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柏原市玉手町探訪(2009・07・09)⑤片山薬師堂(河内片山廃寺跡・・・終

片山薬師堂(河内片山廃寺跡)  柏原市片山町
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片山廃寺は奈良白鳳の頃。片山、玉手、円明の3村は大化改新以降の尾張郷で南は加美郷(かみ)、東は資母郷(しも)と接していた。「新選姓氏録・河内の国神別」の尾張連の本拠にあたる。
誉田陵(応神15)の北隣の仲津陵は応神の后妃を祀るとされるが、この仲姫は尾張氏を出自とする。
●薬師堂(裏側、片山神社)
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●河内片山廃寺礎石
片山神社南の片山薬師堂の前に心礎、四天柱礎二、脇柱礎三個を残す。心礎は2.3m×1.5m×0.8mで、径75×10cmの穴を彫る。出土瓦から白鳳期の創建とされる。
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昭和五十七年の発掘調査で一辺11.7mの塔基壇を発掘、基壇は壇上積基壇で一部は瓦積に補修されていたとされる。また南及び西縁には階段も残っていたようです。心礎以外に礎石が寄せ集められていますが、心礎以外の区別はつきません。 ー「日本の木造塔跡」よりー
by barakan1 | 2009-07-23 19:22 | 旅日記

柏原市玉手町探訪(2009・07・09)④安福寺(玉手町)・・・

安福寺  大阪府柏原市玉手町7-21
●一の山門 (入ってすぐ、横穴群がある)
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山号玉手山
宗派浄土宗知恩院派
本尊阿弥陀如来
創建年不明(奈良時代)
開基行基
●二の山門
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最初の小さな山門をくぐるとすぐに参道の横両側に安福寺横穴群が広がっている。なお、参道を上り、2番目の山門をくぐり、境内に入ってすぐ左側に広大な庫裡があり、これに南隣して本堂が建っている。
●三の山門
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概要
奈良時代に高僧行基によって建立されるが、中世には荒れ果ててしまい、小堂がただ一棟あるのみであったという。
●本堂
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寛文年間(1661年 - 1672年ごろ)に浄土宗の僧 珂億上人がこの地を訪れ、安福寺を再建する。
●墓地への門
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尾張大納言徳川光友は珂億上人の学徳に深く帰依し、安福寺に寺田を寄付するなど、明治維新に至るまで歴代尾張徳川家により援助を受けた。
●墓地側より本堂・門を見る
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光友が寄進した『山水蒔絵硯箱』『牡丹蒔絵硯箱』『菩提樹蒔絵香筥』は寺宝であり、国の重要文化財に指定されている。
●割竹型石棺蓋
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また、境内には明治時代に玉手山3号墳(勝負山古墳)から出土されたとされる「割竹型石棺蓋」が置かれており、かつては手上水鉢として使われていた。これも重要文化財に指定されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
by barakan1 | 2009-07-22 18:49 | 旅日記

柏原市玉手町探訪(2009・07・09)④伯太彦(はかたひこ)神社・・・

伯太彦(はかたひこ)神社  柏原市玉出町7-21 
●正面入口・鳥居
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祭神
伯太彦命、廣國押武金日命
摂社 若宮神社「大物主神」、稲荷神社「保食神」
●参道・石段・割り拝殿
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由緒
河内国安宿郡の延喜式神名帳の記載社。
●境内全景
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近くを流れる石川を伯太川と云ったようで、安宿郡資母郷の伯太川沿岸で農耕に従事した田部すなわち田邊史(たなべのふひと)の祖先である伯孫(はくそん)を祭ったものと推測されている。
●中門を見る
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『柏原市史』に、円明、玉手の両地域は渡来系氏族の藩居した地で、田邊氏と飛鳥戸造一族が居住していたとある。
●中門と狛犬
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玉手山安福寺の鎮守となっていたが、明治維新後独立、明治末期から終戦後まで誉田神社の境内摂社とされていた。
●本殿
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『姓氏録』には、右京諸蛮に「田邊史 出自漢王之後知惣也」とある。
●境内摂社(若宮社・稲荷社)
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ーー神南備にようこそーより抜粋ー
●境内より伯太姫神社方向を見る(この山の反対側に鎮座します)
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※妻神が祀られる伯太媛神社からは玉手山公園を挟んで北北東に位置しています。
by barakan1 | 2009-07-21 16:44 | 旅日記

柏原市玉手町探訪(2009・07・09)③薬師堂~安福寺横穴群・・・

薬師堂(玉手町)と力石
安福寺山門前に薬師堂と道しるべの横に力石があります。
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府史跡 安福寺横穴古墳群
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ここ安福寺の参道両側には、35基の横穴が口を開いています。
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昔、火の雨が降った時に避難した穴だとか、古代人の住居の跡だとかいわれたこともありますが、実は1400年くらい前(古墳時代後期)のお墓なのです。
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凝灰岩の岩盤をくり抜いて造られ、中には棺を造り出した横穴もあります。
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また。次々と造られた横穴が、現代のマンションのように、二層三層に重なって密集しているのも大きな特徴です。
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これらの横穴は、六世紀中ごろから七世紀初めにかけて造られたことが、出土した土器などからわかっています。その時代には石を組んで造った石室に土を盛った古墳が多く、横穴は大阪府では柏原市にしかみらません。ー案内板よりー
by barakan1 | 2009-07-19 11:44 | 旅日記

柏原市玉手町探訪(2009・07・09)②伯太(はかた・はくた)姫神社・・・

伯太(はかた)姫神社  式内社 大阪府柏原市円明町15-8
●伯太姫神社遠景(玉手山丘陵の右端)
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【祭神】伯太姫命 (配祀)大年大神 八幡大神 子守大神 嚴島姫大神
【境内社】たのみさんの祠
●神社正面入口・鳥居(西向き)
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由緒
河内国安宿郡の延喜式内社。安宿郡尾張荘の地と推定されている。
一時白山権現と呼ばれていたようだ。
●参道石段
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伯太彦命と夫婦神のようだ。彦と同じく田邊史の祖神を祭る。当社も明治末期から戦後まで誉田神社に合祀されていた。
●拝殿横境内社              ●割り拝殿                ●手水舎
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田邊史は漢の帰化族であり、豊城入彦命の裔である上毛野君の部曲として主従の関係を有し、その一族が玉出円明付近に広く居住していたと推測されている。
●割り拝殿                          ●本殿玉垣
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由緒:伯太媛命を祭神とする式内社です。雄略21年頃(477)の田邊史伯孫を祀る「伯太彦神社」が北方の玉手町・安福寺隣にあり、その伯太彦命と伯太姫命とは夫婦神であると伝えられています。
●拝殿本殿(横より)
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両社は縁起も同じだということです。一時期白山権現と呼ばれていたこの社は、明治末期から戦後まで誉田神社に合祀されていたということです。
●本殿(三間社流造銅板葺の本殿)
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田邊史は、百済系の渡来氏族で豊城入彦命の子孫である上毛野君と主従関係があり、その一族が玉手・円明付近に広く居住していたと推測されているということです。
●拝殿より、西円明町・石川方面を見る
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by barakan1 | 2009-07-17 11:38 | 旅日記

柏原市玉手町探訪(2009・07・09)①コース概要・・・

柏原市玉手山町探訪。
●道明寺駅・玉手橋
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9時自宅発~阿倍野橋~道明寺駅~玉手橋~地蔵堂(円明)~伯太姫神社~薬師堂(玉手町)~伯太彦神社~安福寺~安福寺横穴群~JR高井田駅~志紀駅(弓削神社)~天王寺駅~自宅着15時半。
●玉手丘陵
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歩数17500歩でした。今年の最高気温とその上蒸し風呂のような湿度で、汗びっしょり、歩いていクラクラしました。
●石川(元は博多川または伯太川と称し流域は田辺史氏が開発した)
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●地蔵堂(円明)
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コース地図

by barakan1 | 2009-07-13 16:10 | 旅日記

八尾市(弓削神社)探訪(2009・07・09)弓削神社・・・了

■弓削(ゆげ)神社(西)   大阪府八尾市弓削町1-36
●神社全景
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御祭神は、宇麻志麻治命、饒速日命、天照大神。
境内社】菅原神社、稻荷猿田彦神社、琴平神社
●正面鳥居
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付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神です。
弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とする豪族で、その名の通り、武器の製作に携わるグループを率いていたのだそうです。
●神社書面
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また、物部氏との関わりも強く、物部尾興は弓削連祖倭古連の娘阿佐姫と結婚して物部守屋を生んだと言われ、守屋は物部弓削守屋大連と複数姓をとっており、この地を本願としていたのだそうです。
当時は枚岡神社、恩智神社につぐ三指に数えられた大社で月次、相嘗、新嘗には奉幣にあずかったといわれていますが、現在のたたずまいでは村の鎮守のイメージが強いようです。
●境内拝殿
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弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社(今回は未訪問)と西側の弓削町一丁目にある弓削神社の二社一対で二座にあてているのだそうです。両社とも式内大社です。
●拝殿内部・狛犬
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※このあたりは、弓削氏の一族である高僧道鏡の出身地ではありますが、神社は800年ごろの創建といわれるので、彼の没後の創建であり、直接の関わりはないのだそうです。 ー古代のロマンをたずねてーより

a0016431_13304552.jpg●延命水

境内に延命水と呼ばれる井戸がある。
旱魃の時もかれたことがないと伝えている。この霊水を口にすると長寿を保つと信仰されている。

◆弓削道鏡(ゆげのどうきょう)について 
(700年? - 772年5月13日)
河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれる。若年の頃、法相宗の高僧・義淵(ぎえん)の弟子となり、良弁(ろうべん)から梵語(サンスクリット語)を学ぶ。また大和国(奈良県)の葛城山に篭り密教の宿曜秘法を習得したとも言われる。
●本殿
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看病禅師として内道場に出仕し、天平宝字5年(761年)、保良宮において孝謙天皇(後の称徳天皇)の病気を治して以後重んじられた。藤原仲麻呂の乱の後、天平宝字7年(763年)に少僧都に任じられ、天平神護元年(765年)に太政大臣禅師、翌年には法王となり、仏教の理念に基づいた政策を推進した。
●境内社(菅原神社、稻荷猿田彦神社、琴平神社)
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大宰府の主神であった習宜阿曾麻呂は、偽って豊前国(大分県)の宇佐神宮より天皇の位を道鏡に譲れとの神託があったと道鏡に伝え、道鏡はこれを信じて皇位に就く志を抱くが、和気清麻呂が勅使として参向しこの神託が虚偽であることを上申したため、道鏡が皇位に就くことはなかった。神護景雲4年(770年)に称徳天皇が病死するが、葬礼の後も僥倖を頼み称徳天皇の御陵を守っていたが、神護景雲4年8月21日、造下野薬師寺別当(下野国)を命ぜられて下向し、赴任地の下野国で没し庶人の待遇で葬られた。道鏡死去の報は、宝亀3年4月7日(772年5月13日)に下野国から光仁天皇に言上された。
(以上、続日本紀)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
■地図

by barakan1 | 2009-07-12 14:06 | 旅日記

桜井市探訪(2009.07.03)⑥大伴皇女墓・・・終

大伴皇女墓
●鏡王女の墓の横を北に上ってゆきます。
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一方の大伴皇女とは、どのような人なのでしょうか。日本書紀には、大伴皇女は欽明天皇と堅塩媛(きたしひめ)(蘇我稲目の娘)の皇女で用明天皇、額田部皇女(後の推古天皇)の妹にあたるとなっています。
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しかし、なぜこの地にというと、分からないと答える他はないようです。古代豪族大伴氏が、この辺りに勢力を持っていたとされるようですから、それに関連しているのかも知れないですね。
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ー飛鳥遊訪マガジン Vol. 047ーより
※2005年4月に訪ねたことがあり、今回で2度目の訪問です。今回は7月ということで草木の勢いが強く、全体が緑に見えるほどでした。有名な割に案内板が一枚あるだけで拍子抜けします。でも、好きな場所の一つです。
by barakan1 | 2009-07-10 13:36 | 旅日記

桜井市探訪(2009.07.03)⑤鏡王女墓・・・

鏡女王(かがみのおほきみ)墓
舒明天皇陵から東に小さな谷筋を登って行くと、鏡王女墓と、さらに奥に大伴皇女墓があります。
●舒明天皇陵(右側の道を東へ)
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鏡王女は、藤原鎌足の正妻だとされる女性で、藤原不比等の生母ともされています。
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額田王の父は、鏡王とされていることから、額田王の姉という説があります。また、鏡王女には舒明天皇の皇女だとする説もあるそうです。
●右側の森の方が鏡王女の墓です
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墳墓は、円墳様ですが詳細は分かりません。なぜこの地に葬られたのでしょうか。粟原寺や石位寺に痕跡を残す額田王との関連も考えると、忍阪地域がこの姉妹所縁の地だとも考えたくなります。ー飛鳥遊訪マガジン Vol. 047ーより

鏡女王関連万葉歌
天皇の鏡女王(かがみのおほきみ)に賜へる御歌(おほみうた)一首
巻2-0091 
妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺(ね)に家居(を)らましを
鏡女王の和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首
巻2-0092 
秋山の樹(こ)の下隠(がく)り行く水の吾(あ)こそ勝(まさ)らめ思ほさむよは
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内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原の卿(まへつきみ)の、鏡女王を娉(つまど)ひたまふ時、鏡女王の内大臣に贈りたまへる歌一首
巻2-0093 
玉くしげ帰るを否み明けてゆかば君が名はあれど吾(あ)が名し惜しも
内大臣藤原の卿の、鏡女王に報贈(こたへ)たまへる歌一首
巻2-0094 
玉くしげ三室(みむろ)の山のさな葛(かづら)さ寝ずは遂に有りかてましも
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額田王(ぬかたのおほきみ)の近江天皇を思(しぬ)ひまつりてよみたまへる歌一首
巻4-0488 
君待つと吾(あ)が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く
鏡女王のよみたまへる歌一首
巻4-0489 
風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
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鏡女王(かがみのおほきみ)の歌一首
巻8-1419 
神奈備(かんなび)の石瀬(いはせ)の杜の呼子鳥いたくな鳴きそ吾が恋まさる
by barakan1 | 2009-07-09 22:19 | 旅日記

桜井市探訪(2009.07.03)④舒明(じょめい)天皇陵・・・

舒明(じょめい)天皇陵  奈良県桜井市大字忍阪
●陵墓より村落を見る
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第34代 舒明天皇(じょめいてんのう) 
    田村皇子・息長足日広額尊(おきながたらしひひろぬか)
父   押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえ):敏達天皇の皇子
母   糠手姫皇女(ぬかてひめ):押坂彦人大兄皇子の異母妹
皇后 宝皇女(皇極・斉明天皇)
子   葛城皇子(かずらきのみこ)天智天皇
    間人皇子(はしひとのひめみこ)孝徳天皇の皇后
    大海皇子(おおあまのみこ)天武天皇
妃  法堤郎姫(ほていのいらつめ)(蘇我馬子の娘)
皇居 飛鳥岡本宮・田中宮・厩坂宮(うまやさか)・百済宮
陵墓 押坂内陵(おさかうちのみささぎ)

a0016431_18134831.jpg●忍坂の村落より天皇陵への道標

推古天皇の後継者としては、聖徳太子の子供である山背皇子(やましろのおうじ:大兄)と、敏達天皇の孫である田村皇子(たむらのおうじ)の二人が候補者だった。



●右端の道を登れば鏡王女の墓へ
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しかし、推古天皇はそのどちらを後継者にするとも決めぬまま崩御してしまう。その為両者はそれぞれが正統性を主張し、群臣たちも二派に別れ争うことになる。
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山背大兄皇子は、聖徳太子と刀自古郎女(とじこのいらつめ)の間に生まれ、推古天皇の皇位を継承する最有力者と目されていた。
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しかし、山背皇子を押す蘇我(境部)摩理勢が蘇我毛人大臣と対立して殺害されると(629年1月4日)、蘇我蝦夷・群臣達は一気に田村皇子擁立に傾き田村皇子が即日、舒明天皇として即位するのである。
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●天皇系図 26~37代
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だが彼は蘇我の血統からは離れた天皇であった為、影響力を行使しにくいと考えた蘇我一族は、蘇我稲目の血を引く皇女・宝皇女を皇后に付ける。後の皇極天皇(斉明天皇)である。
彼らの間には、二人の息子(後の天智天皇,天武天皇)と一人の娘(後の孝徳天皇妃)が誕生する。









◆万葉歌 舒明天皇
天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌
巻1-0002
大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 
国見をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立ち立つ 美(うま)し国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和(やまと)の国は

巻8-1511
夕されば小倉の山に鳴く鹿はこよひは鳴かず寝(い)ねにけらしも
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by barakan1 | 2009-07-08 18:37 | 旅日記