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天王寺区探訪(2009.06.15)⑧天王寺七坂2・・・終

天王寺七坂・・・2
◆口縄坂は、
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天王寺区夕陽丘町にあります。その名の由来には諸説あり、『大阪史蹟辞典』*1によると「西沢一鳳の『脚色余禄』に、昔この坂はけわしく縄をかけ渡し、人々はそれにすがって登降したため、寺町口の縄坂といったのが起こりだとあり、また大阪築城のときここから測量の縄打ちが始まったので口縄坂と読んだともいわれる。
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一般には下から見上げた形が蛇の腹のように見えるので、蛇坂(くちなわざか)とついたという。」とあります。織田作之助の作品『木の都』のなかにも登場し、この坂の上には織田作之助文学碑が建立されています。
◆源聖寺坂は、
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天王寺区下寺町一丁目源聖寺の南側から生玉寺町に至る坂です。源聖寺の横にあるところからこうよばれています。織田作之助の作品『夫婦善哉』のなかにも登場します。
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この坂は私の一番好きな坂です。春夏秋冬、どの季節をとっても、夕暮れの人っ子一人通らない時の風情などは、はなかなか他では見ることができません。
◆真言坂は、 (この写真は5年前に写したものです)
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天王寺区生玉寺町、生國魂神社北側にあります。近辺に、医王院、遍照院など真言宗の寺があり、生玉の社僧の多くが居住したことから、真言坂とよばれています。天王寺区ホームページを見ると、「『攝津名所圖曾』 (せっつめいしょずえ)巻之三には「生玉眞言坂」として階段の坂が描かれて」いることが紹介されています。
by barakan1 | 2009-06-28 14:12 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)⑦天王寺七坂・・・1

天王寺の七坂について
 天王寺の七坂とは、上町台地にある、逢坂(おうさか)天神坂(てんじんざか)、清水坂(きよみずざか)、愛染坂(あいぜんざか)、口縄坂(くちなわざか)、源聖寺坂(げんしょうじざか)、真言坂(しんごんざか)、の7つの坂を指します。
◆逢坂は
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天王寺区松屋町筋終点、合法ヶ辻(合邦辻)から四天王寺西門へ通じる坂です。その名の由来には諸説あり、聖徳太子が物部守屋と仏法をこの地で論じたからとも、あるいは、逢坂の関になぞらえて呼んだともいわれています。『大阪史蹟辞典』*1によるともとは急坂であり、四天王寺参詣など往来が多かったため、明治九年に尼僧静明が私費を投じ、道を整備し、のちに大阪府も協力して工事を行い大正時代には市電も開通し、今日のような道になったとあります。
◆天神坂は、
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伶人町と逢坂1丁目の間、安居神社北側の谷間にある坂道で、安居天神に通じるところからこの名がつけられました。安居神社には天王寺七名水の1つ、安井の清水があるところから、2001年に大阪市建設局が、この坂に湧き水の雰囲気をイメージした石組みのモニュメントを建設しました。
◆清水坂は、
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天王寺区伶人町の有栖山清水寺の北側に位置しています。清水寺にのぼる坂道であるところから、こう呼ばれています。
◆愛染坂は、
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天王寺区夕陽丘町の大江神社南側の坂です。坂の下り口には勝鬘院(愛染堂)があり、そこから愛染坂とつけられています。
by barakan1 | 2009-06-28 13:56 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)⑦藤原家隆卿の塚・・・

藤原家隆卿の塚   大阪市天王寺区夕陽丘町5
藤原家隆は平安時代から鎌倉時代に活躍した歌人(1158~1237)で、藤原定家らとともに新古今和歌集の選者の1人として知られています。
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出世は遅かったのですが若い頃より歌の才能を愛され、新古今和歌集を編んだ頃よりは後鳥羽院に重用されました。定家とは仲の良いライバルで、後鳥羽院が承久の乱で流罪となり気落ちしていた家隆を、定家が懸命に励ましたと言われています。 1236年、自らの死期を悟った家隆は日想観を体得するべく天王寺へ移り、現在家隆塚のある東側に夕陽庵を結びました。このことが、夕陽ケ丘というこの辺りの地名の由来とされています。ー上町台地cotocotoーより
●塚正面より見る東→西
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百人一首・第98番 
風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

●契りあれば難波の里にやどりきて波の入り日を拝みつるかな
●なはの海の雲井になしてながむれば遠くもあらず彌陀の御国は
●ふたつなく頼む誓ひは九品のはちすのうへのうへもたがはず
●八十にて有るか無きかの玉の緒はみださですぐれ救世の誓ひに
●うきものと我ふる郷をいでぬとも難波の宮のなからましかば
●阿弥陀仏と十たび申してをはりなば誰もきく人みちびかれなん
●かくばかり契りましますあみだぶをしらずかなしき年をへにける
●西→東
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多くの人々が天王寺の西門から極楽浄土を祈願したように、家隆卿も毎日の修行で、夕陽に向かって祈念していたことでしょう。 家隆卿の「夕陽庵」(せきようあん)あるいは上記の七首の第一首より、当地の地名「夕陽丘」が伝承されてきたということです。
●塚よりの夕日(看板より)
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海の彼方に沈んでいく入り日を拝むことは、浄土教が人々の間に拡がっていきました。極楽浄土のある西に向かって念仏を唱えることが平安時代末期から鎌倉時代にかけて「日想観」ブームとなったようです。特に四天王寺の西門は、極楽浄土の東門に通じると信じられ、春秋の彼岸には落日拝謁修行が盛んになったとのこと。
●家隆五輪塔
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四天王寺西門の石の鳥居は永仁二年(1294)建立され、その扁額には「釈迦如来転法輪所当極楽浄土東門中心」と掲げられているのです。浄土宗の教祖法然や親鸞上人あるいは一遍上人、さらには後白河天皇も四天王寺に参籠しているのです。
ー敷島随想ーより
by barakan1 | 2009-06-26 12:11 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)⑥勝鬘院(しょうまんいん) 愛染堂(あいぜんどう)・・・ 

勝鬘院(しょうまんいん) 愛染堂    大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
●山門
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和宗総本山 四天王寺 四箇院のひとつ、施薬院の場所に建つ聖徳太子ご創建の愛染堂。
西暦年593年(古天皇元年)に聖徳太子が四天王寺を建立された際、多種の薬草を植えて病に応じて普くこれを人々に施与する場所「施薬院(せやくいん)」を、この地に築かれました。後に聖徳太子が勝鬘経をご講讃された地でもある故を以って「勝鬘院(勝鬘院)」とも呼ばれるようになりました。
●愛染堂(本堂)
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現存の主なる堂等は金堂(本堂)と多宝塔で、平安後期には真言密教の修業道場として扱われ、金堂には愛染明王像を安置し、仍って勝鬘院全体を愛染堂とも呼んでいます。また多宝塔は豊臣秀吉再建による桃山時代の代表作とされ、大阪市最古の木造建築物として国の重要文化財(旧国宝)であります。
※593年、聖徳太子が創建した四天王寺の一つ。敬田院、施薬院、療病院、非田院の四ケ院のうち施薬院があったところ。 薬草を栽培し病気の人に分け与えたという、社会福祉事業発祥の地。
●多宝塔(推古天皇元年(593年)、聖徳太子の創建。
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慶長2年(1597年)、豊臣秀吉により再建。本尊は大日大勝金剛尊
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●愛染祭(ホエ駕籠)本堂脇に置かれていました。

年中行事の主なるものは、大阪の三大夏祭りのひとつとして有名な愛染祭で、六月三十日、七月一日、七月二日の三ヶ日に行い、本尊ご開帳もあって毎年多くの参詣者で賑わいを見せる。





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●愛染霊水〔愛染堂境内〕

絶えず流れ出る愛染めの水を飲めば、愛敬を授かり、さらには開運、夫婦和合、良縁成就・安産、出世、商売繁盛、思いのままという功徳があるとされる大人気の霊水です。また、この水で染め物をすると色よく染まると昔から言われ「藍青商(染物屋)」の間では信仰が篤く「賑わしや愛染詣での紺屋づれ」と詩に詠われるほどでありました。
by barakan1 | 2009-06-25 17:00 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)⑥大江神社・・・

大江神社  大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
●愛染坂                     ●神社東鳥居(入口)と愛染坂入口
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祭神   豐受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命
境内社 日吉稲荷神社、羽呉神社,
      護国神社(山口藩士招魂碑)(参道石段の途中)
●西鳥居(大昔はこの下まで入江であったそうな・・)  ●百歳の階段説明板
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由緒 
大江神社は、聖徳太子が四天王寺の鎮守として創建した七宮の1つと伝えられ、太子自作と称する毘沙門天を本尊に、財福受与に霊験があるとして信仰されました。位置が乾の方角であることから江戸末までは乾社と呼ばれ、神仏混淆で神宮寺乾社とも言われました。
●拝殿・本殿
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しかし、明治の神仏分離で毘沙門天が移ってからは、豊受大神を祭神とし、大江の岸に続く社地から大江神社と改称され当地の産土神となりました。
昔は、境内にある舞台から大阪随一の夕景を望むことができたが・・・
●境内社   日吉稲荷神社                ●毘沙門堂跡
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※大江神社は、上之宮・小儀(おぎ)・土塔(どとう)・河堀・堀越・久保の各社とともに天王寺七宮のひとつであり、聖徳太子の創建という。明治40年に上之宮・小儀・土塔が大江神社へ合祀された。
●「百歳の階段」と「夕陽丘」の碑
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昔は何も視界を遮るモノがなく素晴らしい夕日が見れる所として有名で、「夕日丘」の名前がついたほどだそうだが、今はビルが林立しているので、夕日も景色も今一つである。
●大江護国神社
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「この階段は、百一段あり、人生の区切りの百歳よりあともう一歩 心も身体も健康でありますようにと願いを込めて名づけました。一歩、一歩踏みしめて神様にお参りしましょう」とあります。
●毘沙門堂跡
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江戸時代ここに 毘沙門堂があり 阿吽の狛虎 一対があったが、毘沙門堂はなくなり 狛虎は 吽形( うんぎょう)がなくなり 阿形( あぎょう )のみになっていた。太子自作と称する毘沙門天も、明治維新後の神仏分離で大津坂本に移ったという。 
by barakan1 | 2009-06-22 21:33 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)⑤金龍水・・・

金龍水(銀龍水)     天王寺区下寺町2-4-10
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天王寺七名水の一つ。
(亀井・逢坂・玉手・安井・増井・有栖・金龍の各井泉は、七名水と呼ばれていた)
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泰聖寺(天王寺区下寺町2-4-10)の境内に水質佳良清冽比類なく一種の甘味を帯び、殊に茶の湯に賞味されたという。
by barakan1 | 2009-06-21 12:47 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)④安居神社・・・

安居神社   大阪市天王寺区逢阪1-3-24
●南側(25号線)参道入口
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祭神: 少彦名神
     菅原道真
●西正面鳥居と参道石段
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当神社の創建の年代は詳らかでないが、聖徳太子が四天王寺を建てた頃(約1400年前)であろうと伝わる。祭神は少彦名神と菅原道真を祀る。境内は天神森あるいは安井森とも称され、景勝地であった。
●神社境内
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901年(昌泰4年)菅原道真が筑紫に左遷され、その途中、河内道明寺の叔母を訪ねる道すがら、篤信家の道真は四天王寺に参拝した後、この安居神社で休息したと伝わる。
●神社境内
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当時の村民が道真をなぐさめるため、もち米を蒸して乾かした「おこし米」を差し上げたのが、後の大阪名物『おこし』の始まりという伝承も残されている。大阪の「粟おこし」の共同商標に菅公の梅鉢紋が使われているのはこの故事によるものだそうである。
●拝殿・狛犬・・・本殿
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江戸・寛政8年(1796年)発刊の『摂津名所図会』に載っている道真が「ここに、暫時やすらひ給ふ故」から安居の名が起こった説や、かって四天王寺の僧侶が結夏90日の間、安居した「安居院(あんごいん)」からきているといった説がある。
●境内社 玉姫稲荷神社
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また、境内は真田幸村が大坂夏の陣で戦死した地と伝えられ、石碑が建てられている。
●淡島大神・金山姫大神・金山彦大神
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ー神社めぐりーより

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●境内の一角にある「真田幸村戦死の碑

1615年(元和元年)大坂夏の陣で、幸村はこの神社の近くにある天王寺茶臼山に陣をしき、徳川家康と対峙し、敵の本陣を追い崩したが、家康の首を取るに至らず、ついにこの地で戦死したと伝わる。





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●「かんしずめの井」
  【安居の清水】
境内の一角には、古くより「かんしずめの井」と呼ばれる清水が湧き出る井戸があったが、周辺の開発の余波で、現在は枯渇状態になっている。(工事中のため立ち入り禁止、写真は2005年のもの)
by barakan1 | 2009-06-20 14:08 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)③庚申堂~四天王寺・・・

庚申堂(四天王寺)  大阪府大阪市天王寺区堀越町2ー15
縁起
今から1300余年前(飛鳥時代)、我が国に色々の疫病がはやり、四天王寺の民部の郷僧都毫範(ごうはん)が、霊験を得て祈願をしたとき、庚申堂の本尊となった青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)が、16歳くらいの童子となり現れ、毫範に除災無病の力を与え、それによって病は去っていったという言い伝えがあり、時は701年(大宝元年)正月7日、庚申の日とされる。
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以来、毫範の感得した青面金剛童子をこの地で祀られたのを開基とする。我が国の庚申の始まりであり、以来庚申を祀ろうとするものは、皆当寺に来て、免許を得、尊天の分身を勧請するのを例としている。ー寺院めぐりーより

四天王寺    大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
山号   荒陵山(あらはかさん)
宗派寺格 和宗総本山
開基   聖徳太子
●庚申街道から南大門を見る               ●南大門
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『日本書紀』に見る創建の経緯 [編集]
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。その草創については『日本書紀』に次のように記されている。
●仁王門・五重塔を見る(南→北)
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用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(大阪府東大阪市布施)へ攻め込んだが、敵の物部守屋は稲城(いなき、稲を積んだとりで)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、蘇我軍は三たび退却した。
●仁王門・五重塔           ●西重門・金堂・五重塔を見る
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聖徳太子こと厩戸皇子(うまやとのみこ、当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという。(なお、蘇我馬子の法興寺は上記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であった。)
●極楽門から鳥居                       ●大鳥居
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以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍と呼ばれている。配置」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※四天王寺さんへは歩いて15~20分で行けますので、しょっちゅ行ってます。建物もきれいし広くて気持ちがいい。縁日には露店も沢山出てホントに楽しいです。駐車場には観光バスが沢山来ます。私が遠く奈良や京都の神社仏閣を訪ねるのと同じでしょうね!あまり近いと有難味が少ないからでしょうか!!ね
by barakan1 | 2009-06-18 17:44 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)②清水の井戸・・・

清水の井戸、地蔵尊    大阪市天王寺区堀越町3    
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東向き、地蔵尊のお社は明治になってから建てられたようだ。隣には一名を「谷の清水」、「清水の井戸」という清水が湧き出ている。
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『摂津名所図会』には、「谷の清水、庚申堂の南一丁ばかりあり、清泉にして甘味なり」とある。
by barakan1 | 2009-06-17 12:30 | 旅日記

天王寺区探訪(2009.06.15)コース概要・・・

コース概要
a0016431_12128100.jpg●勝鬘院の「ノウセンカツラ」
天王寺区探訪に出かける。
出発は15時~清水の井戸~庚申堂~四天王寺~安居神社~天神坂~たき道~清水坂~愛染坂~金龍清水~大江神社~護国神社~愛染堂勝鬘院~藤原家隆卿の塚~口縄坂~(学園坂)~源聖寺坂~アベノ~自宅到着19時。歩数14500歩でした。大江神社正面鳥居が違法駐車のため撮れなかったのが残念です。

■探訪地図

by barakan1 | 2009-06-17 12:22 | 旅日記