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奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑫平城京西の市址・・・

平城京西の市址
●秋篠川と佐保川合流点(東→西)
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●西市船着き場跡(奈良口の橋から)
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平城京の西の「堀川」(人工の運河)だった秋篠川と、向こうの橋のところが、平城京の西市船着き場跡です。左のマンションの右手が西市跡になります。
西の市址
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西市は、東市(奈良市杏町付近)と共に、都城内に設けられた日本最初の官営の市場であり、平城京の大宮人20万人の大マーケットで、古代律令国家の交易の拠点であり、
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市場内では、西市交易銭という木簡が流通しており、日本で最初の「銭」が使用された場所でもありました。
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1980年、奈良国立文化財研究所・県教育委員会などの発掘調査では、建物跡、井戸、土器、木簡「西市交易銭」「西市司交易銭」、銀貨「和同開珎」「神功開宝」などが出土している。
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奈良時代における交易のあり方から見ても「西市交易銭」という木簡は、市司に置かれた交易の銭の元祖とも思われる。
-平城京西市跡保存会-
◆西の市あたり(西の市址碑より、遠くに薬師寺二塔が見える)
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万葉歌碑
卷7-1264 
西の市にただ独り出て目並べず買へりし絹の商(あき)じこりかも
by barakan1 | 2009-04-29 14:48 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑪時風(ときふう)神社・・・

時風(ときふう)神社  奈良市西九条町414
●神社社叢                    ●辰市神社より見る
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ご祭神 中臣時風・中臣秀行の霊
この神社は、杏町の辰市神社の道をへだてて、すぐ南にある。
祭神は御蓋山に鹿嶋の神を遷してきた中臣時風・中臣秀行の霊をまつる神社である。時風は辰市家の祖、秀行は大東家の祖といわれる。例祭は十月十日。-奈良県史(神社)より-
●境内
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●本殿は桁行136.4cm、梁行91cmの小祠で、寛政十年(1798)再建といい、石灯籠が一基立っている。
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※辰市神社の向かい側で、境内も小さく、そのやや西寄りに小さな祠が鎮座している。周りは木が沢山あり、林の中の祠という感じである。
by barakan1 | 2009-04-28 13:42 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑩辰市神社~東の市・・・

辰市(たついち)神社 (通称)神宮社、鴻の宮  奈良県奈良市杏町64
●神社正面道路(古代八条大路)          ●神社全景
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ご祭神;武甕槌命(常陸国鹿島明神)
    經津主命(下総国香取明神)
●正面鳥居                     ●参道
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辰市神社は杏町東西集落の中央に鎮座する。時風神社の向いに鎮座する。もと神宮神社(こうのみや・鴻の宮)と称した。
●拝殿
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祭神は春日大社神で常陸国鹿島明神と下総国香取明神のニ座である。旧村社。鎮座地は春日大社社家中臣氏の采地で、その末裔辰市家の居館地であった。
●手水舎                        ●拝殿より本殿をみる
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神護景雲二年(768)春日大神が御蓋山に遷座された。後に侍従の社司中臣時風、中臣秀行がその住居を神託によって西南の方へ神木を投じその落ちる所とした。それが辰市郷中この地に落ちたので、このあたりに居住し、春日の神木を崇敬し、中臣時風らが奉祭したのが、この神宮社すなわち今の辰市神社である。
●本殿と狛犬
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社殿は『春日社記録』(中臣裕明記)の建久八年(1197)四月二十二日の条に、春日大社末社の木宮社(紀伊社)の旧殿を譲与され、また嘉禎二年(1236)の遷宮にも本社第二殿を拝領している。
●本殿(左右)
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天正年間(1573-70)筒井順慶が松永久秀との戦いで、その戦火のため南門拝殿神楽所移殿ことごとく、焼滅した。その後、慶長の乱などがあって神楽もほとんど中絶してしまった。
●本殿横に飾られている狛犬
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享和二年(1802)から神事は再興され、明治・大正にかけて社殿や境内は復興された。そのことを記した「神宮社記録」が二冊残っている。
ー神社ふり~くーより

東の市
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a0016431_0193877.jpg平城京も早い頃の歌。 官設の東西両市 (左京・右京各八條三坊。奈良市東九条、 杏町・大和郡山市九条町附近)。 東市は月の前半、 西市は後半、 正午に開かれ、 日没前に太鼓を三度ずつそれぞれ九打して閉じました。 絹 (巻七1264) ・布・櫛・針・筆・薬・漆・蓑笠・塩・魚、 酒……。さまざまの交歓の場に、 雨乞いの場、 説教の場にも、 刑場にさえもなった市。

               ●辰市神社の万葉歌碑
◆万葉集
門部王(かどべのおほきみ)の東(ひむがし)の市の樹を詠みたまへる作歌(うた)一首
卷3-0310 
東の市の植木の木垂(こだ)るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり
※門部王は、長屋王(長皇子)の孫で、天平6年(734年)には、朱雀門の歌垣では頭となり、天平9年には、右京大夫となる。後に、大原真人(まひと)を賜姓される。
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●辰の市の女 奈良市東九条町(旧添上郡辰市村東九条)  「奈良の民話」  
辰の市が開かれたころ、うわさにのぼったひとりの美人があった。このふしぎな女が通りすぎると、市場の多くの品物が必ず紛失していた。人々は怪しんで、その女を捕まえて殺した。女は龍の姿になって、尾から一口の名剣をあらわしたという。
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by barakan1 | 2009-04-28 00:30 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑨倭文(しずり)神社・・・

■倭文神社~東の市~西の市・概略図
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倭文(しずり)神社   奈良県奈良市西九条町二丁目14の2
●神社正面入口鳥居
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ご祭神 武羽槌雄命
     経津主命
     誉田別命
●神社拝殿・境内
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由緒概要
稱徳天皇の御宇神護景雲二年(768)、 春日大社御蓋山の頂に遷座し給ふ後、侍従社司 中臣連時風・秀行氏が此の地に居住し勧請したと云われ、その祖 武羽槌雄命(織部の神)を鎮祭した。倭文氏はその後胤で此の郷に住んで神衣を織ったと伝えられている。経津主命は春日大社第二殿に奉られている武神、誉田別命は応神天皇で八幡宮である。  (葛木の倭文神社)
●拝殿正面より
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※本殿の右に境内社、若宮社があり、祭神は大鷦鷯尊である。この神は仁徳天皇の御諱(いみな)で「おおさざきのみこと」といい、古事記には大雀命の字をあてる。
●本殿と狛犬                              ※若宮社
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●龍頭山「西福院」
大和北部八十八ヶ所の63番札所で、明和6年(1769)頃は多くの人が巡拝に訪れていたそうです。この西福院は、元、龍頭寺という名前だったとか。そして、近くには、龍の腹、龍の尻尾と、3カ所のお寺に、伝承が残っているようです。
●入口より                           ●大師堂
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龍の頭は、この「西福院」
龍の腹は、北之庄町の「竜腹寺」(現在の白山神社の地)
龍の尻尾は、今市町の「竜尾寺」(春日神社「隆興寺」の地)
●御旅所
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●蛇塚神社 
別名、八坂神社とも言うようで、ご祭神は、素戔鳴尊(須佐之男命)です。
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※倭文神社の秋祭り「蛇祭り」の神饌「人身御供」には言い伝えがある。
その昔、村には、大蛇のいけにえとして毎年幼児を神前に捧げる風習があった。あるとき、いけにえの順番の巡ってきた家族に話を聞いた高僧(弘法大師とも、理源大師とも)が、子どもの代わりに人身御供に。大蛇の体内に飲み込まれた高僧は、腹の中から大蛇を3つに切り裂いて退治したという。その後、神前には人の形に似せた神饌が供えられることになった。
by barakan1 | 2009-04-24 11:34 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑧岩井川~菅原神社~稲荷社・・・

東九条町あたり
●岩井川五重橋緑地  (能登川)
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●菅原神社(東九条天満宮)
祭神 菅原道真、天穂日命、野見宿禰命
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●稲荷社
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※委細不明。
by barakan1 | 2009-04-23 17:02 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑦八幡神社(元石清水八幡宮)3・・・

八幡神社(元石清水八幡宮)の西塔基壇と礎石
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大安寺八幡神社の南側に基壇が有ります、 版築で構築された基壇は1辺約21m、高さは推定1.8mです 。
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凝灰岩切石の延石・地覆石・羽目石が出土して、最上級の壇上積みです(国史跡) 100mを超える七重塔が建っていたそうです。
※史跡化を進めているのでしょうか!基壇の回りはきれいに整地されて、赤い土が目立ちました。以前は竹藪だったそうですがその面影は全くありません!!
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2009-04-22 17:32 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑥八幡神社(元石清水八幡宮)2・・・

八幡神社(元石清水八幡宮)
●西側参道正面入口・一の鳥居
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●西側参道・二の鳥居
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●表門
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●中門(四脚門)・狛犬
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境内社 
若宮神社(仁徳天皇)   武内神社(武内宿禰)  菅原神社(菅原道真)
厳島神社(市杵島姫命)  稲荷神社(保食神)   猿田彦神社(猿田彦命)
金刀比羅神社(金刀比羅大神) 春日神社(天児屋根命)(大物主命)
命婦神社(豊玉姫命)  (玉依姫命)  加茂神社(伊邪奈岐命)  祓殿神社(瀬織津比メ命)
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by barakan1 | 2009-04-21 14:49 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑥八幡神社(元石清水八幡宮)1・・・

八幡神社(元石清水八幡宮)  奈良県奈良市東九条町
●大安寺より八幡神社社叢を見る(南)
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ご祭神 仲哀天皇 
    神功皇后 
    応神天皇
●表門
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創建
大安寺の鎮守としてその寺域にあり、石清水八幡宮とか郷社石清水八幡宮とも称した。
社伝として、「大安寺八幡宮御鎮坐記」(962)によると、平安時代初期とされる。大安寺の入唐留学僧・行教が、大同2年(807)に留学の帰途に、豊前の宇佐八幡宮に立ち寄って参籠。 祭神・八幡宮の神影を、大安寺の鎮守として遷して、石清水八幡宮と称したことが伝えられている。
●中門(四脚門) 
※中門は、室町時代の建造であるが、江戸時代初めに大改造され、現在の姿になったものとみられる。翼廊(よくろう)も、本来は中門に接続していたもの。柱や組物には、建造当初の用材を残して、木鼻などにも古式の伝統がみられ、中世神社の四脚門(よつあしもん)として貴重である(奈良市指定文化財)
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その後、行教は貞観元年(859)に、神のお告げを聞いてこの八幡宮を山城国・男山へ遷座させた。京都府八幡市の石清水八幡宮(男山八幡宮)がそれである。
●拝殿より本殿を見る
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●拝殿には、石清水八幡宮の神使である、「鳩」の置物がいっぱい。
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なお大安寺にも神社は残り、大安寺石清水八幡宮、子安八幡宮などと呼ばれ、武の神や安産の神、そして地元の鎮守として広く信仰されてきた。
●本殿
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※※八幡市の石清水八幡宮
by barakan1 | 2009-04-21 14:36 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)⑤大安寺・・・

大安寺   奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
●伽藍配置図
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山 号 熊凝山
開 基 聖徳太子
本 尊 十一面観音(秘仏)
秘 仏 本尊 十一面観音立像 、馬頭観音     
奈良市にある真言宗の寺。南都七大寺の一つ。
●南大門
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天平19年(747年)作成の「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」によれば、大安寺の起源は聖徳太子が今の奈良県大和郡山市に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)(大和郡山市額田部に現存する額安寺がその跡ともいわれる)であり
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639年(舒明11)十市郡の百済(くだら)川のほとりに建てられた百済大寺となり,673年(天武2)高市郡に移って高市(たけち)大寺と称し,677年大官大寺と改称。
さらに平城遷都の際,716年(霊亀2)左京六条四坊に移転し,大安寺と名を変えた。
●境内全景
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造営には遣唐留学僧の道慈が参与し,長安の西明寺をモデルにしたといわれ,東大寺,西大寺と並んで南大寺とも称された。伽藍の大きさや資産は,747年(天平19)の《大安寺伽藍縁起稀流記資財帳》に詳しい。
●本堂(
本尊十一面観音立像(重文)を安置)
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奈良時代は三論宗の拠点で,大安寺流と呼ばれたが,829年(天長6)空海が別当となってから真言宗の寺となった。9世紀後半のころ神仏習合思想により,行教(ぎようきよう)が宇佐八幡宮を境内に勧請(かんじよう)した。
●手水舎                      ●護摩堂
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911年(延喜11)に講堂が,949年(天暦3)に西塔が焼け,1017年(寛仁1)にはほとんどの堂舎を焼失した。
●小子坊                    ●嘶堂(馬頭観音立像(重文)を安置)
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のち再建が行われたが,鎌倉時代以降はしだいに衰微し,16世紀末にはわずかに金堂を残すのみで,1711年(正徳1)高籤(こうせん)が再興を試みたが,進まなかった。
◆境内に大伴宿禰家持、万葉歌碑があります。
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臥病(や)みて常無きを悲しみ、修道(おこなひ)せまくしてよめる歌二首(※)
卷20-4468 
現身(うつせみ)は数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
ちなみにもう一首は、
(卷20-4469) 
渡る日の影に競(きほ)ひて尋ねてな清きその道またも会はむため
※素晴らしい歴史、由緒の割に早くから荒廃したため、その歴史を伝える堂宇はありません。ボツボツと整備がされているようですが・・・、早く昔の威容を復元できたらいいですね。
しかし、見方によれば、このままの鄙びた姿の方が世の興亡を感じられいいと思う人も沢山いるでしょうね。
by barakan1 | 2009-04-18 13:56 | 旅日記

奈良市探訪(大安寺~東市・西市~勝間田池)(2009.04.09)④推古天皇社・・・

推古天皇社  奈良市大安寺1285
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「大安寺」への参道の東側に「推古天皇社」が鎮座しています。祭神は日本初の女帝、第33代推古天皇で、名を額田部、豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめノみこと)と云い、
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彼女は554年第29代欽明(きんめい)天皇の第3皇女として生まれ、母は蘇我堅塩媛(そがノきたしひめ)、18歳で第30代敏達天皇の皇后になって、皇后は眉目秀麗な美人だったと伝えられ、異母兄第32代崇峻天皇崩御の後、皇位を巡ってさまざまな動きがあったが、592年12月8日豊浦宮において即位し、
●金比羅社           ●大日如来の石碑         ●弘法大師腰掛石(※)
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翌年4月10日聖徳太子に皇太子・摂政を委ねられて政治を行い、在位36年で、628年小墾田宮にて75歳で崩御されました。ー奈良観光ーより抜粋
※空海さんも大安寺に住したそうです。
by barakan1 | 2009-04-17 20:24 | 旅日記