<   2006年 10月 ( 28 )   > この月の画像一覧

榛原・室生・曽爾・御杖探訪(06.10.26)④-2篠畑(ささはた)神社・・・

■篠畑(ささはた)神社-2
●境内社 市杵島姫命、篠畑姫神
a0016431_11512886.jpg本殿に向い右手に鎮座する境内社は、従来弁天社と称し、市杵島姫命が祀られているとのことであるが、相殿に倭姫命が天照大神の神霊遷座の際、ご援助申し上げた当地方の篠畑姫神が祀られている。「倭姫世紀」によると、佐佐波多が門に童女が参り「汝は誰か」と尋ねられたところ「汝(いまし)は天見通命(あめのみとおしのみこと)の孫、
a0016431_11533271.jpg
八佐加支刀部の子宇多の大宇禰奈(おおうねな)と申します。」と答え御供に仕え…とあり、また「皇太神宮儀式帳」によると、この童女滝原宮において笹を刈り宮地を整えたとの記事があることから、皇太神宮御鎮座二千年の祝賀に合わせ、童女宇多の大宇禰奈を篠畑姫神とたたえ合祀した。 ー神社ふり~くーより



大和国・宇多佐佐波多宮 (ウタノササハタノミヤ) 
a0016431_11552731.jpg 





三輪山の麓にある笠縫宮を後にした倭姫の一行は、大和宇陀にある阿貴宮でお祀りをしていたところ、大神が夢に現われ、「高天原に座して見た国に行きたい」といわれた。そこで東の方に向ったとある。後の初瀬街道、奈良から伊勢に抜ける道である。崇神64年3月佐々波多(ささはた)宮に着いた。篠畑神社がその跡と伝わる。


●神社より、前方を見る(西~南)
a0016431_1275264.jpg
●(南~東)
a0016431_128297.jpg
165号線に鳥居が立ち、西の山の麓に鎮座する。前には宇陀川が流れ、見晴らしの良い気持ちが晴れ晴れするような場所である。 
※式内社には入っていないが、由緒ある神社です。前に伊勢街道、宇多川を控え山の中腹に鎮座します。今は景色のいい所ですが、その昔山奥で道行くのも大変だったでしょうね!?
by barakan1 | 2006-10-31 12:10 | 旅日記

榛原・室生・曽爾・御杖探訪(06.10.26)④-1篠畑(ささはた)神社・・・ 

■篠畑(ささはた)神社  奈良県宇陀市榛原区山辺三2235
●神社全景
a0016431_9571873.jpg
御祭神 天照皇大神
境内社 市杵島姫命、篠畑姫神
●一の鳥居・参道
a0016431_9581794.jpg
伊勢街道の北方の宮山山麓に鎮座する。創立の年代は詳らかではないが『日本書紀』巻第六垂仁天皇紀二十五年三月の丁亥の朔の条に「天照大神を豊鋤入姫命より離ちまつりて、倭姫命に託(つ)けたまふ。爰に倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、菟田の篠畑に詣る。篠、此をば佐佐と云ふ」とあり、
●拝殿
a0016431_9594788.jpg

a0016431_1001898.jpg
「更に還りて近江国に入りて、東、美濃を廻りて、伊勢国に到る」とある。『大和志』には「山辺村、屬邑篠畑ニ在リ、天照大神ヲ鎮座ノ処ヲ求メテ菟田、篠畑ニ詣ズ即此」とある。
●本殿
a0016431_1013922.jpg
『皇太神宮儀式帳』には宇太の阿貴宮(現大宇陀町迫間(はざま)にある阿紀の宮)からこの宮へ遷座の節、大和国国造から神田として神戸を献上したともある。
●神社北側山腹より南を見る
a0016431_1091329.jpg
昭和年間までは境内に樹齢五百年以上の老杉が点在していた。相次ぐ落雷により枯損し止むなく伐採除去されたが、相当古くから元伊勢として祀られていた。当社の西方約1kmの丘陵上に、今拝石(おがみ石)と称し、後方に大神との地名があるが、往古ここから当社を伏拝(ふせがみ)した古代信仰の伝承地とみられる。当社前下方の水田を油田と称するが、往古以来当社の油料を奉納のための水田であったという。
by barakan1 | 2006-10-30 10:10 | 旅日記

榛原・室生・曽爾・御杖探訪(06.10.26)③葛(くず)神社・・・ 

■葛(くず)神社  榛原町山辺三
●神社全景(前・伊勢街道)
a0016431_1184080.jpg
祭神:天照大神
国道165号線から北へ向かう角の所に「葛神社」が鎮座しています。創建は不詳ですが、往時古老の伝として、
●正面・一の鳥居
a0016431_11114130.jpg
第11代垂仁天皇25年の春、天照大神が倭(大和)の笠縫邑(かさぬいむら)から伊勢に遷(うつ)る時、ここからちょっと東へ行った「篠畑(ささはた)神社」で鎮座され、
●拝殿・本殿
a0016431_1113625.jpg

a0016431_1120505.jpg
●拝殿への道
a0016431_11173624.jpg
それを御導守された神が豊耜入姫命(とよすきいりひめノみこと)と倭姫命(やまとひめノみこと)で、この2柱の神を「篠畑神社」の摂社として祀っていましたが、中古に今の祭神「天照大神」を祀りました。毎年7月第1日曜日、龍神神徳の「歯固め祭」で、小麦餅が授与されます。ー奈良観光より抜粋ー


a0016431_11213880.jpg




ー案内板よりー
文化8年未曾有の豪雨あり、戒場岳吐峠より、土石流溢れ、社殿流出のため現在地に新しく社殿を建立したとある。また、その時棟札が発見され、社号は九頭大明神とある。
by barakan1 | 2006-10-29 11:33 | 旅日記

榛原・室生・曽爾・御杖探訪(06.10.26)②椋下(くらげ)神社・・・

■椋下(くらげ)神社 式内社  宇陀郡榛原町福地15
●神社全景(前・伊勢街道)
a0016431_1425230.jpg
祭神
高倉下命
●鳥居・拝殿
a0016431_1433935.jpg
由緒
延喜式神名帳宇陀郡の「椋下神社(鍬)」とされる。椋下については、ムクモト、ムクノシタ、クラジなどがある。『神名帳考証』、『大和志』は式内社の所在は未詳としている。
●(本殿)                 ●拝殿
a0016431_1445646.jpg
旧の鎮座地は東南に1kmの標高521mの福地岳の山中「くらかけ」の地に鎮座していたが、何時の時代にか、当地に遷祀されたと伝えている。この福地岳は別名をタカクラ山と言うが、社名のクラジと余りにも合いすぎるので、近世の付会とされている。
●摂社:金刀比羅神社「大名牟遲命」、愛宕神社「軻遇突智神」、庚神社「猿田彦神」
a0016431_1463540.jpg
古老の口碑によれば、神武天皇が紀伊国熊野邑に到った時、高倉下が横刀を献上した功によって、高塚邑の八咫烏神社と同時期の慶雲二年(705)に創祀と伝えている。ー神南備にようこそーより
●本殿への石段
a0016431_1471764.jpg
『平成祭礼データ』
参拝のしおり
当社は、宇陀郡榛原町大字福地に鎮座しており、本殿に高倉下命、境内社に大名牟遲命、軻遇突知命、猿田彦神をお祀りしている、式内社である。
●本殿(新築中でした)
a0016431_14105962.jpg

a0016431_141130100.jpg神武東征の砌、天皇遠く熊野に迂回この地に上陸される、熊野の女首長丹敷戸畔の反撃にあい、正に敗滅の危機に遭遇する。天照大神之を知り武甕槌神に救援を命ずる、武甕槌神「私が参らずともここに在る国土平定の際に用いた国平剣がありますから、之を下さば必ず平定されるでしょう」と剣を高倉下命に下げ渡さる。高倉下命夢のお告げで之を知り倉を見ると夢の如く剣があり、命は直ちに部下を集め丹敷戸畔の背後から攻撃し、天皇勝利を得ることが出来た、高倉下命之を天皇に献上し奉った、之をフツの御霊の剣と言う。この功に依り慶雲2年(705)八咫烏神社と同時に勅祭されたと言う。    以上
by barakan1 | 2006-10-28 14:15 | 旅日記

榛原・室生・曽爾・御杖探訪(06.10.26)①コース概要・・・

■今日は榛原・室生・曽爾・御杖探訪。
a0016431_12474372.jpg空は蒼かった!!
コース概要
8時自宅出発~165号線、榛原・八重雲大明神~椋下神社~葛神社~篠原神社~やまなみロード、龍穴神社~田口・水分神社~369号線(途中は次回にまわし一気に)、御杖神社~姫石神社~帰路へ~御井神社~桜井を経て19時着。170キロ。
by barakan1 | 2006-10-28 12:52 | 旅日記

大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑨惣社宇太水分神社(そうしゃうたみくまりじんじゃ)・・・終

■惣社宇太水分神社(そうしゃうたみくまりじんじゃ)
●一の鳥居
a0016431_1447272.jpg
鎮座地:宇陀市菟田野区上芳野字中山648  芳野鎮座式内惣社宇陀水分神社

a0016431_14475234.jpg
●参道より一の鳥居と芳野川を見る
●二の鳥居と拝殿
祭神
天水分神 国水分神 速秋津比古命 天之児屋根命 譽田別命 他数神


由緒
大和朝廷時代の飛鳥を中心として、四周の東方にあ たる宇陀地方の水の守り神として、ここ芳野川(淀 川の源流)に創祀され、一郷(現在の榛原町、大宇 陀町、菟田野町)の惣社として崇敬されている。宇陀水分三社(芳野、古市場、下井足)の上の宮である。
(これで宇陀水分三社は総てまわりました!!)
●境内全景
a0016431_14525417.jpg
●本殿
a0016431_14532883.jpg

a0016431_14544155.jpg建造物
 一、本殿 大正二年隣接の八幡宮を合祀し、当社の本殿(明治二年建築)とした。懸魚、蟇股等の彫刻は幕末の名工安本亀八の作
 一、宝物保存庫 昭和四十八年建立(国補事業)
 一、拝殿 昭和五十一年 改新築
 一、神饌所 平成九年十月 改新築
 一、社務所 平成九年十月 改新築
宝物
 一、神輿(重要文化財)一基 南北朝時代の製作
 一、瓶子 一対「貞和二年芳野本水分宮」の銘あり
 一、鞍及鐙 一具「永楽五年」の銘あり
 一、その他 数点
祭日
八幡祭 旧八月十五日
水分祭 例祭 十月二十日 渡御祭 十月二十一日
ー案内板よりー
◆宇太水分神社秋祭り(今年は10月15日でした)

a0016431_15539100.jpg●ー看板よりー
菟田野の秋祭りは惣社水分(みくまり)神社の女神が宇太水分神社の男神へ年に一度会いに行くお祭りで千年以上も続いているそうです。女神を乗せた神輿(※)が毛槍・花籠・御輿太鼓などを従え、時代行列で6キロ程の街道を下ってきます。それを盛り上げるために町内各地から集まった6台の太鼓台が「ヨーイトサノセー、ヨイトサノセー」の掛け声で街を練り歩き、神社の境内ではさらに豪壮に練り回ります。(上芳野の惣社水分神社から古市場の宇太水分神社まで、往復12Kmの道を時代行列が続きます。)
※御輿(みこし)
鳳凰をいただいた木造金銅装添漆塗で鎌倉時代後期の様式。
南北朝時代の作と推定されており国の重要文化財に指定されています。
by barakan1 | 2006-10-27 15:11 | 旅日記

大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑦⑧日張山・青蓮寺(ひばりやませいれんじ)・・・

■日張山・青蓮寺(ひばりやませいれんじ) 宇陀市菟田野区宇賀志1439
a0016431_21301024.jpg
菟田野の中心部から南東におよそ4キロメートル。標高595メートルの日張山の中腹に、ひっそりとたたずむ青蓮寺。うっ蒼とした杉木立の間を歩きつづけると、やがて目の前にぽっかりと空の見える所。小さな流れ、宇賀志川の源流にかかる無常橋(むじょうばし)をわたり、山道を右手にとってつづら折れに登りつめたところに浄土宗の尼寺・日張山青蓮寺(ひばりやませいれんじ)があります。
●山門
a0016431_21313880.jpg
◆中将姫(ちゅうじょうひめ)
奈良朝天平宝字(ならちょうてんぴょうほうじ)4年(760)、右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女中将姫は、継母のざん言により14歳のときここ日張山に配流されました。しかし、家臣、松井嘉籐太春時(まついかとうたはるとき)と妻静野(しずの)の情けによって助けられて、ここに草庵を結び2年6ヶ月の間、閑居練業(かんきょれんぎょう) 、念仏三昧(ねんぶつさんまい)の日々をおくりました。
●境内
a0016431_2133726.jpg
父、豊成公は、ある日この地に狩りに来て中将姫と不思議な再会をはたします。奈良の都にもどられた中将姫は、菩提(ぼだい)の志(こころざし)やみがたくついに当麻寺(たいまでら)に入り出家剃髪(しゅっけていはつ)の身となり、法如尼 を名のりました。
●開山堂                     ●阿弥陀堂
a0016431_21361845.jpg
当麻曼陀羅(たいままんだら)を感得し、19歳の夏、再びこの山に登り一宇の堂を建立。自らの像と嘉藤太夫婦の形像を手水(ちょうず)から刻み安置。この堂に、日張山青蓮寺と名づけてながく尼主(にしゅ)の道場としたのです。ー歴史とロマン漂う 宇陀市菟田野区ガイドーより
(中将姫)
なかなかに山のおくこそ 住よけれ草木(くさき)は人のさがを言わねば

●松井嘉藤太春時」と妻「静野」の墓 (鐘楼のよこにあります)
a0016431_21372227.jpg

a0016431_21396100.jpg「当麻寺」へ入り出家剃髪し、「法如尼」と名乗り、その後「当麻曼陀羅」を感得した中将姫は27才の夏に、再び「日張山」へ登って、一宇の堂を建立し、自からの影像と嘉藤太(かとうた)夫妻の形像を手づから刻み安置して、ひばり山「青蓮寺」と名付、永く尼主の道場とされた、由緒ある山寺です。
ー奈良観光より抜粋ー
※山門横には、謡曲史跡保存会の名で、案内板があり、青蓮寺は謡曲「雲雀山」の舞台で、山号になっている日張山は、古来狩場として知られていた。とあった。
by barakan1 | 2006-10-26 21:48 | 旅日記

大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑦宇賀(うか)神社・・・

■宇賀(うか)神社  宇陀郡菟田野町宇賀志1096
(古事記の神武東征で、兄ウカシ、弟ウカシが住んでいた所です)
●宇賀神社付近
a0016431_1284129.jpg
祭神
宇迦斯神魂
祭神はこの血原で果てた兄宇迦斯の御魂を邑人が祀ったのであろう。
●宇賀神社
a0016431_1292531.jpg

a0016431_12143582.jpg

a0016431_1213528.jpg由緒(古事記)
神武東征の途次、宇陀の地を押さえるべく八咫烏を遣わして、「天神の御子が来られる。汝らは仕えよ」と通知してきた。兄(え)宇迦斯(うかし)は鏑矢を以て遣いを射た。そうして軍を集めようとしたが、集まらず、策を講じて、仕えるとして、大殿に迎えて押機を作って待ちかまえることにした。所が弟(おと)宇迦斯(うかし)は「僕の兄が大殿におびき寄せて待ち討ち取ろうとしています。」と兄を裏切った。大伴連の祖の道臣と久米の直の祖の大久米の命が兄宇迦斯を大殿に先に入れて押し殺した。あたり一面に血が流れて、ここを血原と言う。
●血原(橋)
a0016431_12145877.jpg
宇賀志の地に祀られている地主神である宇迦斯神魂は、当地に長く記憶に残った兄宇迦斯の御魂とするのが似合う。
●拝殿                      ●本殿(建替えられていました)
a0016431_12165830.jpg
また宇賀志には水銀鉱山はあり、往古は辰砂が露天にもあったのか土壌が赤い色をしていた場所があったのだろう。それを血原と言ったのかも知れない。
ー神南備にようこそーより
●境内社(・・)                  ●子もうけ石
a0016431_12182224.jpg
子もうけ石
境内にある手洗い石、陰陽の形をした石。台が陽石、上に乗る鉢石が陰石。夫婦でこの石を撫でると子宝を授かると伝えられている。
※宇賀志川が山から出て、平地に流れ込む際に鎮座しています。それにしても、血原とは凄い地名ですね\(◎o◎)/! 敵対するものは皆殺しにし、(兄ウカシも切り刻まれたそうですが・・)征服していったのですね!!
by barakan1 | 2006-10-25 12:31 | 旅日記

大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑥菟田(うた)の高城(たかき)・・・

■菟田(うた)の高城(たかき)
●菟田の高城への道
a0016431_12121369.jpg
国道166号線から「桜実神社」へ入って来た時、神社の手前に北へ辿る細い道があり、そこを登ると、木立の中にある「神武天皇東征、菟田の高城」へ至ります。
●菟田の高城への道
a0016431_12141488.jpg
なお、「古事記」によると、神武天皇東征時、八咫烏に導かれて熊野から大和国へ進軍した皇軍が、ここで休息をするために築いた我が国最古の城跡で、大伴と久米の軍団が、宇陀の兄宇迦斯(えうかし)を討ち取った時、久米歌(くめうた)で歌われました。ー奈良観光より抜粋ー
●菟田の高城
a0016431_12392694.jpg
久米歌(古事記)
宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る 我が待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯨障る 前妻(こなみ)が 菜乞はさば 立(たち)そばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うはなり)が 菜乞はさば いちさかき 実の大(おほ)けくを こきだひゑね ええ しやごしや こはいのごふぞ ああ しやごしや こはあざわらふぞ
●高城
a0016431_1241362.jpg
【通釈】宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張るだろ。俺が待ってるとさ、鴫は掛からなくて、すごいりっぱな鯨が掛かったのさ。さあ、みんなに御馳走だ! 古女房がおかずに欲しがったら、ソバの木の実のようにちょっとだけ、薄く切ってやれ。新しい女房がおかずに欲しがったら、ヒサカキの実のようにでっかく、たっぷりと切ってやれ。ええいばかものめざまあみろ、はっはっは、ばかものめ嗤ってやるぞ!
●高城
a0016431_1241499.jpg
【由来】古事記によれば、神武天皇が道臣命と大久米命を用いて兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を兵士らに賜わった時に詠んだ歌。久米部に伝わる、戦勝を祝う歌であったか。「ええしやごしや…」以下は、打ち負かせた敵を嘲笑う囃子詞のようなものと思われる。この歌謡は「久米歌」として、即位礼などの饗宴に奏される。ー千人万首ーより
●166号線よりみた菟田の高城
a0016431_12185324.jpg
※菟田の高城は伝説・伝承のですから、実際にここに古城の跡があるとか、痕跡が発掘されたというわけではありません。私のイメージとしてはモット峻険な山か、谷のテッペンにあるように思っていましたが・・・。ここはどちらかといえば丘陵地に近く、抱いていたイメージと違いました。(先回登った、秋山城の方がイメージに近い) でも考えてみると、熊野を経て、神武の大軍が移動するには、山の中より谷合の出来るだけ緩やかなほうが進軍しやすいですものね!?
by barakan1 | 2006-10-24 12:56 | 旅日記

大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑤佐倉・桜実神社と八ツ房杉・・・

■桜実神社 式内社   宇陀郡菟田野町佐倉
a0016431_16525759.jpg
祭神
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
九州から東征してきた神武天皇の軍勢が、生駒山で「長髄彦(ながすねひこ)」に敗れ、一転して熊野から大和を目指す途中に、この菟田野付近で地元の豪族である「兄(え)ウカシ(兄宇迦斯)」と戦うのであるが、その時神武自ら植えたというのがこの杉であると言う。
●神社全景
a0016431_16543381.jpg
●拝殿(中央)と八ツ房杉(右)
a0016431_16551497.jpg
神武は※この丘に陣を張り、兄(え)ウカシと対峙した。神武は兄ウカシの弟の「弟(おと)ウカシ」の密告を得、兄ウカシの企んだ罠を逆に利用して兄ウカシを殺害するのである。「八咫烏(やたのからす)」が登場するのもこの時である。
●本殿
a0016431_16554092.jpg
※桜実神社は、口伝によれば、神武天皇東征の砌、皇軍が「菟田の高城」に駐屯して、その四方に定めた神籠(石垣で区画した山城)の1つであるという。

a0016431_1732395.jpg■八ツ房杉


一つの株から分かれた8本の幹が互いに絡み合っており、ある幹は、途中1本となり再び分かれるといった極めて珍しい形で、推定樹齢二千年、幹の周り9m、樹高は14mとされる。



a0016431_1715291.jpg








a0016431_1743290.jpg

a0016431_1745490.jpg

(途中前回探訪(05.04.01)している宇陀水分神社は通過する。)
by barakan1 | 2006-10-23 17:21 | 旅日記