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平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)⑦-2高円山~白毫寺・・・

■白毫寺  奈良市白毫寺町392
●白毫寺参道・萩の花
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小さな山門を通って萩の階段を上がると真言律宗の 「白亳寺」で、別名「一切経寺」と呼ばれています。 高円山(標高432m)の西麓に建つ「白亳寺」は、第38代天智天皇の第7皇子、志貴皇子の山荘の跡に建てられ、平安遷都によって寺勢が衰えたけど、鎌倉時代に戒律復興や貧民救済に活躍した西大寺中興の祖叡尊(興正菩薩)が再興し、その後に叡尊さんの弟子で中国帰りの道照が請来した「宋版一切経」を納め、一切経寺として親しまれたが室町時代に兵火で全山を焼失し、1630年頃(寛永年間)興福寺の学僧空慶上人によってようやく復興され現在に至っています。
●白亳寺本堂                ●五色椿
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本堂は柱間三間の身舎(もや)の四方に庇(ひさし)をまわした「三間四面」の形式を保ち、南都の寺院本堂の復古的な形式を用いた良い1例で、その仕様は桁行五間、梁間五間、向背一間、寄棟造、本瓦葺、背面桟瓦葺です。
また、奈良三銘椿の1つ「五色椿」は 1630年頃(寛永年間)に興福寺の喜多院から移植され、樹齢400年、樹高約7m、根周り1mで、1本の木に紅白色とりどり16~22弁の椿が本堂の南方15mの所に咲きます。
                   ●本尊:阿弥陀如来座像    ●閻魔王座像
a0016431_12281579.jpgご本尊は国重文で平安時代末期か、または鎌倉時代初期に造られた木造阿弥陀如来座像で、定朝(じょうちょう)様式を踏襲した桧(ひのき)の寄木造で漆箔が施されています。
また、閻魔は梵語の Yamaraja の音写「閻魔羅社」の略で、地獄に落ちた死者を支配し、種々の苦しみを与える地獄の王です。起源は古代インドの神マヤで、元天上界にいたが、地下に移って人の命を奪い、死後の世界を支配する恐ろしい神になって、その後仏教に取り入れられ、中国に伝わると道教等と混交して十王思想が生まれ、裁判官である十王の五番に位置する様に成りました。 ー奈良観光より抜粋ー
●境内から見る奈良の町
境内からは奈良の町~生駒山系までが一望に見渡せます。
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■白毫寺の萩の花
a0016431_1383551.jpg白毫寺は花の寺としても有名です。特に、高円の萩の花は万葉の昔から詠まれている通り、一見の価値があります。(当日は5~6分咲きの感じでした。)


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白毫寺内万葉碑
笠朝臣金村
巻2-231 
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに



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大伴宿禰家持が歌一首
巻8-1605
高圓の野辺の秋萩このごろの暁(あかとき)露に咲きにけむかも  
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藤原朝臣八束が歌二首
巻8-1570 
ここにありて春日やいづく雨障(あまつつ)み出でて行かねば恋ひつつぞ居る
巻8-1571
春日野に時雨降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ高圓の山
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すこし、趣の変わった高円山の歌を・・・
十一年(ととせまりひととせといふとし)己卯(つちのとう)、天皇(すめらみこと)高圓の野に遊猟(みかり)したまへる時、小さき獣(けだもの)堵里(さと)の中(うち)に泄(い)で走る。是に勇士(ますらを)に適値(あ)ひて生きながら獲(え)らえぬ。即ち此の獣を御在所(みもと)に献上るとき副ふる歌一首 獣ノ名ハ俗ニ牟射佐妣(ムササビ)ト曰フ
巻6-1028
大夫(ますらを)の高圓山に迫めたれば里に下(お)り来(け)るむささびそこれ
     右の一歌は、大伴坂上郎女がよめる。但シ奏ヲ
     逕ズシテ小獣死シ斃レヌ。此ニ因リテ献歌停ム。
※昔は、ここらあたりにはムササビが沢山いたのでしょうか!?今はどうなのでしょうね!?
by barakan1 | 2006-09-30 13:23 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)⑦-1高円山~白毫寺・・・

●羽賀の山
万葉集 巻10-1827 
春日なる羽がひの山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰(たれ)呼子鳥
※大和名j所図会には羽賀山=三蓋山・高円山・若草山をいうとぞとある。
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■高円離宮跡(高円高校地)
高円高校は東方に高円山を望み、その北に春日山が連なる位置にある。校地はこの高円山麓の傾斜地にあり、S58年の造成時の発掘調査による出土遺物と遺構から、
高円離宮跡ではないかと推定されている。
高円の宮の盛んなりし頃のの歌
巻20-4315
読み人知らず
宮人の袖つけ衣秋萩ににほひよろしき高円の宮
●高円山麓より、高円の野を見る
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興(とき)に依(つ)けて、各(おのもおのも)高圓(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思(しぬ)ひてよめる歌五首
巻20-4506 
高圓の野の上(うへ)の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持
巻20-4507 
高圓の峰(を)の上(うへ)の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
     右の一首は、治部少輔大原今城真人。
●高円山(白毫寺裏よりみる)
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笠朝臣金村    
霊亀元年歳次乙卯の秋九月、志貴親王の薨ぜし時に作る歌 并せて短歌
万葉集巻2-230
梓弓 手に取り持ちて ますらをの 幸矢(さつや)手挟(たばさ)み 立ち向ふ高円山(たかまとやま)に 春野焼く 野火(のび)と見るまで 燃ゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道来る人の 泣く涙(なみた) 小雨(こさめ)に降れば しろたへの 衣(ころも)ひづちて 立ち留まり 我に語らく 何しかも もとなとぶらふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子の 御駕(いでまし)の 手火(たひ)の光そ ここだ照りたる

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【鑑賞】
大意は「高円山に野火かと思うほど盛んに燃える火が見え、不審に思って通りすがりの人に尋ねると、白い喪服姿のその人が涙を流して語ることには『何故そんなことをお尋ねになる。聞くも涙、語るも辛い。天皇の御子の御葬列の送り火がこれほど赤々と照っているのです』」ー千人万首ーより
●高円山麓(白毫寺境内よりみる)
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笠朝臣金村 短歌二首
巻2-231
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
巻2-232
御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに

※高円山麓に、まるで、葬送の松明の列が見えるようですね。写真(白毫寺裏より見る)の右から左へと麓伝いに、高円山に登っていったのでしょうか!?
by barakan1 | 2006-09-29 15:13 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)⑥油かけ地蔵尊・・・

■油かけ地蔵尊(子授け地蔵、鼻かけ地蔵)  奈良市古市町
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このお地蔵さんは、昔、大雨が降り続き、直ぐ北を流れる「岩井川」が溢れた時、川上から浮きつ沈みつしながら流れて来ました。見つけた人が引き上げようとしましたが、信心が浅く上がらなかった所、信心深い老人が何の苦もなく引き上げると、その夜、地蔵さんが夢枕に立って「わしは子を授ける地蔵だ、毎日種油をかけてお参りすれば、必ず子を授ける」と告げました。それから老人が毎日種油をかけると、婆さんに可愛い子が授かりました。
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その話が伝わり、遠くから子供が欲しい人たちが集まるようになり、子授け地蔵と呼ばれるようになった。-地蔵講看板ーより
地蔵菩薩像(通称・油掛地蔵)(室町時代)
総高 196.0cm   像高 153.0cm
by barakan1 | 2006-09-28 12:08 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)⑤穴栗神社(穴吹神社)・・・

■穴栗神社(あなぐり)(伊久里の杜:いくりのもり)
●伊久里の杜(西より見る)
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奈良県奈良市横井1-677
延喜式神名帳の添上郡の穴吹神社に比定される。
●正面鳥居
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a0016431_1493173.jpg御祭神 
伊栗(いぐり)社   (太玉命:ふとだまのみこと)
穴栗(あなぐり)社  (高御産霊尊:たかみぬすびのみこと)
青榊(あおさかき)社 (青和幣:あおにぎて)
辛榊(からさかき)社 (白和幣:しろにぎて)

●門・手水・井戸
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この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に、「春日穴咋邑」(かすがのあなくいむら)と出ているところです。
●境内
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神社の名を穴吹・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(分霊)されたと書かれています。
●拝殿
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境内にある元禄四(一六九一)年建立の社号標石にも「穴栗四社大明神』とあり、穴栗は古くからの呼び名です。
現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。
●神社より東の山並みをみる
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万葉集
高安王(たかやすのおおきみ) (大原高安真人)
巻17-3952
妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
a0016431_1412161.jpgと詠まれている「伊久里の杜』は、井栗の神を祀っていた、この地です。
歌は、天平十八(七四六)年八月七日に、越中守大伴家持の館での宴の場で、玄勝というお坊さんが伝誦したものです。作者の※高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたり、奈良の都の人です。
「恋しい人の家に通って(行く)という名の伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」
と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。
●本殿
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境内の萬葉歌碑は、平成十年五月に、平城萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。 ー「伊久里の杜」萬葉歌碑建立実行委員会ー
高田女王(たかたのおおきみ)の歌一首
巻8-1444 
山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり
※高安王(紀皇女(天武天皇の皇女。但し多紀皇女の誤りとみる説もある)と密通し、伊予国守に左遷されたという)の娘が高田女王です。

※※伊久里の杜、神社そのものはイメージした通りでした。唯、神社に密着して鉄骨の工場と建築廃材の置場があり、折角の景観を台無しにしているのは誠に残念でした。
それと、ここは凄い薮蚊で、撮影中アチコチ刺されまくりました(x_x)
by barakan1 | 2006-09-27 14:36 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)④青井神社・・・

■青井神社(くさ神さん) 天理市横井町
●神社付近(上ツ道)
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●道より見る              ●横より見る
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帯解寺前の上ツ道を北へおよそ1km程行くと、左側の少し奥に小さな「青井神社」が鎮座しています。
●境内(ヒガンバナがさいていました)
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登り坂の「くさ神さん」と呼ばれていますが、「くさ」とは、皮膚病の疱瘡(ほうそう)、天然痘の事で、昔、小野小町も「くさ」にかかり、夢のお告げで21日間、ここの「くさ神さん」へお参りしたら、「くさ」が治ったので、彼女は頭髪を壷に入れて納めたそうで、今もそれが残っているらしいが? ー奈良観光より抜粋ー
●神社と石燈籠(疱瘡神社とあります)
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その時に詠んだ歌が、
はるさめは今ひと時に晴れゆきてここに脱ぎ置くおのが身のかさ
という歌を残して、伊勢方面に去っていったと伝えている。
※石燈籠には疱瘡神社とあった。おもしろい伝説があるにも関わらす、何の装飾もされず。知らない人が前を通っても全く気が付かないだろう!!案内板の一つ。歌碑など設置すればまた、名所のひとつにもなろうに!!(民家の敷地?の中にある。)
by barakan1 | 2006-09-26 12:31 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)③帯解寺~小野小町之宮址・・・

■帯解寺(おびとけでら)  奈良市今市町734
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縁起
当山は弘法大師の師である勤繰大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松山と申しました。
そして、今から約千年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
●山門
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文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。



●手水舎                  ●本堂
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a0016431_15431229.jpg●本尊地蔵菩薩(国指定重要文化財)
帯解寺の本尊子安地蔵菩薩は弘法大師一刀三礼の作とも伝えられる、日本最古の求子安産の霊像であり、国の重要文化財に指定されています。
左手に宝珠、右手に錫杖を執り、左足を踏み下げて岩座上に坐しています。
また、腹前に裳の上端の布や結び紐が表されているところから「腹帯地蔵」といわれ、安産祈願の対象として広く信仰をあつめています。
本尊・地蔵菩薩像(木造 寄木造 像高182.6cm 鎌倉時代)
ー帯解寺ホームページーより

■小野小町之宮址
帯解寺の境内、南側の駐車場の北西角に「小野小町之宮址」があります。1675年(延宝3年)に書かれた「南都名所集」によれば、ここに「小町の宮」と云う建物が建っていたそうです。
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小野小町は平安時代初期の女流歌人で、「六歌仙」、「 三十六歌仙」の一人、出生については諸説があり不明ながら、この地の北、「青井神社」で疱瘡(ほうそう、天然痘)の平癒(へいゆ)を祈ったら治ったと伝えられ、また、南の石上寺(いそノかみでら、今は廃寺)へ僧正遍昭(へんしょう、六歌仙の一人)を訪ねた歌がありますが、帯解寺の門前は長谷寺や伊勢神宮へ通じる古道の「上街道」で、小町もここへ留まり、参詣しました。ー奈良観光より抜粋ー
●※石上寺に遍照僧正を訪ねたときの歌のやり取りは次のようです。
石上といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けてまかり帰らむとてとどまりて、この寺に遍昭侍りと人の告げ侍りければ、物言ひ心みむとて、言ひ侍りける
小野小町 (後撰1195)
いはのうへに旅ねをすればいとさむし苔の衣を我にかさなむ
【通釈】石上ならぬ岩の上に旅寝をすれば、肌寒くてなりません。あなたの苔の衣を貸してください。
遍昭
世をそむく苔の衣はただひとへかさねばうとしいざ二人ねむ
【通釈】法衣はたった一重、寒さをしのげないでしょう。かと言って貸さなければ冷淡だ。さあ、二人で肌を寄せて寝ましょう
【補記】小町の「心みむ」は、遍昭の道心を試したというよりも、出家後も風流心を失っていないかを試した、ということだろう。 ー千人万首ーより
by barakan1 | 2006-09-25 15:52 | 旅日記

平城(帯解~白毫寺~高畑)探訪(06.09.21)②竜象寺(帯解寺奥の院)・・・

■龍象寺   (帯解寺奥の院) 奈良市帯解本町177
●竜象寺前、正木坂と上ツ道
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「帯解寺」から上ツ道を南へ300mほど行くと、正木坂に面して、臨済宗宝奇山「龍象寺(りゅうしょうじ)」が在ります。聖武天皇勅願で、730年(天平2年)行基が創建し、本尊は、帯解寺と同じ「木造地蔵菩薩半跏像(子安地蔵)」ですが、この本尊は、行基菩薩一刀三礼の霊像と云われ、江戸時代以来安産信仰を集め、当山の真東に在る「円照寺」の歴代門跡も深く信仰され、
●境内(本堂)
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●本堂・鐘楼
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また伝承によると、「龍象寺」は、「広大寺池」の近くに在ったと云われる聖徳太子建立の広大寺(光台寺)の「奧の院」とも云い、本堂の天井に狩野春甫が描いた龍は、広大寺池の水を飲んでいたが、目に釘を打ち、鱗3枚塗りつぶされています。ー奈良観光より抜粋ー
by barakan1 | 2006-09-24 13:30 | 旅日記

平城(伊久里の杜)探訪(06.09.21)①コース概要・・・

■平城(伊久里の杜)探訪コース
帯解~白毫寺~高畑を回る。
a0016431_17491421.jpg●白毫寺の萩
天王寺10時半~12時帯解駅~竜象寺~帯解寺~青井神社~穴栗神社~油かけ地蔵~東山霊園を抜け~白毫寺~宅春日神社~比売(ひめ)神社~鏡神社~赤穂神社~奈良駅~天王寺駅18時半着。本日歩数28400歩。
最近では一番の歩数となりました。少し左膝が痛みます。歩きでは、私の限度は3万歩くらいのようです。
**白毫寺の萩、満開の直前です。この23・24日は絶好の花見日になるでしょう!!
by barakan1 | 2006-09-23 17:54 | 旅日記

天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑨楢神社・・・終

●楢神社社叢と上ツ道
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この楢神社は、上ツ道(上津道、上街道)と呼ばれる道沿いにあり、奈良市内の元興寺(がんごうじ)の南から、櫟本(いちのもと)~丹波市(たんばいち)~柳本(やなぎもと)~三輪(みわ)~桜井(さくらい)方面へと走る古道になっています。 この上つ道・・・平安時代 貴族たちの春日詣でなどにも使われたとか。また時代が代わると・・・初瀬詣、伊勢詣などにも、利用された道となっていきます。

■楢神社(なら) 式内社 天理市楢町
●神社正面
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a0016431_146532.jpg祭神
五十狹芹彦命(いそさせりひこのみこと)(別名を吉備津彦命)、
鬼子母神
摂社 稲荷神社「寅太丸大明神」
鎮座は神護景雲元年(767年)
由緒
神社は元禄年間には約1km東の宮山(東大寺山)に鎮座していた。氏子地域と離れているので、現社地に遷座した。 『延喜式神名帳』記載の添上郡の奈良豆比古神社の論社とする説もある。

●拝殿
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●「寅太丸大明神、
a0016431_14111990.jpg本地を訶梨帝母(鬼子母神)とし、子授け、長寿招福の神として崇敬されている。
鬼子母神は、当社の古版木に「往古、加賀国白山の嶺に現れ給ひて、御神諱を石川比売命と号し奉る。御本地は訶梨帝母に在し、此神慈照方便深くして抜苦与薬の御神なり。御神誓空しからず和光同塵の眼を開き給い小児を愛し万民撫育し給うこと世の人の知る処なり」とある。更に、「白山から天真榊に乗って当地に影向あらせられた」とある。
●神社境内
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●本殿
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「ナラ」と言う地名は国、緩やかな傾斜地、宮殿、王などの意味があり、これは緩やかな傾斜地に帝都ができたので、帝都をナラとよんだと言う。『地名の古代史:近畿篇』谷川健一、金達寿 河出書房新社 から。
a0016431_14193248.jpg鬼子母神社 櫟本町の東北に高塚公園があり、その西端に鎮座。 鬼子母神は「神」がつくので,神社とされるが、もともとはハーリティ(訶梨帝母)で,仏教に帰依しており、普通はお寺で祀られるもの。
ー神南備にようこそー
●井戸水は子授けの霊水。八代目市川団十郎奉納の井筒があるそうだ。
※社域は小さいですが、綺麗に管理されています。社殿は改装されて間が無いのか、朱の色が映えています。鬼子母神、鬼子母神社は初めてです。何故この地!?なのかよくわかりません・・・・。今回でこの編は終了です。
by barakan1 | 2006-09-23 14:32 | 旅日記

天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑧森神社・・・

■森神社  式内社・太祝詞神社に比定されている古社
天理市森本町字高岸178 
●神社社叢                 ●正面鳥居と欅の大樹
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祭神
天児屋根命
摂社 八王子神社「八柱御子神」
●社殿
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由緒
○『延喜式神名帳』記載の添上郡の太祝詞神社の有力な論社である。寛文五年(1665年)の棟札には「祝太詔戸神社之上棟 祭神亀津姫命」と墨書きされているとのこと。
『延喜式神名帳』には 京中坐神3座(並 大)左京二條坐神社2座(並月次相嘗新嘗)太詔戸命神[フトノトノミコト] 本社 大和國添上郡、對馬國下縣郡 太祝詞神社 とあり、対馬の占部が祀る亀卜の神で、天平神護元年(765年)のころ大和国添上郡に勧請された、平安遷都とともに左京二条に遷ったと考えられると『日本の神々4』に記されている。ー神南備にようこそー
●境内
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○本來は、対馬卜部氏によって対馬に祀られていた神が天平神護元年のころには大和添上郡に鎮祭され、平安遷都によつてこの神も京中左京二條に遷したが、本社として大和と対馬両国に残されていた、と考えられる。しかし、京中の太詔戸神は貞観元年(859)正月甲申に正五位下(続日本紀)、天慶3年(940)7月5日には正三位(日本紀略)に叙せられているが、本社の方は見捨てられた感がする。。
●八王子神社       ●本殿           ●本殿下の磐座
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森神社の背面(北北東)に姫大神社(もと祓戸社という)があり、丁度、菩提仙川が南へ曲がる淵に面している。ここが、『江家次第』に伊勢齋王が帰京に際し、名張横川禊、大和都介頓宮に就き、翌日、和爾川禊とある場所にあたるとする。
社名は「フトノト」「ノリト」「モリト」「モリ」と変化したという。
道路東に社叢が目立つ。本殿の下に磐座がある。
http://www.geocities.jp/engisiki/index.htmlーより抜粋
※楢神社への道筋で発見。案内板があり訪ねるが式内社だとは思わなかった。規模は大きくは無いが、大きな欅の木が何本もありそれだけでも値打ちものでした。ナカナカ歴史のある神社です。
by barakan1 | 2006-09-22 23:37 | 旅日記