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富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)⑥越中国分寺跡・・・

越中国分寺跡  富山県高岡市伏木一宮1丁目1-44
●案内板
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二上丘陵北部の東側に広がる二段の段丘のうち、低位段丘の北部に位置する。現在は高野山真言宗国分寺(薬師堂と通称)があり、その境内および周辺が越中国分寺跡と考えられ、一帯は県指定史跡。昭和11、41、61年および平成元年に発掘調査が行われた。
●薬師堂北側より
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●薬師堂東側より
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ー案内板より ー
薬師堂境内及び付近の国分堂地内から鐙瓦・唐草宇瓦などが出土している。
現在薬師堂の前庭及び側方には、講堂又は金堂の遺構と思われる土壇が約20米現存し堂の前方20米南東に塔の跡と思われる基壇が共同墓地として残り、堂の正面に西南に向かって国分道が古くから細々と残り国分堂の地域は、堂宇を中心として、約327ヘクタールにも及び堂内には、平安初期の等身大の神将像が残されている。
●薬師堂西側より見る
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堂内には(下記高岡市史より)
文珠菩薩(もんじゅぼさつ)  一尺六寸二分(四九糎)    鎌倉期
地蔵菩薩           三尺五寸四分(一〇七糎)   鎌倉期
毘沙門天(びしゃもんてん)  四尺七寸(一四二糎)     鎌倉期
帝釈天            二尺一寸(六九糎)      弘仁末期
天部像            五尺七寸(一七三糎)     弘仁期
天部像            四尺六寸(一四九糎)     弘仁期
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などが安置されているが、三十三年目のご開帳にしか拝むことは出来ない。
by barakan1 | 2010-10-31 11:43 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)⑤気多(けた)神社・・・

氣多(けた)神社  式内大社   富山県高岡市伏木一ノ宮字大平2063
●気多神社清泉と手水社
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祭神 大己貴命  奴奈加波比売命
相殿 菊理姫命  事代主命
●入口参道・鳥居
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気多神社概要
気多神社の創建には諸説ある1つは養老2年(718)行基がひらいとも、もう1つは天平4年(732)能登国一之宮気多大社の分霊を勧請したのが始まりとも伝えられています。
●境内参道・社叢
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又、能登国が一時、越中国と合併していた時期があり天平元年(757)に再び分立している事から、それを前後して勧請されたとも推定されています。
●社殿前参道石段と狛犬
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延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され当時越中国の式内社の中でも一番上位の格式を持ち越中一宮とされます(現在富山県内では越中一宮を称する神社が気多神社の他、射水神社、高瀬神社、雄山神社があります。)。
●拝殿
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古くから神仏混合し境内には七堂伽藍が整備され壮大だったとされますが寿永2年(1183)に木曽義仲の兵火により焼失、室町時代に別当の慶長寺が再建しましたが天文年間(1532~54)に上杉謙信の兵火により再度焼失しています。
●本殿左右から、拝殿内
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江戸時代に入ると歴代加賀藩主前田家の祈願所となり天保2年(1645)に前田利常により社殿が再建され、慶安3年(1650)には社領が寄進されています。
●大伴神社
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明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、本地仏は旧国分寺跡に建立された薬師堂に移し神社として独立し明治6年には郷社に列しています。
●大伴神社前狛犬
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現在の気多神社本殿は永禄年間(1558~1569)に再建されたと伝えられているもので三間社流造り、柿板葺、1間向拝付き、室町時代に建てられた神社本殿建築として大変貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。ー富山県歴史観光案内所より
●越中国総社跡の伝承地
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※「かたかごの丘」という苔と木々に覆われた場所にある。
by barakan1 | 2010-10-30 16:25 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)④二上山(&立山)・・・

二上山
越中守大伴家持の館は、高岡市伏木にありました。館からはの近くを流れていた射水川(小矢部川)や、二上山がよく見えたことでしょう
◆二上(ふたがみ)山の賦(うた)
大伴家持
巻17-3985 
射水川(いみづがは) い行き廻れる 玉くしげ 二上山は
春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に
出で立ちて 振り放け見れば 神柄(かむから)や そこば貴き
山柄(やまから)や 見が欲しからむ すめ神の 裾廻(すそみ)の山の
澁谿(しぶたに)の 崎の荒磯(ありそ)に 朝凪に 寄する白波
夕凪に 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく 古(いにしへ)ゆ 
今の現在(をつづ)に かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
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大伴家持
巻17-3987 
玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
越中国の歌
巻17-3882 
澁谿(しぶたに)の二上山(ふたかみやま)に鷲ぞ子産(む)といふ翳(さしは)にも君が御為に鷲ぞ子産といふ
二上山より高岡市展望(大伴家持像)
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◆立山(たちやま)の賦(うた)  二上山から見る立山(雪が無いのが残念です)
大伴家持
巻17-4000 
天ざかる 夷に名懸かす 越の中 国内(くぬち)ことごと
山はしも 繁(しじ)にあれども 川はしも 多(さは)にゆけども
すめ神の 領(うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山に
常(とこ)なつに 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の
清き瀬に 朝宵ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや
あり通ひ いや毎年(としのは)に 外(よそ)のみも 振り放け見つつ
万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ
音のみも 名のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね
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大伴家持
巻17-4001 
立山に降り置ける雪を常なつに見れども飽かず神(かむ)ながらならし
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by barakan1 | 2010-10-29 13:30 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)③放生津八幡宮~奈呉の浦・・・

放生津八幡宮・祖霊社  新湊市八幡町 2丁目2番27号
●大伴家持万葉歌碑(八幡宮内)
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大伴家持
巻17-4017 
東風(あゆのかぜ) 甚(いた)く吹くらし奈呉の海人の釣する小舟榜ぎ隠る見ゆ
●神社正面より
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大目(おほきふみひと)秦忌寸八千島
巻17-3956 
奈呉の海人の釣する船は今こそは船棚(ふなだな)打ちて喘(あべ)て榜ぎ出め
祭神   応神天皇 相殿   仁徳天皇
旧社格 県社
●境内 拝殿           手水舎            祖霊舎
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大目秦忌寸八千島
巻17-3989 
奈呉(なご)の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
由緒  創始は天平勝宝年間(749~756年)と伝え、越中守大伴家持が在任中、常に奈呉の浦の景勝を愛せられ、宇佐神宮から勧請し、奈呉八幡宮と称されたのが創始であると言われています。
●拝殿正面より
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町の惣社としての地位は鎌倉時代に同地が守護所所在地となってからと考えられる。
●拝殿と狛犬(※立派な狛犬です)
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大伴家持
巻17-4018 
水門(みなと)風寒く吹くらし奈呉の江に嬬(つま)呼び交し鶴(たづ)多(さは)に鳴く
現在の社殿は大坂城西丸の修復に当たった高瀬輔太郎(たかせ すけたろう)が棟梁となり、文久3年に再建。特殊神事として、10月1日から3日にかけて行われる例大祭で、放生津の地名の由来となった放生会、曳山神事、築山神事がある。
●拝殿内部                       本殿
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大伴家持
巻17-4020 
越の海の信濃の浜をゆき暮らし長き春日(はるひ)も忘れて思へや
神宮寺は境内北側にあった曼陀羅寺と推定されている(文明年間の開山。浄土宗。射水市立町へ移転)。現在の社家は大伴氏。
●祖霊舎  祭神:大伴家持 ●案内板-新湊ゆかりの万葉歌
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田邊史福麿(たのべのふみひとさきまろ)
巻18-4032 
奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む
※拝殿には矢野啓通(やの たかみち)作の大狛犬が安置されています。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奈呉の浦
●神社裏あたりより高岡~氷見方向を見る
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田邊史福麿(たのべのふみひとさきまろ)
巻18-4033 
波立てば奈呉の浦廻(み)に寄る貝の間無き恋にそ年は経にける
●奈呉の浦(富山湾)を見る
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田邊史福麿(たのべのふみひとさきまろ)
巻18-4034 
奈呉の海に潮の早干(ひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今そ鳴くなる
●奈呉の浦大橋より二上山をみる
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大伴家持
巻18-4213 
東風(あゆ)をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひ渡るかも
※八幡宮の真後ろにあたるのですが、埋め立てて新港の建設、道路の整備等で今はその面影はまったくありません。微かなにほいと残照を求めてうろつき探しましたが・・・松の木一本残っていませんでした。
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by barakan1 | 2010-10-28 15:01 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)②早月川(延槻川)・・・

延槻川(はひつきがわ) (早月川)
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何故か大伴家持の越中における歌の中で、この延槻川(早月川)を読んだ歌が印象に残り、探訪の時には是非訪れてみたいと思っていました。
(今回の探訪にあたり、本来の探訪地域からは離れているのですが訪ねました)
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●延槻川(早月川)
大伴家持
巻17-4024
立山の雪し消らしも延槻の河の渡瀬(わたりせ)鐙浸(あぶみつか)すも 
※立山の雪が消えているらしい。だから延槻川の渡り瀬で、水量が増して鐙まで水に浸かるほどだ。
河口付近でしたので本来(多分)早月川が持っている荒々しい野性味を少ししか、感じられませんでしたが・・・。上流にゆけば本来の水量多く、急流で、岩のゴロゴロした河が見られることでしょう。
家持越中巡行推定図(万葉歴史館資料より)
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●片貝川
巻17-4002
片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む
※片貝川の瀬を清らかに 流れ行く水のように 私も絶ず、ここへ通ってこの神々しい立山を仰ぎ見よう。
●婦負河(めひがわ)(神通川) 
巻17-4023
婦負河(めひがわ)の早き瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴の緒は鵜川立ちけり
※売比川の流れの速い瀬ごとに、かがり火をたいて、大勢の官人たちは鵜飼を楽しんでいる。
今回は訪問できなかった、多くの河(大伴家持・万葉歌に読まれた)はいずれ又、機会をみて訪ねたいものです。
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●鵜坂川(うさかがわ)(神通川)
巻17-4022
鵜坂川渡る瀬多みこの吾が馬の足掻(あがき)の水に衣(きぬ)濡れにけり
※鵜坂川を渡るに瀬が多いので、この私の乗るこの馬の足で掻く水で、衣が濡れてしまったよ。
各河を詠った万葉歌のみ掲げておきます。
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●雄神川(をかみがわ)(庄川)
巻17-4021
雄神川紅にほふ少女らし葦付採ると瀬に立たすらし
※雄神川の川面に 紅の色に映えてにおうように美しい。娘たちが葦付を取ろうと 瀬に立っているらしい。
※(写真は延槻川(早月川)のものを掲げておきます)
●饒石川(にぎしかは) (仁岸川)
巻17-4028 
妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占(みなうら)はへてな
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by barakan1 | 2010-10-27 14:00 | 旅日記

富山・石川万葉故地探訪1-(2010-10-23)①巡回ルート・・・

富山・石川万葉故地探訪1
●巡回ルート
自宅出発0:30~魚津IC8:30~早月川(魚津水族館)~放生津八幡宮~奈呉の浦~二上橋~二上山展望台~大伴家持の像~万葉歴史館~気多神社~国分寺跡~勝興寺~寺井の御井~国守館跡~雨晴海岸(渋谿崎)男岩・女岩・義経岩~田子浦藤波神社~布勢神社~十二町潟(布勢水海跡)~阿尾(城ヶ崎遠望)~氷見市内~R415-岩屋から高田氷見線小窪付近にて車中-泊17:30着、540㌔。
●雨晴海岸(旧渋谿崎) 女岩
大伴家持
巻17-3986 
澁谿(しぶたに)の崎の荒磯に寄する波いやしくしくに古思ほゆ
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■地図

by barakan1 | 2010-10-26 13:02 | 旅日記

寝屋川市探訪Ⅰ(2010.10.01)⑩八坂神社・・・終

八坂神社(八坂町) 大阪府寝屋川市八坂町11-13
祭 神:素盞嗚尊、住吉大神
●八坂神社入口・参道
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●ー御 由 緒 「八坂神社略記」より―
当社創建年代は詳らかではないが、伝承によれば第三十五代皇極天皇二年(西暦643年)の頃と伝えられる。
●境内全景
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昔、第十六代仁徳天皇、浪速高津之宮におわせし頃、茨田の堤を築かれたため、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り南流したる水は此の地に滞留し広大なる池となり、人呼んで茨田の池と云う。皇極天皇二年七月、池の水腐敗し口黒く身白き小虫わきて池を覆い、翌八月に入ってその虫死して死骸は水面十糎から十五糎の厚さになりしと云う。その為池の水藍汁の如く変じ魚類死滅、悪疫発生し住民死亡する者多し、ここに於いて里人困窮し播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行う。霊験著しく、日成らずして終息す。
●拝殿正面・本殿
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人々これを忘れざるため、神恩報謝の心を以って其年、廣峯神社の分霊を播州より勧請して池の辺りに小社を建立し、これを祇園社と称え里の守神として斎き奉る。 その後爾来年月を重ね池の水渇き芦原となりしを以って開墾し、数十町歩の農地を生ず処々に五穀豊饒を祈願し豊受姫の命住吉大神を合祀し相殿斎き奉る。
●手水舎・境内社(稲荷社)
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当祇園社は代々茨田の池の茅を持って屋根を葺き、20年毎に葺き代えてきましたが万延元年正月(西暦1860年)時の代官多羅尾民部殿に願い出て永世不朽の瓦葺入母屋造りとなせり。現在の社殿是なり。ー八坂神社HPーより引用
by barakan1 | 2010-10-15 14:08 | 旅日記

寝屋川市探訪Ⅰ(2010.10.01)⑨大杜御祖(おおもりみおや)神社・・・

大杜御祖(おおもりみおや)神社(高宮廃寺跡) 式内社 寝屋川市高宮
祭神:天萬魂命(あめのよろずのたまのみこと)
●旧170号線より神社への道
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●参道の脇の高宮廃寺から出土した軒丸瓦をモチーフにした石碑と神社への道
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『延喜式』神名帳に載る古社であり、地元では「奥の宮」といる呼ばれている。大杜御祖神社の呼び名も『延喜式』神名帳の古写本である金剛寺本には「高宮太神祖神社」、九条家本には「高宮太社祖神社」とあり、一定していない。近世に入ってからは『河内志』や『河内名所図会』などには「高宮大杜祖神社」と記されるようになった。
●参道に立つ大鳥居と神社社叢(右手大樹の向こう側・高宮遺跡)
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●高宮遺跡(配置図)
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『河内名所図会』には祭神の天萬魂命(あめのよろずのたまのみこと)は「土地の産土神」として紹介されており、江戸時代には五穀豊穣を願い「牛頭天王」も併せ祀られていた。
◆高宮廃寺伽藍配置想像図
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◆高宮廃寺付近図・伽藍配置
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現在、大杜御祖神社が建っている場所は、飛鳥時代の終わり(白鳳時代)に建てられたと見られる「高宮廃寺跡」で、
●大杜御祖(おおもりみおや)神社拝殿(西より)
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●東より
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この高宮廃寺を継承した真言宗玉松寺が大杜御祖神社と高宮神社の神宮寺として明治初年まで存在したが、廃仏毀釈のあおりで廃寺となっている。この寺号が廃寺の寺号であったとも言われている。
●拝殿正面より
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●正面より(左側・中央・右側)より本殿を見る
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祭神の天萬魂命はここより約300m北西にある高宮神社の祭神天剛風命(あめのこかぜのみこと)の父親。現在この社殿がある場所は飛鳥時代末(白鳳時代)から平安時代にかけて栄えた高宮寺の西塔が在った場所であると推定されている。
※立派な社叢と歴史を感じさせる雰囲気。少し市街地から丘陵地に入っているためか、余り手は掛けられていないようにみえる。  (*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-10-13 21:11 | 旅日記

寝屋川市探訪Ⅰ(2010.10.01)⑧高宮神社・・・

高宮神社  式内社   寝屋川市高宮2丁目11-23
祭神:天剛風命(あめのこかぜのみこと)
●旧170号線より神社を見る
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当社は元河内国讃良郡18ヶ村の総社で、『延喜式』神名帳にのる「高宮神社大、月次新嘗」とされ、讃良郡唯一の大社であり、江戸時代には「一の宮」と呼ばれていた。
●神社案内板
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寝屋川市内には「延喜式内社」は3社あるがそのうちの1社大杜御祖神社(おおもりみおやじんじゃ)が同じ高宮地区にあり、両社は親子関係にあるという、このような類例は稀有のものとのことであり、大杜御祖神社が「奥宮」と呼ばれるに対し、高宮神社は「子宮」とも呼ばれる。
●参道、手水舎、正面鳥居
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現在の寺域は周りは住宅に囲まれており、境内も狭く、参道らしきものはない。そのたたずまいから大社であるということは想像も出来ないが、『新抄格勅符抄』によれば、806年(大同元年)の牒に、「高宮神 一戸 河内国同年奉レ充」とあり、文書の前後から同年は「神護景雲4年(770年)」に充てられ、その起源は奈良時代の中葉まで、さかのぼることが出来る。
●拝殿・本殿
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『三代実録』には859年(貞観元年)従5位下から従5位上に進階していることが記されいる。
また、この高宮神社と大杜御祖神社の神宮寺として玉松寺があったが、明治初年に廃寺となっている。  ー大阪再発見ーより引用
●参道(東→西)に向かって
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※高宮神社
祭神は「天剛風命(あめのこかぜのみこと)」で、この神は、平安時代に著された「先代旧事本紀」*には高宮神主たちの祖先として大杜御祖神社の祭神「天萬魂命(あめのよろずたまのみこと)」の児として見える。
もとは若宮神社とも言われていたのは、祭神が「天萬魂命」の子であったところから呼び名による。
by barakan1 | 2010-10-12 15:38 | 旅日記

寝屋川市探訪Ⅰ(2010.10.01)⑦熱田神社(大明神)・・・

熱田神社(太秦中町)  寝屋川市秦字神楽田
祭神  日本武尊
由緒
●神社西にある太秦寺・地蔵尊
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字太秦に鎮座する。西の方の近くに熱田神社のお旅所、もう少し行くと川勝太秦寺がある。
寝屋川の上流では秦と太秦の住民同士で水争いがあったそうである。 太秦では綿の栽培が行われており、豊作祈願のために餅花を作った。柳の枝に餅を付けたもので、当然先になるほど小さい餅を付けた。
●熱田神社御旅所(あつたじんじゃおたびしょ)
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御旅所は何故か大神宮と呼ばれている。
◆熱田神社(大明神)
●入口付近
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「熱田神社境内からは、昔から古瓦が出土し、礎石(そせき)に使用されたとみられる巨石が多く認められ、付近一帯が古代の寺院跡であることが知られており、太秦廃寺跡とよばれています。
●鳥居、手水舎、案内板
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出土した重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)・唐草文軒平瓦(からくさもんのきひらがわら)は、奈良時代後期から平安時代前期に属するものです。
●境内・拝殿
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太秦廃寺跡の実体については不明な点が多くありますが、『広隆寺末寺別院記』に記載されている「河内秦寺」にあてる説もあります。秦(はだ)・太秦(うずまさ)の地は、市域でも早くから人々が足跡を残した地域の一つであり、約1800年前の弥生時代には、丘の上に全国的にも有名な高地性集落が営まれていました。
●拝殿・本殿
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その後形成された古墳群(太秦古墳群)は、わが国の古代史に多大な影響を及ぼした秦氏(はたし)の人々の墓と考えられています。昭和37年(1962)には神社東の山の土取り工事中に全国でも珍しい牝鹿の埴輪(頭部)が出土しました。」
●左側に摂社    天忍穂耳命神社・若宮社
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※大阪府内の神社で、日本武尊を祭神とするのは、堺市鳳の大鳥神社、羽曳野市古市の白鳥神社、寝屋川市太秦の熱田神社と、松原市別所の同社のわずか四社にすぎません。
拝殿の裏山に登りましたが北側はは完全に絶壁のようになっており、ここが古墳であったことが想像できます。遺跡異物の一部でも見れたら良いのになぁ。
by barakan1 | 2010-10-11 12:32 | 旅日記