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大阪市(天王寺・中央区)探訪(2008・11・28)②比売許曽(ひめこそ)神社・・・

比売許曽(ひめこそ)神社   大阪市東成区東小橋3-8-14
●正面(南)鳥居(神社は住宅密集地の中に鎮座します)
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祭神  下照比賣命
配祀  速素盞嗚命、味耜高彦根命、大小橋命、大鷦鷯命、橘豐日命
●境内と拝殿
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由緒
式内名神大社の論社。但し『大坂市史』は近世の創建とする。遅くまで湿地帯であったようで、式内社であったかどうかは疑わしいようだ。 新羅の阿具沼のほとりで昼寝をしていた女に「日の輝虹の如く、その陰上を指し」、女は妊娠して赤玉を生んだとある。 この赤玉は女となって新羅の王子天之日矛の妻となるが、ある日「吾が祖の国に行かむ」といって、小舟に乗って難波に来た。 「こは難波の比売碁曽の社に坐す阿加流比売神と謂う」と古事記に出ている。
●拝殿と狛犬(なかなか立派な狛犬です)
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日本書紀には垂仁天皇の条に加羅の王子都怒我阿羅斯等の伝承には、白石が童女となり、阿羅斯等はこの童女と結婚しようとしたが、「求ぐ所の童女は、難波に詣りて、比売語曽社の神となる。 または豊国の国前郡に至りて、また比売語曽社の神となりぬ。並に二処に祭ひまつられたまふといふ」と記されている。
●拝殿と渡り廊下(?)
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摂津国風土記には、新羅の女神が夫からのがれてしばらく「筑紫の国の伊波比の比売島」にいたが、まだ韓国から遠く離れていないから、ついに摂津の比売島に来たとある。
ー神南備にようこそーより抜粋
●北側入口(神社後方)と本殿
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産湯稲荷神社は比売許曽神社の旧社地、現在は御旅所で末社
by barakan1 | 2009-01-21 18:16 | 旅日記

大阪市(天王寺・中央区)探訪(2008・11・28)①産湯稲荷神社・・・

産湯稲荷神社   大阪市天王寺区小橋3
●神社正面(東より)を眺める
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「式内比売許曽神社御旅所」とあり、ここに「産湯の井」がある。
●参道(桃山跡・式内比売許曽神社御旅所)
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●産湯稲荷本殿
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社記によると「大小橋命」は天児屋根命の13世の後胤で政務天皇の御代に、この味原郷に誕生、
●産湯清水
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ここの玉井を及んで産湯に用いたことから、この地を「産湯」という。ここはさきの「比売許曽神社」の旧社地で、隣接してあった「味原池」は、比売許曽神社の祭神下照比売命が天の磐船に乗って天降られた霊地である。
●神社北東隅より眺める。写真の北(右側)に「味原池」があった。
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冬十月(かみなづき)、難波の宮に幸せる時、
笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
卷6-0928 
押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と
人皆の 思ひ安みて 連れもなく ありし間に
続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱 太高敷きて
食(を)す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味經(あぢふ)の原
物部(もののふ)の 八十伴雄(やそとものを)は 
廬りして 都と成れり 旅にはあれども

※池は大正8年(1919)に埋められたという。江戸時代から付近一帯が桃畑や桑畑であって今でも桃山や桃谷の名を止めている。
by barakan1 | 2009-01-20 13:49 | 旅日記

大阪市(天王寺・中央区)探訪(2008・12・18)⑤生国魂神社2・・・

■生国魂神社(いくくにたま)社  境内社群
●北門と真言坂
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『日本の神々』で、大和岩雄氏は以下のように語る。
日の御子を足魂に成長させる-日足-である。ヒタシと読む。日の御子の養育生育の意である。 舒明天皇は息長足日広額天皇、皇極斉明天皇は天豊財重日足姫天皇である。息長系の天皇の「足」がついている。難波王朝の祖の応神天皇の母である気長足姫尊であり、この王朝はタラシ王朝である。
気長足姫尊の祖である天日槍が持ってきた宝に足高玉がある。足玉の敬称で足魂で足日である。八十島祭は渡来人系の日の御子の誕生伝承で祭場も熊川とされ、この地を現社地とする見方がある。
●境内社群全景
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さて、生国魂、咲国魂の神、これらの神々が何故に生島神、足島神となるのであろうか。単に神武伝承にのっかった祭神としたのに過ぎないようだ。 難波には神武以前の歴史がある。一つは物部氏の歴史であり、さらにそれ以前の天若日子の降臨、即ち鴨族が難波を開拓していた前史があった。鴨族は祭祀氏族ではあったが、その頃には神社の形ではなく、恐らくは石山の磐座に神の降臨を願って祭祀を行っていたのであろう。これが難波坐生国咲国魂神社の創祀であろうが、年代は神代としか言い様はない。
●家造祖神社                   ●浄瑠璃社
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天若日子が葦原中津国を天孫の統治下に置くべく、高天原より派遣されるのであるが、大国主の娘の下照る比売を娶って居着いてしまう。下照比売は稚国玉、高比売の別名を持つとされるが、稚国玉は天若日子の別名であったのを混乱しているのかも知れない。
●北向八幡神社                  ●鞴(ふいご)神社      
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   天若日子が高天原からの返し矢で不慮の死をとげ、葬儀に父神とその妻や子がやってくる。父神を天津国魂神と言う。天孫族の派遣の国魂神のネーミングであるが、これは難波の開拓神として、国魂とされる程に奉じられ称えられた神と言う意であろう。
●精鎮社                       ●稲荷神社
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難波坐生国咲国魂神社の祭神に天津国魂神はふさわしい。また天若日子には稚国玉また咲国魂の名を贈り功績を称えたのであろう。
ー神南備にようこそーより抜粋
●源九郎稲荷神社                 ●鴫野神社
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◆生国魂神社の杜
松尾芭蕉 他沢山句碑があります。
菊と出て奈良と難波は宵月夜
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by barakan1 | 2009-01-10 11:02 | 旅日記

大阪市(天王寺・中央区)探訪(2008・12・18)④生国魂神社1・・・

生国魂神社(いくくにたま)  大阪市天王寺区生玉町
●神社案内図
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祭神
生島神、足島神
相殿 大物主命
●参道・東鳥居
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境内社 
鞴(ふいご)神社  「天目一箇神、石凝杼賣神、香具土神」
家造祖神社     「手置帆負神、彦狭知神」
鴫野神社      「市寸島比賣命、大宮賣神、淀姫神」
北向八幡神社   「誉田別尊、気長足媛命、玉依比売命」ほか
●境内拝殿・本殿
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由緒
神社略記によれば神武天皇が難波津に到着時石山碕(大阪城付近)に生島、足島神を祀ったのが創祀であるとしている。この石山はかっては磐舟神社があり、饒速日命の降臨の地ともされていた。 難波の聖地であった。豊臣秀吉の大阪城建造にともない現社地に遷った。大坂城の追手門は生玉門とも呼ばれていたように西側の追手門の場所に鎮座していた。旧址の碑が立っている。
●天満社
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式内の名神大社で難波坐生国咲国魂神社二座と記されている。宮中では生嶋巫祭神二座として生嶋神・足嶋神としても祀られた。
難波の海辺で行われた八十島祭はこの両神を祀ったもので八十島神とは生島神・足島神である。
●住吉社
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この八十島祭では、勅使が天皇の「御衣」を納めた箱を持って難波の熊川尻の海岸で海に向かって「御衣筥」を開き、女官がこれを振り動かす儀礼である。 「振る」のは魂振りで生命の根源である魂を振り動かす事であり、女官が「御衣筥」を振るのは即位直後の天皇すなわち生まれたばかりの日の御子の入った「ゆりかご」をゆらすのである。 ゆらすことで足魂(咲魂)に成長するのである。
●皇大神宮
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八十島祭には住吉神、大依羅神、海神、垂水神、住道神なども祀られた。 ー神南備にようこそーより抜粋
※最近体調悪く、更新儘なりません。・・・・頑張って更新続けるつもりです。
by barakan1 | 2009-01-07 12:26 | 旅日記