<   2007年 10月 ( 25 )   > この月の画像一覧

美作国の神社探訪(07.10.22~24)②鶴山八幡神社・・・2

●鶴山八幡神社しゃでん、境内
a0016431_2003252.jpg
■末社薬祖神社社殿
a0016431_2011584.jpg末社薬祖神社はやはり鶴山にあったももで、社殿の構造は裄行五尺二寸、梁間一間に尺、一重、流造り、ハ葺きである。創建年代は不明であるが、破風板の降懸魚、木鼻蛙股等から桃山期の特徴が窺える。
両社殿は、昭和31年4月1日、重要文化財として県指定を受けており、末社薬祖神社は昭和48年に解体修理を実施している。ー神社前案内板ーより

●その他末社???  ●荒神社          ●天神社
a0016431_2024018.jpg

●正面入口、右横にある稲荷大明神
a0016431_2052491.jpg

by barakan1 | 2007-10-31 20:07 | 旅日記

美作国の神社探訪(07.10.22~24)②鶴山八幡神社・・・1

■鶴山八幡神社社殿ならびに末社薬祖神社社殿
●正面風景
a0016431_1762618.jpg

a0016431_1772037.jpg
鶴山八幡神社はもと、鶴山(現津山城址)にあったものであるが慶長八年(1603)に森忠政が美作噛守として作州に入府し、同地を城地に選定した事から、慶長十年(1605)同社を城南覗山(市内八出)に移し、さらに慶長十三年(1610)に現在地に移して社殿を造営したものである。
●拝殿
a0016431_178319.jpg
その後寛永十二年(1635)及び寛文九年(1669)には、森家二代藩主長継により修理がなされている。
●拝殿、後方本殿
a0016431_179717.jpg
社殿の構成は本田、拝殿、釣殿、神供所からなり、本殿の構造は、裄行三間半、梁間三間に尺二寸、一重、入母屋造、妻入、檜皮葺で大軒に千木、勝男木をのせ、軒は二重懸垂で廻縁があり、料キョウ間に彫刻入りの蛙股が見受けられるものである。
●本殿、拝殿より
a0016431_1710535.jpg
創建当時には彩色が施されていたが、現在では薄れてしまっている。しかしながら、三手先の組み物がら軒周りの華麗さは他に例をみないものである。
●社殿と境内全景
a0016431_17123814.jpg
美作地域によく見られる、中山造りの社殿を構成しているもので、江戸初期の神社建築として貴重なものである。
by barakan1 | 2007-10-30 17:15 | 旅日記

美作国の神社探訪(07.10.22~24)①コース概要・・・

a0016431_2026942.jpg●高野神社前から見る、吉井川の落日
■美作国・神社(式内社)探訪
先日(10月22~24日)、津山へ行って来ました。津山は妻の実家で今まで度々行っているのですが、神社回りをするのは今回が初めてです。古い町並みも残っており静かないい町です。神社や仏閣も沢山あります。今回はその神社の一部を合い間に回ってきました。
22日/鶴山八幡神社~美作総社宮~国府跡~高野神社(美作二の宮)
23日/中山神社(美作一の宮)
24日院庄・作楽神社~社・二宮神社~横見神社~形部神社・佐波良神社、佐波良大杉  
   ~下長田・長田神社。
by barakan1 | 2007-10-29 20:30 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑪丹生神社(貴志川町西山)・・・終

■丹生神社   紀の川市貴志川町西山301
岸宮の八幡神社の前の道を西に少し行くと右山裾に鎮座しています。
●鳥居と社号標碑
a0016431_1620225.jpg
祭神
丹生神、高野神
摂社 進雄神社、風宮 等
●割り拝殿               ●拝殿より本殿を見る
a0016431_16213578.jpg
由緒
勧請した起源は証からではない。ー神南備にようこそーより
●本殿
a0016431_17171729.jpg

a0016431_1717356.jpg
●本殿と摂社
a0016431_1622885.jpg
●神社前より南(貴志川の町)を望む
a0016431_16231322.jpg
※ここ貴志川町にはどこよりも、丹生神社がおおくあるように思います。今回だけでも4社ですから・・・。それだけ紀の国の神の力が強かったのでしょう!!残した神社と古代祭祀跡は次回に探訪することとします。
by barakan1 | 2007-10-28 16:30 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑩貴志川八幡宮(里宮)・・・

■貴志川八幡宮(里宮)    紀の川市貴志川町岸宮1124
●二の鳥居
a0016431_15435956.jpg
祭神
元々は塞ノ神 その上に品陀和氣命、息長足比賣命、玉依姫命が被さった?
配祀 玉垂神、大雷神、国常立神、北辰星命、住吉大神 ほか
●本殿
a0016431_15445547.jpg
由緒
古記によれば、神功皇后筑紫より帰還の折り皇子と共にお船にて名草郡柏原の郷(現安原)に着き、上陸後、長田の小竹の宮(志野神社 )に赴いたと伝わる。その途中に留まった地であったとの事である。紀ノ川筋の八幡社共通の伝承である。
a0016431_15453727.jpg
康平6年(1063年)、大和国宇智郡坂合荘(現在の五條市坂合)に坂上法兼と言う者がいて、常に八幡宮を尊信していたところ、老年におよび神託を受け、一条の光明燦々として南の方より輝きいた。この山中からであった。「これすなわち八幡宮の影向なり」と社殿を創設、この地に留まり社司となった。
a0016431_15471061.jpg●本殿に登る石段の両脇に分かれて作られた庭園に使われている石は、すべて近くで産出されている蛇紋岩。
お姿
貴志川町を見おろす鳩羽山の麓に里宮が鎮座、この山の中腹に中の宮と称する磐座がある。石には古代文字(神代文字)らしきものが見えるが詳細は不明である。古代祭祀の跡であろう。ー神南備にようこそーより
●摂社 塞ノ神神社「塞ノ神」、春日妙見神社「春日大神」ほか
a0016431_1611355.jpg
◇※今回の探訪の目的地がこの「中の宮」の磐座であったが、何分時間の関係上尋ねることが出来なくて非常に残念であった。必ず、機会をつくり訪ねる予定です。
by barakan1 | 2007-10-27 15:55 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・

■大国主(おおくにし)神社   紀の川市貴志川町國主1
●社標碑            ●一の鳥居
a0016431_16143714.jpg
祭神
大国主命
(配祀神)天照皇大神、(合祀神)権大神、(境内社)市杵島比売大神
●神社境内全景
a0016431_16152332.jpg
由緒
紀伊続風土記によれば、八十神等の危難から逃れ、五十猛命のもとへ赴こうとした大国主命が当地を訪れた事を由緒としている。*1 この説話は古事記では母の神が大国主命を紀の国の大屋毘古の神のもとに逃がしたとある。
●二の鳥居・神舞殿と奥に弊拝殿
a0016431_1619455.jpg
●手水舎                   ●神舞殿(高床式舞台造)
a0016431_16162395.jpg
五十猛命と大屋毘古命を同一神とする見方があるが、京都の八坂神社の八御子神の中に五十猛命と大屋毘古命は別の神としてカウントされている。元々別の神であったのがいつの間にか同一神とされたのであろう。
●本殿(三間流造)
a0016431_16194230.jpg

紀伊と出雲とは後の生け贄を捧げる話、須佐之男命の由来、五十猛命やイザナギ命の終末の地などよく似た説話を共有しており、古来より人の行き来が多かったものと思われる。
a0016431_16213571.jpg●本殿前狛犬
お姿
貴志川が神社の東側を北上し、やがて紀ノ川に合流する。近くに貴志川で最も深い国主淵(くにしふち)があり、龍神の住む池として生け贄を捧げる伝承が 古来よりあった。
参道は長い。一般道として車も往来している。陽向山の中腹に西向きに鎮座している。本殿は厳か、陽向山には古杉、檜などが鬱蒼と茂っている。ー神南備にようこそーより
●薬師寺板碑群
a0016431_16261899.jpg

■国主淵(くにしぶち)の民話「浮いた仮面」
その昔、大旱ばつがありました。貴志川も川原と化し、国主淵だけに水がたまっていたのです。そこで庄屋たちは相談し、この水をかする(くむ)ことにし、大勢の農民を集め、水車でかすり出すと、淵の竜宮穴の入り口をふさいでいる大木が見えました。この大木を除くとまだまだ水が出ると庄屋たちは考えました。
●貴志川・国主淵(くにしぶち)
a0016431_16251375.jpg
そこでこの役を岸小野の郷士、橋口隼人に頼み、隼人は桜井刑部に命じました。刑部は早速淵底にもぐり、やっとのことで大木を動かしました。すると、一天俄にかき曇り雷とともに豪雨が降りだし、人々は恐れおののき逃げまどいました。刑部はようやく鞍懸岩へ泳ぎつき、水面を見ると、たくさんの仮面が呪うように、笑うかのように浮き沈みしています。「おのれ」と再び淵に飛び込み、翁の仮面、三番そうの仮面、鬼の仮面を拾いあげ、その一つを時の領主に献上し、一つは高野山に納め、あとの一つは橋口家で保管したということです。ー新・紀州語り部の旅ー(より抜粋)
by barakan1 | 2007-10-26 16:37 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑧丹生(たんじょう)神社(貴志川町北) ・・・

■丹生(たんじょう)神社   和歌山県紀の川市貴志川町北918
●神社遠景(424号線より)一の鳥居
a0016431_22123931.jpg
●二の鳥居(神社入口)
a0016431_22131662.jpg
主祭神
丹生都姫神、配祀は高野御子神、倉稻魂命、市杵嶋姫命、大日靈貴命、勝手神、八王子神、天兒屋根命、大物主神、澳津彦命、品陀別命、速秋津姫命、猿田彦命、菅原道眞公
●二の鳥居             ●参道石段
a0016431_22141867.jpg
●境内から見た割り拝殿
a0016431_2214505.jpg
由緒
社伝によると、承平5年(935)に藤原宗重が神託により天野の丹生都姫神を勧請したといわれています。
●弊拝殿                 ●本殿
a0016431_2216247.jpg
開放的な割拝殿の奥には弊拝殿と、石造の随神さんに守られた檜皮葺きの流麗な本殿が建っています。
●本殿(狛犬の代わりに石造の随神さんがいます。奈良の神社で見たような・・・)
a0016431_22203362.jpg

a0016431_22214262.jpg●摂社 
八坂神社「須佐男命」、
愛宕神社「加具土神」、
牛瀧神社「牛瀧大神」
by barakan1 | 2007-10-25 22:35 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑦美福門院の墓・・・

■■美福門院の墓
●柘榴川堤防より(南→北)
名手下丹生神社より126号線~24号線~424号線を経て美福門院墓に至る、424号線を南下しながら走ると柘榴川の手前、左手に大きな楠木の姿が見えるのですぐに分かる。
a0016431_16491433.jpg
鎌足以来の名門、藤原主流の長実の子として生まれ、のち烏羽天皇の妃、近衛天皇の母となった藤原得子-美福門院(1117~1160年)閑居の地とされる安楽川荘(現桃山町最上)。
その一角に小さな祠がある。門院の遣骨を葬った地といい、大きな楠の根本に、小さな祠があり中に大きな五輪塔がある。
●小さな祠と五輪塔
a0016431_16513040.jpg
祠のわきに倒れそうに傾いたコンクリートづくりの五重塔がり、その下に、遺骨が納められているという。そして傍らに白い柱の碑があった。その表に「奉為美福門院菩提也」と書かれてあった。ー紀州民話の旅よりー

●■云うまでもなく美福門院は、摂関政治から武家政治へのきっかけを与えた保元の乱の重要なキーパーソンである。
保元の乱は,保元元年(1156)7月11日に後白河天皇の命を受けた平清盛・源義朝らが崇徳上皇の命を受けて事を起こそうとしていた源為義・源為朝・平忠正らを討伐した事件であるが,その深層をさぐれば,鳥羽上皇と崇徳上皇の確執,さらには,鳥羽上皇と白河法皇の確執となろうか?・・。そこに鳥羽上皇の后・美福門院が絡んでお決まりの権力闘争が激化するとい物語だ。
a0016431_1651573.jpg
最終的には鳥羽上皇の崩御を持って歯止めを失ったエネルギーは藤原家の内部崩壊も取り込み,さらには新興勢力の武士団を引き込んだことで,これまでにない血を分けた戦へと導かれていったのである
その余生も僅かに,京を去って4年後の永暦元(1160)年11月23日,「美福門院崩御シ尊骸ヲ荒河庄ノ大明山福王寺境内ニ於テ送葬シ奉ル 是平日ヨリ野山御信仰ノ故,御遺旨ニ任セル也」(「高野春秋」)
a0016431_16542530.jpg
★西行法師家集
「美福門院の御骨高野蓮臺院へわたされ給ひけるを見たてまつりて」
今日や君 おほふ五つの 雲はれて こころの月を みがきいづらむ
ーwww.road.jp/~smatsu/History/Wakayama-R424.htmーより抜粋
by barakan1 | 2007-10-21 17:06 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑥丹生(にゅう)神社・・・

■丹生神社(名手下)   紀の川市那賀町名手下
●神社遠景        ●鳥居前より南を見る(左の山は「背の山」)
巻9-1676
背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
a0016431_11194388.jpg
祭神
丹生都比売命
●神社正面(南→北)
a0016431_11201582.jpg
由緒
紀北開拓の祖神・丹生明神※垂迹(すいじゃく)(仏・菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること)の地とされているそうです。
●拝殿
a0016431_11203555.jpg
※※神仏習合という宗教行為を理論づけしたのが、「本地垂迹説」である。本地垂迹説では、仏や菩薩がもともとの本体であり、人々を救うために仮に神の姿をとって現われたのだと説いた。すなわち、本体である仏や菩薩を”本地”といい、仮に神となって現われることを”垂迹”という。ちなみに「権現」とは、仏や菩薩が仮(権)に神の形で現れたものという意味である。
●本殿
a0016431_112414100.jpg

a0016431_11243733.jpg●鳥居内「背の山」

※左後方に樹叢はありますが、神社周りに樹木は余りなく、開放的な、日が燦々と照りこむ境内です。手入れはキッチリとされています。 
by barakan1 | 2007-10-20 11:36 | 旅日記

紀の川市探訪④(07.10.12)⑤三重(さんじゅう)の滝・・・

■三重(さんじゅう)の滝 (一言主神社の右横、奥にあります)
a0016431_85475.jpg
紀の国名水百選の一つ。大字平 の下津川の渓谷に入ったところに一言主神社が祭られている。境内の後方には上から聖宝ノ滝、不動ノ滝、潮ノ滝がある。そのうち不動ノ滝が上段・中段・下段 と三段になって流れ落ちることからこの名で呼ばれるようになったそうである。
a0016431_854488.jpg

a0016431_8551795.jpg
※下津川(渓流)にある滝としては立派なものではないでしょうか!落差的にも水量的にも!!
この神社と滝は知らなかったものですから思わぬ収穫でした。もうすこし日がたって紅葉の季節は一段と綺麗でしょうね。また来たいものです。
by barakan1 | 2007-10-19 09:04 | 旅日記