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恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)⑥八坂神社「大杉」・・・

■八坂神社「大杉」  京都府相楽郡和束町大字中小字菅谷37
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a0016431_13363123.jpgJR大和路線の加茂から 木津川の支流の和束川を5kmほど遡ったところに和束町立中学校があり、 この裏手にある八坂神社に、巨大な杉が天を突いている。 地元では「祇園杉」と呼ばれている。
調査では、樹高25m、2株立てで幹周13.0m(主幹は10.0m)とある。 地上1m程度の所から数本の大枝に分かれており、 普通の杉のように真っ直ぐ立っているのは2本の主幹だけであるが、 根は一株のように見えた。 樹高も現在は30mを越しており、日本でも有数の杉の巨木と言って良かろう。

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八坂神社の方は、神社というより祠という表現がピッタリの社が大杉の根本ににしつらえてあった。(沢山の見物客が根を踏み固めるのであろう?・・、養生のため石を伝ってお参りできるようにしてあった。
by barakan1 | 2007-06-30 13:43 | 旅日記

恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)⑤正法寺・・・

●安積(あさか)親王墓より、正法寺方向を見る。
和束町並み(右下・白栖橋、その上奥山裾・正法寺)
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■正法寺(しょうぼうじ)  和束町大字南小字下河原
●正面参道
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正法寺は和束町のほぼ中央、信楽街道より東へ少し入った山裾にある。寺伝では天平年間(729―749)聖武天皇の第五皇子安積(あさか)親王 の冥福を祈って行基が創建した禅寺と伝えられている。
●参道石段                  ●楼門(境内より)
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●本堂                     ●本堂前石像
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※秋の紅葉が有名らしい。参道石段は青々とした紅葉の青葉が繁っていて、薄暗いくらいであった。紅葉の季節にもう一度来たいものだ。
by barakan1 | 2007-06-29 18:06 | 旅日記

恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)④活道(いくじ)の岡と安積親王(あさかのみこ)墓・・・


■活道の岡と安積親王(あさかのみこ)墓
同じ月十一日(とをかまりひとひ)、活道(いくぢ)の岡に登り、一株松(ひとつまつ)の下(もと)に集ひて飲(うたげ)せる歌二首
巻6-1042 
一つ松幾代か経ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも
     右の一首は、市原王のよみたまへる。
●和束長井橋より活道の岡を望む
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巻6-1043 
玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思(も)ふ     
右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。
安積親王(あさかのみこ)和束墓  相楽郡和束町白栖
系譜:聖武天皇の第2皇子。母は夫人県犬養広刀自。同母姉に井上内親王、同母妹に不破内親王がある。
●活道の岡
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十六年(ととせまりむとせといふとし)甲申(きのえさる)春二月(きさらき)、安積皇子(あさかのみこ)の薨(すぎたま)へる時、内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持がよめる歌六首
巻3-0475 
かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも
我が王(おほきみ) 御子の命(みこと) 万代に 食(を)したまはまし
大日本(おほやまと) 久迩(くに)の都は 打ち靡く 春さりぬれば
山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走(ばし)り
いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも
白布(しろたへ)に 舎人装ひて 和束(わづか)山 御輿(みこし)立たして
久かたの 天知らしぬれ 臥(こ)い転(まろ)び 沾(ひづ)ち泣けども 為むすべもなし

略伝 安宿媛(藤原光明子)所生の基皇太子が薨じた神亀5年に生まれ、在世する聖武唯一の皇子となる。将来の皇太子最有力候補と目されたはずであるが、翌天平元年安宿媛が皇后の地位につき、738(天平10)年には后腹の阿部内親王が異例の女性皇太子として立太子した。
●活道の岡
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反し歌
巻3-0476 
我が王(おほきみ)天知らさむと思はねば凡(おほ)にぞ見ける和束杣山(わづかそまやま)
743(天平15)年秋から冬にかけての頃、恭仁京の藤原八束の家で宴を開く。この時の大伴家持の歌が万葉集に残る(06/1040)。また翌16年1月11日には皇子の邸があったと見られる活道の岡で家持・市原王らが集まって宴を開く(06/1042・43)。家持が当時親王と個人的に親交を結んでいたことが察せられる。同年閏1月11日、難波行幸の際、途中桜井頓宮で脚病により恭仁京に引き返し、2日後薨去。享年17歳。恭仁京の東北和束山に葬られる。
■安積親王(あさかのみこ)墓(正法寺より望む)
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巻3-0477 
足引の山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が王かも
     右ノ三首ハ、二月三日ニ作メル歌。
2月3日と3月24日作の家持の挽歌がある(03/0475~0480)。この後、家持は4月頃まで平城の故宅で謹慎していた節がある(17/3916~21)。なお736(天平8)年、「親王」(安積親王)のための経典四部の書写の記録が残り、うち、薬師経と千手経各一巻は「井上王施」とあり、安積親王が姉井上斎王のために施写したものかという(須田春子)。
ーアサヒネットーより
●府道木津・信楽線、白栖橋より(東→西)
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巻3-0478 
かけまくも あやに畏し 我が王 皇子の命
物部(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)を 召し集へ 率(あども)ひたまひ
朝猟(あさがり)に 鹿猪(しし)踏み起こし 夕猟(ゆふがり)に 鶉雉(とり)踏み立て
大御馬(おほみま)の 口抑へとめ 御心を 見(め)し明らめし
活道(いくぢ)山 木立の繁(しじ)に 咲く花も うつろひにけり
世間(よのなか)は かくのみならし 大夫(ますらを)の 心振り起こし
剣刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 梓弓 靫(ゆき)取り負ひて
天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと
恃めりし 皇子の御門の 五月蝿(さばへ)なす 騒く舎人は
白栲(しろたへ)に 衣取り着て 常なりし 咲(ゑま)ひ振舞ひ
いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも

●西→東に見る
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●北→南に見る
反し歌
巻3-0479
愛(は)しきかも皇子の命のあり通(がよ)ひ見(め)しし活道の道は荒れにけり
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●安積親王(あさかしんのう)墓(南→北)
巻3-0480 
大伴の名に負ふ靫(ゆき)帯びて万代に憑(たの)みし心いづくか寄せむ
     右ノ三首ハ、三月二十四日ニ作メル歌。
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●和束町・町並み(右赤丸・正法寺)
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※今回の探訪の一番よりたかった所です。薄幸であった安積親王(あさかしんのう)に相応しい
場所に、相応しい形で鎮まっているように思へました。
by barakan1 | 2007-06-28 22:12 | 旅日記

恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)③恭仁京跡・・・

恭仁京跡
●塔跡をみる(西→東)
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藤原広嗣の乱の後、天平12年(740年)12月15日聖武天皇によって、平城京から遷都された。相楽が選ばれた理由として太政大臣・橘諸兄の本拠地であったことが指摘されている。
●塔跡・心礎
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久邇(くに)の新京(にひみやこ)を讃ふる歌二首、また短歌
巻6-1050 
現(あき)つ神 我が大王の 天の下 八島の内に
国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども
山並の よろしき国と 川並の 立ち合ふ里と
山背の 鹿背(かせ)山の際(ま)に 宮柱 太敷きまつり
高知らす 布當(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清き
山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに
さ牡鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁(しじ)に
巌には 花咲き撓(をを)り あなおもしろ 布當の原
いと貴(たふと) 大宮所 諾(うべ)しこそ 我が大王は
君のまに 聞かしたまひて 刺竹の 大宮ここと 定めけらしも

反し歌二首
巻6-1051
三香(みか)の原布當の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも
巻6-1052 
山高く川の瀬清し百代まで神(かむ)しみゆかむ大宮所
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741年の9月に左京右京が定められ、11月には大養徳恭仁大宮という正式名称が決定され、宮殿が造られた。都としては完成しないまま743年の末にはこの京の造営は中止されて聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年に難波京に遷都、さらに745年、都は平城京に戻された。
●大極殿跡
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わずか3年余りの都であったが、日本の文化史上の重要事項である「国分寺・国文尼寺建立の詔」と、「大仏建立の詔」はこの都で出され、実行に移された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
●大極殿(国分寺)心礎
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春日(はるのころ)、三香原(みかのはら)の都の荒墟(あれたる)を悲傷(かな)しみよめる歌一首、また短歌
巻6-1059 
三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み
在りよしと 人は言へども 住みよしと 吾(あれ)は思へど
古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず
里見れば 家も荒れたり 愛(は)しけやし かくありけるか
三諸(みもろ)つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく
百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも

反し歌二首
巻6-1060 
三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば巻6-1061 
咲く花の色は変らず百敷の大宮人ぞたち変りける
●大極殿(国分寺)跡より、北を見る    ●心礎
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by barakan1 | 2007-06-27 20:21 | 旅日記

恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)②恭仁神社・・・

●恭仁神社前から見た、真中鹿背山・右狛山
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久邇(くに)の新京(にひみやこ)を讃ふる歌二首、また短歌
巻6-1053 
吾が大王 神の命の 高知らす 布當の宮は
百木盛る 山は木高(こだか)し 落ちたぎつ 瀬の音(と)も清し
鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り
錦なす 花咲き撓(をを)り さ牡鹿の 妻呼ぶ秋は
天霧(あまぎら)ふ 時雨をいたみ さ丹頬(にづら)ふ 黄葉(もみち)散りつつ
八千年(やちとせ)に 生(あ)れ付かしつつ 天の下 知ろしめさむと
百代にも 変るべからぬ 大宮所

反し歌五首
巻6-1057 
鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声
巻6-1058 
狛山に鳴く霍公鳥(ほととぎす)泉川渡りを遠みここに通はず

■恭仁(くに)神社  相楽郡加茂町大字西小字宮ノ東35  
●鹿背山                 ●神社入口 
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巻6-1056 
娘子らが続麻(うみを)懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ

祭神
御祭神:
本社菅原道真(すがわらのみちざね)
合祀崇道天皇(すどうてんのう)
藤原太夫人(ふじわらだゆう)
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 末社老松神社  老松霊(おいまつのれい)
        福部神社  大国主神(おおくにぬしのかみ)
        金刀比羅神社 大物主命(おおものぬしのみこと)
        八幡宮  応神天皇(おうじんてんのう)
        合殿三星稲荷神社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
        恵比須神社事代主命(ことしろぬしのみこと)
        水神社水波能女神(みずはのめのかみ)
        武内神社武内宿禰(たけのうちすくね)
合殿道祖神社猿田彦命(さるたひこのみこと)
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【沿革】
もともと菅原道真公を祭った村社天満宮で本殿は、文久3年(1863年)に奈良春
日若宮の社殿を移築したものである。昭和40年に、現在の恭仁京あとに鎮座していた御霊神社と合併し神社名を恭仁神社と改められた。
祭神は、御霊神社から遷座された崇道天皇及び藤原太夫人ともともと天満宮に鎮座の菅原道真公の3神である。              ●本殿
a0016431_19523317.jpg当社の特徴は、長い参道の正面に舞殿とその左右に仮屋を有し、その奥に割拝殿と本殿を配するという南山城地域特有の社殿配置をなしている。
現在も、秋祭りには仮屋において宮座が開かれにぎわいをみせている。昔から伝わるお祓いに、六三の祓いがある。ー掲示板よりー

●本殿左末社                  ●本殿右末社
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恭仁宮はわずか3年余りの短命な都でしたが、大極殿(国分寺金堂)跡の東側は、国分寺の鎮守社として祀られていた御霊神社(ごりょうじんじゃ)の境内地だったところで、永年地域の氏神として信仰を集めていた杜(もり)には楠や椿が繁茂して、大極殿跡とともに歴史的な景観を保っています。
●参道横、心光庵跡(由緒:???)
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by barakan1 | 2007-06-26 20:11 | 旅日記

恭仁京~和束杣山探訪(07.06.21)①コース概略・・・

a0016431_11565840.jpg●八坂神社の大杉


■コース概要。

自宅発9時半~恭仁神社~恭仁京~和束・安積(あさか)親王墓~八坂神社(大杉)~和束・天満宮~帰路同じ道を帰る自宅着17時半。走行120キロ。
by barakan1 | 2007-06-25 11:59 | 旅日記

藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)⑦木殿神社・・・終

■木殿神社  奈良県橿原市城殿町
●神社社叢(北→南)を見る
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ご祭神 
天児屋根命、素戔鳴命
●鳥居・拝殿
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由緒:??
城殿集落の東北端に東面して鎮座する。この神社北東飛鳥川を挟んで1キロ位に藤原宮があります。この辺りの地名は城殿町で神社名は木殿です。宮殿を建てる時に木材を扱っていた所とも考えられますね??
●拝殿内部                  ●本殿
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※過日探訪した鷺栖神社は、この神社の北方、飛鳥川の対岸際にがあります。
by barakan1 | 2007-06-24 16:02 | 旅日記

藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)⑥稲渕・棚田・・・

■稲渕・棚田
●棚田の西面と南面に挟まれた低地を明日香川が流れています。
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上古麻呂(かみのふるまろ)が歌一首
巻3-0356 
今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬の清(さや)けかるらむ
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稲渕から上流が明日香川らしさを何とか保っています。
川に寄す
巻7-1379 
絶えずゆく明日香の川の淀(よど)めらば故しもあるごと人の見まくに
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※棚田はようやく、田植えが終わったばかりのようです。か細い稲が折からの風にヒラヒラ揺れていました。
by barakan1 | 2007-06-23 10:25 | 旅日記

藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)⑤八釣~高屋(高家・タイエ)②・・・

■高屋(上高家)
●上高家入口の地蔵さん(後方、桜井市)
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●ヒラノ古墳(西、明日香)    (北、桜井市)
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●上高家の村落(春日神社参道より)
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舎人皇子(※)の御歌一首
巻9-1706 
ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上に棚引くまてに

ほかにも舎人皇子が詠んだ歌として、
舎人娘子(とねりのいらつめ)に賜へる御歌
巻2-0117
ますらをや片恋せむと嘆けども醜(しこ)のますらをなほ恋ひにけり
※父は天武天皇、母は天智天皇皇女新田部皇女である。皇子は日本書紀編纂の総裁であり、淳仁天皇の父である。
●上高家の春日神社よりの明日香を見る
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■上高家の春日神社
上高家の最高所に春日神社が鎮座している。祭神は藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比咩大神を祀る。高家には24基の古墳が発見されているが、この神社にも横穴式石槨が露出している。
●神社入口
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●拝殿と露出した横穴式石槨
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●本殿
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by barakan1 | 2007-06-22 12:31 | 旅日記

藤原宮~高家~稲渕(07.06.16)⑤八釣~高屋(高家・タイエ)①・・・

■八釣~高屋(高家・タイエ)  6月 風景
畝尾津多本神社より更に南下し、大官大寺址を左横にみて、雷の丘前より、山田道に入り八釣にいたる。
●八釣景(引計皇子神社あたり)       ●下高家より上高家(高屋)を見る
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柿本朝臣人麻呂が新田部皇子(にひたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌
巻3-0262 
矢釣(やつり)山木立も見えず降りまがふ雪にうくつく朝(あした)たぬしも
知らず
巻12-2860 
八釣川水底(みなそこ)絶えず行く水の継ぎてそ恋ふるこの年ごろを

●八釣・高屋略図(ウオーク万葉より)
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●下高家より山三景、  甘樫丘   畝傍山   二上山
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巻13-3260 
小治田(をはりた)の 年魚道(あゆち)の水を
間無くそ 人は汲むちふ 時じくそ 人は飲むちふ
汲む人の 間無きがごと 飲む人の 時じきがごと
我妹子に 吾(あ)が恋ふらくは やむ時もなし

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●下高家より花三景、
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by barakan1 | 2007-06-20 10:59 | 旅日記