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大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)⑦須牟地曽根(すむじそね)神社・・・終

■須牟地曽根(すむじそね)神社  堺市蔵前町1608
祭神 饒速日尊『特撰神名牒』 
また 伊香我色雄命『神名帳考証』 
また 須牟地曽根命 『大阪府志など』
合祀 勝手大明神、毘沙門天
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注釈 江戸時代には勝手明神と呼ばれていた。勝手とは入り口のことのようで、長尾街道で住吉の津から上陸、この国へ入ってくる資格審査の場所であったがゆえに、この名で呼ばれたのではなかろうか。
創建年代は神功皇后摂政六年の頃と社頭説明にある。また『住吉大社神代記』には住吉大神の子神の一として須牟地曾禰神の名が見える。
明治二十八年本殿焼失とあり、明治四十一年金岡神社に合祀されたが氏子の願いで旧社地に勝手明神の名で分霊を遷し祀っている。平成五年に正遷宮を行っている。
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中臣須牟地神社の『叢社記』によれば、「住吉郡須牟地神社為記、同式神須牟地神社與須牟地曽根神社有三社(中略)同曽根社者当北号住吉第二之社」とあって、須牟地曽根神社は中臣須牟地神社の北に鎮座とあり、湯里住吉神社と須牟地曽根神社との関連が深いとの考証がある。(式内社調査報告 奥野茂寿氏)
端的に言えば、湯里住吉神社こそ須牟地曽根神社ではないかといいたいのであろうか。
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大阪市の南から堺市、和泉市に曽根の地名が分布する。当社の南に長曽根があり長曽根神社が鎮座、また和泉市には池上曽根遺跡に隣接して曽彌神社が鎮座、これらは『新撰姓氏録』和泉国神別曽禰連、神饒速日命六世孫伊香我色雄命後也 とあり、物部の勢力圏であったようだ。 曽根の名を持つ須牟地の神はやはり物部の濃い場所がふさわしい。住之江の津から大和へ向かう長尾街道に面して鎮座する物部系の須牟地の神、やがてその道は北へ北へと移っていき、役割を終えるのであるが、祭祀においても物部から中臣へ移って行くのと同調しているように見える。
新羅使の接待時に奉祭する赤留比売神の役割も住吉郡(大阪市平野区平野東)から東生郡の名神大社の比賣許曾神社へ移って行っている。
ー神南備にようこそーより抜粋
by barakan1 | 2009-02-28 16:17 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)⑥華表(かひょうじんじゃ)神社・・・

華表(かひょうじんじゃ)神社  堺市宮本町57番地 
●神社正面
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祭神
譽田別命、素盞嗚命、宇賀之御魂命
●境内・拝殿
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摂社
玉屋神社、太神社、瀧神社
●拝殿・本殿
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由緒
素盞嗚命は、仲哀天皇九年、神功皇后が摂津国難波に至った時に、鎮座したと言う。 宇賀魂命は、嵯峨天皇の弘仁元年、五穀成就の為、沙門空海これを勧請し後、後醍醐天皇の元享元年、山城国男山若宮八幡を勧請したと言う。
●摂社群  天満宮
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近隣の小社を明治41年に合祀している。堺から南へは紀州街道、熊野街道(小栗街道)がでている。東へは長尾街道、竹内街道が出ている。この内、長尾街道に近い。ー神南備にようこそーより抜粋
※天満宮に咲いていたウメ
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by barakan1 | 2009-02-27 14:13 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)⑤多米神社・・・

多米(ため)神社  大阪市住吉区長居2丁目8
祭神
天日鷲命 配 倉稲魂神、保食神(神須牟地神社の末社として社記にあり)
大己貴命(神須牟地神社の境外摂社として平成祭礼データ)
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由緒
『摂津名所図会』には、「延喜式に出、寺岡村の西にあり 苗見社といひ又種貸の宮と称す、今荒廃して住吉の社頭猪の鼻の上に小祠あり 是その名残といふ」とある。
創建年代は不詳。多米練の祖の創建と伝えられる。『新撰姓氏録』に、摂津国神別多米練、神魂命五世孫、天比和志命之後也、また河内国神別に多米練 神魂命の児、天石都倭居命之後也 とも見え、摂津河内に居住していたようだ。二月卯日、十月辰日、住吉社より米を土器にもり社地に埋めるとある。多米連は住吉社の神事にかかわっていたのである。
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『住吉大社神代記』の子神の条に「多米神」が見える。
『住吉松葉大記』には、苗見神社の項に「按するに勘文に長居宿東一社、名苗見明神、と云へるは此の社の事なり。種貸社ともいふ。とある。明暦元年(1655)此社を猪鼻の道路に移し奉る。とある。これは住吉大社の摂社の種貸神社である。遷座の理由は不明。
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旧地には「多米社」の石碑が立つ。祭祀が続けられていたが、明治四十年、神須牟地神社に合祀されたとあるのは、現在地に復帰したことを指し示す。
ー神南備にようこそーより抜粋
by barakan1 | 2009-02-26 22:57 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)④神須牟地(かみすむち)神社・・・

■神須牟地神社(かみすむち)  大阪市住吉区長居西2-1-4
●南入口鳥居
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祭神 神産靈大神、手力男命、天兒屋根命
配祀 天日鷲命、大己貴命、宇賀魂命、少名彦命、素盞嗚命、住吉大神
注釈 
摂津国住吉郡の式内社。住道の神である。 久しく荒廃していて元和元年(1615年)に再建された。 この地は住吉大社の東1500mにあり、上町台地から続く古代大阪の陸地の南端に近い。 中臣須牟地神社の旧社地とともに大和への道筋にあたる交通の要所である。呉客道とか磯歯津路と呼ばれたようだ。
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鎮座地については移動しているようだが定かではない。『神社明細書』には、初め、住吉大社の北方住道と称する地に鎮座していたが、楯原(大阪市平野区喜連)に遷座、その後景勝の地であった長居浦である現社地に三遷されたと書く。 また中臣須牟地神社に残されている『叢社記』に寄れば、「神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る。」とある。この木額は18世紀前半に記されたものであり、天神山に鎮座していた時期については明確ではないが、新羅からの客への神酒を醸していた頃のことであろう。
●拝殿・拝殿内部
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『新撰姓氏録』摂津国未定雑姓に「住道首伊弉諾尊男素盞嗚命之後也」とあり、祭神は素盞嗚尊で、住道首がその祖神を奉ったのが創始ともされる。
古来酒作りの神として、また医薬の神として崇敬が篤かった。新羅客の入朝の際賜う神酒を醸造した住道社を当社と『社伝』は見るようだ。
ー神南備にようこそーより抜粋
●東入口鳥居
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●境内末社 農神社
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農耕の神として農民の尊敬厚く、今の長居墓地東北百米の三つの池の中央に土塀をめぐらし一本の松の木の下に社があったのである。農神社の御祭神は大己貴命。
by barakan1 | 2009-02-25 21:36 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)③細江川 親水河川・・・

細江川 親水河川    大阪市住吉区南住吉2丁目付近
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細江川は別名『細井川』とも呼ばれ、住吉区内を東西に貫き、十三間川を経て住吉川へと流れています。かつては、住吉大社の南側付近で池沼状となっており、同地は浅沢小野と呼ばれるかきつばたの名所でした。かきつばたの花が咲き誇る美しい情景は、多くの歌人に詠まれてきました。
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藤原俊成
いざやここ若菜つみてん根行生ふる浅沢小野は里遠くとも  
藤原定家
いかにして浅沢沼のかきつばた紫ふかく匂いそめけん  
顕 昭   
住吉の細江の葦も霜枯れてよそにもしろきみをつくしかな   
宗良親王
住吉の細江漕ぎ出づる海士船の葦間あらそう夜半の月影   
※流れに沿って歌碑が置かれています。
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by barakan1 | 2009-02-22 13:48 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)②止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社・・・

止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社  大阪市住吉区沢之町1-10-4
●神社全景(アベノ筋越しに東から)
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御祭神 
素盞嗚尊  稻田姫尊
●拝殿・狛犬
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御鎮座の年代は不詳でありますが、延喜式(850年制定)の神社神名帳に当神社名がみられます。
●社殿全景
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当時、境内松原の中に清らかな清水が湧く轟池にトドロキという橋が架かっており、住吉大社の摂社(奥の院)として奉斎されておりました。
●絵馬社                             ●手水舎
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承久3年(1221)後鳥羽上皇が行幸のおり、当神社境内地内に行宮をお築になったことより、若松神社又は若松宮と称し、氏子の方々より「若松さん」としたしまれ氏神様として崇め奉られております。
●後鳥羽天皇行宮跡                     ●沖津比売神社(?)
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現在の氏子区域は、墨江、清水丘、遠里小野、安立、住之江、西住之江、浜口東、浜口西、沢之、殿辻、千体、南住吉(2-4丁目)の各町と山之内の一部です。
●境内社  
天水分豊浦命(あめのみくまりとようらのみこと)神社 式内社
※明治40年に西方の安立町霰松原から移転合祀される
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●???                             ●稲荷社
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ー社頭掲示板ーより
by barakan1 | 2009-02-21 11:31 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪2(2008.02.15)①コース概要・・・

住吉区探訪2コース概要

a0016431_1720648.jpg●止止呂支比売命神社の梅の花

自宅12時発~南海沢之町駅~止止呂支比売命神社~細江川親水河川(公園)~神須牟地神社~多米神社之址~長居・北花田駅~華表神社~須牟地曽根神社(勝手大明神)~北花田・天王寺駅~自宅14時。15300歩。
万葉集 花に寄す
巻10-1900 
梅の花咲き散る園に吾(あれ)行かむ君が使を片待ちがてり
by barakan1 | 2009-02-20 17:30 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪(2008.01.28)⑩閻魔地蔵尊(六道の辻)~帝塚山古墳・・・終

閻魔地蔵尊(六道の辻) 大阪市住吉区東粉浜3丁目
住吉大社の北にあります生根神社よりさらに北へ、南海上町線の踏切りを越えたところの大阪市住吉区粉浜東之町の六道の辻に閻魔地蔵と呼ばれる石仏が手厚くまつられております。
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口伝によりますと、「この石仏はもともと難波の浜辺にあったものでこの地へ運んできたところ突然重くなり動かなくなったので住吉大社の神宮寺で当初はまつられていたが明治初めの廃仏棄釈で寺がなくなって以来この場所へ移された」といわれております。また一説によりますと、明和年間に今在家村の人で耕地開墾の祖といわれた源左衛門が海底から拾いあげたとも伝えられております。
この辻堂のある所は、※六道の辻と言われ、六本の道が通っているが、現在ではもう一本道が増えている。この辻道が人間死後の分かれ道とされた。
※六道の辻=人間の死後、前世の善悪の業因によって行きめぐる六つの世界である地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上への道の分れ口。
帝塚山古墳(てづかやまこふん)大阪市住吉区帝塚山西2丁目8
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現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。
大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している前方後円墳。
・規模:全長88m、高さ9m ・築造年代:4世紀末~5世紀初頭
by barakan1 | 2009-02-19 14:20 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪(2008.01.28)⑨生根(いくね)神社・・・

生根(いくね)神社  大阪市住吉区住吉2-3-15
●西入口鳥居                     ●南入口鳥居
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祭神
少彦名命
●境内・拝殿(総木曽檜材にて桃山時代の建築様式)
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由緒
沿革 当社の御創立は不詳なるも、住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉祀せられて居り(日本書紀では1900年前)、延喜式の神明帳(約1300年前に制定)においても当時の式内官幣大社に列し年四度の官幣に預るとある。古来有名大社であったと文献にも多く残っている。
特に豊臣時代には淀君の崇敬社にて、片桐東市正勝元が奉行して現存の御本殿が寄進されている(現大阪府重要文化財文、文部省重重要文化財申請中)。
●拝殿・狛犬
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徳川時代においても、徳川綱吉将軍が修理を命じ奉幣している。(住吉大社造営記)
古来住吉郷の郷社だったが、徳川時代に神宮寺と倶に住吉大社の管理下に入り、後明治5年、元の如く(住吉郷現住吉区全体)の郷社に戻り、現在においては終戦後社格を廃す(全国神社)こととなったが、昨今の夏祭は盛大であり近郷より十万人近い社参がある。
●拝殿内部・本殿(御本殿 切妻千鳥破風木造檜皮葺極彩色の建造)
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更らに境内社天満宮は、室町後期の建造と推定され、御祭神菅公の木製御神像は、文明十四年、天台法主融円律師作の在銘の国宝級の御神体を安置している。これらも近く国の指定となるは必至である。
又別名「奥の天神」は、住吉大社の奥の天満宮を称したとも云われ、一節には沖の天津神(少彦名命)から出た名称(筧博士の説)とも云われている。
●境内社  天満宮(室町後期の建築様式)          龍王社)
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更らに古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であるため、神功皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられたとあり、「酒祝(さかほがい)の歌」というのが後世まで残って居て当社では秋の大祭を甘酒祭りと称して郷土の人々が親しんで来ているのもその一つの実証と思考される。もともと薬の祖神である関係上、古来住吉の淡島明神との別名のもとに信仰者多く、現在においても旧暦3月3日に淡島祭を行っている。
●賽神社                種貸社                    稲荷社
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●境内旧跡
現拝殿東側にある礎石(23箇)は明治初年まで建立されていた、帆柱観音堂の跡であって、この観音堂内の仏像は帆柱観音と称して神功皇后御乗船の帆柱を以つて刻みしものと伝えられている(現在当社に無し)。又紅梅殿西側の石崖は土佐陣屋の石崖の一部を当社に移せしものである。
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「神明穴立石」御本殿東側に有り、少彦名命が海外に行かれし時の浜の石をここに運び「何首烏」と刻し(薬草名)霊石とされし時代もあり、一夜のうちに和歌浦より住吉浜に来たりし妙石なりとの伝説も今は古老の人のみが知る仮説である。
ー全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年ー抜粋
by barakan1 | 2009-02-19 14:13 | 旅日記

大阪市(住吉区)探訪(2008.01.28)⑧大海(おおわたつみ)神社・・・

■大海(おおわたつみ)神社 (住吉大社摂社) 大阪市住吉区住吉2-9-89
●鳥居(この前まで海であったといわれる)
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祭神
豐玉彦命、豐玉姫命      
由緒
オオワタツミと訓む。延喜式神名帳に元名として津守安人神とある。安人神とは現人神の意である。海人の信仰する現人神とは塩筒老翁のこと。また安曇磯良である。
祭神については前記の他、大綿津見命・玉依姫命、また塩土老翁・豊玉姫命・彦火火出見尊などがあるが、安曇氏が祀っていた海神を津守氏が祀ることになって津守安人神となったと、『日本の神々3』で大和岩雄氏は述べている。
●神門・拝殿
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この大海神社は住吉大社創建以前からこの地に鎮座していたと推測されている。大社の場所は田裳見宿禰の領地であった所を社地として提供したとされる。田裳見宿禰の後裔の津守氏の氏神的存在であり、祭祀は安曇氏、管掌は津守氏であり、津守氏はもっぱら住吉大社の祭祀にかかわっていた。
●拝殿・本殿
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お姿
住吉大社の北側に西向きで鎮座。西側に鳥居があるが、往古は岸壁であったと云う。海であった。 境内に玉の井があり、神宝の満珠を蔵めた所とされる。          
ー神南備にようこそーより抜粋
by barakan1 | 2009-02-17 16:03 | 旅日記