<   2009年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧

大阪市(東住吉区)探訪(2009.01.19)①コース概要~中井神社・・・

針中野駅からの駅長のフリープランというコースだ。
楽な割に結構面白いところを回れた。
●針中野のザクロ
a0016431_1815410.jpg
針中野駅~中井神社~昔のハリ道標~酒君塚石碑~鷹合神社~湯屋島の由来(覚林寺)~住吉神社~中臣須牟地神社~住道(須牟地)寺跡~バス美章園。歩数12000歩。



中井神社(田辺東社)  大阪市東住吉区針中野2丁目3-5
●神社入口(西側)
a0016431_18155782.jpg
祭神    素盞鳴尊
境内社
白龍社   白龍大神 光蛇大神
大神宮社 天照大神
●境内(右白龍社)
a0016431_18172998.jpg
中井神社は、田辺東神と伝承されており、古来、安産の神様とされ、明治維新まで牛頭(ごず)天王社と称されました。
●拝殿
a0016431_18184352.jpg
境内には樹齢1000年をこえる榎の大樹があり、昔から世に異変のあるときは必ず夜間にごう音がすると言い伝えられていました。惜しくも昭和9年の台風で折られ、根元5m程が残り、現在は屋根を葺き、玉垣をめぐらして、白竜社として祀られています。
●白龍社
a0016431_18194086.jpg
この神社の前にある清水が沸く井戸を、村人は、「穢れのない霊泉」として大切にしていたところから、「中野村の井戸がある処の神社」という意味で「中井神社」と社名を改められたのだそうです。
●大神宮社                   ●東入口鳥居
a0016431_1821936.jpg
※中井神社は「田辺東社」称されていました。ちなみに「田辺西社」は山坂神社と言われています。
by barakan1 | 2009-01-31 18:27 | 旅日記

大阪市(平野区)探訪(2009・01・08)④赤留比売命神社・・・2

●赤留比売命神社(拝殿・本殿)
当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。
当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている。
a0016431_1338233.jpg
俗に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間(1394~)に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。
またかって住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣習となっている。
環濠土塁跡
a0016431_13425896.jpg
社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残が見られる数少ない場所の一つである。
●土塁上より社殿と右奥下環濠跡
a0016431_13445055.jpg
ー境内掲示板ー
住吉大社の末社から杭全神社の境外摂社となったのは、大正3年に郷社杭全神社へ合併されたためです。 
境内社(住吉社・金毘羅社・天満宮・稲荷社)
a0016431_13453760.jpg
平野郷町を囲んでいた土塁に接する境内には、本殿のほかに明治30年に西方大字背戸口から合祀された天満宮(祭神-菅原道真)と同社末社の稲荷社があるほか、本殿の北側に接して、当社がかって住吉大社の末社であったことを物語る住吉神社と金毘羅社があります。
●環濠部より土塁と社殿を見る
a0016431_1349588.jpg
※祭神の赤留比売命神とは『古事記』応神天皇の段によると、新羅王の子である天之日矛に罵られ、祖国の難波へ逃げ還った美しい妻とは、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神として祀られた神であり、赤い玉(『日本書紀』では白い石)から生まれ変わったという姫神であったとされる。                   
by barakan1 | 2009-01-30 13:55 | 旅日記

大阪市(平野区)探訪(2009・01・08)④赤留比売命神社・・・1

赤留比売命神社(杭全神社摂社)式内社 大阪市平野区平野東2-10
●北側より
a0016431_1245785.jpg
祭神
赤留比賣命   
境内社 住吉神社、金毘羅社  天満宮 稲荷社
●南側より
a0016431_1253958.jpg
当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。
当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている。
●西側より
a0016431_1283141.jpg
俗に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間(1394~)に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。
●本殿
a0016431_1285342.jpg
またかって住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣習となっている。
●(左)濠跡         ●(中)環濠堤跡          ●(右)環濠内神社
a0016431_12124745.jpg
社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残が見られる数少ない場所の一つである。
ー境内掲示板ー
by barakan1 | 2009-01-30 12:15 | 旅日記

大阪市(平野区)探訪(2009・01・08)③全興寺( せんこうじ )・・・

平野郷環濠図
a0016431_15212530.jpg

全興寺( せんこうじ ) 大阪市平野区平野本町 4-12-21
a0016431_15224023.jpg
宗派・高野山真言宗
山号・野中山全興寺
・おおさか十三仏霊場 ・摂津八十八ヶ所霊場
a0016431_15225610.jpg
今から千三百年前の昔、聖徳太子が、平野の野中の地に小宇を建立して薬師如来の像を安置されたと、寺伝にあり、これが全興寺の草創です。
●山門・本堂
a0016431_15231677.jpg
その薬師堂からしたいに町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。
本堂は江戸時代初めの1615年"大阪夏の陣"で一部を焼失。1661年再建されたもので、大阪府下では古い木造建築の一つです。ーHPーより 
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2009-01-29 15:25 | 旅日記

大阪市(平野区)探訪(2009・01・08)②杭全神社・・・2

境内社
●宇賀神社 (市杵嶋姫命を祭るので、いわゆる厳島神社とか弁財天と同じものだ)
a0016431_2019316.jpg
明治初年の神仏分離令で、寺院関係のものは「長宝寺」に移され、1870年(明治3年)現在の杭全神社と改称されている。
●くすのき社(樹齢は1千年といわれ、高さ約30m、太さは約10mあり)
a0016431_2023931.jpg
●鎮守社
a0016431_20233226.jpg
現在も広大な社域が残されており、見るべきものが多くある。建物は本殿の三殿とも国の重要文化財に指定されおり、現存する建物としては我が国唯一の「連歌所」もある。
●垂乳根いちょう   ●稲荷社
a0016431_20251656.jpg
●十柱社
a0016431_202532100.jpg
神社の年中行事の中では1190年(建久元年)成立の伝承もある「お田植神事」や「けんか祭り」ともいわれる夏祭りが有名である。
●田村社
a0016431_20264385.jpg
●恵比須社
a0016431_2027174.jpg
また、堺と並ぶ自治都市平野郷は環濠集落で有名であるが、その環濠の遺構が社域内に残っている。
●環濠跡
a0016431_20441852.jpg

a0016431_20204591.jpg
※境外摂社  赤留比売命神社
ー大阪再発見ー神社巡りよりー
by barakan1 | 2009-01-28 20:29 | 旅日記

大阪市(平野区)探訪(2009・01・08)① 杭全神社・・・1

杭全(くまた)神社   大阪市平野区平野宮町2-1-67
●正面一の鳥居
a0016431_19134392.jpg
祭神
第一殿  素盞嗚尊
第二殿  伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊
第三殿(証誠殿) 伊弉諾尊
●参道・手水舎
a0016431_19143210.jpg
境外摂社 赤留比売命神社(式内論社)「赤留比賣命」
境内摂社 鎮守神社「粟柄神」 、宇賀神社「市杵島姫命」
●拝殿・狛犬
a0016431_19163386.jpg
当社の由緒は、平安の初期、征夷大将軍坂上田村磨の子、広野麿が枕全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、
●本殿(左から、第一殿・第二殿・第三殿)
a0016431_1920838.jpg
その子当道が862年(貞観4年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが現在の第一殿で、これを創祀とする。
●本殿(第一殿)
a0016431_1922218.jpg

a0016431_19222669.jpg
後年、1190年(建久元年)に熊野信仰が大いに流行するにおよび、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を勧請建立したのが第三殿で、
●本殿(第三殿)
a0016431_19254572.jpg

a0016431_1926893.jpg
更に1321年(元享元年)に熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請建立したのが第二殿である。
●本殿(第二殿)
a0016431_19241038.jpg

a0016431_19243986.jpg
この折、後醍醐天皇より「熊野三所権現社」の勅額を賜るなど、「平野熊野三所権現」と称され、平野殿坂上家と平野七名家が管理・運営にあたった。ー大阪再発見ー神社巡りよりー
by barakan1 | 2009-01-27 19:32 | 旅日記

大阪市(阿倍野区)探訪(2009・01・08)①西光寺~松長大明神(阿部寺跡)・・・

西光寺   大阪市阿倍野区松崎町2丁目3-44
a0016431_1727449.jpg
本尊 阿弥陀如来
重厚な入母屋造の本堂、鐘楼が目立つ。ホテルや百貨店、飲食ビルの間に時代から取り残されたように、古色蒼然とあります。今となっては貴重な空間である。
歴史 開創年代は不詳。昭和8(1933)年東区博労町四丁目から移転した。
◆阿倍野区の変遷 
阿倍野の名は古代、この地を所領とした大族阿倍氏に因むという説が有力である。6~7世紀、この阿倍氏の氏寺、阿倍寺が開創された。現在の近鉄阿部野橋駅の南、松崎町付近であったと推定される。阿倍寺は四天王寺と同様、主要な堂塔が南北に一直線上に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」であり「阿倍寺千軒坊」と呼ばれるほどの繁栄を見せた。また阿倍王子神社と密接な関係にあった。阿倍寺は阿倍氏の衰退と共に衰え、四天王寺に併合されたという。今、阿倍寺の流れを汲むとされる寺には印山寺、聖天山正円寺がある。
●発掘調査後整地された、阿部寺跡(08-012調査中でしたが、現在は写真の通りです)
a0016431_17341493.jpg
鎌倉時代から室町時代にかけては、当地はしばしば戦場となった。南朝の武将、北畠顕家が戦死したのもこの地である(墓碑が残る)。阿倍野は古代から中世にかけては熊野街道沿いの街として、また近世初頭は堺と大坂をつなぐ交通の要衝として賑わいを見せた。しかし、江戸期以降は近郊の農村地帯にもどった。明治初期には見渡す限り田畑や原野が広がり、狐狸なども棲む寂しい場所だったといわれている。ー寺サイト本山ーより抜粋
阿倍寺跡推定地(松長大明神)
●裏のゴチャゴチャした細道を入った処
a0016431_17372971.jpg
阿倍野区松崎町一帯には「阿倍寺」「東阿倍寺」などの字名が残っており、このあたりを本拠にしていたという阿倍氏の氏寺である阿倍寺跡に推定されている。
a0016431_17383698.jpg
阿倍寺は「阿倍寺千軒」とよばれ広大な伽藍を有していたと伝えられている。第二次世界大戦直後には、建物基壇跡ではないかと言われる小丘が残っていたが、現在ではそれも失われ、寺院の伽藍配置など詳しいことは不明である。
a0016431_1739266.jpg

a0016431_17425389.jpg昭和十年(1935)には、松長大明神の付近から塔心礎と考えられる礎石と布目瓦が出土しているほか、道路工事等に伴い、若干の瓦が採集されている。





●松長大明神側から、新発掘現場を見る
a0016431_17404736.jpg
その中には、複弁八葉蓮華紋丸瓦や重狐文の軒平瓦など、白鳳時代に遡るものもある。
礎石は、大阪府有形文化財に指定され、現在西成区の天下茶屋公園内に移設されている。
ー大阪市教育委員会ー案内板
by barakan1 | 2009-01-25 17:48 | 旅日記

大阪市(東住吉区)探訪(2008・12・18)③山阪神社・・・

山阪神社    大阪市東住吉区山坂2-19-23
●神社(東南側)入口
a0016431_20303435.jpg
祭神
    天穗日命 (あめのほひのみこと)
配祀 野見宿禰 (のみのすくねのみこと)
合祀 猿田彦命 (さるたひこのみこと)
    宇賀御魂神(うがのみたまのかみ) 
    素盞烏尊 (すさのをのみこと)
●入口鳥居と狛犬
a0016431_20312481.jpg
摂社
荒川稲荷神社  「湯津志可由布比賣命 配祀 地主神」
遥拝社       「天照大神         産土神」
土公社(方除社)
祖霊社
●参道脇の「力石」              ●手水舎
a0016431_20324292.jpg
由緒
当社は一に田辺神社といい、三代実録にも掲載されている「田辺西ノ神」です。田辺の地名は、田辺宿禰に関係ありといわれておりますが、詳かではありません。
天穂日命の子孫が、この土地に住し、その祖神 天穂日命を祀って社殿を建立しました。さらに、その同族土師(ハジ)氏たる野見宿禰命を合わせて祀られたのが当社の創めとされています。
●社殿(左祖霊社、右稲荷社)
a0016431_2037137.jpg
後に土師氏弓部十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功をあらわしたとあります。凱旋後、摂津住吉神社創立と共に、その地に邸宅を賜り梅園氏と称し、住吉松葉大記によりますと、大海、大依羅、開口、座摩、生国魂の各末社の上位にしるされ、当社が住吉大社より重視されていたあかしでもあります。
●遥拝社(?)                     ●荒川稲荷神社
a0016431_203930100.jpg
当社の祭儀もこの頃より梅園氏によって行なわれ、その同族にして配下の田辺宮主即ち禰宜長ならびに舎人よりなる宮座によって奉仕されたのであります。
九月朔日の例祭には、当社および後に現れる田辺東ノ神の祭儀には梅園氏親しく奉仕し、ことに禰宜長以下の宮座は当社に奉仕すると共に、住吉神社の神馬を飼養し日々住吉神社へ曳くを例とするようになり、当社の宮座は住吉神社との間に古くより特殊な交渉があったものとかんがえられます。
●土公社(方除社)
a0016431_20403542.jpg
降って、平安朝に入り清和天皇の貞観四年八月十一日には、当社西ノ神、同東ノ神とともに従五位下に叙せられたと記録に残っています。思うに、田辺神社が東西にわかれてあったのは平安朝以前のことで、その時期は不明確ですが田辺発達の推移より考えまして、西ノ神まず田辺神社として創立され、次に人文の東方に発達するに伴い新たに田辺東ノ神を勸請され、何時か東西を付して両社を区別されたものと思われます。 以上
●神社西側入口鳥居(本殿裏で壁で囲まれて入れません。以前は入れた?)
a0016431_20451197.jpg
ー山阪神社しおりーより 
by barakan1 | 2009-01-24 20:45 | 旅日記

大阪市(東住吉区)探訪(2008・12・18)②法楽寺・・・

法楽寺  大阪市東住吉区山坂1丁目18番
●正面(南門)より
a0016431_18162215.jpg
本尊 大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)立像です。
当山は山号を紫金山、院号を小松院と号し、その創建は、平清盛の嫡子で小松の大臣(おとど)と呼ばれていた平重盛が1178年(治承2年)に開創したのに始まるとしている。
●本堂
a0016431_18175281.jpg
重盛は、宋の国・育王山の仏照国師の徳を慕い、我国への招聘を働きかけたが実現せず、その代わりに育王山伝来の紫金仏舎利が贈られてきた。そのためこの田辺の地に一寺(法楽寺)を建立し、仏舎利を納めたという。
●大師堂                      ●鎮守 秋葉大権現
a0016431_18211436.jpg
 創建以来の建物は戦国の末、元亀年間(1570~3年)頃まで護持されてきたが、織田信長の兵火に罹り、全て灰燼に帰した。その後、江戸中期の1711年(正徳元年)河内・野中寺より晋山した洪善大和上が大和大宇陀、松山藩藩主織田家の殿舎を譲り受け復興したという歴史がある。
●田辺の不動さん(左後方楠大明神)
a0016431_18252829.jpg
また、江戸時代後期の高僧・慈雲尊者が13歳の時、当山の忍綱貞紀和上の弟子となり得度。27歳のとき河内高井田(現東大阪市)の長栄寺にて真言正法律を提唱した。
●鐘楼とご神木と三重塔(前側にお不動さん、斜め後方にお稲荷さんがあります)
a0016431_18303896.jpg
この寺は1873年(明治6年)に府下で最初の小学校の置かれたところでもある。当山は田辺にあるところから、本尊の不動明王は『田辺の不動さん』と人々に親しまれ,毎月28日には遠近の参拝客で賑わう。ー法楽寺HPーより
◆平成の木造三重塔
a0016431_18343095.jpg
この三重塔は、重厚な鎌倉時代様式の百済寺(奈良県広陵町)の三重塔を模して建立されたもので、正式には「法楽寺三重宝塔」と命名されています。
a0016431_18351297.jpg◆樹齢800年大楠
樹高26m、
幹の外周は8m。
枝葉の外周は26m。
大阪府下では住吉大社の楠の次に古い、樹齢800年の木であると言われています。
by barakan1 | 2009-01-23 18:41 | 旅日記

大阪市(東住吉区)探訪(2008・12・18)①神馬塚跡~難波大道(法楽寺あたり)・・・

■神馬塚跡  東住吉区山坂1-11
JR線の線路脇で見つけた店一風変わった「うどんや風一夜薬」。そのすぐ隣に神馬塚跡という小さな空き地があります。
a0016431_14571082.jpg

昔、田辺の集落では、昼間、住吉大社の神馬を預かって飼育していました。その馬のお墓です(同神社では神馬が死ぬと、そのたてがみを代々この塚に納めるそう。しかも神功皇后時代の一代目神馬からということらしいが!!・・・兎に角、歴史としては大変なものだ)。
■難波大道
●法楽寺よこあたり
a0016431_1459143.jpg
法楽寺は、昔に言うところの摂津国田辺、現在の大阪市東住吉区山坂に位置しています。
●難波大道説明板
a0016431_14592956.jpg
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2009-01-22 15:02 | 旅日記