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淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑩淳仁天皇御母山背 淡路墓(当麻夫人の墓)・・・

淳仁天皇御母山背 淡路墓(当麻夫人の墓)    南あわじ市筒井
●御墓遠望(南→北)
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御墓は天皇の森より南約800メートル、賀集鍛冶屋と北阿万筒井との境にある遠景の小丘である。延喜式巻二十一諸陵に曰く、淡路墓当麻氏在淡路国三原郡兆域東西二町南北二町守戸正丁五人とある。また、当麻氏名は山背(やましろ)という。上総守五位上の女にして、淳仁帝の母である。
●御墓近景(南→北)
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天平宝字八年淳仁帝と共に淡路に配され、光仁天皇宝亀九年(778)三月勅して、当麻氏の墓を御墓と称せしめた。御墓は昔から地元で「馬目の森」とも呼ばれている。
●拝所入口・石段
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※御墓は田畑の真ん中に森の如くあり、細い農道を辿っていくと到達する。拝所は淳仁天皇陵同様南に面しており、拝所には階段で登るという形になっている。
◆当麻山背【たいまのやましろ】
●拝所
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奈良時代の皇親。舎人親王の妻で,大炊王(オオイノオオキミ・のちの淳仁天皇)の母。父は上総守従五位上当麻老。天平宝字2(758)年,淳仁天皇の即位に伴い正五位上から正三位に昇り、翌年、舎人親王が「崇道尽敬皇帝」の号を贈られると、「大夫人」の尊称を賜った。
●拝所入口から見た前景(南側風景)
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その後の消息は明らかではないが、宝亀9(778)年3月その墓を御墓と称し,随近百姓1戸をあてて守らせることとした。
by barakan1 | 2010-05-31 13:00 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑨淳仁(じゅんにん)天皇陵・・・

淳仁(じゅんにん)天皇陵     南あわじ市賀集
●遠景(北から)
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我が国の天皇百二十五代の中で、廃帝と呼ばれる帝は淳仁天皇おひとりである。
天武天皇の子で日本書紀の編者として知られる舎人親王の第七子大炊王(オオイノオオキミ)。当時の最高実力者藤原仲麻呂と親しく、仲麻呂の長男真依(マヨリ)の未亡人粟田諸姉(アワタノモロネ)を妻とする。仲麻呂は叔母である光明皇后に可愛がられ、一方で女帝であった孝謙天皇にも寵愛された。当時は光明皇后付きの役所紫微中台の長官として、左大臣の橘諸兄、右大臣で実兄の藤原豊成をも凌ぐ権勢を誇った。
●拝所(南から)
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大炊王の青春時代はこの仲麻呂と共にあり、仲麻呂邸の田村第で妻と共に起居していたらしい。仲麻呂の推挙で天平宝字元年(757)孝謙天皇の皇太子となり、翌年即位する。しかし天皇として輝いていたのは、ほんの数年であった。孝謙上皇が道鏡と親密になると、次第に仲麻呂は疎んじられ、上皇と仲麻呂、そしてそれにつながる天皇の間には冷たい溝が広がるようになる。
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天平宝字六年(762)天皇は孝謙上皇に道鏡の件で諫言したところ、逆に上皇の怒りを買い決定的に不仲になる。2年後さらに仲麻呂も失脚して乱を起こし敗死してしまう。後ろ盾を失った天皇は、帝位を剥奪され淡路に幽閉される。天平宝字八年(764)のことであった。その翌年の天平神護元年(765)に、幽閉先から逃亡を図り、捕らえられて翌日変死。三十三才の若さであった。以後、淡路廃帝、淡路公などと称されていたが、やっと明治になって第四十七代淳仁天皇と諡号が追贈された。
by barakan1 | 2010-05-30 13:15 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑧神代八幡神社・・・

神代八幡神社   兵庫県 南あわじ市 神代地頭方 630
祭神 応神天皇
●神社正面より
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境内社
内玉垣神殿の右 高良神社 祭神 武内宿禰
         左 松浦神社 祭神 中筒男命
     境内の東 若宮神社 祭神 仲哀天皇
         西 厳島神社 祭神 市杵姫命
●随神門
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由緒
三原町神代地頭方字宮鎮座神代八幡神社 (由来碑より)
当社の祭神は応神天皇またの御名を誉田別命、相殿に息長足姫命比賣命を奉祀しており、創立年代は不詳なれども往古より東神代八幡宮とも雨宮とも称せられ氏子区域は地頭方、国衙、富田、喜来、黒道、井内の一部にして東神代とは中島、飯山あたりを西神代というに対して此辺を東神代と称せられたのである。
●境内・拝殿
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古へ、鎌倉幕府前後に淡路の地頭職木村に居館して当社への崇敬篤く、社領田文書器物等寄進多かりしも中古兵乱により、別当神宮寺は廃寺となり、前記の文書器物等は焼失散逸した。慶長五年池田輝政公播磨より当国兼領となり、寛永四年社領田弐反七畝十二歩石高壱石三斗九升八合を寄進せらる。
社殿は天保十三年、本殿を同十四年、拝殿を嘉永五年十月、幣殿を再建、文久二年には社務所を再建、明治三年徳島藩東民生掛かりより金千疋を寄進せらる。
●拝殿(両側に境内社)
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明治時代となり神仏分離し、別当神代寺は当社を離れ、初代神職は井上英夫が奉仕し、明治六年村社に列せられ、神代八幡神社として社殿の敷地及び境内池は国有地として登記され、明治四十五年神餞幣帛料供進指定神社となる。
●境内社
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昭和二十八年には宗教法人八幡神社として登記し新発足す。昭和四十年九月十日未曾有の台風が襲来し、旧本殿幣殿拝殿がその直撃を受けて一瞬のうちに倒壊する事態が起こりしも、幸いにして御神体は無事御遷座申し上げ、復興に着手し氏子各位の赤誠による寄付金にて再建に取り掛かり、同四十三年三月荘厳に復興しえたことは、御神徳の致すところは勿論なれども各位のご協力の賜ものと厚く感謝しており、
●境内社
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また此の度は神輿庫の新築及び社務所の改修にあたり氏子各位の赤誠の発露により多くの浄財が集まり見事に竣工致せし事之赤誠に感激の至りにて感謝する次第なり
昭和五十一年三月十四日    宮司  大内吉彦
by barakan1 | 2010-05-29 20:08 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑦事代主(ことしろぬし)神社・・・

事代主神社    兵庫県南あわじ市市市37
●正面鳥居(南向き)
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a0016431_1040423.jpg●手水舎・社号標

祭神 
事代主大神  聖徳太子
境内七社
賽神社、荒神社、天満社、厳島社、石神社、金毘羅社、出雲社
由緒
市戎社の起源は定かではないが、文明十八年(1486)以前の創建といわれております。旧拝殿は享保三年(1718)八月九日寄せ棟瓦葺で約三百年の風雪に耐えてきました。
平成七年一月十七日の阪神、淡路大震災により、社殿が傾き、倒壊の恐れがあり、神社役員会で検討の結果、拝殿及び幣殿を再建することにしました。
●鳥居・拝殿
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その経費は積年の蓄財と左記の寄付金により、閉栓十二年十一月二十六日竣工することができました。
なお、本殿には聖徳太子自作の舟板で作られた版木が秘蔵されております。
ー以下略ー
※市のえべっさん(市戎神社)の愛称で親しまれる神社です。
※その名から,このあたりに国府の市があったと考えられている.
※近くに、天皇の森、野辺の宮、丘の松等、淳仁天皇関連の旧跡があるようなのですが、今回は分かりませんでした。次回調査の上再訪するつもりです。
by barakan1 | 2010-05-28 10:46 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑥府中八幡神社・・・

府中八幡神社  南あわじ市榎並(えなみ)小榎並161
●正面楼門(南向き)と社号標
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由緒
祭神  応神天皇
人皇42代文武天皇大宝年間国府を置きたる地にして、国府所在地の氏神として人皇43代元明天皇の和同3年霜月十日国府八幡として鎮座、一名府中八幡とも称す。
●拝殿・狛犬
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慶長二年9月本殿を再興し、寛永四年社領一石二斗二合を領主より寄進せらる。
同年神門を改築、さらに対象の終期、神門を改築。拝殿は寛永六年再興され、文化○年修理。拝殿は明治十三年、明治四十年、昭和四十四年屋根葺き替えをなす。
●本殿・御神前
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本社境内表口二十二間、裏行三十五間、二反七畝余、明治六年2月村社に加列す。
氏子は小榎列、大榎列、西川、立石、新座にして約五百戸を数う。
●境内(本殿・拝殿・楼門・土俵)
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例祭は◯年一月四日、十月四日、3月三十日におこなう。
昭和四十四年十月
●境内社
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※この神社の狛犬は中々迫力のある顔をしています。それに古そうです。
※毎年9月にささらを持って踊る「ささら踊り」で有名な神社である。
※楼門前に長い参道(馬場)があります。
by barakan1 | 2010-05-27 11:15 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)⑤笑原(やはら)神社・・・

笑原(やはら)神社  式内社  兵庫県南あわじ市八木徳野59-1
●神社遠景
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御祭神  素盞嗚尊
創祀年代は不詳。
●神社鳥居
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淡路島の南あわじ市(旧三原町)にある。(平成十五年の合併で、三原町が南あわじ市となり、八木笶原徳野という町名は、八木徳野になってしまった。歴史が消えた瞬間だ。)
笶原徳野には、笶原神社が二社存在し、当社が西宮、もうひとつが東宮。
●境内
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『淡路国大田文』に「笶原宮一所」と記されているらしく、現在は、東西の二社だが、鎌倉時代までは一社だったようだ。この笶原神社が、いつ頃東西に分かれたものか。どちらが先に存在していたか。どちらが式内社であるのか。
●拝殿・狛犬
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『式内社調査報告』によると、
『淡路常磐草』には、「東宮明神といふ。西宮に対して云也」、『淡路草』に、「野原神社二社あり。小き方(西宮のこと)を正とす。」とあり、西宮を元社とする説が幾つかあるらしい。
●拝殿・御神前・本殿
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『八木村誌』によると、
明治六年に、東宮が村社の指定を受けた頃、西宮は東宮に合祀されたとか、されていないとか。
●境内社(金比羅神社               若宮神社・対馬神社) 
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   ー玄松子の記憶ーより抜粋
※探訪時は桜の散ったあとでしたが、満開時でしたらどれ程綺麗でしたでしょう!
by barakan1 | 2010-05-26 12:23 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)④淡路国分寺(あわじこくぶんじ)・・・

淡路国分寺(あわじこくぶんじ)  兵庫県南あわじ市八木国分331
●国分寺遠景(西から)
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淡路国分寺は三原平野のほぼ中央に位置する律宗の寺で、かつての淡路国分寺跡である。
●南から(手前駐車場、その奥本堂、その右側大日堂)
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塔跡の礎石のほかは、千数百年もの経過のなかで覆されて見る影もないようだが、八葉蓮華紋や唐草模様の瓦も出土し、講堂・金堂・中門・南大門の存在が想像できると、説明板に書いてあった。ただし確認はされてはおらず、伽藍配置は今なお不明である。
●境内(     宝蔵殿                       大日堂    )
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説明板には「天平の昔に建立された淡路国分寺の今にいたる壮大な塔跡である。中心礎石は、塔跡基壇に建てられた大日堂の中にあり、直径1.36mの円形の自然石の表面を加工、直径75cmの円柱座と、更にその上にホゾを彫りだしている。これを中心に188.93㎡が指定されたが、この範囲に中心礎石の他に5個の礎石がある。いずれも動かされている。昭和59年~63年の発掘調査で塔跡は一辺13~14mの基壇と推定され、また中心は北へ約2m移動していることがわかった」
●境内(    本堂                         宝蔵殿    )
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大日堂の隣には「国指定重要文化財 国分寺本尊木造釈迦如来座像」を収容する建物がある。
説明板には次のように書いてある。
●大日堂
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「国分寺の本尊は木造の丈六釈迦如来座像である。像の高さは294.8cmで、像内背部に暦応3年(1340)の記録がある。しかしこのご本尊は天平時代の作とも伝えられ土地の人々はこの像は天平仏であると固く信じている。現存する国分寺の多くは薬師如来を本尊としているが、国分寺本来の本尊である丈六の釈迦如来像を本尊とするのは淡路国分寺のみであり、国の重要文化財に指定されている」
●大日堂と塔心礎
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※伽藍配置がまだ不明であるとか、また丈六釈迦如来座像を見れなかったのが少し残念でした。
by barakan1 | 2010-05-25 14:47 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)③自凝島(おのころじま)神社~天浮橋~葦原国・・・

自凝島(おのころじま)神社  兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)下幡多415番地
●神社鳥居遠景(平安神宮、厳島神社と並び、日本三大鳥居のひとつです)
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御祭神伊弉諾命(イザナギのミコト)   伊弉冉命(イザナミのミコト)
合祀菊理媛命(キクリヒメのミコト、別名ククリヒメのミコト)
摂社八百萬神社
御神徳健康長寿・良縁堅固・夫婦和合・安産塩砂
●神社正面・参道石段・社務所
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当神社は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島と親しまれ、崇敬されてきた。
●拝殿
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古事記・日本書紀によれば、神代の昔、国土創世の時にニ神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回し、その矛を引き上げたときに、その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる、これが自凝島(おのころしま)である。次にできたのが淡道之穂之狭別島(あはじのほのさわけのしま)で、今の淡路島であるとされています。
●拝殿・本殿
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ニ神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、大八洲(おおやしま)の国々(日本の国土)を生んだとされています。
●八百萬神社
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国生(う)みののち、伊弉諾命と伊弉冉命は、この大地を守べき神、国土、海原、自然の神々を生む「神生み」へと進んでいきます【天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)の三神を生みます、・・・・】
また古書に誉田大王(応神天皇)・淳仁(帝)天皇の参幸されたことが伝えられている。
●鶺鴒(せきれい)石のこと
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つがいのせきれいがこの石に止まり、御祭神の二神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされている。
ーおのころ島神社HPーより抜粋

天浮橋遺跡
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おのころ島神社は,まさに国生みの地とされており,神社の西400mほどのところにイザナギ・イザナミが天の沼矛を持って立った天の浮橋の遺跡がある.

葦原国(あしはらのくに遺跡
葦原国
古事記、日本書紀によると「天と地が開ける初めは、国土が浮き漂い遊漁が水に浮かぶようであった。その中から葦芽(あしかび)のようなものが生じて神となり、国常立尊ともうしました・・・。」以下、伊佐那岐・伊佐那美までを神代七代と称します。
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そのような事から、葦原国は、海辺に葦が茂っていて、そのなかに五穀豊穣の沃土があるという。古代伝承にもとずく日本国のべつの呼び名とされている。
中の歌碑には
千早振る神代の昔あしはらをひらきそめにし国常跡」と刻まれています。
H16年2月吉日   おのころ島神社
※おのころ島神社の西約五百米にあり、国常立神をお祀りしている
※(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-05-24 14:15 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)②松帆西路八幡神社~日前神社・・・

松帆西路八幡神社     兵庫県南あわじ市松帆西路207
●ご祭神   譽田別尊
由緒   よく分かりません
●神社鳥居(東から) 鳥居の前は道を挟んで川です。
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●境内・拝殿・狛犬
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●拝殿内部・御神前
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※なかなか風格のある建物で、立派な神社です。境内社もたくさんあります。ここは阪神大震災の被害はうけなかったようです。由緒書等何もなく、初めての訪問でなにもわかりません。せめて社号標位は建てておいて欲しいものです。

日前神社        兵庫県南あわじ市榎列大榎列(威光寺向かい)
●詳細  不明
※日前(ひのくま)と読むのでしょうが?  ひのくまなら和歌山に立派な神社がありますが・・・。
●威光寺側より見る
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●西から見る ●本殿
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※この神社も由緒等の説明はありません。社号標はありましたが・・・。
by barakan1 | 2010-05-23 14:34 | 旅日記

淡路島(国)探訪①(2010.04.17~18)①コース概要

■淡路国探訪コース
以前より探訪したかった淡路島。高速の1000円割引5月できれるということで、急遽探訪する。
a0016431_11133113.jpg●岩寝屋古墳頂上付近の「山ツツジ」

4月17日
10時半自宅発~淡路インター~松帆西路八幡神社~日前神社~オノコロ神社~天浮橋~葦原国~淡路国分寺~笑原大明神~府中八幡神社~事代主神社~神代八幡神社~淳仁天皇陵~賀集八幡神社・八坂神社・護国寺~阿万八幡神社~当麻夫人の墓~福良八幡神社・住吉神社~慶野松原キャンプ場18時着(泊)
久しぶりの車中泊ということで、なかなか寝付けませんでした。

4月18日
慶野松原公園駐車場に泊。寝付かれなかったが、一刻の意識がない処を見ると、真夜中に熟睡したようだ。比較的目覚めはいい。
6時前より慶野松原を撮影~湊口神社~恵比寿神社(?)~都志八幡神社~川上神社天満宮~山田八幡神社~平見神社~伊佐那岐神宮~伊佐那岐神宮摂社浜神社~尾崎八幡神社~北淡心斎記念公園~野島八幡神社~野島海岸~平林貴船神社~松帆の浦~絵島・大和島~岩屋八幡神社~岩寝屋古墳~岩屋神社~淡路インター15時半発~大阪自宅17時着。走行360キロ。
※※掲載1ヶ月以上も遅れましたが、何とか掲載を始める気になりました。
「青」17日探訪、「赤」18日探訪。「黄」見逃した処。
■コース地図

by barakan1 | 2010-05-22 12:47 | 旅日記