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淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(29)岩屋八幡神社・・・

岩屋八幡神社   淡路市岩屋799
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応神天皇を主神として、仲哀天皇と神功皇后を合祀している神社。
由諸不明。
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楠正成が湊川で討ち死にした時に淡路に落ち延びた片山養軒が、所持していたご神体を奉祀したという言い伝えが残ります。
by barakan1 | 2010-06-30 17:45 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(28)松帆の浦・・・

松帆の浦
●江崎灯台付近(から名寸隅の船瀬を望む)
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松帆の浦
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播磨国印南野(いなみぬ)に幸(いでま)せる時、
笠朝臣金村
巻06-0935 
名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に
朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ
海未通女(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 由のなければ
大夫(ますらを)の 心は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
徘徊(たもとほ)り 吾(あれ)はそ恋ふる 船楫(ふねかぢ)を無み

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●明石海峡大橋
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藤原定家
新勅撰集
来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎにやくやも塩の身もこがれつつ
源景昌
金葉集
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚ぬ須磨の関守
by barakan1 | 2010-06-29 20:49 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(27)平林貴船神社・・・

貴船神社遺跡
ここ大川公園一帯は、弥生時代から古代にかけて塩づくりを行っていた貴船神社遺跡が存在していました。兵庫県では、はじめての石敷炉が確認された遺跡であり、塩づくりの過程が推測できる貴重な遺跡です。播磨灘に面した海岸部に立地しており、明石市から西播磨の海岸はもとより瀬戸内海に浮かぶ家島諸島・小豆島や四国まで遠望できます。塩作りの遺跡は弥生時代末から奈良時代にかけて長期間にわたって継続しています。
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塩作りには、濃縮した海水を作る工程とその塩水を煮詰めて塩を取り出す2つの工程があります。そのはじめの工程には「万葉集」に見られる「藻塩焼き」をあてる考えがありますが、今回は明らかにできませんでした。調査で明らかになったのは塩を取り出す工程です。濃縮した塩水を製塩土器にいれ、石敷きの炉に並べて煮詰め塩を取り出す作業を行っており、炉跡が22基以上確認されています。そのうち19基は古墳時代末から奈良時代で、大阪湾沿岸では塩作りが衰退する時期にあたります。
また、塩づくりに携わった古代人は万葉集や日本書紀にみられる野島海人と考えられます。貴船神社遺跡で最も盛んに塩づくりをした時期が野島海人の活躍したことと関係あるかもしれません。
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出土遺物は多量の製塩土器の須恵器・土師器・弥生土器・新羅陶器・黒色土器・石器・鉄器・銅製帯金具があります。最も古い時期の遺物は弥生時代中期末(約1800年前)の壷があります。製塩土器は、弥生時代末から出土しています。これから遺跡が廃絶する奈良時代まで製塩土器が含まれています。製塩土器が多いのは古墳時代末から奈良時代で、この時期が貴船神社遺跡の塩作りの中心と思われます。
万葉集 
山部宿禰赤人
巻06-0933
天地の 遠きが如く 日月(ひつき)の 長きが如く
押し照る 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし
御食(みけ)つ国 日々の御調(みつき)と 淡路の 野島の海人の
海(わた)の底 沖つ海石(いくり)に 鮑玉(あはびたま) 多(さは)に潜(かづ)き出
船並(な)めて 仕へ奉(まつ)るが 尊き見れば

●平林神社前の海
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反し歌一首
巻06-0934 
朝凪に楫の音(と)聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし
野島海人が使ったと思われる遺物に鉄製釣針・タコ壷・船形土製品があります。海との繋がりを示すものとして興味深い資料です。その他注目される遺物として新羅陶器があります。朝鮮半島から遠く運ばれてきた土器で、野島海人と海との関係の深さを示すものです。把手にヘラで描かれた顔が大変ユーモラスです。
北淡町教育委員会  写真資料提供 兵庫県教育委員会

平林貴船神社縁起  兵庫県淡路市野島平林206番
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◇寄神の由来
当社は昔から通称寄神様と呼ばれて来たが祭神は貴船神である。ところが貴船神とは実はクラオカミの神タカオカミの神である。
寄神神社は一国に一社祭られたものでしかも国の北から北東の位置に鎮座したものである古来10月は全国に神々が出雲の国に集まるので神無月と呼ばれた(ただし出雲では神有月と言っている)すなわち神々が出雲に旅立つ時も帰着する時もひとまずこの社に神集いしたことから寄神所の名稲が出たもので当神社は淡路一国の寄神所に当るのである。また貴船の神は祈?止雨の神でもあり全を司る神でもある。
◇当社の勧請祭祀
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昔は両部神道が盛んであった。当社の祭神は宝永2年??(273年前)西暦1706年に現在の京都左京区鞍馬貴船町貴船神社(平安京の真北)から文霊勧請してこの地に祭祀して今に至っている。
その間それより79年後すなわち天明2年に大日照りが続き特に淡路は阿波藩の重い年貢の取り立てに悩まされた時当社の神に於て両請祈祷の法を修したところ功顕にわかに現れて降雨に恵まれこの地方一帯飢饉をまぬがれたと伝えられている。ところが永年の風霜雨露のため社殿の損傷著しく郷内相寄相計りて社殿一切を改築再建して新に村内安全五穀豊穣を祈願する次第である。
◇当社の祭典
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旧暦の8月16日に神々をお迎えする事から始まり当日は郷内相寄り神社境内に於て魔避の弓矢16本を真北に向け打ち当地を清め後に相撲16番を取りダンヂリと酒盛りの各行事を行い神をたたえ今も盛んである。
干時昭和54年10月吉祥日 平林貴船神社氏子中
by barakan1 | 2010-06-28 15:13 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(26)野島八幡神社・・・

野島八幡神社   津名郡北淡町野島
●海岸方向から神社を見る
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祭神  品陀和気命(応神天皇)
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◆仮社殿の建設について
平成7年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災の震源上にある当神社は、未曾有の激震で本殿以下全てが倒壊する惨状であったが、御神愛は御安泰に座し、緊急に唯一残存の神輿庫を仮殿として、ご神威を畏みつつ御奉案申し上げた。
●境内全景(手水舎・狛犬・拝殿)
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神社本庁傘下の神道政治連盟千葉県本部及び神道青年会の救援隊、天理教ひのきしん隊などの支援により倒壊社殿を撤去整地するとともに、
●拝殿
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姫路総社射槍兵主神社より仮本殿として三ツ山大祭門上殿の譲与、伊勢の神宮から式年遷宮御古材の御下賜、神社本庁より義損金(最高額の支援を受けて、
●拝殿                             ●御神前
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[#IMAGE|祭祀殿修のためにこの仮社殿(本殿覆殿・幣殿・拝殿・手水舎)を建設して、御神霊を奉斎し氏子全戸の安寧と将来の再興を願うこととした。
●境内社(若宮大明神、    白髭大神・貴船大神、 豊受大明神)
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ここに関係各位に感謝し、氏子地域の早期復興と伝統ある祭礼の継承を誓って、報告とする。平成9年11月吉日   野島八幡神社     ー境内説明書ー
◇野島豊島港から見た海岸(名寸隅の船瀬)方向を見る
万葉歌 柿本人麻呂
巻03-0251 
淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
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by barakan1 | 2010-06-27 15:47 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(25)野島断層保存館・・・

野島断層保存館(北淡町震災記念公園)   兵庫県淡路市小倉177
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島の北、明石海峡下の地下を震源とするマグニチュード7.2の直下型地震が発生した。
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この兵庫県南部地震は、六甲山地・淡路島と大阪湾を分ける六甲ー淡路断層系に属する活断層の一部が再活動したものである。。この地震で、北淡町江崎から野島に至る、淡路島北西部の海岸沿いにあらわれたのが延長10kmに及ぶ野島断層である。
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野島断層の南端部に近い小倉地区では、断層崖や断層による生垣や畑のあぜ道の食い違いなど様々な断層変位地形が現れた。この断層を、そのまま保存・展示したのが北淡町震災記念公園内の『野島断層保存館』である。
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長さ140mに及ぶ断層をかまぼこ型の建物で覆った断層保存ゾーンが中心。解説がいろいろと工夫され、分かりやすく展示されている。
by barakan1 | 2010-06-26 15:51 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(24)枯木神社・・・

枯木神社   淡路市尾崎久留麻243-3
●31号線沿い社殿すぐ後方は海です。
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香木伝来の伝説が伝わる神社。
香木が初めて登場するのは日本書紀。推古天皇3年(595年)夏4月、沈水淡路島に漂えり・・・と記されています。推古天皇の時代に、この海岸に流れ着いた木片を何気なく住民が燃やしたところ、芳しい香りが漂ったので、慌てて火の中から引き上げ皇室に献上したと言われています。法隆寺の観音像はこの香木から彫り出されたものだと伝えられています。
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【法隆寺の夢殿観音は、聖徳太子がこのような淡路に流れついた香木から観音像を削りだし、夢殿を作って祭ったものである。この観音像を掘り出した際にでた木片をたいて観音像に捧げたことから、香道が始ったとされている】
香木(沈香木)は今も大切に、枯木神社のご神体として祀られています。
●「子宝石」
お堂の裏の本当の海岸線に立つ石碑には「海神社」と書かれています。
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その横にあるこの三角形の石は「子宝石」と呼ばれます昔には「潮浴び神事」というものがあり丑の日の祭礼の宵宮の夜に女性たちが潮浴びをした後この石に跨って子宝を望んだり病を防ぐ祈願をしたといいます。この石は一日を通じてぬくもりが抜けないのだそうです。他にもこの近くには「香合(交合)石」や「夫婦岩」「船石」「俵石」などの信仰の対象としての石が数多く散在しています
●枯木神社後方の海岸
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この浜辺に流れ着いたのが「沈香」でした
by barakan1 | 2010-06-25 19:21 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(23)尾崎八幡神社・・・

尾崎八幡神社  淡路市尾崎
●神社正面
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御祭神  品陀和気命 
●神社境内
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由諸不明
ここも前の大震災で倒壊し、復興に至るまで11年かかったそうです。
●拝殿・狛犬
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●手水舎・お祭り屋台・拝殿
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●五社殿、蛭子神社、住吉神社、楠木神社
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by barakan1 | 2010-06-22 19:22 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(22)濱神社(伊弊諾神宮摂社)・・・

濱神社(伊弊諾神宮摂社) 淡路市群家169番地
御祭神 伊弉諾大神 伊弉冉大神
●正面鳥居
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由諸
伊弊諾神宮の摂社で(浜の宮)とも呼ばれ、本宮の神幸式には豪華な神輿が壇尻を従えて渡御し、当社の礼祭に併せて御旅所を済行する。拝殿前に神輿を据えて双方同時の祭儀があり、両神の中央で淡路神楽を奉奏するという特殊人事を伝えている。
●拝殿                                          ●本殿
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鎮座地は、神代の昔に筑紫方面から、ふるさと淡路島に帰還された伊弉諾大神が、上陸された胡地で、後に多賀の地に「幽宮」(終焉の御住居)を構えて閑居されるまでの居所ど伝える。神輿が当濱より参向する正面の参道は、その日の日没の方位に向いており、日之少宮(ひのわかみや)と称える伊弉諾大神の西日(いりひ)の神格に因んでいる。
●境内社                   ●陰陽石                  ●由諸書石碑
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群家之地名は、律令時代に郡衙(地方の役所)がお彼立ちの意で、当時の郡司と縁故の神社であることが伺える。平成7年の阪神・淡路大震災では、本殿が半壊、拝殿幣殿以下が全壊という未曾有の災禍を被ったが、平成13年から伊勢神宮御下賜材による拝殿再建などの整備を行った。
by barakan1 | 2010-06-21 16:44 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(21)伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)・・・

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)  式内社   兵庫県淡路市多賀740
●神宮正面一の鳥居
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主祭神 伊弉諾大神 配祀神 伊弉冉大神
●二の鳥居                            ・神橋とおく神門
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◆御由緒

◇我が国最古の歴史書たる、古事記・日本書紀に御祭神二柱の大神は、高天原の神々の理想実現のため天沼矛をもって日本の国土開拓に着手された。その最初が淡路の島で、先づ八尋殿と言う御殿を建て、其処で正しい夫婦の道をお定めになり、人々に教育を施し、産業を興して此の島をお治めになった。
●神門
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更に四国・九州・本州を始め周辺の島を次々と開拓されたのである。此の神業が国生みであり、大神を国生みの神と申し上げるのもその故である。
●境内・拝殿
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大神は多くの神々もお生みになったが、その中で一番貴い御子神が天照大御神である。国生の大業を了えられた大神は、此の御子神に後の国治めの大任をお委せになり、独り国生みの初めの淡路へお帰りになって、此の多賀の地で余生を過され
●拝殿・狛犬
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やがて御住居の跡が御陵となり、いつしか神社として祀られる様になったのが当神宮で、古事記には淡路の多賀になも坐す、日本書紀には幽宮を淡路の洲に構り、と御鎮座の起源を明かにしている、即ち日本最古のお社である。
 (平成祭データ)

◇古事記(伊勢本)には 
●社殿全景(東側より)
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「故、其伊邪那岐大御神者、坐淡路之多賀也」
(かれ その いざなぎのおほみかみは あはち゛のたがにますなり)
日本書紀には「伊弉諾尊神功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者矣」(いざなぎのみことかむことすでにおへたまひてあつしれたまふここをもちて かくりみやを あはち゛のくににつくりしづかにながくかくれましき)
●社殿西側(祓殿・渡廊・幣殿・本殿)
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と、古典に當神宮の創祀を記してゐる。
淡路島神、多賀明神、津名大明神、一宮皇大神などとも別称され、地元では「いっくさん」と尊称されてゐる。ー九州神社紀行ーより

◇-『神社辞典』-
伊弉諾神官(神社)兵庫県津名郡一宮町多賀。  旧官幣大社。伊弉諾命・伊弉冊命を祀る。伊弉諾命が淡路島を生み、群神を生み終えて幽宮を淡路之洲に営んだのが、当社の始まりという。従って、古来、淡路島神とか津名郡に坐すので津名神、また鎮座地が多賀というところから、多賀明神、多賀宮、あるいは島神などとも称された。
●境内社殿を左側より見る)
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履中天皇が、狩をされた時、罪人が随行したので、伊弉諾大神は、祝に託して血臭に堪えないと告げられたといわれ、また允恭天皇が狩をされた時に、獲物がなく、占うと、赤石の海底に真珠というものがあるので、それを取って祭りをすると獣をとることができようという御教があり、その通りにすると獲物が多かったとも伝えられている。
●境内社(淡路祖霊社 ・岩楠神社)
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平城天皇の大同元年(八0六)には神封一三戸が充てられた。清和天皇の貞観元年(八五九)には、無品勲八等伊佐奈岐命に神位一品が授けられ、延喜の制では、名神大社に列せられた。平安時代末期より、淡路国の一の宮となり、一宮大神とも称せられるようになった。
●境内社(根神社・竈門神社、鹿島神社・住吉神社、左右神社)
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明治に至り、四年に国幣中社、同一八年官幣大社に列した。昭和七年に伊弉冊命を合祀、同二九年、伊弉諾神社と称していたのを、現社名の伊弉諾神宮と改称した。例祭四月二二日。特殊神事として正月一五日には粥占祭、六月一日の御田植祭、七月半ば頃には除虫祭等が行われる。
ー玄松子の記録ーより抜粋
◆境内案内図
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by barakan1 | 2010-06-20 11:16 | 旅日記

枚方市(御殿山神社~渚の院跡)探訪③渚の院跡・・・終

渚の院跡   枚方市渚元町
●西雲寺より渚の院跡 方向を見る
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都に近く、起伏に富んだ交野台地や香里丘陵、天の川・淀川左岸の低湿地一帯は古代から「交野ヶ原」と称され、鳥や獣が多く棲む絶好の狩猟地として著名な地域でした。
奈良時代末から平安時代初期には、光仁・桓武両天皇はたびたび交野ヶ原に行幸し、渡来系貴族の百済王らの奏でる楽を楽しまれました。風光明媚なこの地を訪れた天皇や貴族は、桜の花を愛で、歌を詠まれ、多くの優れた文学作品を残しています。
●院跡より、御殿山をみる                ●渚の院跡
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渚院
なかでも惟喬親王と在原業平の交遊の場となった「渚院」は古今和歌集や伊勢物語にかかれて都の貴族のあこがれの地となっていました。
●院跡碑・掲示板
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文徳天皇の第一皇子であった惟喬親王(847~97)は第四皇子の惟仁親王(後の清和天皇)との立太子争いに敗れ、失意の中で山崎の水無瀬や交野の渚に別荘を営み在原業平や紀有常らとともに遊猟や作歌・饗宴に憂さを晴らしたといわれています。
●「伊勢物語」(八十二段)には
親王が業平らを伴って水無瀬から渚院にやってきて、鷹狩りもせずに酒を飲み和歌を作ることに熱中している様子を描いています。
●歌碑
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渚院に咲いている桜が、格別におもむき深いので、その木の下で枝を折って冠にかざして身分の上下を問わず和歌を作りました。
在原業平、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と詠み
紀有常
散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久かるべき
と受けました。
●交野ヶ原の桜
「伊勢物語」の渚院での桜を巡る歌と物語は「古今和歌集」に収載され、交野ヶ原、渚院、桜花は一体のものとして平安貴族の脳裏に焼き付きました。
●渚の院(御殿山神社絵馬              ●渚の院(河内名所会図)
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更に「新古今和歌集」には藤原俊成の名歌、
またやみむ交野のみ野のさくらがり 花の雪散る春のあけぼの
と見事な落花の歌を詠んでいます。
  ーふるさと枚方発見ーより
●廃渚院観音寺鐘楼・梵鐘(渚元町9-23)
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平安時代に惟喬親王の別荘であった渚院の跡に建てられたとされる観音寺は、明治3年廃寺となりましたが、鐘楼と梵鐘が残っています。鐘楼は方1間吹き放ちで、棟木に残る棟札から寛政8年(1796)に建立されたことが知られます。梵鐘は河内惣官鋳物師枚方田中家の作で、鐘楼と同じく寛政8年の鋳造です。田中家鋳造の梵鐘としては、市内に残る唯一のものです。平成8年有形文化財に指定。

a0016431_143573.gif※※惟喬親王(844~897文徳天皇の皇子 惟仁親王と皇位継承争いに巻き込まれて 一度は天皇になれるところまできていたのだけれど 藤原氏の権勢の前であえなくポシャってしまう)が 失意の中で 枚片野(現在の枚方・交野)に在原業平(右馬頭)たちと遊んだ時 別荘に使ったというのが渚の院(渚院)といわれています
by barakan1 | 2010-06-18 14:43 | 旅日記