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明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑪春日神社(別所)・・・終

■春日神社(別所)  奈良県橿原市別所町
●東鳥居                    ●西鳥居
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御祭神 天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
由緒
別所集落の南西端にある小丘陵上に西面して鎮座する。別所・高殿・法花寺三大字の氏神。
●拝殿                      ●本殿
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『広吉家文書』(旧橿原市史料編所収)の高殿村明細に、文禄四年(1595)の検地当時から四分村の鷺栖神社と一緒とあったが、慶安元年(1648)法花寺村が、同村から分村、元文四年(1739)、さらに別所村が高殿村から分村したという。
●弁財社                     ●庚申さん                  
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当時概に今と同じく三村の鎮守として祀られていた当社は社なく松林ばかりであったという。古老の言では江戸中期頃四分の鷺栖神社の分霊を勧請したと伝えている。現在当社最古の石燈籠に安永六年(1777)の刻銘があるが、当社の創祀当時の奉納でなかろうか。-奈良県史(神社)より-
by barakan1 | 2008-01-30 13:28 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑩杵築神社(小山)・・・

■杵築神社(小山) 奈良県高市郡明日香村小山346
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御祭神 素戔嗚命 (すさのうのみこと)
ここより東南に大官大寺があり、南には雷丘があります)
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由緒
旧村社。中世両部に祀って牛頭天王社または祇園神社とも称し、明治になって八坂神社といったが後杵築神社と改めた。社地の南方に祇園の地名があり、ニ小丘の頂上に建造物の遺跡があるのはあって当社旧祀の地であったと伝える。
●狛犬と瑞垣の中の神体(古墳のように見える)
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素戔嗚命を牛頭天皇と称し、祇園精舎の守護神である所から前紀山頂が当社の旧地だとの伝承がうなづける。当社はまた南北時代に南朝方の将小山氏一族の鎮守であったとも伝える。
●境内・稲荷社             ●金毘羅大権現・庚申さん
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口碑では古来社殿なく、一叢の竹林を神体としていたが、枯絶したので今は白梼の木一株を神体としていることである。例祭 十月十六日で、宮座は古座と新座がある。-奈良県史(神社)より-
by barakan1 | 2008-01-29 14:25 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑨南渕請安の墓・・・

■南渕請安の墓
●稲淵の村落風景(右中央林のところ請安墓所)
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飛鳥川の上流稲渕は、南淵漢人請案(みなみぶちノあやひとしょうあん)が居住した地で、
●稲淵旧道
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彼は、608年(推古天皇16年)9月11日大使(おおつかい)小野妹子、小使(そいつかい)吉士雄成(きしノおなり)、粟田真人、そして、通事の鞍作福利らに従い、遣唐使学問僧として中国へ派遣され、
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在唐32年、640年(舒明天皇12年)帰国して、飛鳥から通って来る中大兄皇子(後の天智天皇)と、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らに「周孔の学」、すなわち、「儒教」を教えました。
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彼の没年は不明ですが、墓は「竜福寺」から南へ1丁行った丘の上にあり、1662年(寛文2年)と大正11年建立の碑が建っています。
●南渕請安墓上方より稲淵の村を見る
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ー奈良観光ーより抜粋
by barakan1 | 2008-01-28 16:31 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑧飛鳥川の「飛び石」・・・

■飛鳥川の「飛び石」
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飛鳥川の「勧請橋」を渡らずに左(東)側の旧道を南へ辿ると、稲渕の集落へ入って、道の脇に「飛び石→」の表示がありますが、真横に行かずに、ちょっとバックするように右へ折れて、田圃の畦道を通ると、「飛鳥川」に至って、側に万葉歌碑が建っています。
巻11-2701
明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも 
卷7-1126 
年月もいまだ経なくに明日香川瀬々(せせ)ゆ渡しし石橋(いはばし)もなし
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古代においては、飛鳥川に橋はなく、また、板橋を掛けても、昔は今と違い鉄砲水が多く、氾濫を繰り返し流されるので、飛び石が橋の役目を果していました。
また、明日香川の石橋を詠った、挽歌もあります。
明日香皇女の城上(きのへ)の殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌
卷2-0196 
飛ぶ鳥の 明日香の川の
上つ瀬に 石橋(いはばし)渡し 下つ瀬に 打橋渡す
石橋に 生(お)ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生(は)ふる
打橋に 生(お)ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生(は)ゆる
なにしかも 我が王(おほきみ)の 立たせば 玉藻のごと
臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜(よろ)しき君が
朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや
うつそみと 思ひし時に
春へは 花折り挿頭(かざ)し 秋立てば 黄葉(もみちば)挿頭し
敷布の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かに
望月(もちつき)の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々
出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向ふ 城上の宮を
常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ
そこをしも あやに悲しみ ぬえ鳥(とり)の 片恋しつつ
朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて
夕星(ゆふづつ)の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば
慰むる 心もあらず そこ故に 為(せ)むすべ知らに
音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く
思(しぬ)ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに
はしきやし 我が王(おほきみ)の 形見にここを
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短歌二首
卷2-0197 
明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものどにかあらまし
卷2-0198 
明日香川明日さへ見むと思へやも我が王の御名忘れせぬ
by barakan1 | 2008-01-27 14:12 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑦檜隈寺跡~稲淵棚田~勧請縄(男綱)・・・

檜隈寺跡~稲淵へ
檜隈寺跡から文武天皇陵へ向かって(東)へ行くと檜隈の丘陵を一望できる峠を経て、
●檜隈寺跡の森の後方、真弓丘です。
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※真弓丘には岡宮天皇陵(草壁皇子)があります。
万葉集
巻2-0177 
朝日照る佐太(さだ)の岡辺(おかへ)に群れ居つつ吾等(あ)が泣く涙やむ時もなし
巻2-0174 
外(よそ)に見し真弓の岡も君座(ま)せば常(とこ)つ御門と侍宿(とのゐ)するかも
稲淵へ出ます。今回このコースは初めて走ります。峠の近くからの檜隈の展望(西側)は、まだ少し田舎の風情が残っていて懐かしさを覚えます。
●道路脇の廃屋?
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●正面奥・二上山、正面手前・檜隈の丘陵、右奥・畝傍山
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峠から見た、稲淵(手前右・南淵山)
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弓削皇子に献れる歌一首
巻9-1709 
御食(みけ)向ふ南淵山(みなふちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
     右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。

稲渕(いなぶち)の勧請縄(男綱)
「勧請(かんじょう)橋」の上流に稲渕の勧請縄(男綱)が「飛鳥川」を跨いで掛け渡されています。
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a0016431_1243332.jpgなお、毎正月11日行われる綱掛神事は、明日香村稲渕と栢森(かやノもり)両大字に伝わる神事で「カンジョ掛神事」とも呼ばれて、子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などが県道と飛鳥川を通って侵入するのを押し止め、地区の住民を守護するための神事と云われていますが、同じ神事でも両大字では、その形式が異なり、稲渕大字の神事の特徴は、全体を神式で行い、川の上に陽物を形どった「男綱」を掛けて、「神所橋」上に祭壇を設け、神職が御祓いをします。ー奈良観光ーより抜粋
by barakan1 | 2008-01-26 12:49 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑥文武天皇陵・・・

文武天皇陵  高市郡明日香村大字栗原 
●於美阿志神社南側付近より見る
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文武天皇の吉野の宮に幸せる時の歌
万葉集
卷1-0074
み吉野の山の下風(あらし)の寒けくにはたや今夜(こよひ)も我が独り寝む
●南→北に見る
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※このすぐ近くの中尾山古墳を、文武天皇の火葬墓と考える説もあります。
by barakan1 | 2008-01-25 15:39 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)⑤於美阿志(おみあし)神社・檜隈寺(ひのくまじ)跡2・・・

桧隈寺跡
●十三重石塔               ●塔心礎
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この場所は、7世紀に建立された東漢氏の氏寺であった桧隈寺跡でもある。西側に中門があり、その門を入ると正面に塔、左手に講堂、右手に金堂が配置されていた。現在は大きな礎石が草むらに残り、柵に囲まれて重要文化財の十三重の石塔が建っている。元の於美阿志神社は講堂と塔の間の空間にあった。
●講堂跡礎石群
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a0016431_1582493.jpg●檜隈廬入野宮址



また、この場所は、第28代宣化天皇が即位した檜隈廬入野宮(ひのくまいおりののみや)があった場所でもある。宣化天皇は在位4年で、73歳のときこの廬入野宮で崩じた。現在は神社の境内に宮跡を示す石碑が一本建っている。
ー古代歴史街道を歩く(於美阿志神社・檜隈寺跡)ーより
by barakan1 | 2008-01-25 15:28 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)④於美阿志(おみあし)神社・檜隈寺(ひのくまじ)跡1・・・

於美阿志神社・檜隈寺跡  高市郡明日香村大字檜前字ヒガキ阪594
●於美阿志神社遠景   文武天皇陵前より(東→西)中央森
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祭神
阿智使主神夫妻二柱
●神社社叢  (南→北)
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於美阿志神社は,東漢(やまとのあや)一族の祖・阿知使主(あちのおみ)を祭神として祀っている。社名の於美阿志は「使主阿知(おみあち)」が転化したものといわれている。
●神社正面
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『日本書紀』は応神天皇20年(5世紀前半か)に阿智使主がその子・都加使主(つかのおみ)、および自分の党類十七県を率いて渡来してきたと記す。渡来した阿智使主一族が高市郡一帯に住んでいたが、
●正面鳥居・拝殿
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その中から雄略天皇の時代に活躍する身狭村主青(むさのすぐりあお)や檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)が出ている。二人は呉の国に派遣され、織機技術を持った者たちを連れてきている。身狭村主青は少し北側の牟佐座神社の当たりを中心に居住し集団の長であり、檜隈民使博徳は檜隈を中心に居住した集団の長であったのであろう。
●檜隈寺講堂跡礎石          ●於美阿志神社本殿
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各地域に移り住んだ渡来集団は、朝鮮半島の南にあった「安羅」出身であったといわれている。最初は居住地の名を集団の名に冠していたが、そのうち、”大和に住む安羅出身者”であることを表す「東漢(やまとのあや)」を集団の総称として用いて結束し、祖神として阿智使主を祀るようになったものと推測される。
●境内社(?・稲荷社・?)
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応神天皇の時代に阿智使主が渡来したとする記事は、後世に作り上げられた伝承を元にしたものであろう。現在の社殿は最近新しく造り替えられて柱も壁板も木肌がまだ若々しい。
ー古代歴史街道を歩く(於美阿志神社・檜隈寺跡)ーより抜粋
万葉集 
作者不詳
卷7-1109 
さ桧隈(ひのくま)桧隈川の瀬を速み君が手取らば言(こと)寄せむかも
作者未詳
巻12-3097
さ桧隈(ひのくま)桧隈川に馬留(とど)め馬に水飼(みづか)へ我れ外に見む
※今回も桧隈川のいいショットが撮れないかと周りを走りましたが、らしい!!風景は見当たりませんでした。コンクリートで土手というか、堰堤を固められて、しかも水はお世辞にも美しいとはいえません!!次回はもっと源流部へいって、らしい!!清流れを見つけたいと思います。
by barakan1 | 2008-01-24 18:08 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)③飛鳥水落(みずおち)遺跡・・・

飛鳥水落(み跡ずおち)遺
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660年5月(斉明天皇6年)中大兄皇子が日本初の「漏刻(ろうこく、水時計)」を造り、第40代天智天皇に即位して後、671年4月25日(新暦6月10日)設置されて、精密に、堅固に築いた建物と、建物内中央に黒漆塗り木製水槽を使った漏刻装置が昭和56年に発掘され、「日本書紀」に書かれた「漏刻」の跡と判りました。
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当時ここで、時間を管理し、天文、暦、呪いも担当した役所が塀で囲まれた一郭に在り、1階に漏刻装置、2階に都へ時刻を知らせる鐘や太鼓が置かれました。
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ー奈良観光ーより抜粋
by barakan1 | 2008-01-23 16:30 | 旅日記

明日香(飛び飛び)探訪(08.01.20)②藤原宮~石上遺跡(山田道跡)・・・

08.01.20.の藤原宮。
冬枯れの真っ只中!!です。(左音羽山、中大極殿跡)
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※07.06.17.藤原宮(右天香具山)
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春には緑に萌える宮跡の広い草原も、灰色に、茶褐色に草も野も枯れてしまって寂しい限りです。春や夏の景色からは想像も出来ません。これも自然の持つ姿の一つです。冬の寂しさ、厳しさがあればこそ春や、夏の楽しさ美しさが引き立つのです・・・。

石神遺跡(07年、山田道跡が発見されました)
●明日香村埋蔵文化財展示室横より(南→北(15号線)方向)
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飛鳥寺と水落遺跡の北に接している。明治時代に須弥山石・石人像が掘り出されたことで有名。また、当時の飛鳥小学校で石敷がみつかり、このあたりは飛鳥浄御原宮の候補地にもなっている。1981年からの調査で、7世紀中頃から8世紀初めの建物跡や溝などがみつかっている。隣に時計台がそびえていた斉明天皇の時代には、整然と並ぶ長い建物群、石敷をもつ立派な井戸、石敷広場などがみつかり、饗宴の施設と考えられている。
万葉集
卷13-3276
あしひきの 山田の道を 敷妙の 愛(うつく)し妻と
物言はず 別れし来れば 早川の 行方も知らず
衣手の 帰るも知らに 馬じもの 立ちてつまづき

為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を
天地に 思ひ足らはし 魂(たま)合はば 君来ますやと
吾(あ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉ほこの 道来る人の
立ち止り いかにと問はば 言ひ遣らむ たづきを知らに
さ丹頬(にづら)ふ 君が名言はば 色に出て 人知りぬべみ
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我を

反し歌
卷13-3277
眠(い)をも寝ず吾(あ)が思(も)ふ君はいづくへに今宵いませか待てど来まさぬ
右二首。
by barakan1 | 2008-01-22 11:53 | 旅日記