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曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑪-3川上山若宮八幡神社・みそぎの滝・・・終

■本殿よりみそぎの滝へ
(みそぎ滝の横には不断社と天狗石像神があります)
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●雲出川源流部
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□神話の森ホームページ・歌語り風土記より
隼総別王と雌鳥王 一志郡美杉村川上 若宮八幡神社ー
仁徳天皇のころ、謀反の疑ひをかけられた隼総別(はやぶさわけ)王と雌鳥(めとり)王は、大和国宇陀郡の山を越えて伊勢をめざして逃亡した。
★★隼総別王
梯立(はしだ)ての岨(さか)しき山も我が妹(いも)と越えさり行かば安むしろかな    
古事記では、二人は、宇陀郡の曽爾(そに)村で討たれたといふが、日本書紀では伊勢国一志郡に入って討たれたといひ、一志郡の伝承では雲出(くもづ)川の中流の瀬戸ヶ淵(白山町)といふところだといふ。この近くに夫婦窟といふ石を畳ねた窟があり、隼総別王と雌鳥王の墓ではないかと本居宣長はいふ。または、二人の首は、もつれ合ひながら雲出川を遡り、八知から柳瀬を経て、今の美杉村川上の地で拾はれて、若宮八幡に祀られたといふ。
●福徳蛙
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若宮八幡神社は、雲出川の水源地に鎮座し、仁徳天皇と磐之媛(いはのひめ)皇后を主祭神とし、雨乞や武道、修験道などの信仰がある。歌人・国文学者の岡野弘彦は、ここの宮司家に生まれた。その著作で岡野家に伝はる正月の若水汲みの歌が紹介されてゐる。
今朝汲む水は福くむ水くむ宝くむ、命長くの水をくむかな
●みそぎの滝                     ●天狗石像神
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天武天皇のころ、皇女の十市皇女が伊勢神宮へ参拝したとき、雲出川の下流の八太(はた)といふところ(一志町)で、従者が詠んだ歌(万葉集)。
★吹黄刀自
巻1-0022
川上の湯津岩群(ゆついはむら)に草むさず常にもがもな。常乙女にて   
●不断社
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※別のコースを取ると、名の付いた滝やみそぎ場が、まだ沢山あるそうです。また機会があれば、御神体の修験業山や高宮へも登ってみたいと思います。
最後に名古歌を、
北畠国永
河上のその河上に分け入ればよしや吉野も浅きかくれが
藤堂高?
この神にあゆみを運ぶ人あらば正しき道をふみなたがいそ
by barakan1 | 2007-04-30 20:37 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑪-2河上山若宮八幡神社・・・ 

■河上山若宮八幡神社    三重県一志郡美杉村河上
●369号から神社への道       ●参道
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深い谷あいに分け入って行くと仁徳天皇とその皇后・磐之姫(いわのひめ)の遺徳をしのんで、1500年余り昔の履中天皇の時代に創建された川上山若宮八幡神社が建っている。
●神社入口・鳥居
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室町時代には北畠氏、江戸時代には津藩主・藤堂氏の崇敬が篤かった。一方、今も昔も庶民の神として信仰を集め「川上山」「若宮さん」「川上八幡さん」「若美や八幡さん」などと親しみを込めて呼ばれている。
●社務所前鳥居     ●石燈籠     ●参道石段   ●参道神杉
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祭神 大鷦鷯命【おおさざきのみこと】(仁徳天皇) 
   磐之媛命【いわのひめのみこと】
   素戔鳴尊【すさのおのみこと】 
   誉田別命【ほんだわけのみこと】
●石段途中・眼力社     ●巳神
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境内社
 小宮社(祭神:火之迦具土神 他)
 不断社(祭神:水分大神 他)
 不動社(大山津見大神 他)
 高宮(伊勢大國魂神、丹生都比賣神 他)
 立石社(天之水分大神 他)
●拝殿全景
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当社創立の年代は詳かではないが、社伝によれば、当地は大和宮廷から伊勢神宮への勅使往来の通路であったが、更に家城から奥の地は岩野郷と称して磐之媛皇后の御領地で、仁徳天皇はこの郷の開拓に努められた。そのため履中天皇の御宇(西暦5世紀初)郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の御遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓、雲出の川上水源の清地を選んで祠を設け、その二柱の御霊を祀ったのが当若宮八幡宮である。
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それより以前、太古より、修験業山の自然の磐座である高宮【こうのみや】に鎮座の天津神、国津神八百万神を尊崇してきた。これが当社創立の淵源である。(三重県神社誌による)
●拝殿横・小宮社(この狛犬はチョット迫力がありました)
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by barakan1 | 2007-04-29 18:15 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑪-1川上宮八幡神社案内図・・・

■川上山若宮八幡神社案内図
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by barakan1 | 2007-04-29 17:53 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑩-2北畠氏館跡庭園・・・

■北畠氏館跡庭園
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北畠氏の館跡に建てられた北畠神社は北畠親房、長男・顕家(あきいえ)、三男・顕能を祭っており、その境内の北畠氏館跡庭園は、野性的で豪壮な石組みが特徴となっている。
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大庭園の多くは寺院の境内に多いが、神社の境内に付属しているものは少ない。
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北畠氏館跡庭園は武家の庭園らしく質素、豪放で、山側に林泉庭園、谷側に石組みの枯山水を配している。作庭者は7代伊勢国司北畠晴具(はるとも)の義父で後に室町幕府の管領となった細川高国と言われている。
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霧山城跡標高五六〇米、遥かに吉野連峰を望む。
昭和十一年国の「史跡」に指定せらる。(美杉村所有・管理)
北畠氏館跡庭園享禄元年(一五二八)管領職細川高国の作と伝う。
当代庭園中三名園の一に数えられる。
昭和十一年国の「名称」及び「史跡」に指定せらる。
-境内案内板より-
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★管領細川高国が北畠晴具(はるとも)に贈った辞世の和歌
絵にうつし石をつくりし海山を後の世までも目かれずや見む
★本居宣長 吉野からの帰路詠める
君まさで経りぬる池のこころにもいひこそいでね昔こふらむ 
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by barakan1 | 2007-04-28 19:53 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑩-1北畠神社・・・

■北畠氏
●北畠神社社叢と左後方、霧山城跡
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南北朝時代、北畠親房(ちかふさ)は後醍醐天皇の絶大な信任を得て南朝の中核として活躍した。親房の三男、顕能(あきよし)が初代伊勢国司となり、天然の要害の地と言える多気の里に興国3年(1342)霧山城を築いて本拠地とした。その城下町は「小京都」とも言われ、伊勢の山間地に文化の華を咲かせた。各地の国司が戦国大名に滅ぼされる中で、伊勢の北畠氏は、天然の要害の地の利に守られ、約240年間にわたって伊勢国司として君臨した。

■北畠神社由緒(別格官幣社) 三重県津市美杉町上多気1148
●南鳥居(参道入口)     ●東鳥居(境内入口)
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祭神  従一位
右大臣・准后  北畠顕能(あきよし)公 
配祀  北畠親房公(父)    北畠顕家公(兄)
例祭日  十月十三日
●神社拝殿
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建武中興の偉業は半ばにして破れ、後醍醐天皇は三種の神器 を奉じて吉野山に仮の皇居を設けられた。時に延元元年(1336) 十二月。以降五十七年間を世に南北朝時代と言う。
北畠親房は学徳衆に優れ、天皇の信任篤く、常に側近に在ったが動 乱に際して自ら陣頭に指揮をとり、足利勢に対決した。大楠公以下諸忠 臣相次いで戦没し、長子の陸奥守鎮守府将軍顕家も亦、延元三年五月 弱冠二十一才で阿倍野(大阪市)の露と消えた。
●本殿   ●中門               ●拝殿
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神皇正統記は親房が常陸國の戦陣において筆を執ったもので、国体 の本義を明らかにして、南朝の正統を天下に宣言し、後世に大きな影 響を与えた史書である。

□顕能は興国三年(1342)に戦略上の拠点として、この地に霧山城を築き 伊勢国司に任ぜられた。この位置が当時の居館の跡である。館は多気 御所又は北畠御所と呼ばれていた。その生涯五十八年のうち、実に四十五年の歳月は南朝護持のため に捧げられたのである。大小の合戦六十数回、二度までも京都を奪 還した功績は偉大である。南朝方の大御所として、後醍醐、後村上、長慶の 三帝に仕えて忠誠をつくした。弘和三年(一三八三)七月廿八日多気に没す。 以後九代二百数十年に亘って、伊勢国司は一志・飯南・度会・志摩の 南勢五郡と紀伊、伊賀、大和に及ぶ領域に善政を布いたが天正四年 (1576)十一月、天下制覇を狙う織田信長の謀略により、具教は 三瀬の館(多気郡)に於て殺され、北畠氏は滅亡した。
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寛永二十年に一族の末裔鈴木孫兵衛家次この地に小祠を設けて北 畠八幡宮と呼び村人の尊崇を受けつつ幕末に至った。昭和三年十一月 天皇御即位の大礼の日に別格官幣社に列せられたが終戦とともに廃せられた。
●中門                     ●本殿
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霧山城跡標高五六〇米、遥かに吉野連峰を望む。
昭和十一年国の「史跡」に指定せらる。(美杉村所有・管理)
-境内案内板より-

●花将軍・北畠顯家像と北畠顕能の歌碑
a0016431_1942247.jpg★北畠顕家夫人
なき人のかたみの野への草枕夢もむかしの袖のしら露
顕家は親房の子で南朝の武将。21歳で戦死。顕家の討ち死にした場所で詠んだとされる歌。

★北畠顕能(あきよし)の歌碑
いかにして 伊勢の浜萩吹く風の治まりにきと 四方に知らせむ
by barakan1 | 2007-04-27 19:51 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)多気探訪マップ・・・

■歴史のふるさと 多気探訪マップ
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by barakan1 | 2007-04-27 19:21 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑨三多気の桜~幡須神社・・・

■三多気の桜
津市美杉町三多気(みたけ)にあり(伊勢本街道と真福院とを結ぶ参道に植えられている)、国指定文化財名勝の桜である。
真福院は約1100年前、京都・醍醐寺を開き、修験道中興の祖として大峯・吉野にかかわりの深い理源大師の開基とされる真言宗の寺。三多気の桜も理源大師が植えたのが始まりという。
また、この地域一帯は南朝を支えた北畠氏が拠点としたところで、桜並木の上の真福院も一族の祈願所となったが、南朝の伊勢国司となった北畠顕能(あきよし)は、ここから9キロ東に霧山城と館を築き、街道沿いにも山桜を植えたとの言い伝えが残る。
●真福院への参道の桜(散りかけてなのに。まだ、かなりの人出)
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明暦年間(1655~58)津藩士・山中為綱が著した「勢陽雑記」の「密嶽権現(みたけごんげん)」の条に、北畠権少将源国永の家集に
此国密嶽と云ふ所の花見侍らで今年ことしと過ぎ侍るが、
★花の頃なれば
甲斐なしや思ひやりても山桜いざ白雪の嶺をこへねば
★落花を
よしやさらは今は恨みし我袖に散れとて積る花の白雪

■幡須神社    三重県津市美杉町石名原1714-1
●参道石段・拝殿・本殿
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祭神:???    由緒:???
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by barakan1 | 2007-04-26 18:26 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑧菅野宮ノ本・ 四社(ししゃ)神社・・・

■四社(ししゃ)神社    宇陀郡御杖村菅野宮ノ本2309
●神社全景
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ご祭神 
天照大神
春日大神
八幡大師
熊野大神の四柱(伊邪那美命・大日霊貴尊・天津児屋根命・誉田別尊)
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略紀
宝暦2年(1752)年には、天照大神、春日大神、八幡神、熊野神の四柱を祀って「四社大明神」と称しますが、それより昔、 崇神天皇の皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめノみこと)に続き、第11代垂仁天皇の御代、皇女・倭姫命(やまとひめノみこと)が御杖代(みつえしろ、斎宮の事)になり、大和笠縫邑(かさぬいむら)から神慮(しんりょ)に叶う新たな宮地を求めて、ここで行宮(ゆきみや)を造られました。倭姫命はこの宮ノ本の地に泉を求められ、湧き出真澄な水で禊(みそぎ)をして、天照大御神をお祀利されていました。後に伊勢へ遷宮(せんぐう)になったので、伊勢本街道沿いの当地を「天照(あまてらす)の道、元伊勢」として崇拝されています。
●拝殿  (本殿は神明造です)
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時は下り第1代用明天皇の御世(585~587)に至り、御杖代となられた皇女稚足姫(ちたりのひめ)はこの行宮跡に宮を造られました。そのとき酢の泉が現われ酢の香が姫の御手にうつり、故にこの地を酢香野(すがの)と命名され、自らの御名を酢香手姫(すがてひめ)と呼ばせられました。この泉を酢壺田(スツボダ)といい、その泉の石碑と倭姫の御井戸を境内にお祭り申し上げています。
●酢香手姫神社  ●スツボダの碑  ●倭姫命禊の御井
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●倭姫宮      ●御神水      ●菊花石
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天文年間の争乱で興廃しましたが、天文24年(弘治元年1555)に社殿は再造され、いご造営を繰返して現在の姿となっています。
●神社遠景(369号線より
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この地は伊勢本街道の要地で、お伊勢参りには必ず当社に参拝することを常とされ、境内近隣は参宮の参拝者で大いな賑わいを見せていました。
ー神社栞よりー
by barakan1 | 2007-04-25 11:40 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑦宝涌山安能寺(あんのうじ)・・・

■宝涌山安能寺(あんのうじ)   宇陀郡御杖村大字菅野
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国道368号線を更に東へ行き、バス停「菅野(すがの)西口」で下りて、北へ向かうと、曹洞宗宝涌山「安能寺(あんのうじ)」があります。
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820年頃(弘仁年間)空海の建立で、元は室生寺の別院でした。室町時代に衰退して、1478年(文明10年)城上郡芝(今の桜井市)の慶田(けいでん)寺第二世江父徳源により菅野村寺尾に再興されましたが、後に現在の地に再建されて曹洞宗の寺院になり、正徳2年(1712年)の棟札がある鐘楼門は県文化で、境内に入ると、江戸時代中期の本堂や、禅堂などがあり、1728年(享保13年)大洪水による山崩れで本道が倒壊したが、まもなく再建され今に至っています。ー奈良観光より抜粋ー
●エドヒガンサクラ
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★★桜の花の歌一首、また短歌(みじかうた)
巻8-1429  若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)
娘子(をとめ)らが挿頭(かざし)のために遊士(みやびを)の蘰(かづら)のためと
敷きませる国のはたてに咲きにける桜の花の匂ひはもあなに

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反し歌
巻8-1430 
去年(こぞ)の春逢へりし君に恋ひにてき桜の花は迎へけらしも
山門横石垣の上にエドヒガンザクラがあります。山門とよくマッチして、美しい姿をみせています。
by barakan1 | 2007-04-24 12:28 | 旅日記

曽爾村~御杖村~美杉村探訪(07.04.12)⑥土屋原・ 春日神社・・・ 

■曽爾役場対岸81号線より眺める
   ●屏風岩            ●兜岳       ●鎧
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■土屋原・春日神社    御杖村大字土屋原小字西谷
●土屋原村落               ●神社入口
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創祀、由緒は不明
●ラッパ銀杏・神社正面
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祭神:天津児屋根命
本殿は素木の神明造で、社宝として延徳3年(1491年)銘の銅製の神像があり、
●拝殿
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●本殿境内社
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●「ラッパ銀杏」
鳥居の横に植わっている巨樹の「ラッパイチョウ」は、昭和44年に日本で始めて発見された
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葉の1割がロート状にくるりと巻くラッパ型で、樹高約20m、幹周約5.4m、奈良県の保護樹木に指定され、毎年11月3日(祝)秋祭が行われます。ー奈良観光より抜粋ー
by barakan1 | 2007-04-23 14:40 | 旅日記