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柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪⑥一刀石~芳徳寺・柳生一族墓所~家老屋敷・・・終

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a0016431_1121787.jpg■一刀石

この大きな岩は花崗岩ですが、 中央でみごとに割れています。
一説によると柳生新陰流の始祖 柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手 に剣の修行をしていて、天狗と 思って切ったのがこの岩だったと 伝えられている。-境内案内板-




■柳生家菩提寺
神護山 芳徳寺 臨済宗 
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a0016431_11115921.jpg●芳徳寺
柳生の里を一望する高台にある芳徳寺は、柳生家の菩提寺。寛永15年(1638)柳生宗矩が父石舟斉宗厳を供養するために創建し、宗厳の法名にちなみ芳徳寺と名付けられた。
開山は、宗矩と親交のあった沢庵和尚。本堂には、本尊薬師如来の左右に、宗矩公木像・沢庵和尚木像が安置されている。寺内には、柳生家ゆかりの品々の展示室がある.
●柳生一族墓所 
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本堂裏手には、剣と禅に生きた柳生一族の墓所があり、石舟斉や宗矩、時代劇でおなじみの十兵街など柳生一族の墓が80基あまりが整然と並んでいる。
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●柳生一族の歴史
この山間の小さな里から「無刀取り」を完成し、剣聖と讃えられた柳生石舟斉宗厳をはじめ兵法指南役として徳川秀忠、家光に仕え、大目付にまで昇進した但馬守宗矩、小説などの主人公として人気のある十兵衛三厳、宗厳から柳生新陰流の道統を継ぎ、尾張柳生の祖となった兵庫助利厳ら優れた剣客を続々と生んだ柳生一族が出ている。
 そして、江戸時代、諸国の多くの武芸者たちが、柳生氏の名声を慕って柳生街道を往来した。柳生新陰流の極意は「無刀取り」という「抜かざる剣の道」を極めたものであり、禅の哲学を取り入れた「剣禅一如」の思想は、徳川泰平の世に天下の剣として君臨した。
 柳生新陰流 石舟斉宗厳は上泉信綱に新陰流兵法学び、1565年(永禄8)一国一人の印可を得て、柳生新陰流を創始。道統は五男宗矩に伝えられ、宗矩はさらに沢庵禅師について禅の修業を積み、剣禅一如の崇高な境地を開いた。宗矩が会得した剣の道は、次に長男十兵衛三厳に伝授され、十兵衛は十年の諸国遍歴をはたしたあと柳生に戻って新陰流の道場を開設した。 ー星のまち交野ー

■家老屋敷
旧柳生藩の幕末の家老小山田主鈴の旧宅。
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主鈴(しゅれい)は岩代国(福島県)の出身で、江戸の柳生藩邸に仕え、才腕を認められて国家老で奈良に移り、藩財政を立て直した功績により敷地を藩公の柳生但馬守俊章から賜って、尾張の石工が築いた石垣の上に1848年(嘉永元年)6月屋敷を建てたものです。(今回は前を通っただけです)
※若干の見残しがありますので、またの機会に探訪したく思います。
by barakan1 | 2006-06-27 11:28 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪⑤式内天乃石立神社・・・

■式内天乃石立神社  奈良市柳生町柳生岩戸谷789
御祭神 豐磐間戸命 櫛石間戸命 天磐門別命 天照大姫命
●案内板と鳥居
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柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延 喜式神名帳に記載されている式内社 である。延喜式は一千年前延長年間 に撰せられたもので、その神名帳には、 全国の官国幣社二一三二座を記載して いるが、戸岩谷の天乃石立神社も、 小社としてその中に加わっている。
●左豊磐門戸命、右櫛磐門戸命
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●拝殿横天照大御 神                  ●天磐 戸別命
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天乃石立神社の祭神は、天照大御 神、豊磐門戸命、櫛磐門戸命、天磐 戸別命となっているが、神体は扉の形 をした巨岩(花崗岩)、前伏磐、前 立磐、後立磐の三つに割れている。 前立磐は高さ六メートル幅七・三メートル 厚さ一・二メートルあって、全体が扉の 形をしている。
●由来書
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天乃石立(あめのいわたて)神社は、延喜式神名帳にも記載される平安時代より知られた古社。ご神体は4つの巨大な花崗岩石である。
(1)「きんちゃく岩」日向神社―天照大御神
(2)「前伏磐」天立神社―天盤戸別命(あまのいわとわけのみこと)
(3)「前立磐」天石立神社―豊盤門戸命(とわいわかどのみこと)
(4)「後立磐」天石吸神社―櫛盤門戸命(くしいわかどのみこと)
 とりわけ目をひくのは、大きな放物線を描き、天空から落ちてきたかのように地面に突きささる「前立磐」「後立磐」の2枚の巨大な立岩。自然のものとも人工のものともつかぬ、まさに神業である。
●一刀石への道より式内天乃石立神社 を見る
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●拝殿と天照大御 神(きんちゃく岩)
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a0016431_14332973.jpg伝説によると、神代の昔、高天原 で手力雄命が天岩戸を引き開けたと き、力余ってその扉石が、虚空を飛来 し、この地に落ちたのだという。 巨岩信仰の好適例で、古来土地の人 達の信仰は深く強いものがあった。
●巨石下、渓谷の岩
正保二年(一六四五)但馬守宗矩は、 参道を修理して並木を植えているし、 宝永二年(一七〇五)柳生宗弘(のち 藩主俊方)は、能舞台を建て石燈籠 を寄進し、寛保二年(一七四一)藩主 俊平も、石燈籠を寄進している。
by barakan1 | 2006-06-25 15:00 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪④阪原峠~疱瘡地蔵~中村六地蔵 ~寝仏地蔵・・・

■阪原峠(さかはらとうげ、かえりばさ)
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昔花嫁が東の柳生から西の大柳生へ嫁入りする時、ここで故郷の名残を惜しみ、ふりかえったので、この峠を地元の人々は「かえりばさ」と呼んでいます。
※整備された道で、道そのものは立派なハイキング道なんですが・・、なにぶん勾配がきつく(私にはそう思えました)登り口から石道の坂が続き、落葉が深く積もり、昨日の雨に濡れツルツルよく滑ります。ホント!!バテました。その分下りは楽でしたが・・・・。
昨雨に濡れる石道(いしみち)喘ぎつつ独り越えにし阪原峠  【御素松】

■疱瘡地蔵
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石高3m、正面幅 3.5m、側面 2.5m。凹み、高1.4m、幅.08m。 右外側に、元応九年(1319)の銘。 鎌倉後期。以前面部剥落でアバタに見えたので、この名がある。昭和44年すぐ下 の土中から発見され、修復された。
●地蔵正面
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●右面に彫られた六体地蔵
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a0016431_1214298.jpg右下に、銘文アリ。たどたどしいカタカナ交じりで書かれた銘文は
「正長元年ヨリ 
 サキ者カンヘ四カン
 カウニヲヰメアル
 ヘカラス」。
「正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず」と読む。
正長元年(1428)の大一揆で、神戸四箇郷(大柳生・坂原・小柳生・邑地)の農民が借金棒引きの徳政を勝ち取った喜びを地蔵の脇に刻んだということである。

■中村六地蔵
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宝蔵地蔵より少し行くと、中村六地蔵がある。

■寝仏地蔵
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中村六地蔵よりほんの少し先を左へ曲ると、藪草の中に寝仏地蔵があります。お供えの花や、赤い切れがぶら下がっていなければ地蔵があることすらわかりません。地蔵様は土に半分埋もれて寝ていらっしゃいます。
by barakan1 | 2006-06-24 12:12 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪④南明寺~お藤の井戸・・・

■南明寺  奈良市阪原町1005
●阪原町
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本堂は鎌倉時代に建てられた一重寄棟造で、力強く簡潔な様式を残しています。
●本堂
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本堂には木造の釈迦如来(平安後期)、薬師如来(平安初期)、阿弥陀如来(平安後期)の座像三体を安置していますが、造像の手法はそれぞれ異なっています。
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寺の創立年代は不明ですが、周囲に多くの堂塔のある大寺であったようです。-説明版より

■お藤の井戸
●井戸前から阪原峠を見る
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この道が大柳生と柳生を結ぶ旧道で、
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柳生の城主、但馬守宗矩が、この井戸の付近を通りがかり、洗濯をしていたおふじという娘に「桶の波はいくつあるか」とたずねると娘は「お殿さんがここまで来られた馬の歩数はいくつ」とずねかえした。但馬守はその器量と才気を見そめ、のちに妻に迎えたとの伝説がある。
●阪原峠入口付近からお藤の井戸(阪原町)を見る
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今も「仕事せえでも器量さえよけりゃ、おふじ但馬の嫁になる」との里歌が残っている。-説明版より
by barakan1 | 2006-06-23 12:17 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪③水木古墳~多聞神社~南明寺へ・・・

■水木古墳
夜支布山口神社を出て、道しるべに従い柳生に向うと、泉に水木古墳があります。
●泉の村と水木古墳
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須恵器等出土した土器類の形から見て、6世紀後半(1400年ほど前)に造られたと考えられます。水木古墳に埋葬された人物は、この古墳の規模や副葬品から考えて、古墳時代に大柳生地域を治めた首長(村長・むらおさ)クラスの墓であったと考えられます。
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これは、遺物の上でも豊富な土器類を持っている点や、その他に武器類や優秀な作りの馬具などが副葬品に含まれていることからも判ります。また、古墳の葬儀に関する柱列の出土など重要な発見がありました。今後、大柳生地域の歴史を語る上で、欠くことのできない古墳と言えます。
■多聞神社 (たもん) 奈良市大柳生町1801
水木古墳を少し行くと、右上の山裾に多聞神社があります。道からは見えにくいので行過ぎないよう!
●多聞神社鳥居と地蔵尊
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ご祭神 天之忍穂耳命・天之菩毘命・天津日子根命・活津日子根命
熊野久須毘命多紀理比売命・多岐都比売命・狭依比売命
多聞神社の鎮座地は泉と呼ばれ、和泉の国から八王子の神を勧請したものと伝えられている。別称、八柱神社。ご祭神は、天照大神と須佐之男命との御誓約のときになりましし五男三女神で、狭依比売命は市杵島比売命の別名である。本殿は春日造・厚板葺で、本殿両側の境内社に手力男命社・津島神社・素盞鳴神社・靖国神社がある。大正四年の調査では、末社は戸隠神社・杵築神社・津島神社の三社になっている。
●拝殿・本殿
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安永五年(1776)の四角形石燈籠が立っている。明治三十四年(1901)の郷村社祭神調査によれば、古老の伝としてこの神社は、筒井順慶の家臣が元亀年間(1570~1572)にこの地に来て、阪原から勧請した神を祭り農事に専念した、と述べている。泉垣内と呼ぶのは、この人が泉須斎を名乗っていたからだという。
■南明寺への道
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※右奥が寺の森であす。
by barakan1 | 2006-06-22 12:19 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪②円城寺~夜支布山口神社・立盤神社・・・

■円城寺(えんじょうじ)
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忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)で、756年(天平勝宝8年)聖武上皇と娘・ 孝謙天皇の勅願によって、唐僧・虚瀧(ころう)和尚の開基と云う説と、1026年(万寿3年)加賀白山の修行僧・命禅(みょうぜん)上人の開基と云う説もあり、1156年(保元元年)京都仁和寺の寛遍(かんぺん)僧正が東蜜(真言密教)の一派・忍辱山派を起こして寺勢を上げた。境内は、藤原時代に整えられた池 を中心とした浄土式庭園で名勝の指定をうけている。(06.04.03)のブログに掲載済み)前回より、緑が明るく萌えるようだ!
■大柳生への道
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■夜支布山口神社(やぎうやまぐち) 式内社  奈良市大柳生町3089
●水木古墳辺りから見る夜支布山口神社の杜
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ご祭神 素戔鳴命
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大柳生の氏神で平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に、ここに移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り明神」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。 ー入口横の看板よりー
●夜支布山口神社本殿
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●夜支布山口神社境内            ●拝殿
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社務所の後方にりっぱな古墳があり、刀剣などを出土している。宝物に弓・大刀・太鼓などがあるが、また十六善神画像や大般若経などもある。台般若経六百巻は、写本と版本が混在しているが、建長四年(1252)・正和元年(1312)・応永七年(1400)をはじめ、室町時代のものがかなりある。
■立盤神社(たていわ)
●立盤神社本殿
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●立盤神社前から見た夜支布山口神社境内
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摂社立磐神社(天手力男命)は、古くからこの地に鎮座し、巨石を御神体としてきたが、のちに社殿が設けられた。この社殿は延享四年(1747)に、春日大社の第四殿を賜ったもので、重要文化財に指定されている。
・国指定 重要文化財 立盤(たていわ)神社
・社殿形式 一間社春日造桧皮葺
・建立年代 江戸時代享保十二年(1727)
・祭神 天手力男命
●本殿後背部に鎮座する磐座
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当社地は立岩に神霊が宿る霊地として巨石信仰の古代から崇拝され、立岩の前には早い時期から社殿が建てられていたが後世に山口神社が当社地ヘ移され立盤の神が摂社となった神社である。春日大社蔵の記録及び社殿から発見された墨書きによると現社殿は春日大社享保御造替時に新造卯された本社本殿の第四殿を延享御造替時(1744~1747)に当地へ移譲されたものである。社殿は切妻造妻入の正面に軒の付いた古い形式をよく傅え、また当初材が多く残り移建の事情も明らかな点に注目すべきものがある。
ー社殿前の立札よりー
境内社は立磐神社のほかにも、祓戸大神をはじめ
春日神社(天児屋根命) 春日若宮社(天押雲根命)戸隠神社(天手力男命)
靖国神社(靖国英霊)  八幡神社(品陀別命)などがあり、
さらに境内の山の中に
白山神社(白山比メ命) 宗像神社(市杵島姫命) 御年神社(大年神・御年神・若年神)
津島神社(須佐之男命) 住吉神社(中筒男命)などがある。
by barakan1 | 2006-06-21 23:46 | 旅日記

柳生街道(忍辱山~柳生バス停)(06.06.19)探訪①コース概略・・・


■今日は柳生街道の探訪に向う。コース概略は次の通り。
a0016431_1136112.jpg●コース地図
天王寺駅8時半発~奈良駅発9時半~忍辱山・円城寺10時15分~柳生街道へ~夜支布山口神社~多聞神社~南明寺~お藤の井戸~阪原峠~疱瘡地蔵~中村六地蔵~寝仏地蔵~天乃立岩神社~一刀石~芳徳寺~柳生一族の墓~家老屋敷~柳生バス停15時~奈良駅16半時~天王寺18時着。行程、2511歩でした。(約12Km)  ●大柳生への道
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奈良駅の柳生行きのバスは満員です。(冬来たときはガラガラだったのに・・・。)並んでいる人の話を聞くと、ショウブ園に行く人らしい。そう言えば今が一番いい時期なんですね!!
内容的には、途中の阪原峠が最大の難所でした。勾配がきつく、久しぶりにバテました。(そのかわり下りは、楽チン楽チンでしたが・・・。)力を使い果たしその後はボロボロで、ただただ、惰性で歩き、ショウブ園にも寄れませんでした。(少し、見残したところがあるので、次回に見学することにしたい)
by barakan1 | 2006-06-20 11:51 | 旅日記

石仏の里・当尾(岩船寺~浄瑠璃寺)探訪(06.06.09)⑭つじんどう焼け仏~大門仏谷磨崖仏・・・終

■辻堂(つじんどう)焼け仏
●当尾の里 (浄瑠璃寺方向から西小方面を見る)
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焼け仏は昔安置されていた辻堂が火災に遭って、その時に仏が焼け出され、そう呼ばれています。
●ヤケ仏より加茂方向を見る
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●つじんどうヤケ仏
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2m余りもある石仏で、焼けてから首より上にひび割れが入り、光背の様に見えますが、裏面は黒焦げて痛々しい姿です。

■大門仏谷の「阿弥陀磨崖仏」
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右側の谷間の向こうに当尾で最も大きくて、最も古い石仏、「大門仏谷磨崖仏」が見えて来ます。阿弥陀如来とされていますが、弥勒菩薩等と云う説も有り、未だに確定してません。また、彫られた年代も奈良時代説、平安時代後期説等が有り、今後に色々と研究課題を与えて下さる大きな磨崖仏です。ー奈良観光より抜粋ー


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※道から谷を隔てた、山際に座って居られます。丁度、このとき、あたりが暗くなったと思うと時雨が降り出し、上手く写真ガ撮れませんでした(チョット残念!!)が・・・。阿弥陀様が、私のお参りを喜ばれているように感じました。
人の来ぬ山谷深く坐ししより千歳を経ぬや阿弥陀石仏
大門の仏の谷に坐したまひしあわせ祈る阿弥陀石仏 
    【御素松】
by barakan1 | 2006-06-17 12:07 | 旅日記

石仏の里・当尾(岩船寺~浄瑠璃寺)探訪(06.06.09)⑬西小墓地の無縁地蔵・五輪塔~たかの坊地蔵・・・

■路傍の地蔵~西小墓地の無縁地蔵~たかの坊地蔵
●さりげなく佇む路傍のお地蔵さん
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長尾の阿弥陀仏から西にバス道を下ると右側にさりげなく佇んでいる。
●西小墓地の無縁地蔵と五輪塔(重文)
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中央の階段脇に「五輪当」が建っています。この塔は、当尾の石造文化財の中もで千日墓地の「十三石塔」と共にただ2つ重要文化財に指定されている塔です。


道路の右側にずらりと梵字の石仏が約300体ほど立ち並び、「西小墓地無縁地蔵」です。それぞれ小石仏ですが、これ程まとまって並ばれると壮観で、圧倒されます。ー奈良観光より抜粋ー


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●たかの坊地蔵
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道の右に「西小区公民館」が在り、そこの前庭に「たかの坊地蔵」が立ってます。
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小さな石仏群の中でひときわ立派な船形光背の地蔵尊で、鎌倉中期に彫られ、他の小石仏群は、室町時代に彫られてます。
※その数の多さに圧倒されます。昔の人の願いの数なのでしょう・・・。
by barakan1 | 2006-06-16 16:00 | 旅日記

石仏の里・当尾(岩船寺~浄瑠璃寺)探訪(06.06.09)⑫浄瑠璃寺奧之院の「不動明王像」・・・


■浄瑠璃寺奧之院の「不動明王像」への道
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「長尾の阿弥陀如来座像」の背後から、山道へ分け入って、山を1つ約10分で越して行くと、赤谷川のせせらぎが聞こえて来ます。下にコンクリートの瀧が在り、その下流に架かっている丸太4本の橋を渡ると「浄瑠璃寺奧之院」で「不動明王立像」が在ります。
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a0016431_11271279.jpg元は、1296年(永仁4年)に磨崖陰刻の不動明王像が彫られていましたが、その岩が割れたので、後に丸彫りの不動明王像と、矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二童子の「不動三尊」を祀ってます。
●磨崖陰刻
不動明王像
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ー奈良観光より抜粋ー
●丁石a0016431_11394951.jpg

丁石(ちょうせき)は加茂の里から浄瑠璃寺まで1丁(約109m)毎に浄域に近付く時の笠塔婆で、鎌倉時代末の14世紀に建てられ、昔は沢山建っていましたが、今はわずか4本だけ残っています。

※奥の院へは、チョット其処という感じで行ってしまいましたが、足に自信の無い人とヘビの嫌いな人は、行くのは止したほうがよいでしょう・・。急勾配の山道で、その上落ち葉等が積もっていますのでスルスル滑ります。そして、何より端は草ボウボウなのでヘビでもいるのではとビクビクものです。
by barakan1 | 2006-06-15 11:48 | 旅日記