<   2008年 11月 ( 21 )   > この月の画像一覧

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑩竹の径・・・

竹の径
a0016431_16115566.jpg
風がおこす笹音や小鳥のさえずりをBGMに、木もれ日や香りを楽しむ「癒しの散策路」として親しまれている。
a0016431_16121711.jpg

a0016431_16124329.jpg

a0016431_1613765.jpg

a0016431_1620837.jpg

a0016431_1613316.jpg
道の両脇に立つ竹垣には、竹の枝を約1.5メートルの高さで束ねて並べた「竹穂垣」を始め、「古墳垣」「寺戸垣」「物集女垣」「かぐや垣」「来迎寺垣」と計6種類によって構成されています。
by barakan1 | 2008-11-30 16:20 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑨五塚原古墳~藤原朝臣乙牟漏墓・・・

五塚原古墳(いつかはら)  向日市寺戸町中野20番地
a0016431_12235188.jpg

a0016431_12241359.jpg
はりこ池西側の山頂にあり、古墳時代前期(4世紀)の全長約94メートルの前方後円墳です。後円部は直径54メートル・高さ9メートル、前方部は幅36メートル・高さ4メートルで典型的な古墳時代前期の形をしています。
a0016431_12243490.jpg


藤原朝臣乙牟漏(ふじわらのあそみおとむろ)墓  向日市寺戸町
a0016431_1224596.jpg
生没年: 天平宝字4年(760) ~ 延暦年(790)
第50代桓武天皇の皇后で、藤原式家良継の子。母は安倍朝臣古美奈。平城・嵯峨両天皇と高志内親王の母。山部王(桓武天皇)の皇太子時代に妃となり、宝亀5年(774)、安殿親王(平城天皇)の母。
a0016431_12255052.jpg
桓武天皇の即位にともない、延暦2年(783)正三位に叙せられて皇后となる。延暦5年賀美能親王(神野親王:嵯峨天皇)を出産。
a0016431_12265837.gif
延暦9年、病により31歳で夭折した。天之高藤広宗照姫之尊の諡号を贈られ、山背国乙訓郡長岡山陵に葬られた。現在の向日市寺戸町大牧にあり、直径約65m、高さ約7mの円形古墳である。大同元年(806)、安殿親王の即位に伴い皇太后を追贈された。
a0016431_12272246.jpg
京都市右京区に残る大原野神社は、延暦3年(784)乙牟漏が勧進したと伝えられる。(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-11-29 12:30 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑧元稲荷古墳・・・

元稲荷古墳   向日市向日町北山(勝山公園内)
a0016431_12213769.jpg
この古墳は、向日丘陵先端部の尾根上に築かれた全長94mを測る前方後方墳です。築造は3世紀末から4世紀初頭で、乙訓地域では最も古い古墳と考えられています。昭和35(1960)、45(1970)年の二回にわたり京都大学により発掘調査が行われ、その規模や性格が明らかになりました。
a0016431_1223611.jpg
墳丘の斜面に貼られた葺石は、偏平なタイル状のもので、弥生時代の終わりごろの墓の「貼り石」によく似たものでありました。
後方部の中央には竪穴式石室があり、大半が盗掘されていましたが、鉄製武器(銅鏃・刀・剣・鏃・鎗・矛・石突)や鉄製工具(斧・錐)、土師器の壷が出土しました。前方部の墳丘中央には、南北約2m、東西約4mの範囲で埴輪が樹立していた部分がありました。この埴輪は、円筒埴輪と壷型埴輪のセットで、弥生時代の墓に供えた土器を模して作られた古い形の埴輪であることが分かりました。
a0016431_12233071.jpg
このように、この元稲荷古墳は、墳形(古墳の形)や葺石の状態、出土した埴輪や土器などから、近畿地方における他の前期古墳の中でも、極めて特異な古い様相を示す重要な古墳であると考えられています。
a0016431_12234955.jpg
この他に、向日丘陵に築かれた前期の古墳には、五塚原古墳・寺戸大塚古墳があります。これらの古墳は、ほぼ同じ大きさをしています。この時代、古墳を築くのに何らかの規制や約束事があったものと考えられます。ー向日市HP-より抜粋
by barakan1 | 2008-11-27 12:25 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑦向日神社2・・・

向日神社末社群
●祖霊社                   ●五社神社
a0016431_11482040.jpg
春日社 武雷神(たけいかづちのかみ)
加茂社 別雷神(わけいかづちのかみ)
三島鴨社 大己貴命(おおなむちのみこと)
石神社 磐裂神(いわさくのかみ)
岡本社 事代主命(ことしろぬしのみこと)
●春日神社 
a0016431_11584078.jpg
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
斎主命(いわいぬしのみこと)
天津児屋根命(あまつこやねのみこと)
姫大神(ひめおおかみ)
●天満宮
a0016431_11465639.jpg
菅原道真(すがわらのみちざね)
相殿  
大歳神(おおどしのかみ)
屋船神(やふねのかみ)
●御霊神社 
a0016431_120750.jpg
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
●勝山身代不動尊(役の行者)
a0016431_1215464.jpg
●勝山稲荷神社 
a0016431_1234236.jpg
宇迦魂神(うかのみたまのかみ)
a0016431_124133.jpg
●勝山稲荷神社・元宮
a0016431_1245641.jpg

by barakan1 | 2008-11-27 12:09 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑥向日神社1・・・

向日神社(むこう)  京都府向日市向日北山65
a0016431_1519367.jpg
御祭神
本社   向日神(むかひのかみ)
配祀   火雷神(ほのいかづちのかみ)
      玉依姫命(たまよりひめのみこと)
      神武天皇(じんむてんのう)
●参道・石畳
a0016431_1520698.jpg
「当社は延喜式神名帳に記載された、いわゆる式内社であり、神名式においては山城国乙訓郡向神社と称され後に同式の乙訓坐火雷神社を併祭して今日に至っている。この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向神社は上ノ社、火雷神社は下ノ社と呼ばれていた。
●境内入口・舞楽殿
a0016431_15235648.jpg
●舞楽殿                       ●手水舎
a0016431_15244397.jpg
向神社の創立は、大歳神の御子、御歳神がこの峰に登られた時、これを向日山と称され、この地に永く鎮座して、御田作りを奨励されたのに始まる。向日山に鎮座されたことにより、御歳神を向日神と申し上げることとなったのである。
●舞楽殿左奥拝殿
a0016431_15261120.jpg
火雷神社は、神武天皇が大和国より山城国に遷り住まれた時、神々の土地の故事により、向日山麓に社を建てて火雷大神を祭られたのが創立である。
●拝殿                       ●本殿
a0016431_15265130.jpg
後、養老二年(西暦718年)社殿を改築し、新殿遷座の際、火雷大神の御后神、玉依姫命を、また創立の因縁により神武天皇を併祭された。その後、建治元年(西暦1275年)社殿荒廃により、上ノ社に併祭、以降下ノ社の再興がならず、上ノ社に上記四柱を御祭し、向日神社として今日に至っている。
●拝殿と本殿
a0016431_15274865.jpg
上ノ社は五穀豊穣の神として、下ノ社は祈雨、鎮火の神として、朝廷の特に篤い神社であったことは、古書に数多く見られるところである。
●神社配置図
a0016431_15282124.jpg
ーしおりーより
by barakan1 | 2008-11-25 15:45 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑤北真経寺 ・・・

鶏冠山 北真経寺  向日市鶏冠井町御屋敷
南真経寺とは、もと一寺であり江戸時代前期の承応3年 幕府の佛教統制によって分立に至ります。
●北門より遠景  (本堂修理中にて見れませんでした)
a0016431_20325388.jpg

a0016431_20362851.jpg鎌倉時代末期永仁2年(1294)京都に入った日像聖人は活発に日蓮の教えを説き、次第に有力な町衆を信徒に加え洛中に妙顕寺を建立した。後醍醐天皇より独立した一宗として公認されるに至りました。しかし、それまでの40年の間には比叡山を中心とする他宗からの迫害を受け二度三度と洛中を追放されました。西国街道沿いの向日神社や鶏冠井の集落に日像聖人の足跡がしるされたのは、この追放の時期のことです。
●拾遺都名所図絵より 鶏冠井村壇林
a0016431_20371048.jpg
その頃、鶏冠井(かいで)に密教寺の真言寺があり住持を実賢律師といいました。
徳治2年(1307)頃乙訓郡山崎付近にとどまった日像は、さかんに布教活動を行っていました。ある時、向日明神に法華弘通の祈願をされた折り、境内に野宿し一夜を明かしたところ白髪の明神が現れ、夢の御告を頂かれました。「汝、此の地に法華経を弘めよ」と、これを縁として日像は西ノ岡に於いて布教することになります。
●本堂外観                 ●日像坐像
a0016431_20374780.jpg
鶏冠井(かいで)の集落に於いては特に日像は住持の実賢と法論の末ついに実賢は日像に帰依し弟子となって真言寺を真経寺と改めることになりました。こうして真経寺は関西に於ける日蓮宗最初の寺院となり、以後日像の布教活動の拠点の一つとなったのです。
●鐘楼                ●妙見大菩薩
a0016431_20381968.jpg
江戸時代前期に南北真経寺に分かれた時 北真経寺は壇林(学問所)が設けられ、多くの僧が学び 教典の収集や教義書の出版などをしていました。明治初年に壇林は廃止され、本堂周辺の5つの大きな建物は取り壊され今日に至っています。
ーweb.kyoto-inet.or.jpーより
by barakan1 | 2008-11-23 20:46 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)④長岡京跡3・・・

西朝堂院第四堂跡
a0016431_17523382.jpg

長岡宮築地跡  向日市上植野町
a0016431_17525849.jpg
長岡宮を囲む築地塀(土塁)の跡で昭和54年に発見されました。築地跡は長岡宮内裏内郭築地回廊の真南・一直線上にあたり、長岡宮の建物が規則的に建築されていたことを裏付けています。
内裏内郭築地回廊跡  向日市鶏冠井町荒内 
a0016431_17531828.jpg
天皇の生活の場所であったと言われています。昭和48年に国の史跡に指定され、現在は公園として整備されています。
a0016431_17533189.jpg

by barakan1 | 2008-11-22 17:54 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)③長岡京跡2・・・

◆長岡宮跡
●長岡宮模型
a0016431_14264395.jpg
※※桓武天皇御代のエピソードとして有名なのは「平安京遷都」である。(1200年にわたる「京都」の繁栄を築いた人物として知られている)
◇◇桓武天皇系図
a0016431_14405065.jpg
●小安殿(後殿)跡
a0016431_14274210.jpg
●西回廊
a0016431_14282738.jpg
少し歴史に詳しい人だと、「蝦夷征伐」「長岡京遷都」も加わる。そしてもっと歴史に詳しい人だと、どうして平城京から長岡京・平安京と二度も遷都を繰り返したのか??について、
a0016431_14302228.jpg

a0016431_14305760.jpg
それが「怨霊」のせいだと知っている。実際この天皇は、生涯を「怨霊」の祟りから逃れる事に費やしたような天皇だった。
●閤門跡
a0016431_1432241.jpg

a0016431_1433840.jpg

長岡京跡条坊復元図
a0016431_14454150.jpg
◆(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-11-21 14:48 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)②長岡京跡1・・・

長岡京跡
●長岡京全景地図
a0016431_14235686.jpg
長岡宮(跡)
桓武天皇の命により平城京から遷都して造営された。
●宝憧跡(ほうどう)
a0016431_14263333.jpg
遷都については、「続日本紀」には、水陸の交通の便が理由であるとの記述が見えるが、
a0016431_14271039.jpg
*既存仏教勢力や貴族勢力に距離を置く
*新京の周辺地域をおさえる、母方のバックボーンたる渡来人勢力との関係
*父の光仁天皇の代から天智系に皇統が遷った事による一新
等の説がある。784年(延暦3年)は甲子革令の年であり、桓武帝は天武系から天智系の天皇であったことも興味深い。
●長岡宮・宝憧跡(ながおかきゅう・ほうどう)
a0016431_14285398.jpg

a0016431_14291348.jpg
「宝憧(ほうどう)は天皇の権威を象徴し、即位式と元旦にのみ建てられる特別な装飾具です。しかし長岡宮で天皇の即位はありません。そこでこの宝憧跡は朝賀の儀式の際に用いられたものと判断されます。 向日市教育委員会」
桓武天皇略歴
●大極殿跡
a0016431_14335390.jpg
桓武天皇は白壁王(のちの光仁天皇)の第一皇子として天平9年(737年)に産まれた。母の高野新笠は、百済の武寧王を祖先とする百済王族の末裔と続日本紀に記されている。皇后藤原乙牟漏により安殿(のちの平城天皇)、神野(のちの嵯峨天皇)をなし、妃藤原旅子により大伴(のちの淳和天皇)をなす。初名は山部王。
●正面左より
a0016431_14372148.jpg

a0016431_14381853.jpg父の白壁王の即位後も母の高野新笠が身分の低い帰化氏族和氏出身であったため、立太子は望まれておらず、当初は官僚としての出世を目指しており、侍従・大学頭・中務卿などを歴任していた。しかし、藤原氏などを巻き込んだ政争によって異母弟である前皇太子他戸親王とその母であった皇后井上内親王が突如廃されて宝亀4年(773年)1月2日に立太子。天応元年(781年)4月15日、即位。平城京における奈良仏教各寺の影響力の肥大化を厭い、山城国への遷都を行った。
●正面右より
a0016431_14423419.jpg
はじめに784年に長岡京を造営するが、794年に改めて平安京を造営した。また東北地方を侵略し蝦夷を服属させるため、坂上田村麻呂を征夷大将軍とする軍を送った。しかし晩年にはこのような軍事と造作が百姓を苦しめているとして式家の藤原緒嗣に批判された。文化面では続日本紀の編纂を発案したとされる。最澄と空海が唐から帰国し日本の仏教に新たな動きをもたらしたのも桓武治下である。
●大極殿・朝堂院模型
a0016431_14384927.jpg
井上内親王と他戸親王の不自然な死、治世のはじめに、皇太子とした弟早良親王を藤原種継暗殺の廉で785年流罪とし配所で死なしめたという暗い面も持ち合わせた。怨霊を恐れ、延暦19年(800年)7月19日、早良親王を崇道天皇と追号し、井上内親王の墓を山陵と追称し、皇后の位を復した。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-11-20 14:55 | 旅日記

西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)①コース概要~石塔寺・・・

コース概要  西国街道探訪(向日市)
9時半自宅発~10時半西向日駅~石塔寺~長岡宮大極殿・小安殿跡~長岡宮築地跡~長岡宮内裏内郭築地回廊跡~北真経寺~向日神社~元稲荷古墳~向日市文化資料館(休館日)~五塚原古墳~桓武天皇皇后陵~寺戸大塚古墳~物集女(もずめ)車塚古墳~阪急東向日駅~梅田~自宅17時半着。23000歩。(前回の歩数は間違いで、28000でした)
今日の目玉予定の、文化資料館の休館にはガックリしました。一番楽しみにしていたものだから・・・。
法性山 石塔寺 向日市鶏冠井町山畑 44
a0016431_18213312.jpg
法性山と号します。石塔寺はその名の通り「石塔」が寺歴の始まりです。
この「石塔」は日蓮聖人の法孫、日像聖人が延慶3年(1310)3月8日「南無妙法蓮華経」と題目石塔を建てられた事から始まりました。日像聖人独特の題目が彫られています。
a0016431_1822649.jpg
当初、2間4方の堂宇が建てられ「塔堂」と呼ばれていました。その後文明年間(1470)には伽藍が整い「石塔寺」と称するようになりました。
●寺前を通る、西国街道
a0016431_18224997.jpg
お寺の名前から、御塔道という地名がつきました。毎年5月に石塔寺で開催される「鶏冠井題目踊り」は、京都府の無形民俗文化財に指定されています。
by barakan1 | 2008-11-18 18:24 | 旅日記