呼ばれるようになったとされ、以降、阿尾城の守護神として庇護されました。
●三の丸跡                                ●参道
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明治12年(1879)に榊葉乎布神社に社号を改称し村社に列しています。現在は阿尾城内に鎮座し平成9年に社殿が改築されています。 平成6年1月に焼失し平成9年9月に再建。
●拝殿
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※英遠の浦」とは氷見市阿尾、灘浦の海に突き出た標高約38mの台地付近の海辺のことです。戦国時代には阿尾城が築かれていたこの白い台地の岩肌と、台地を包む暖地性常緑樹叢が群青の海に 影をおとすさまが美しい景勝地です。


大伴家持
巻18-4093
英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風(あゆ)をいたみかも  


◇◇阿尾城
富山県氷見市阿尾城ヶ崎にある平山城です。現在は富山県史跡に指定されています。阿尾城は富山湾に面した標高20~40mの独立丘陵上にあります。
●白峰神社参道・手水舎                     ●白峰神社
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海側は断崖絶壁でここからはとても攻めることはできないので攻め込めるのは西側からだけです。ここもかなり急坂ですので、もしここを攻めようとしてもかなりの被害が予想されます。
●北→南 城ヶ崎を見る
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築城時期は不明ですが、発掘された出土遺物からは15世紀後半頃には既に城として利用されていたと思われます。天正・文禄年間(1573~1596)頃には菊地武勝・安信父子が居城しています。
この菊池氏は、肥後の名族菊池氏の出自ですが、肥後の菊池宗家は戦国時代に大友氏によって滅亡しています。
●阿尾城跡三の丸上より越中方面を見る
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阿尾城主の菊地氏は、当初は上杉謙信が能登を支配した際にはそれに従ったと思われますが、織田信長が勢力を伸ばしてくるとその配下の佐々成政に従い、1584年(天正12)には佐々成政と羽柴秀吉が対立すると秀吉配下の前田利家へ寝返り、城を明け渡しています。
●阿尾城跡案内図
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そして阿尾城代として有名な前田慶次郎が入り、佐々軍の攻撃を受けることもありましたが、なんとか防ぎきっています。阿尾城は慶長初め(1597年頃)には廃城となり、菊池氏の子孫は前田家家臣となり1500石を与えられています。
※2日間に渡る石川富山の万葉故地探訪の旅もここで終わります。まだまだ、訪ねたいところは沢山あります。是非来年にもう一度訪ねたいと思います。
by barakan1 | 2010-11-26 14:30 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑪七尾湾・・・

七尾湾
家持は、天平二十年(748)春、出挙(すいこ)のため、越中国府を出て諸郡を巡行し、能登半島に至った。この時の歌(4026)によれば、「香嶋(かしま)の津」から「熊来(くまき)の村」を目指して船出したことがわかる。この「香嶋の津」は七尾の港湾のどこかであろうと推測されている。
●七尾湾
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能登郡にて、香島の津より発船(ふなで)して、熊來(くまき)の村を射して徃く時よめる歌二首
大伴家持
巻17-4026 
鳥総(とぶさ)立て船木(ふなき)伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神(かむ)びそ
巻17-4027 
香島(かしま)より熊來(くまき)をさして榜ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
※能登の国は天平十三年(741)から天平勝宝九歳(757)まで廃止され、越中の国に併合されていた。越中国守である家持が能登を巡行したのもこうした事情による。
※国府跡とも言われる、印鑰(いんやく)神社を探しましたがとうとう、見つけられませんでした。
by barakan1 | 2010-11-24 14:57 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑩能登國総社(のとこくそうしゃ) ・・・

能登國総社(のとこくそうしゃ)     石川県七尾市古府町キ22
●入口鳥居
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当社の創祀は、崇神天皇の御代。往古、大穴持命が能登国を平定し、その御座された石を神体として、社殿を建立。後、円融天皇の頃、源順が能登国司となり、社殿を再建。能登国中の延喜式内四十三座の神を勧請して総社としたもの。ということで、祭神は能登式内四十三座の神。さらに、諏訪神社を合祀して、建御名方神も祀る。
●境内・拝殿
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ただ、『平成祭データ』には、祭神・菊理姫神とある。鎮座地の字名は、白山といい、本来は白山神社なのだろうか。(これに関しては未確認なので信憑瀬はないが)ー神南備にようこそーより抜粋
-境内案内石碑- 総社由来
能登国内四十三座の神を祀るほか 一九〇七(明治四十)年合祀した 諏訪神社の建御名方神を祀る。旧社 格は村社。能登国の総社である。総社は平安中期から後期にかけ 国司が管内の官社などの神霊を国 衙に近い地に勧請して奉幣参拝の 便をはかったのに起源するという。
●拝殿・狛犬
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社伝によれば往古大穴持命を奉祀 したのに始まり源・順が能登守の とき再建して能登国中の式内四十 三座の神を勧請したという。[能登国式内等旧社記]には「惣社矢田 郷古府村鎮座。称惣社明神或云惣座 宮。往古国府神拝之惣社也」とある。    
●力石
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春祭四月十八日、秋祭十月十八日。
一六三八(寛永十五)年の三番叟図額 三十六歌仙額や一六四一(同十八)年 の絵馬額がある。
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-11-23 17:33 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑨-2能登国分寺跡・・・

能登国分寺跡
◆能登国が越中国から再び分立したのは天平宝字元年(757年)のことです。
●南門・塀
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このように分国や吸収合併をくり返した能登国は、聖武天皇の詔が発せられてから、なんと100年の後にようやく国分寺が創建されたわけです。つまり能登国は当時はかなり困窮していてとても国分寺を新設できるような経済的な余裕がなかったようです。
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そのため既存の大興寺を昇格する形で国分寺としたという訳でしょう。これは、能登国司として赴任した春枝王の采配によるもので、 就任後およそ1年で実現させています。
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しかし、その約40年後の元慶6年(882年)には、嵐によって伽藍のほとんどが倒壊してしまい、その後も五重塔は再建されることがなかったようです。やはり困窮していたということでしょう。
●中門跡
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◆天文元年(1532年)には、能登守護畠山義総が国分寺に米一石を寄進したと記録があるので、この時点でもまだ廃寺にはなっていなかったようですが、天正5年(1577年)に上杉謙信が能登国に攻め込んできて、能登畠山氏の居城七尾城が落城し、その折に国分寺も焼き払われてしまい、廃寺になったようです。
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江戸時代の地図には既にこの位置には何も描かれていないので、再建されることもなかったということになります。
●塔跡
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日本中の各国にある国分寺のなかでも能登国分寺は悲運の寺であったようです。
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◆昭和45年(1970年)より3ヶ年に亘る調査で国分寺の全貌が明らかにされていて、南北208.8m、東西183.9m、ほぼ2町四方の寺域を持つことが判明しています。
●金堂跡
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中軸線に沿って、南大門の48m北に中門、それに連なり東西にのびる築地塀があり中門の北48mの地点の東側に塔、西側に金堂が、心々の距離48mで並ぶ。さらに北30mに講堂が配置され、法起寺式伽藍配置を持っています。
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塔の柱間は1.5mと小さく、三重塔かと思われます。
●講堂跡
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現在は、南門と塀が復元されていて、他の遺構跡もその位置が示されていて、国分寺の全容が伺えるように整備されています。
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実際に現地を見て回るとあまり寺という感じは受けません。というのは国分寺というものはたいていはもう少し台地上の地形に置かれている場合が多いのですが、ここは水田の中にあってしかもやけに低地にあるのは、もともとあった大興寺を転用したからでしょう。
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もう一つ気になるのは塔跡で国分寺にある塔はもう少し大規模な塔である場合が多いのですが、塔台の規模が小さいのであまり大きな塔は作れそうもないのです。まあこれも要するに資金不足の為でしょう。
●北門跡
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ー国史跡 能登国分寺跡ーより
by barakan1 | 2010-11-22 23:27 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑨-1能登国分寺跡・・・

能登国分寺跡(国史跡)   石川県七尾市国分町リ部9
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●能登国分寺跡の概要
能登国分寺(のとこくぶんじ)は、かつて能登国(石川県七尾市国分町)に存在した仏教寺院です。1974年(昭和49年)に能登国分寺跡附建物群跡」として国史跡に指定されています。
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能登国分寺は、かつてこの地方を支配していた能登臣(のとのおみ)の一族が白鳳時代末に建てた大興寺(だいこうじ)を、承和10年(843年)に国分寺として昇格させたものです。
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●能登国分寺公園案内図
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能登国は、養老2年(718年)5月2日に越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して成立していますが、天平13年(741年)12月10日には越中国に併合されています。
●南方倉庫跡より復元南門塀をみる
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実はこの時に聖武天皇が国分寺建立の詔を発布しています。(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-11-20 14:56 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑧白久志山御祖神社(しらくしやまみおやじんじゃ) ・・・

白久志山御祖神社(しらくしやまみおやじんじゃ)  石川県鹿島郡鹿島町小田中
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祭神
久志稲田姫命
大入杵命、菊理姫命
伊弉冉命、伊弉諾命
●境内 拝殿・狛犬・手水舎
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本社は、もと神代社・児玉社・久志稲田姫神社等と呼ばれた郷社の久志伊奈太妓比咩神社(奇稲田姫命を祀る)で、通称モリの宮といわれる。明治41年に小田中の村社能登臣祖神社(大入杵命)・同白山神社(菊理姫命、伊弉冉命、伊弉諾命)を合併して現社名に改称したのである。
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久志伊奈太妓比咩神社は式内社とも伝えるが明らかでない。しかし地方の古社である。また能登臣祖神社は、もと親王社と呼ばれ、小田中の親王塚上に社殿があった。この塚が明治8年に、能登臣の遠祖と言われる大入杵命(崇神天皇の皇子)の御墓だと治定されてから社殿を塚の傍らに移したのである。出土の鏡・勾玉は御神体となっている。次に白山神社は、もと長谷観音と呼ばれたもの。
●拝殿・狛犬
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本社は大正8年に神饌幣帛供進神社に指定された。なお小田中・福田・高畠・小金森・井田(中野)の神社は、鹿西町能登部下の能登部(宮田)家が兼帯してきた。気多神社の平国祭の3月21日の献上の祭は、別名薙俵(投俵)の神事ともいう。
by barakan1 | 2010-11-19 14:34 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑦親王塚古墳(大入杵命墓)・・・

親王塚古墳    石川県鹿島郡鹿島町字小田中
大入杵命墓(おおいりきのみことのはか)  
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概要
畿内型古墳(円状部直径67m、高さ14.5m大型円墳、全長72mの帆立貝形古墳)。三角縁神獣鏡、管玉、鍬形石(呪術的な石製腕輪)が出土。この鏡は、邪馬台国の女王卑弥呼に賜ったという魏国の製品で、ヤマト王権が服属の証に、地方王権に配布したものといわれています。
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この古墳は北陸最大級の大型円墳(近年の研究で帆立貝形古墳と改められた)である。親王塚古墳の名は『平家物語』(巻第七)の中で、「木曽殿は志保の山打ちこえて能登の新王の塚の前に陣をとる」と現れるので、古くからこの地方の人々の間で、“親王塚”として親しまれてきたことがわかる。
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明治8年(1875)、能登国造(くにのみやっこ)の祖、崇神天皇皇子大入杵命(おおいりきねのみこと)墓として陵墓に指定され、宮内庁の管理下にあります。
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※祟神天皇が尾張連(おわりのむらじ)の祖である意富阿麻比賣(おおあま ひめ)を娶って生んだ御子は、大入杵命(おおいりきのみこと)、八坂入日子命(やさかのいりひのみこと)、沼名木入日賣命(ぬなきのいりひめのみこと)、十市入日賣命(とおちのいりひめのみこと)の四柱である。
●陪冢   い号
直径67m、高さ10mの北陸最大級の円墳。鍬形石と三角縁神獣鏡の出土を伝える。
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※亀塚古墳は親王塚古墳のすぐ脇に位置(旧街道の道路を挟んで反対側に位置)し、同じ畿内型。全長61mの前方後方墳であります。単独の陵墓ではなく、大入杵命と近い関係の人物の墓として親王塚古墳と一括されて指定されたもので、宮内庁では大入杵命墓の「陪冢い号」と名付けているということです。
※こんなところに陵墓があるとは思いませんでした。今では想像できませんが、この地域は古くから栄えていて、結構勢力があった地域なのでしょうね!!
by barakan1 | 2010-11-18 18:16 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑥気多大社(けたたいしゃ)・・・

気多大社(けたたいしゃ) 式内社 名神大社  石川県羽咋市寺家町ク1
正面鳥居
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祭神  大己貴命
摂社
 白山神社「菊理姫命」
 若宮神社「事代主命」
 奥宮社「素盞嗚尊、奇稻田姫命」
 揚田神社「加具土命」
 太玉神社「天太玉命」
 菅原神社「菅原道眞」
 奥津島神社「奧津嶋姫命」
 印鑰神社「倉稻魂命」
 大多毘神社「加具土命」
●拝殿への参道(左手水舎 右狛犬  奥神門)
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由緒
能登国唯一の式内大社(名神大社)。
海上守護神として仰がれたようで、同名社で式内社として但馬国気多郡、越中国射水郡、越後国頸城郡(居多神社)、加賀国江沼郡(気多御子神社)、三代実録掲社として越前国、飛騨国(気多若宮神社)が鎮座している。
●神門
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主に日本海を中心に分布した鎮座の姿は当社と無関係ではない。
●拝殿         (左若宮神社「事代主命」      右白山神社「菊理姫命」)
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古い縁起によれば、孝元天皇の時、越中北島の魔王が鳥と化して害をなし、鹿島路湖水に大蛇が出て人々を苦しめた。この時、大己貴命が出雲国より三百余神末社眷属を率いて来臨し、これらを退治してこの南陽の浦に垂迹、天下国家君民守護の神として仰がれたと云う。
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また古くから当社の本宮は富山湾側の七尾市所口に鎮座の気多本宮であると伝えられ、現在も三月には平国祭と称してこの神社への神幸がある。ー神南備にようこそーより抜粋
●摂社 太玉神社「天太玉命」
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●社叢
入らずの森」としての神域で、立ち入りが禁止され奥宮が安置されている。
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3ヘクタールの広さ中にたぶの木をはじめツバキ、シイ、クスノキ、カラタチなどの常緑広葉樹が密生し、樹齢百年をこえる木が林立している。1967年天然記念物に指定。
by barakan1 | 2010-11-17 12:49 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)⑤湍津姫神社・・・

湍津姫神社「タケツヒメ」神社  羽咋市吉崎町イ89
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邑知潟の南側吉崎町に鎮座
御祭神:湍津姫命・道反大神
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由緒
弁財天と仰がれ、建治年間創建と伝えられる。瀬戸の陶器商人が初めて居住し、当時葺草が繁茂していたところから、葺崎と称し、水辺の守護神として、また福徳賦与の神様として尊信を受ける。
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弁財天社と称し、明治に入り湍津姫社とし、後、現社名に改称。昭和20年道反大神を合祀す。飛地境内地住吉社がある。ー石川県神社庁公式サイトより。
by barakan1 | 2010-11-16 13:25 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪2-(2010-10-24)④千里浜・・・

千里浜(なぎさドライブウエー) 
●金沢方向
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●輪島方向
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市内千里浜から志水町今浜にいたる、海岸線幅約50m、長さ約8kmにわたる砂上のドライブウエー。海浜は、一面が砂浜で、粒子の細かい砂が海水を含んで、舗装路面のように固くしまっており、大型バスでも走れる、絶好のドライブコースとなっている。
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波しぶきを上げて豪快に突っ走る醍醐味はまた格別で、能登半島の異色の観光地として、ドライバーたちの人気を集めている。
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万葉歌碑(千里浜レストハウスの裏)
大伴家持
巻17-4025  
志乎(しを)路から直越え来れば羽咋(はくひ)の海朝なぎしたり船梶もがも
(志雄道を真っ直ぐ越えてくると、羽咋の海は朝凪している。船と梶があったらなあ)
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。(この歌、何度も出てきますが・・・)
by barakan1 | 2010-11-15 13:00 | 旅日記