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五条市探訪②(06.11.29)②竜智神社(住川 御霊神社)・竜智院・・・

■竜智神社  &(住川 御霊神社)       五條市住川町734
  祭神 不詳  (祭神 井上内親王)
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JR北宇智駅の西に鎮座。祭神は不詳だが、社殿に鳥居に竜智大明神とあり旧市史供出鐘の銘文所収の「すがわ竜池半鐘」(寛文十三年/1673)鋳造銘中の慶安五年(1652)の半鐘として「新建立一囲両棟宮閣奉鎮座竜池御霊双神為」とあることから当時はこの二神を祀っていたことがわかるが、竜池神社とは水神と見られる。三在の竜池神社を勧請して創祀したといわれるが、その後御霊神をも祀ったことになるが、その時期は明らかでない。           
●境内
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本社殿は、春日造一間社銅板葺。左脇に流造一間社銅板葺の御霊神社が並んでいる。
●扁額              ●御霊神社   ●本殿(竜智神社)      
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本殿の右横には勝手神社(勝手大明神、明細帳には祭神水分神とある)が内側に拝するように、御霊神社の左側には同じように向かい合わせで西宮神社(西宮大神、明細帳には祭神事代主命とある)が鎮座している。境内社はいずれも小社殿。
●境内社(3社)                ●境内社(7社)
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a0016431_1993341.jpg●竜智神社正面
境内社(3社)。左側より
曽我神社(祭神 曽我大神)
厳島神社(祭神 市杵島姫命)
八大龍王神社(祭神 八大龍王大神)

境内社(7社)。左側より
白山神社(祭神 白山大神)
愛宕神社(祭神 愛宕大神)
春日神社(祭神 春日大神)
豊受大神社(祭神 豊受大神)
明)豊受社(祭神 豊受大神)
天照皇大神社(祭神 天照大神)
八幡神社(祭神 品陀和気命)
菅原神社(祭神 菅原道真)
明)天神社(祭神 菅原道真)
ー神社ふり~くーより
●竜智院
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十一面観音像を本尊とする。
★※いよいよ、次回は宇智の大野の真っ只中です。
by barakan1 | 2006-11-30 19:20 | 旅日記

五条市探訪②(06.11.29)①コース概要・・・

a0016431_21142256.jpg●荒坂峠より金剛山を見る
■五条市探訪②コース概要
自宅発9時~竜智神社(往川・御霊神社)・竜智院~福徳寺・笠井戸~宇智の大野~多賀神社(再訪)~荒坂峠(万葉碑)~宇智神社・安生寺~天磐船・磐座の森~宇陀比売神社・シメシカケノ森~西阿太・御霊神社~山田・御霊神社~伏見・八幡神社~山麓線経由帰宅17時半着。走行距離110km。
by barakan1 | 2006-11-29 21:17 | 旅日記

海南市 藤白神社(藤白王子跡)(06.11.23)・・・

□名高の浦(黒江湾)
藤白神社は、平安以後の数々の熊野詣の歴史を秘めた藤白王子社といわれています。
神社から200m南に椿の地蔵さん(有馬皇子墓)があり、そこから藤白坂の峠道を経て熊野詣の時に通った熊野道が続いています。野道、山道を来て、やっと辿り着いた海南(黒牛)の海を見、古代の万葉人は、さぞや感動したことでしょう。海南市の黒江湾はその昔、名高の浦と呼ばれ、歌もいくつかつくられています。
巻11-2780
紫(むらさき)の名高の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹に寄りにしものを 
巻7-1672
紫(むらさき)の名高の浦のなのりその磯に靡(なび)かむ時待つ我れを 
巻7-1392
紫の名高の浦の真砂(まなご)地(つち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ  
紫は高貴な色として、色のなかでも名高いことから、”名高”の枕ことばとなっています。

■藤白神社(藤白王子跡) 海南市藤白466番地
海南駅から南東へ約1km、海南市南東部の藤白峠の麓にある。
平安時代から江戸時代まで盛んに行われていた熊野詣での礼拝所で熊野九十九王子社のうち五体王子の一つとして特に重視された神社である。7世紀斉明天皇の牟婁行幸の際社殿が営まれたという。
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また、聖武天皇が玉津島行幸の時、僧行基を詣らせて、皇子誕生を祈願したところ高野皇女ご誕生、母光明皇后はそのための神域を広め整えた。これにより、熊野三山の遙拝所とされ、子授け・長寿の守護神として広く信仰を集めた。
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中世の熊野御幸の際には、御宿所とされ旅情をなぐさめるために御歌会・相撲会などが催された。「行幸記」(建仁元年《1201年》)には、ここで後鳥羽上皇が歌会を催されたことが記述されている。
●ご神木
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その時の和歌が、有名な熊野懐紙で重要文化財となっている。
海辺冬月うらさむく やそしまかけて よるなみを ふきあげの月にまつかぜぞふく
境内には、子守楠神社、有間皇子神社がある。
藤白という地名は、ここに成育する藤松(または藤白の松とも)に藤がまつわりつき、皇子を悼んで33年に一度白い花を咲かせたのが、由来とか。
●拝殿・本殿
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万葉集
巻9-1675 詠人不知
藤白のみ坂を越ゆと白たへのわが衣手は濡れにけるかも

a0016431_19255160.jpgこの藤白王子社は、
拝殿の正面には、土塀の中に「御歌場」とよばれている古い石製の宝塔が二基祭られている。
また神社には、県指定無形文化財 藤白の獅子舞がある。

★※この度、ご縁があり、この藤白の地のお嬢さんと、私の息子との婚約が成立しました。以前より探訪したいなぁと思っていた神社ですが・・・。
雨の予報も嬉しい方にはずれ、滞りなく結納を収め、両家揃って藤白神社にお参りしました。
こんな形で訪問できるとは!!本当に感激でした。
若い二人に幸あれと祈りました。
by barakan1 | 2006-11-28 19:49 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)⑧阿陀比売(あだひめ)神社・・・終

□阿陀比売(あだひめ)神社付近図
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元仁(ぐわんにん)が歌
巻9-1721
苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽(あ)かなくに

■阿陀比売(あだひめ)神社  五條市原町24  式内社  
●神社全景
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祭 神:阿陀比売命
    :火須芹命、火火出見命、火照命、
脇 社:八阪神社祭神:素戔嗚命
境内社:熊野神社、春日神社、八幡陣社、琴平神社
●神社正面
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万葉集にも歌われている阿陀郷は現代の下市町から五條市に至る吉野川沿いの一帯を云い、宇智郡に属した。このあたり一帯に住んでいた阿陀隼人は、鵜を飼い梁を仕掛け筌(うへ)を伏せて魚を捕るのが生業であった。
●阿陀橋付近の吉野川
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万葉集 
巻11-2699
阿陀人の魚梁(やな)うち渡す瀬を速み意(こころ)は念(も)えど直(ただ)に逢はぬかも 
●神社境内・鳥居・拝殿・境内社
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阿陀比売は大山津見神の娘で、神阿多津比売ともいい、またの名を木花咲耶姫という(姉は石長比売)。
木花咲耶姫は邇邇芸命と一夜を共にして懐妊するが、ニニギノミコトに「一夜の契りだけなのに、それはわたしの子ではあるまい」と疑われる。
木花咲耶姫は疑いを晴らすため、出口を塞いだ殿屋に入り、自ら火を懸け炎の中で三人の子を無事産み疑いを晴らす。
●本殿・脇殿
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火が盛んな時に生まれたのが火照命、次に生まれたのが火須勢理命、その次に生まれたのが火遠理命である。火照命(ほでりのみこと)は海幸彦のことで火遠理命(ほおりのみこと)は山幸彦でまたの名を、天津日高日子穂々手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)という。
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日本書紀に、「天皇は吉野のあたりを見たいといわれて、・・・中略・・・川に沿って西においでになると梁を仕掛けて漁をする者があった。天皇が尋ねられると『手前は苞苴担(にえもつ)の子です』という。これは阿陀の鵜飼部の先祖である」とある。
木花咲耶姫は隼人族の祖といわれ、また阿陀隼人の祖でもある。宇智郡一帯には阿陀隼人、二見隼人が住んでいたと考えられる。彼等の子孫の一部は後に宇治川へ、あるいは長良川へ阿陀を発って移住していった。故にアダチといい、足立氏はここから出たという説がある。
ー吉野へようこそーより
●神社境内
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由緒 :『和名抄』の大和国宇智郡阿陀郷の名が見える。当社の鎮座地である。また『和名抄』に、薩摩国阿多郡阿多郷の名が見える。阿多隼人の居住地である。開聞岳を神奈備山としていた隼人である。なお、隼人には大住隼人もいる。こちらは人数が多いようだ。
●外より本殿を見る
a0016431_17323474.jpg阿多隼人は少数派だが名門で『記紀』では皇室に妃を出している。当神社の祭神の阿陀比賣神とは神阿多都比売、または木花佐久夜姫命と言い、まさに皇室の祖先の母親とされている。
薩摩から移住の者が地名、魚法、祭神を持ち込んだものと見て差し支えはなさそうだ。
当地は、吉野と宇智の境にあたる。大きくは大和と紀伊、畿内と畿外の境、サカの地である。サカの守りとして隼人を置いたとも思われる。
ー神南備にようこそーより
◎シメシカケノ森
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神社の東方の森を「シメシカケノ森」(別名比売火懸の森)と呼ばれる森がある(“ヒメヒカケ”(後述)は姫が火をかけられた意に解せられ、安産を祈ることも、姫神のこの御安産に基づくとせられるのである。)
★阿陀比売命=木花佐久夜姫命。皇室の祖先の母親を祀る神社とはエライ由緒の神社です。それに阿陀とは隼人族の名であったとは・・・。初めて知りました。とてもきれいな所でした。夏など、水遊びには絶好でしょうね!!
by barakan1 | 2006-11-25 17:54 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)⑦南阿太 御霊神社・・・

■南阿太 御霊神社  奈良県五條市南阿田町谷比ノ谷1
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●神社境内
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ご祭神 井上内親王
南阿田と滝の氏神で井上内親王を祀る旧村社。石鳥居・狛犬があり、自然石で積まれた石垣上に割拝殿がある。
●御霊神社               ●八幡神社(境内社)
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本殿は春日造一間社で銅板葺極彩色。
境内社は八幡神社で、品陀分命を祀る。素木流造銅板葺。大字滝の氏神である。    
●御霊神社本殿            ●八幡神社本殿
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例祭日は十月二十三日。宮座講は、南阿田と滝の二つに分かれて行われる。南阿田のお仮屋は元は桧葉を竹で編んで建てたが、今は八阪神社に奉安の屋形を当家の家に祀っている。
by barakan1 | 2006-11-22 12:23 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)⑥島野 御霊神社・・・

■島野 御霊神社  奈良県五條市島野町字宮803
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ご祭神 井上内親王・早良親王・他戸親王
島野集落、五條宮滝線の南沿いに鎮座する。
旧村社。北面鎮座。拝殿西側の般若倉はかつて般若心経六〇〇巻を保管していたが、今は近隣の地蔵院に移されている。
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石垣上の本殿は朱塗板囲銅板葺極彩色で、流造。
元は桧皮葺であったという。向って右側の境内社は八坂神社(素盞鳴命)と、若宮神社(雷神)を祀る。例祭は十月二十三日。
宮座講は十月二十日。
by barakan1 | 2006-11-22 11:55 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)⑤藤原武智麻呂墓・・・

■藤原武智麻呂墓への道
a0016431_18515344.jpg●榮山寺登り口
藤原武智麻呂は奈良時代前期の貴族で、藤原南家(なんけ)の祖です。彼は没後、平城京北方の佐保山で火葬されましたが、子の仲麻呂が榮山寺裏山の当地に改葬したものと思われます。『延喜式』の「後阿陀墓」に当たる。国史跡。

●展望台より五条・橋本方面(西)を見る
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●藤原 武智麻呂(ふじわら の むちまろ)墓遠景
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a0016431_1858195.jpg●墓登り口
天武天皇9年(680年) - 天平9年7月25日(737年8月29日)は、飛鳥時代~奈良時代の政治家。藤原不比等の長男。藤原南家の祖。




●藤原 武智麻呂墓
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父の死後、中納言となり藤原一族の中心的存在となる。聖武天皇のもとでは右大臣を務める。737年、天然痘で倒れ余命いくばくもないということで左大臣に昇進する。弟の房前に比べると政治的活動は乏しいと言われているが、大学頭だった時代に大学制度の設立につくすなど文教行政面での活躍は特筆すべきものがある。彼自身も深い教養の持ち主であり、聖武天皇の皇太子時代には家庭教師役に選ばれたりもしている。ウィキペディア
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□藤原家家系
藤原鎌足━┳ 定 慧
 (中臣)  ┣ 不比等 ━━┳武智麻呂[藤原南家祖]━仲麻呂(恵美押勝)
        ┣ 耳面刀自   ┣房 前[藤原北家祖]━┳ 永手
        ┃                    ┗ 真楯 ━内麻呂 
        ┣ 氷上媛    ┣宇 合[藤原式家祖]━┳ 広嗣            
        ┃ (天武帝女御) ┣麻 呂[藤原京家祖] ┣ 清成 ━種継 
        ┗ 五百重媛   ┣宮 子 (文武帝后)   ┗ 百川        
          (天武帝女御 ┣長峨子 (長屋王妾)                   
        ┣光明子 (聖武帝后)                   
        ┗多比野 (橘諸兄室)        
by barakan1 | 2006-11-21 19:07 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)④栄山寺-2、小島・御霊神社 ・・・

■小島・御霊神社   (栄山寺境内) 
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ご祭神 井上内親王
鎮座地は栄山寺境内。もと興福寺の支配下にあった栄山寺の鎮守として春日神社と称した。桃山期に興福寺の支配下から離れるに及んで御霊神社と称したが、記録の上で御霊社と記しはじめたのは、寛文六年(1666)以後で、以前は惣社とか春日社と呼んでいる。小島所有の湯立釜に「御霊大明神 和州 宇智郡小島村 寛文六丙午歳九月吉日」 とある。
●本殿
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本殿は流造、板葺の三間社であるが、 陽明文庫歳の「和州栄山寺山林絵図」にはこの建物を「鎮守社二間四面」とし、 祭神を「御霊昔者春日之申」と記している。
(旧『五條市史』) 例祭は十月二十三日。
by barakan1 | 2006-11-21 18:03 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)④栄山寺-1・・・ 

■栄山寺  奈良県五条市小島町503 
●パンフレットより(全景、相当古い写真?)
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●榮山寺入り口
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現代の五條市にあたる地域は古代には阿陀郷と呼ばれた。「阿陀」の地名は『万葉集』にも見え、式内社(『延喜式神名帳』に記載された神社)の阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)があるなど早くから開けた地域であったと思われる。
●鐘楼・梵鐘
(平安時代盗難に遭い、京都深草・道澄寺から移転したとされる梵鐘は菅原道真選、小野道風筆と伝えられる銘文があり天下の三名鐘(平安の三絶)とも言われ銘文の神護寺・姿形飾文の平等院と共に国宝指定を受けている。)
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栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等の長子である武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝わる。その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所が置かれていた。
●大日堂・石塔婆
(石塔婆 七重塔h3,56m 天平時代 重文)
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●本堂(薬師堂) 重文
(本堂正面に、南朝の後村上、長慶、後亀山天皇行宮址の碑)
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現存する八角堂は、藤原武智麻呂の没後、子の藤原仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したと伝える。武智麻呂の墓は当初は佐保山(奈良市街地北部の丘陵地)にあったが、天平宝字4年(760年)、栄山寺北側の山上に改葬された。八角堂の建立時期はこの年から仲麻呂の没した天平宝字8年(764年)までの5年間に絞られる。
●八角堂
(国宝・八角堂は法隆寺・夢殿と共に天平時代の円堂として著名である。)
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正倉院文書(もんじょ)に天平宝字7年(763年)12月20日付けの「造円堂所牒」(ぞうえんどうしょちょう)という文書があり、この「円堂」は栄山寺八角堂を指すものと考証されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
by barakan1 | 2006-11-20 11:23 | 旅日記

五条市探訪①(06.11.15)③荒木神社と浮田の杜・・・

■荒木神社   奈良県五條市今井町1549
●寺の前より浮田の杜方面を見る
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延喜式内社「荒木神社」は、浮田の杜「荒木山」を背に、旧伊勢街道に面して鎮座し、
●参道入口狛犬・灯籠
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天高御魂乃命(あめノたかみたまのみこと)十三世の孫、建荒木(たてあらき)命、荒木朝臣の祖天児屋根命を祀っています。
●参道・一の鳥居
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ー奈良観光より抜粋ー
「浮田の杜伝承地」
●西より浮田の杜(荒木神社)を見る
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浮田杜は、万葉集に詠まれた古代の社そうであるが、このあたり一帯の荒木神社の杜 が相当すると考えられ、
●鳥居と万葉碑
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名勝地として万葉集にも詠われいます。
作者不詳
巻11-2839 
かくしてやなおや守らむ大荒木の浮田の杜の標(しめ)ならなくに
歌の内容:標縄に寄せて女性の想いをのべた恋歌であるが、その背景には、この杜が、古来より神威厳しく、みだりに人の立入を禁じていた事によるとみられる。もう一首、
巻7-1349 
かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野の篠(しの)にあらなくに
荒木神社は、今井集落の北端に荒木山を背にし、旧伊勢街道に面して鎮座している。
●拝殿(後方本殿は良く見えませんでした)
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祭神は不明であるが、「延喜式」神名帳記載の式内社に比定されている。(土地の人は、葛城襲津彦であるとも、菅原道真であるともいう)
●浮田の杜
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植物相は、シイ、クロバイを主とした常緑広葉樹林、ヒノキを主とした針葉樹林によ って構成され、暖帯要素を混えた樹そうとなっている。 特にクロバイの巨樹の群生は、五條市内では唯一のもので、植物学上貴重な存在である。 ー案内板ーより
金葉和歌集  卷第七戀歌上  (おまけ)
藤原爲眞朝臣 攝政左大臣の家にて戀の心をよめる
逢ふことの無きを浮田の杜に住む呼小鳥こそ我身なりけれ
●荒木神社横、ニコニコ坂より真土山(西南)方向を見る
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★※神社後方の杜はなかなか立派なものです。参道脇は台風でやられたそうで、若木が植林されていましたが、まだまだ背も低く後方の杜に釣りあうには2・30年かかるのでは!・・・。でも、その都度その都度手を入れて細く長く守ってゆく事がこのような歴史的なものを守るコツなのかもしれませんね。
by barakan1 | 2006-11-19 14:24 | 旅日記