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高野口町~かつらぎ町~紀ノ川市②探訪(07.01.25)⑤中飯降・ 城山神社・・・

■中飯降(なかいぶり)城山神社    伊都郡かつらぎ町中飯降461
●神社遠景(南→北)
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祭神
天照皇大神
●神社入口(南)
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配祀 
市杵嶋姫命、奧津彦神、譽田別命、須佐之男命、五男三女神、
大將軍神、牛神
●手水舎・山神
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由緒
延喜七年(907)天野大社明神を勧請したと云う。祭神の中に天野大社の神々の名としては市杵島比売大神(厳島明神) であるが、丹生都比売大神は見当たらない。
●神社入口(東→西)
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明治四十年、近隣の無格社を合祀した。 大神社を城山神社と改名した。鎮座地は田所氏の城跡であったと云う。
●本殿
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南側の鳥居をくぐると山神の石碑がある。 本殿は木造檜皮葺明神造で美しいお姿で鎮座している。ー神南備にようこそーより
●神社前より、紀ノ川方向(南)をみる
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★※神社そのものはこじんまりとまとまって、よく手入れされている。本殿はかなり経っているのか、歴史の重さを感じさせる雰囲気である。
by barakan1 | 2007-01-31 12:07 | 旅日記

高野口町~かつらぎ町~紀ノ川市②探訪(07.01.25)④名倉・ 八幡神社・・・

■名倉・ 八幡神社  和歌山県橋本市高野口町名倉370 
●神社遠景(東)より              ●南より
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祭神
譽田別命、天兒屋根命、皇大神
●一の鳥居                   ●二の鳥居
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摂社
蛭子神社 事代主命
厳島神社 市杵嶋姫命
御祓殿 瀬織津姫神、速秋津比賣神、氣吹戸主神、速佐須良比賣神
●三の鳥居                   ●拝殿 
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由緒
創建不詳。
昭和三十一年の町村合併時に現在地庚申山に遷座、昭和五十一年、平成六年と正遷宮祭で社殿の改築、石段の整備、鳥居の建て替えなどを行っている。
●拝殿
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紀の川沿いに点々と八幡神社が鎮座しており、神功皇后や譽田別命の足跡が語られるのである。
●本殿
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紀の川沿いは瀬戸内海から大和への道筋として古代よりの重要な交通路であり、当然中央で権力を獲得しようとする人物やグループが往来したであろう事が、神功皇后や譽田別命に代表されて語り継がれて来たのであろう。ー神南備にようこそーより
●神社より(高野口町・九度山町をみる)
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★※新しく建替えられているため、荘厳さには少し掛けるが、山の頂上付近に鎮座し、なかなか立派な神社である。神社からは高野口町~九度山町までよく見える。
by barakan1 | 2007-01-30 12:41 | 旅日記

高野口町~かつらぎ町~紀ノ川市②探訪(07.01.25)③名古曽・ 住吉神社・・・

■名古曽・ 住吉神社   橋本市高野口町名古曽82
●神社正面
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祭神
表筒男命、中筒男命、底筒男命
摂社
嚴島神社  市杵嶋姫命
神功皇后神社  神功皇后
●境内全景・拝殿
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由緒
名古曽は昔は「なごそ」と云われていた。 創建については史実による詳しい記述はない。
●本殿
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天平十年(1582年)織田信長の高野攻めの際、織田方の武将、松山庄五郎が名古曽に布陣の際、戦勝を祈願して堺の住吉神社を勧請したものと伝わる。
ー神南備にようこそー
●境内社(金毘羅宮・天満宮・小北稲荷明神)
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by barakan1 | 2007-01-29 12:25 | 旅日記

高野口~かつらぎ~紀ノ川市②探訪(07.01.25)②応其(おうご)三社太神社・・・

■応其(おうご)三社太神社     伊都郡高野口町応其417
●神社遠景
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祭神
天照大神
春日大神  天児屋根命
八幡大神  誉田別命
厳島大神  イチキシマ
桜木大神  楠公
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由緒
当神社の草創年月日はあきらかではないが、応其三大神社とも言われている。
●神社境内
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境内には珍しいナギの木二本があり、明和八年(1771)と記された石燈籠一対が残っている。境内から出土した土器片や布目瓦等から時代を類推すれば、平安時代に起源かあるものと思われる。
●拝殿・本殿
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昭和57年(1981)十月二日正遷宮にて本殿はいでんの改築、境内地の整備等を行う。また、拝殿地価に遷宮を記念して御遷宮十区委員会とドングリ子供会がタイムカプセルを埋蔵し西暦2042年十月二日に開封する事になっている。ー境内案内板ーより
by barakan1 | 2007-01-28 18:09 | 旅日記

高野口~かつらぎ~紀ノ川市②探訪(07.01.25)①コース概要・・・

a0016431_15584632.jpg●海神社横に咲く水仙
■高野口~かつらぎ~紀ノ川市探訪。
8時自宅発371号経由~応其・三社太神社~名古曽・住吉神社~名倉・八幡神社~中飯降・城山神社~妙寺・若宮神社~かつらぎ町・宝来山神社~船岡山・厳島神社~名手・八幡神社~風市森神社~東田中神社~神領・海神社~北勢田・志野神社~猪垣・気比神社~371号で帰宅、18時半着。走行距離、160キロ。
★※今回の探訪は初っ端から、ハプニングでした。三社太神社前で脱輪してしまいました。田舎の山手の方でもあるし、店もないし本当に困りました。が二人の親切な人のお陰で(一人はロープを貸してくれた男性、一人は牽引してくれた男性)なんとか脱出する事が出来ました。本当に助かりました!!人情今だ廃れず!!ですね!!本当に有難うございました。
by barakan1 | 2007-01-28 16:13 | 旅日記

橿原市~明日香村探訪(07.01.15)⑪十市御縣坐(とおちのみあがたにいます)神社・・・終

■十市御縣坐(とおちのみあがたにいます)神社  延喜式大社 
  橿原市十市町1番地
●寺川堤防より神社社叢をみる
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御祭神
豐受大神(とようけおおかみ)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
(社伝では十市県主の祖大目を祭神としている)
●正面より
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由緒
延喜式大社である。御県とは四~五世紀に、大和王権がその王領、服属地を設定した行政上の単位である。 御県から野菜、酒、水、氷、薪などを献じた。また王妃をも出した。十市県主は孝安妃を出している。*1 十市県主の五十坂彦の女の五十坂媛を妃にしている。別名は押媛、忍坂媛である。五十はイ、イソと読まれるが、朝鮮語ではO-Shipであり、押、忍と書かれる。
●境内全景
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孝安天皇が五十坂媛を娶り、室之秋津島宮に天下を治しめた事は、大和盆地の北部・東部を押えていた倭・磯城王国と西南部の葛城王国との協調説話を記紀が語っているのである。 初期大和王権の形成史を語るのである。*2 
●拝殿
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*1 日本の神々4(大矢良哲)白水社
*2 古代倭王朝論(畑井弘)三一書房   ー神南備にようこそーより
●本殿
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□御創建年代は不祥であるが、清和天皇貞観元年(皇紀1519年・西暦859年)正月二十七日概に従五位上の神位を授けられており高市葛木十市志貴・山邊・曽布と大和國六御縣神社の一座として朝廷の尊崇厚く醍醐天皇延喜には大社に列し、祈年・新嘗・月次の安上官幣に預かり、又古この地方は朝廷の御料地で守護神として?菜の生育を祈願せられ庶民より農業の神として廣く信仰をあつめ年俗に十三社明神と称された。 ー神社略記ーより
●境内社
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★※大神神社の西にあり、寺川の右岸に鎮座、竹田神社と坂門神社からは寺川を挟んでご近所さんです。堤防からは三輪山がよく見えます。
by barakan1 | 2007-01-27 21:28 | 旅日記

橿原市~明日香村探訪(07.01.15)⑩竹田(たけた)神社・・・

■竹田(たけた)神社  式内社  橿原市東竹田町495 
●寺川(後方竹田ガ原)        ●神社社叢(西南よりみる)後方寺川 
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祭神
天香久山命
●正面鳥居
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由緒
式内社である。香久山の北に鎮座する。多神社の若宮である。川辺連を祝と為すとあり、火明命の五世の後なりとされる。 多神宮注進状には「祭神は天照国照火明命、神像竹箸に座す」と記されている。
●境内全景
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祭神は太陽神の性格を持つ。丁度、夏至の日の出が箸墓の方向となる。キイワードは箸である。 箸と女陰、丹塗矢と女陰、死と再生の呪術儀礼の道具である。竹田連は湯母竹田連と川辺竹田連に分かれるが、湯母から育児にからむ呪術儀礼の神社と推定されている。竹も筍で成長力旺盛である。 多氏もよく似た職掌があり、始祖伝承が互いに入り交じっている。この竹田神社と多神社との関連もそういうことである。
●境内全景
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なぜ、この地に火明命か天香久山命を祭る神社が鎮座しているのか、であが、三つ考えられる。 神武軍が宇陀で雄叫びした所を猛田と言う。天香山に媼に変装して埴土を取りに行った弟猾が猛田県主とするとある。弟猾も物部の一族であった。後裔に竹田連が出たのであろう。竹田連の祖である。
●拝殿
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また、大和三山の一つ天香久山と関連しているのではないか、即ち薬草である。天香久山命(高倉下)の足跡には薬草が多いとの事で、育児には欠かせないものである事、三つには太陽神として箸の女神を葬る箸墓古墳から夏至の日の出を見ることができる位置であると言う事である。 ー神南備にようこそーより
●本殿
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●神宮寺「大日堂」
境内の北側には神宮寺の「大日堂(だいにちどう)」があり、1555年(弘治元年)に宿院(しゅくいん、現在奈良市)仏師源次・源四郎父子によって作られた「大日如来坐像」を安置しています。
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■■耳成山の北東、橿原市東竹田町一帯は、その昔、大伴氏の庄園があったところで竹田の庄と呼ばれていた。そしてこの歌は、坂上郎女が庄園に稲刈りに出掛けた際、奈良・佐保に住む娘・大嬢(おおいらつめ)に贈ったもの。
★★大伴坂上郎女が竹田の庄(たどころ)より女子(むすめ)の大嬢に贈れる歌二首
巻4-0760 
打ち渡す竹田の原に鳴く鶴(たづ)の間なく時なし吾(あ)が恋ふらくは
巻4-0761 
早川の瀬に居る鳥の縁(よし)を無み思ひてありし吾(あ)が子はも鳴呼(あはれ)
★★大伴坂上郎女が竹田の庄にてよめる歌二首
巻8-1592 
黙(もだ)あらず五百代(いほしろ)小田を刈り乱り田廬(たぶせ)に居れば都し思ほゆ
巻8-1593 
隠国(こもりく)の泊瀬の山は色づきぬ時雨の雨は降りにけらしも
★※やっと、坂上郎女が4-760歌を詠ったという、竹田の庄にやって来ました。ここいらも、例に漏れなく、昔日の風景はありません。特に稲の刈り取られた今頃の季節は、現代のものばかりが目について、寂しい限りです!精々、歌の中で昔日の風景を懐かしみます!!
by barakan1 | 2007-01-26 15:25 | 旅日記

橿原市~明日香村探訪(07.01.15)⑨三輪神社・・・

■三輪神社  桜井市西之宮字西垣内
●神社正面(本殿の後方(西側)が中ツ道です)
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ご祭神 大物主櫛甕玉命
(合祀) 菊理姫命
●境内全景
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西之宮の西端、橿原市膳夫町と同石原田町に接し、当神社の西側を北から旧中ツ道が通っていたので、横大路と交差した地にあたる。
●本殿
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旧村社で大物主櫛甕玉命を祭神とし、社殿は東面する。もと内垣内にあった白山神社(祭神・菊理姫命)を合祀した。本殿(春日造、鉄板葺、朱塗)と拝殿(入母屋造、瓦葺)のほか、石造狛犬一対、石鳥居、金毘羅大権現(自然石)のほか七基の石燈籠、磐座らしい巨石などが境内にある。
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石燈籠では拝殿左前の「奉納御建立/丙寅 貞享三年九月 吉日/和州十市郡西之宮村」(四角円柱)がもっとも古い。例祭は十月十七日。
●手水石                 ●神木(欅)
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※三輪神社西南隅の礎石(写真撮り忘れました)
ここは中つ道と横大路の交差した場所に当たる。現在の定説では、藤原京域の北東角に位置する。この礎石は、直径140cm、厚み40cmの花崗岩製で、藤原京内の寺院のものを持ち出したか、あるいは「大和旧跡幽考」のいう、面堂の遺構か詳らかにしない。
★※このあたりは歴史が古いので、道も細く、クネクネしています。それにしても、ここは昔の交通の要衝だったのですね!また、壬申の乱ではここよりすこし、中ツ道を北へ上った、村屋座神社あたりで大友軍と天武軍の激戦があったところです。
by barakan1 | 2007-01-25 23:02 | 旅日記

橿原市~明日香村探訪(07.01.15)⑧山之坊山口神社・・・

■山之坊山口神社  橿原市山之坊町304
●一の鳥居と参道
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祭神
大山祇命
●二の鳥居と拝殿
創建は昭和42年と新しいのだが、本来は耳成山に鎮座していた神
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由緒
山之坊町の氏神は古く耳成山上に奉祀されていたが 徳川の中期享保年間境界訴訟の結果耳成山が木原町の 領地と定められた当町の宮司佐伯丹後守が神霊を奉じ て下山、その子孫の宅に奉仕して今日に至る。-『式内社調査報告』-
●本殿
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★※耳成山の南側、藤原京横大路にあたる道を東にトロトロ行くと右側、米川とに挟まれるように鎮座する。
by barakan1 | 2007-01-22 17:13 | 旅日記

橿原市~明日香村探訪(07.01.15)⑦呉津孫神社・・・

■呉津孫神社(くれつひこ) 式内社 高市郡明日香村大字栗原字的場714
●栗原より、檜前(ひのくま)方向を見る
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古事記に、雄略天皇の頃、呉人が渡来し、居住した地を呉原と呼ぶ、という記述がある。当地の「栗原」は、その訛だろう。
●栗原集落
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●神社鳥居
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祭神
木花咲耶姫命,天児屋根命 
(本来は、呉津彦神であったはずで、呉人の祖神を祀った神社。)
●境内全景
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●本殿(向かって右が木花咲耶姫命、左が天児屋根命)
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呉津孫神社、栗原集落南部の丘陵上に鎮座。木花咲耶姫命 に天児屋根命を配祀する。「延喜式」神名帳の高 市郡「呉津孫神社」に比定され、境内末社に呉津孫命を祀る鎮守神社がある。旧村社。栗原は呉 人の居住したという呉原(日本書紀)の地とされ、 呉津孫神社はその祖神を祀ったものと考えられ る。 -『大和・紀伊 寺院神社事典』ー
●呉津孫命を祀る鎮守神社          ●??
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※境内右手の二祠、左が鎮守神社、右が八王子神社
●再度境内全景
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★※ちょうど、キトラ古墳の北側になります。集落が山裾の入口にありますので、その取っ掛かりの小高い丘(山)の頂上部を削って平地を作り、そこに鎮座しています。大きな神木が古い歴史を感じさせてくれます。
■檜前(ひのくま)あたり
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巻7-1109
さ檜の隈 檜隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも 
by barakan1 | 2007-01-21 14:08 | 旅日記