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比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)十輪寺・・・終

宝瓶山十輪寺  高砂市荒井町千鳥1丁目1番1号  (法然上人二十五霊跡 第三番)
●十輪寺山門
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a0016431_1225360.jpg十輪寺は寺伝によれば弘仁6年(815)に弘法大師が勅命により創建。後に讃岐へ流される途中、建永2年(1207)立ち寄った法然上人が寺を復興、浄土宗に転宗したと伝えられ、絹本着色五仏尊像(国重文)など貴重な仏画が残る名刹です。高砂市寺町の中核的な寺です。
●本堂
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本堂は裳階つきの寄棟造。(裳階の方が大きくて、本来の屋根が飾りのように見える)
●宝篋印塔(ほうきょういんとう)  (舟子供養塔)
a0016431_1284180.jpg境内には高麗仏(こうらいぶつ)と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、これは文禄元年(1592)に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、徴発された高砂の水主100人のうち96人が暴風にあって溺死、その供養のために建てられたものです。 -高砂市HP-より
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※※梅ヶ枝湯(おまけ)
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あまりにも特徴的な建物であったので、写しておきました。帰宅してインターネットで調べているとこの建物の写真が載っていたので、地元でも知られている建物(銭湯)なのでしょう。レンガの煙突が象徴的な建物。千と千尋の湯屋、それともハウルの動く城。今でもまきを 燃料にしています。
by barakan1 | 2008-06-28 12:24 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑧高砂神社2・・・

■高砂神社    高砂市高砂町東宮町190
●三代目「相生の松」
その始まりは、高砂神社相生松略記によると、
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「ある時祥瑞があって神殿の傍らに一夜に一本の松が生えた。根は一つで雌雄が左右に分かれて枝葉が茂った。尉姥の二神がこの松の元に現れて、われは伊弉諾・伊弉冊(イザナギ・イザナミ)の神であると告げて姿を隠された。この神は夫婦の道を始められた神々で、相生の松は尉姥の像を作り、それは伊弉諾・伊弉冊尊であって当社が発祥である。」
松の様子を『相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで』と表したことから『相生松』と名づけられました
●尉姥神社                    ●五代目「相生の松」
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人々は松の木に現れた二神を「尉と姥」の御神像として祀り、平和と長寿の象徴としてきたが、天正年間戦乱のため行方知れずになってしまった。幸いこの御神像が寛政7年京都で見付かり、この社に御遷座、奉祝祭が盛大に行われたという。 -高砂神社HP-より
◆尾上の松と高砂の松◆
どちらにも同じような伝承があり、どちらが本当か私にはわかりませんが・・・。高砂は、江戸時代に池田輝政が播磨の領主になってから作られた港町で、それまで加古川の港町の機能は今の加古川市の尾上にあったと言われています(古くは尾上の方が開けていた)。
また、謡曲「高砂」に歌われている相生の松、は尾上神社の尾上の松のことと何処かで読んだように記憶しています。
(元和年間に一国一城令により姫路城主本多忠政は高砂城を破却して、その跡に高砂の浦にあった牛頭天王を遷座したのが高砂神社である。)
・・・が私は、古くは尾上も高砂も(現加古川河口周辺部)一体であって、同じ所を指していたのでは思います。従ってどちらの話も本当なんでしょう!!
いずれにせよ、この付近から尾上にかけては、賀古(加古)の松原と呼ばれる光風明媚な景勝地であったのでしょう。
●高砂神社境内社    
能舞台●愛宕社                ●弁財天
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●稲荷社              ●神明社               ●住吉社
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●猿田彦大明神j・秋葉大明神・天満社・粟嶋大神
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●和魂神社                 ●金毘羅社
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■神社案内図                ●高砂城跡の碑
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by barakan1 | 2008-06-27 16:55 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑦高砂神社1・・・

■高砂神社  高砂市高砂町東宮町190
●高砂大橋より神社方向(北)を見る 掘割の右、数百メートルに加古川。
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●南方向を見る(河口高砂港) (万葉時代・加古の水門)
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祭神
素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命
●神社鳥居                    ●楼門
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由緒
高砂神社は素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命の三神をお祀りしています。社伝によると、神功皇后が半島に出兵せられた時、大己貴命のご守護により、わが軍は敵を平らげました。
●手水舎                      ●祭りに使う船
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皇后が凱旋の途中、この地(鹿児の水門・後の高砂)に停泊なされた時、大己貴命はわれはここに停まり国土を守りたいと告げられたので、神教にしたがって宮を建てて阿閇臣の祖瀬立大稲起命を祭主として斎き祀らしめたのに始ります。
●拝殿
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その後、円融天皇の天禄年間に疫病が流行し、無数の人々がこれに悩まされ、また死亡しました。国司が阿閇臣正敦に祈らしめると、その夜、神人と神女が正敦の夢に現れ、われは速須佐雄、奇稲田姫である。わが児大己貴命とともにこの地に住まわんと思うと告げがありました。翌朝、この神託のとおり社頭の松に白木綿が天から現れ棚引き、人々はこれを神霊の御現れと拝み奉り、二神を併せ祀りました。これより疫病はおさまって平穏となりました。
●本殿
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祠官主計阿閇臣正敦の子孫が継いで社職を奉じてより1026年代々宮司家である小松家が当社を守り伝えています。
●神木いぶき
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神社のすぐ前には神木いぶきがあり、ワキの友成が挿した杖が生育したものと云う。
ー高砂神社HP-より
by barakan1 | 2008-06-26 15:21 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑥比治奇の灘(加古の水門)・・・

比治奇の灘(加古の水門)(加古の島)(印南都麻)
尾上神社を西に2・30分歩くと加古川に出、相生橋からは広い加古川の河口が見渡せる。
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柿本朝臣人麻呂が覊旅(たび)の歌
寛-0253 
稲日野(いなびぬ)も行き過ぎかてに思へれば心恋(こほ)しき加古の島見ゆ
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加古の島は今は幻の島になっているが、万葉時代にはこの島は加古川の河口近くにあった南毘都麻(なびつま)「隠妻」伝説で知られていた小島であった。-ウオーク万葉ー
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◆◆播磨風土記は印南別嬢(いなびのわきいらつめ)について、次のように記している。
成務天皇の御代、天皇は和邇(わに)臣の祖比古汝茅(ひこなむち)を遣わして、吉備の国との国境線を協定させた。吉備の方からは吉備比古、吉備比売が協議に参会した。この時、比古汝茅が吉備比売を娶って生まれた子が印南別嬢である。
●相生橋より上流を見る
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景行天皇は、この印南別嬢を娶りたいと思って妻問いに出掛けたが、彼女は天皇が来ると聞いて南毘都麻(なびつま)と云う名の小島に逃げて隠れた。天皇が加古の松原で彼女を探していると、彼女が飼っていた白い犬が海に向かって長く吠えた。それで、舟で島に渡って彼女に逢い妻にした。(だから、その島をナビツマと云う)
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彼女は賀古郡内の城宮(きのみや)に住んだが、年経て後に、この宮で亡くなった。彼女を葬るために、遺骸を捧持して加古川を渡ろうとした時、俄に突風が川下から吹き上げて、遺骸を川の中に巻き込んだ。いくら探しても見つからず、僅かに櫛箱と褶(ひれ)(領巾:薄い肩掛け)だけが見つかったので、それを墓に納めた。(だから、その墓を褶墓(ひれはか)と云う)
●向島公園より上流(相生橋)を見る
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※日岡の褶墓も訪問したかったが時間がなかったため、残念ながら次回の探訪とした。ー古代史の中の姫君たちーより
●向島公園人口海浜&松林
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柿本朝臣人麻呂が筑紫国に下れる時、海路(うみつぢ)にてよめる歌
卷3-0303 
名ぐはしき印南(いなみ)の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
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遣新羅使人の歌
卷15-3596 
我妹子が形見に見むを印南都麻(いなみづま)白波高みよそにかも見む

■加古川河口付近図  (ウオーク万葉)より
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(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-06-23 15:22 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑤尾上神社2・・・

尾上神を(社殿を南から見る   加古川市尾上町長田字尾上林518
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a0016431_1311742.jpg●尾上神社の名鐘  国指定重要文化財「銅鐘」  
古歌に詠まれた天下に名高い朝鮮鐘で国の重要文化財に指定されています。
神功皇后が三韓征伐より御凱旋の時、お持ち帰りになったと伝えられていますが、実際には、新羅朝時代に造られたもので今から約1100年前のものである。
(千載集)             
高砂の尾上の鐘の音すなり暁かけて霜や置くらん 
源相方朝臣
高砂とたかくないひそむかし聞し尾上のしらべ松に恋しき
※※この 釣鐘は一度は高野山へ奉納されました。しかし、この鐘を鳴らすたびに、「おのえへ、いのー。おのえへ、いのー」(尾上へ帰ろう)と、聞こえてくるため、詳しく調べてみると尾上の鐘だと分かり、そして尾上神社に帰ってきたという伝説があるそうです。
※※響きの灘
尾上の鐘の響く範囲を響きの灘とする伝承があります。
尾上神社の美しい鐘の音色(盤渉調)は、その昔、多くの人々に親しまれていたのでしょう。

a0016431_13272636.jpg●尾上の松(相生霊松)
境内には、謡曲「高砂」に謡われた、相生霊松「尾上の松」があります。 尾上の松は、古来から様々な歌に詠まれてきました。
一木かと見れば二木を二木かと見れば一木を雌雄のこの松   隆正
一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は神社の象徴であると言われています。
所は高砂の 尾上の松も年ふりて老ひの波も寄り来るや
木の下陰の落葉かくなるまで命ながらへて
なおいつまでか生き松のそれも久しき名所かな

初代尾上の松は謡曲「高砂」に謡われた霊松で、太さ五尋に及び、地上一丈ばかりのところから男松・女松に分れ、女松は直に生えて中天にひろがり、男松は這って地につき、又上って地に這う。その上った間を華表(鳥居)として、諸人が参詣したといいます。
●五代目「尾上の松」
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※※謡曲「高砂」の荒筋
肥後の国の一の宮、阿蘇神社の神主の友成という人が、都に上る途中、有名な高砂の松を見ようと高砂の浦へ立ち寄る。そこに尉(じょう・おじいさん)と姥(うば・おばあさん)が、熊手と箒を持って松の下を掃除している。友成が、この二人に、高砂の松と住吉の松が相生(夫婦)の松と呼ばれる理由を尋ねると、二人はその由来を語り、実は自分達はその相生の松の精で、これから住吉に行き、そこで待っていると語り、舟に乗って姿を消す。友成がこの二人を追って、住吉に行くと、二人は住吉の浜で神の姿を現わし、荘厳な神舞いを舞って、民の繁栄、君の寿命長久を寿(ことほ)ぐ。
友成の、高砂から住の江までの舟旅(道行)を歌ったのが、この歌詞の部分である。
謡曲“高砂”
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり


●都恋しき片枝の松
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神功皇后のみあとをしたって枝葉ことごとく東に向って張ったといわれる。その形状は、あたかも龍のうずくまった様にて、千載霜におごる色深く、誠に希世の老松であったが、昭和二十四年枯死。現在は三代目である。
●境内摂社 大村神社                 ●歳神社
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祭神大巳貴大神                     祭神大年大神 
ーー尾上神社HP--より
by barakan1 | 2008-06-22 13:49 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)④尾上神社1・・・

尾上神社  加古川市尾上町長田字尾上林518
●尾上神社東門                  ●西北門より
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御祭神
住吉大明神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
息長足姉命
●神社東門                     ●拝殿
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由緒
当社は昔、神功皇后が※三韓(朝鮮)征伐をなされた時、住吉大明神が海上を守護されたため、皇后は御凱旋のみぎり、ここに上陸されたが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。そこで、皇后は「鏡の池」で斎戒沐浴して当社を鎮祭し、晴を祈願されたという。以後、軍神として、又、海上の守護神として舟人の参詣する者が多かった。※日本書記に記載されている3世紀頃の物語
●拝殿正面より
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播磨風土記に「昔大帯日子命、幸行別媛之處、道辺有長田、刺云、長田哉、故日長田里」(長田は当神社の所在地)とみえ、古くから発達した土地で、「高砂」という地名は、むかしこの辺一帯の総称で、当社はいわゆる「高砂の尾上」といわれ、古歌・謡曲にも必ず「高砂の尾上云々」とうたわれた名所である。
●拝殿・本殿左横より(左は、片枝の松)
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醍醐天皇の御代、肥後の国阿蘇宮の神宮友成が上京のみぎり、当社に参拝し、相生の松を探ねた時、尉姥二神が顕れ給い、夫婦睦まじく歳久しく住み給いしという、目出度い古説は、人□に伝えられ、丹青に画かれ、詩歌に詠まれ、婚礼には島台と名づけて此の形をとり、正月には蓬莱に並べて祝っている。
●本殿
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豊臣秀吉の三木城攻め(中国征伐)の際、毛利・小早川・吉川の軍勢がこの海岸に上陸して軍陣をひいた。この戦乱のため、社頭は荒廃していたが、慶長九年池田輝政が姫路の藩主となった時、初代相生の松の根の上に社殿を移して修築、更に寛永二年本多忠政が鐘楼を建立した。 -尾上神社HPより

a0016431_12374459.jpg◆現代の響きの灘(播磨灘)「加古川河口付近」
尾上神社より南へホンの15分も歩けば相生橋に出られ、加古川河口一帯は一望できます。現在はこのように工場が林立し、あまり風情は感じられませんが・・・。河口付近の現代的な造作物を一切消し去ってみれば少しは上代の松林や白砂、蒼き海が想像できかも知れませんね。(向島公園に一部松林が再現されています)
太宰帥・大伴旅人が大納言に任ぜられ、京に上った時、従者たちが別に海路をとって京に入った時の歌。
卷17-3893 
昨日こそ船出はせしか鯨魚(いさな)取り比治奇(ひぢき)の灘を今日見つるかも
※この比治奇の灘の所在は(播磨・摂津の二説)と山口県(浦部西方の海峡)の説がある。(ウオーク万葉)より
by barakan1 | 2008-06-21 12:17 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)③浜宮(はまのみや)天神社-2・・・

浜宮(はまのみや)天神社    加古川市尾上町口里770
●鹿児の浜松について
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菅公筑紫左遷の砌当地に立ち寄り海上の平穏と万民の幸福を祈願され記念に松の木を植えられました。
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浜の宮名勝林は加古の松原(鹿児の浜松)の一部で昔の面影はほとんどございませんが、菅公お手植えの松はすくすくと生い育ち生い茂る様は幕末の志士 清川八郎東奔西走の時、日記に「根浮いてわだかまり幹は中空にそそり立ち枝は三段にして葉の色三様に分る」と記されています。
●浜宮天神社拝殿
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●狛犬                        ●菅公お手植えの松(二代目)
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初代の松は明治初年惜しくも枯れ現在社殿東に二代目が生い茂っています。樹齢約550年、菅公永眠の地、太宰府を指し公の徳を敬慕する如く思われます。
境内摂末社群(拝殿裏左回りに)
●春日社              ●恵比寿社             ●祇園社
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●八幡神社            ●琴平社               ●新明社
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●???              ●住吉社              ●稲荷神社
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ー浜宮(はまのみや)天神社HPよりー抜粋 (*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2008-06-19 14:13 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)②浜宮(はまのみや)天神社-1・・・

浜宮(はまのみや)天神社     加古川市尾上町口里770
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●山陽電鉄浜の宮駅
駅から、浜野宮天神社の社叢が見えます。歩いて10分足らずでしょうか。神社の南側には浜野宮公園の松林が、神社を隠すように鬱蒼と茂っています(昔に較べるべくもないそうですが)


●南側、一の鳥居と右横御旅神社
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御祭神            
菅原道真公 大国主命 少彦名命  
●二の鳥居と神門
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●神門
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由 緒
当神社は学問の神様として広く世人に崇敬されている贈太政大臣正一位菅原道真公を主祭神に、脇殿に大国主命、少彦名命をお祀りする神社であります。
●神門から拝殿を見る
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延喜元年(901年)菅公筑紫左遷の砌当地に御休息され海上の平穏と萬民の幸福を祈願され記念に松樹を植えられました。
●拝殿
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●本殿
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後世の人、公の徳を追慕し長和元年(1012年)小祠を建てお祀りしたのが起源で、文安元年(1444年)八月三十日社殿を建立し特に学問の神として祀る。
●境内より、神門・舞殿                        手水舎
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ー浜宮(はまのみや)天神社HPよりー抜粋
by barakan1 | 2008-06-18 16:42 | 旅日記

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)①コース概要・・・

比治奇の灘(加古川~高砂市)探訪
約1か月ぶりの探訪です。前回続き播磨方面を探訪す。
a0016431_13441488.jpg●浜の宮神社「あじさいの花」
●コース概要。
9時半自宅発~浜の宮駅着~浜の宮神社~尾上神社~加古川相生橋~向島公園(比治奇の灘・加古の水門、加古の島)~高砂神社~高砂駅(山陽電鉄)~垂水駅~海神社~ポートピアランド(明石大門)~垂水駅~自宅20時着。歩数30000歩。
by barakan1 | 2008-06-17 13:50 | 旅日記

播磨灘(明石~魚住~中八木)探訪(08.05.17)⑮明石大門(明石海峡)・・・終

明石大門(明石海峡)
明石港防波堤より大門をみる(左明石、明石大橋、右岩屋)
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柿本朝臣人麻呂が覊旅(たび)の歌
卷3-0254 
燭火(ともしび)の明石大門(おほと)に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
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●明石港の夕暮れ(あまりロマンチックではありませんが・・・)
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卷3-0255 
天ざかる夷(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ
●淡路島(岩屋~松帆の浦
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●淡路島(岩屋~松帆の浦~野島の崎)
現在の漁師さんはエンジン全開で魚場へ直行中です
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卷3-0250
玉藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎ夏草の野島の崎に舟近づきぬ
卷 3-0251 
淡路の野島の崎の浜風に妹が結べる紐吹き返す
※明石大門は再度、時間と場所を選んで来てみたいと思います・・・・。
by barakan1 | 2008-06-07 15:01 | 旅日記