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芦屋市(親王寺~阿保親王塚あたり)探訪(08.07.21)④阿保親王塚・・・

■阿保親王塚 (あぼしんのうづか)  芦屋市翠ヶ丘町 1
●打出天神社横の道を北に登る
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JR芦屋駅の北東約1キロメートルの翠ケ丘町の西端に大きな木がうっそうとしている森があります。この中に、阿保親王塚といい伝えられている古墳(お墓)があります。
●親王墓南から見る
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この古墳は、形などから今から約1500年前のものと考えられています。江戸時代に古墳の改修工事をしたとき、その近くから鏡がでてきましたが、その主なものは現在、阿保親王の菩提寺とされる親王寺(打出町)に保管されています。
●遥拝所
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この地は、古くから「親王さんの森」として親しまれ、変わりゆく芦屋の中で、緑につつまれ、静寂を今に保ちつづけています。平城天皇の皇子、阿保親王がまつられているとの伝承をもつこの古墳は、現在宮内庁によって管理されております。
●阿保親王墓
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出土遺物から見て、古墳の築造時期は阿保親王の没年(西暦842年)よりも500年ほど古いと思われ、親王との関連はむしろかつて近くに存在した四ツの塚の方が深いといえるでしよう。なぜ、現在の親王塚が阿保親王と関連づけられたかは不明です。写真にある両側の灯籠は山口の毛利家から寄進されたものと言われております。ー芦屋の歴史・伝説ーより
●西南交差点より見る
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by barakan1 | 2008-07-28 13:57 | 旅日記

芦屋市(親王寺~阿保親王塚あたり)探訪(08.07.21)③打出天神社・・・

打出天神社   芦屋市春日町1
●神社を南から
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御祭神
菅原道真公 他9柱
●神社正面鳥居
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由緒
当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、初めて海岸に打ち出る地点であった。また、神功皇后と坂・忍熊皇子に由来する打出の浜。さらに打出の小槌の伝説のある所である。
●神社境内拝殿
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古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。
●本殿
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この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くからわったと思われ、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請されたとみたい。
又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも、なにかしら深い縁がある。
ー案内板ーより
●境内摂末社
天神社お馴染の牛                     ●稲荷神社
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●厳島、若宮、春日、南宮八幡、金毘羅神社
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●竈神
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明治40(1907)ころ、一町村一神社の方針が打ち出され、打出天神社に、宮川町(現在の町名:以下同じ)の金比羅神社、南宮町の南宮八幡宮、同じ春日町の春日神社、若宮町の若宮神社、金津山古墳の上にあった厳島神社が合祀された。
●山守大神                    ●祖霊社
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by barakan1 | 2008-07-26 19:21 | 旅日記

芦屋市(親王寺~阿保親王塚あたり)探訪(08.07.21)②金津山古墳・・・

金津山古墳
●古墳を南から→北
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「金塚、黄金塚を別称にもつ市内最大の墳丘を残す古墳で、昔々打出の村人を愛した阿保親王が万一の飢餓に備えて財宝をこの塚に埋めたという伝説があります。
そして、次のような歌が伝えられております。
朝日さす入り日(いりび)かがやくこの下に金(こがね)千枚瓦万枚
●北から見る                      ●西から見る
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周濠部分の調査をくり返し、全長55m、後円部径40m、前方部長15mの前方後円墳であることが判明しています」。ー案内板ー
※実際には、打出の海浜部にあり海上交通を支配した豪族が埋葬されたとされています。
※御覧のように、今は住宅に囲まれわずかに南側だけが駐車場になって、開口しています。これ以上古墳が破壊されなければよいのですが・・・。
by barakan1 | 2008-07-24 17:26 | 旅日記

芦屋市(親王寺~阿保親王塚あたり)探訪(08.07.21)①親王寺・・・

直ぐにも熱中症になりそうな猛暑の中、親王寺~親王塚辺りを探訪する。
阪神打出駅下車、場所を勘違いして、国道43号線を越えて歩き回っていたが、結局は駅より200メートルくらい東にあった。寺と言っても、建物はなく、墓所だけが目立った。仮本堂があったところを見ると、阪神大震災で壊れたのかな。
親王寺~金津山古墳~打出天神社~阿保親王墓~阿保神社。歩数15000歩。

親王寺(阿保山親王寺)芦屋市打出町3-21
●親王寺入口(南側)
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打出町の国道43号線の北側に、阿保山親王寺があリます。この寺のいい伝えでは、芦屋と関係の深い在原業平(ありわらのなりひら)の父である阿保親王がこの地に住んでいたことから、約1150年ほども昔の平安時代にこの親王寺は建てられ、阿保親王の菩提寺とされております。
●親王寺(西側より)
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阿保親王に関しては『続日本紀』の記事によって明らかにされていますが、打出の地でなくなられたことについては正史に記事がなく、親王の菩提寺として建てられたとされるこの阿保山親王寺に伝えられる文書によって確認する他はないようです。また、親王寺には江戸時代に書かれた「阿保山親王寺縁起」や、古鏡・銅鐸などの宝物があります。ー芦屋の歴史・伝説ーより抜粋
※◆阿保親王(あぼしんのう、延暦11年(792年) - 承和9年10月22日(842年12月1日)は、平安時代の皇族。平城天皇の第一皇子で、母は葛井道依の娘藤子。桓武天皇の孫に当たる。妃は桓武天皇の皇女伊都内親王。子に在原行平、在原業平ほか。
by barakan1 | 2008-07-23 15:33 | 旅日記

広田神社(西宮市) (08.06.20)探訪・・・2

■境内摂末社
第一脇殿 住吉三前大神(筒之男三神)
第二脇殿 八幡三所大神(應神天皇、神功皇后、仲姫命)
●第四脇殿●第三脇殿                       ●第二脇殿●第一脇殿
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第三脇殿 諏訪健御名方富大神(大国様の御子神)
第四脇殿 高皇産霊大神(宮中八神殿の主神)
■伊和志豆(いわしず)神社
御祭神;伊和志豆之大神(いわしずのおおかみ)
創立年代は詳でないが、清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位下より従五位上に進み、延喜の制には官幣小社に列せられる。室町時代には国の神事を司った神祇官の長官を世襲した白川神祇伯の祓を修した六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。
御祭神は一説によれば彦坐命(開化天皇の皇子なる日子坐王で廣田神社を創建せられた神功皇后はその4世の孫に当たる)を祀るといわれている。
もとは廣田本社より東南約1.5キロのところに在り、大正6年7月16日に廣田神社の境内に移転したが、戦災後は本社に合祀していた。
平成2(1990)年の御大典にあたり社殿を再建し奉斎することとなった。兵庫県武庫郡の延喜式内社は、廣田神社本社、摂社・名次神社、摂社・岡田神社、摂社・伊和志豆神社の四社でいずれも廣田神社の所管である。

●伊和志豆(いわしず)神社             ●齋殿(ときどの)神社
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■齋殿(ときどの)神社  御祭神:葉山媛命(はやまひめのみこと)
齋殿神社御祭神・葉山媛命は、神功皇后廣田神社御創建の際、皇后の命をうけて、天照皇大神荒御魂を御心廣田の国に鎮祭された最初の斎宮で旧暦4月8日の祭日には歴代の神祇伯白川氏は特に深い関心を有して参拝されたことが伯日記に散見されている。
古くより廣田神社の東北御手洗川畔に鎮座せられたが、享保12年の遷座にあたり当社も境内西山に遷座し、明治44年末社松尾神社に合祀せられ更に廣田神社本殿復興に際し、一宇を設け祭祀を厳修することになった。
現在の祭日は5月8日である。
●松尾神社     ●五末社(八坂神社・子安神社・春日神社・地神社・稲荷神社)
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広田神社HP-より
■古代・江戸中期の西宮付近図
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(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-07-22 15:05 | 旅日記

広田神社(西宮市) (08.06.20)探訪・・・1

広田神社     兵庫県西宮市大社町7-7
遅くなりましたが、掲載します。
●神社参道
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08.06.20、孫のD君の宮参り(西宮神社)の帰路、西宮神社の親神社に当たる広田神社を探訪してきました。なかなか雰囲気の良い立派な神社でした。由緒は神功皇后にかかわるものでした。(この地域には多いですね。神功皇后と菅原道真。)
●神社参道(正面)
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御祭神 
天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)
御祭神の御名
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と申し奉る。
●参道鳥居
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御創祀
廣田神社は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に御創建されたことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社です。
●境内より拝殿を正面に見る
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御沿革
上代から中古にかけて、国家鎮護・天地自然・立身出世・武運長久に御霊験高き神として、全国的に延喜式内の官幣名神大社として厚遇され、白河天皇の時代(11世紀末)には、全国神社に冠たる勅祭22社の一社にも県内で唯一社選ばれ、朝廷・公家の篤い崇敬を受けました。源頼朝は元暦元年(1184)平氏の討伐を祈願して淡路・広田荘を寄進し、豊臣秀頼は慶長9年(1604)大規模な改築を末社・戎社(現在の西宮戎神社)を含み行い、徳川吉宗は現今の地に遷し改修したように、武家も深く信仰しました。
●拝殿正面
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明治4年(1871)には兵庫県内で唯一、最高位である官幣大社に列せられました。平成13年(2001)には御鎮座1800年の喜節を迎え、天皇陛下よりの御幣帛を奉って式年祭・奉幣奉祝祭を齋行致した廣田神社は、悠久の歴史と高貴な社格、深遠な由緒を有する、日本全国の十万神社を代表する神社の一社です。
●拝殿左側より見る
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西宮の地名の起こり
廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。
●拝殿・本殿
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後に、「西宮」の語は廣田神社の荘園である廣田神郷(神戸市東部~尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には末社の南宮や、戎社(現在の西宮戎神社)のある浜南宮を中心とした地域(旧西宮町)の地名となり、現在は西宮市の名称へと受け継がれています。ー広田神社HP-より
by barakan1 | 2008-07-17 12:21 | 旅日記

空蝉・・・(T公園にて)(08.07.15)

a0016431_12192197.jpg■空蝉
6月後半より現在まで、探訪が滞っています。孫たちの行事やら、病気やらで、なかなか踏ん切りがつきません。

と云うよりこの暑さに恐れいっているというのが正直なところです。今まではあまりそんな事は考えずに探訪に出かけましたが・・・。

昨年の明日香探訪時に熱中症にかかってから、ちょっと臆するようになりました。

古今和歌集
巻10・物名 448 よみ人しらず
空蝉のからはきごとにとどむれど魂(たま)の行くへを見ぬぞ悲しき

今年のT公園での鳴き始めは7月10日でした。その2・3日前から公園の木の回りにセミの這い出た穴が無数に見られました。いよいよかな?と思っていたら翌日、目を覚ますともう煩いくらいに鳴いていました。セミの抜け殻があればと気にしていましたら、今日手の届くあたりに抜け殻がついていました。木から捕る際に右の足が一本千切れてしまいましたが、写真は良い姿に撮れました。
(今日はミスタードーナツのかえり、T公園で空蝉を見つけたので、持ち帰り写真撮影しました)
by barakan1 | 2008-07-15 12:30 | 日々雑感

播磨灘(明石~魚住~中八木)探訪(08.06.16)⑰垂水から見る明石大門・・・

■垂水から見る明石大門(明石大橋)
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垂水駅前のt海神社から、垂水漁港で釣りを見学、その足でマリンピア神戸へ。依然来た時よりも規模は大きくなっていた。
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●明石大門(ショッピングせんたー内のヨットハーバー先端より、暮れゆく明石大門を見る。(先々週と反対側になります)
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柿本朝臣人麻呂が覊旅(たび)の歌
卷3-0254 
燭火(ともしび)の明石大門(おほと)に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
●ヨットハーバー前水路を往く漁船
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卷3-0255 
天ざかる夷(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ
by barakan1 | 2008-07-03 11:35 | 旅日記

播磨灘(明石~魚住~中八木)探訪(08.06.16)⑯海神社・・・

先々週の続きに、垂水の海神社に回ってきました
垂水港より海神社を見る
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■海神社  神戸市垂水区宮本町5-1
祭神
中津綿津見神、底津綿津見神、上津綿津見神 配祀 大日ルメ貴尊
●一の鳥居(海側)
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由緒
式内大社三座。
社伝によると、神功皇后が凱旋の時、この垂水沖でにわかに暴風が起こり、怒濤のため船が漂って進めなくなった。 皇后は身を祓い清めて海神三座を今の場所に勧請されたので、波風は静まり、船は無事に進み、皇后は都に帰還されたと云う。
●二の鳥居(国道前)
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社名としては、アマ、タルミ、現在はワタツミ、カイと称している。
 『住吉大社神代記』には住吉大神の部類神として、「明石郡垂水明神」とあるのが、多分当社のこと。『新称格勅符抄』によれば、大同元年(806)神封十戸が寄せられている。 『日本の神々2』で、黒田義隆氏は、江戸時代初期の頃には日向大明神と呼ばれたのは、大日霊命が配祀されており、ともに日向で化生していることからと推測されている。しかし加古川の日岡大明神と混同、または対抗上の名であったかも知れない。
●手水舎、狛犬
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畿内と畿外との境に鎮座しており、大阪湾へ「禍つ日」の侵入を防ぐ役目を負っていたと同氏は書く。
●拝殿
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 駅の直ぐ傍で、本殿はJRのプラットホームより低いようだ。乗客から見下ろされている状態。境内にはケヤキなど大木が多く、保護樹林となっている。
●拝殿・本殿
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近くの古代遺跡としては、復興されている五色塚古墳や舞子ビラ土器散布地、歌敷山土器散布地が有名。  また水を通過させない岩盤があり、清水が各地で滝のように落ちていたと云う。垂水である。
●境内社 猿田彦大神・蛭子大神・稲荷大神 、 天神社
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ー神南備にようこそーより抜粋-
by barakan1 | 2008-07-02 21:16 | 旅日記