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山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)⑤椿井大塚山古墳~稲荷山古墳・・・

■椿井大塚山古墳
a0016431_18591378.jpg山城町の中央部にたたずむ椿井大塚山古墳は、古墳時代前期のなかでも最古(3世紀後半)に位置づけられる代表的な前方後円墳です。
昭和28年、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現在のJR奈良線)の法面《のりめん》拡幅工事が行われた際に、偶然にも竪穴式石室《たてあなしきせきしつ》が発見されました。その後の発掘調査で、石室内からは40面近い銅鏡が出土しました。出土した銅鏡のうち30数面が邪馬台国《やまたいこく》の女王卑弥呼《ひみこ》の鏡とされる「三角縁神獣鏡《さんかくぶちしんじゅうきょう》」であったことから、邪馬台国の畿内説を裏づける重要な古墳として全国的に大きな注目を集めました。
①前方部方向より
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●②後円墳部
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●後円墳より                 ●前方部をみる(壊され家が密集している)
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このような華やかな歴史とは裏腹に、一方で椿井大塚山古墳は「悲劇の古墳」ともいわれています。明治29年に開通した旧奈良鉄道(現在のJR奈良線)による前方部と後円部の分断や昭和28年の発見時における石室主体部の乱掘と副葬品散逸などがそのゆえんです。
●③方向より
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●④方向より
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●⑥方向より
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しかしながら、平成12年9月6日、再び椿井大塚山古墳にうれしい知らせが舞い込みました。昭和28年の発見から半世紀、ようやく日本の歴史上の重要な文化財として、「国史跡」に指定されたのです。
a0016431_198401.jpg●三角縁神獣鏡(レプリカ)
このことをきっかけに、山城町では、今、古墳の史跡公園化構想や地元住民と専門家による保存管理計画策定委員会の設置、古墳の上に住む人々などでつくられた「椿井大塚山古墳を守る会」の活動など、まちぐるみで古墳の保存と活用への取り組みが活発になっています。
ーやましろ観光マップーより




■稲荷山古墳
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大塚山古墳を北に山背古道を暫く歩くと鳴子川の橋にかかる。この橋をわたり、右側の踏切りを渡ったところに、栄寿神社・稲荷の鳥居がある。
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この鳥居をくぐりかなり急な参道であるが、山を登れば稲荷の祠にたどり着く。ここが稲荷山古墳。ここからさらに尾根伝いに行けば城山古墳に突き当たる。
by barakan1 | 2006-04-30 19:20 | 旅日記

山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)④高築神社~松尾神社・・・

■高築神社(たかつきじんじゃ)山城町大字椿井小字
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臨済宗、霊宝山「玉臺禅寺」からまた竹藪を通って山を下り、三叉路から北方向へチョッと行くと、松尾神社への手前に、ひっそりと角に石柱が建っている。それに従って両側を竹の生い茂る古道を上っていき、池を経て、更に奥に進むと、高築神社に行き着く。地図や文献にも記載がなく、由緒等は不明。
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※何でこんな所に!?という感じである!!立派に道がついているところをみると、地元の人が大切にお祭りしているのだと思う・・・。

■松尾(まつお)神社」   山城町大字椿井小字松尾
●一の鳥居・二の鳥居
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「天武天皇が吉野山から東国へ向かう時、この地で大山咋神の化身「樺井翁」と軍議の後、翁が姿を消した跡地に宝珠を埋めましたが、701年(大宝元年)秦都理が霊夢によって宝珠を得、それを神体として宮殿を創建したのが当社の始まりと伝えられている。-案内板ーより
●表門
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本殿は国の重要文化財に指定されていて、拝所正面は明神鳥居の形式で非常に珍しく、古建築中唯一の遺構です。中央に優美な彫刻を持つ「かえる股」は、唐草の透彫とともにたいへん美しい造形をしています。
●境内全景
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●拝殿
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●拝殿内部
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表門西側の土塀は、鎌倉時代の瓦込め練塀で、白鳳時代の瓦も埋め込まれています。これは国内に現存する最古の土塀です。
●本殿
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●松尾神社本殿                ●御霊神社本殿
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かつては松尾神社を上の宮、御霊神社を下の宮と呼び、御霊神社は椿井郷南端の小高い御霊山の上に建っていたが、明治十三年、内務省の神社併合令により松尾神社境内に移築されたものである。祭神は素戔嗚尊で旧村社であった。
ー境内由緒ーより抜粋
by barakan1 | 2006-04-29 12:06 | 旅日記

山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)③玉台禅寺・狛弁財天・・・

■霊宝山 玉台禅寺  臨済宗妙心寺派  山城町大字椿井小字天敷堂37
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玉台寺はもともと真言系寺院で、狛の弁才天社の宮寺として、山城国一揆の中心となった国人, 狛氏の保護下にありました。
●直進狛弁財天・家の先を左高尾神社           ●狛弁財天への道
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江戸時代に入り、狛氏がこの地を去ると、廃れてきましたが、妙心寺の僧智、堪和尚がこの地に入り 荒廃した玉台寺を再建し、今日に至っています。 本尊の十一面観音立像は室町時代の作とされます。小高い山の中に建つ境内は静寂に包まれています。
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※禅寺はどこでもそう感じるのですが、構えがあっさりしているというか、飾らないというか、来るなら来なさい、観るなら観なさいと言われているような風情で山の中に佇んでいます。世間ずれしていない、かといって無関心ではない!!温かい静寂!?こんな雰囲気、私は好きですね!!
山城はタケノコの名産地。寺への道すがらも、収穫から免れたタケノコが至る所で頭を出していました。

■狛弁財天  (玉台寺に入り、本堂右奥に鎮座)
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一族の守護神として、狛野荘《こまのしょう》の荘官をしていた狛但馬守頼久《こまたじまのかみよりひさ》が永享《えいきょう》九年(1437年)に造営したものであると伝えられています。
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現在は霊宝山玉台寺の境内に祀られ、狛の弁天さんとして親しまれています。玉台寺境内からは遠く奈良・生駒の連山が遠望でき、古くから景勝の地として有名です。特に桜の季節は素晴らしい風景を見ることができます。(八重桜だけが少し残っていました)
a0016431_840982.jpg●狛弁財天社弁才天像【こまのべんざいてんしゃべんざいてんぞう】
この像は通例の八臂の坐像で、前後に矧ぎ寄せられた頭部の、後頭部内面と玉眼押え木に墨書柄があり、天正六年(1578年)に南都を中心に活躍した仏師集団・宿院仏師の源三郎らによって造立されたことがわかっています。
ーやましろ観光マップーより
by barakan1 | 2006-04-28 08:48 | 旅日記

山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)②高麗(こま)寺・・・

a0016431_1319988.jpg■木津川(山城郷土資料館)付近
泉川、現在の木津川が南山城の山間部を西流し急角度に北に向う地点の北岸が上狛です。今日の出発地点です。
巻13-3315
泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣(ごろも)濡(ぬ)れひたむかも



■高麗(こま)寺 (車が止まっているところ) 西から東をみる
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7世紀初頭(飛鳥時代)に創建されたわが国最古の仏教寺院の一つである。この地がかって相楽郡大狛郷に属することから、朝鮮三国のうちの高句麗からの渡来系氏族・狛氏とのかかわりが指摘されており、文献資料からは、天平年中(奈良時代)に存在したことが「日本霊異記」に記されている。





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●東から西をみる
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伽藍は、木津川を見下ろす台地に南面して立地し西に金堂、東に塔を持つ法起寺式の伽藍配置で塔、金堂、講堂は整美な瓦積基壇を外装しており、講堂の両翼から伸びた回廊は塔、金堂を囲んで中門に接続する。寺域は東西約200m、南北は190mの規模を持っています。
●塔心礎
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●山城郷土資料館展示(高麗(こま)寺)出土資料
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また、塔跡の礎石は、珍しい横穴式の舎利孔です。その周辺には諸堂塔に葺かれた瓦を生産した高麗寺瓦窯や高井手瓦窯が存在し、北方には高麗寺造営氏族のものと考えられる大規模な居館跡(上狛東遺跡)が発見されている。ー案内板ーより
※(668)高句麗滅亡。王族が亡命し、高麗氏を名乗る。今までの高句麗人たちは、狛、大狛を名乗るようになる
by barakan1 | 2006-04-27 13:35 | 旅日記

山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)①コース概要・・・

■山背古道(上狛~玉水)探訪。
車か電車か迷った探訪でしたが、今回は電車が正解のようでした。次回予定の山陰古道は車のほうが良さそうです。行程は比較的平坦ですが、かなり距離がありました。昔の人は元気だったんですねぇ!!
a0016431_15193354.jpg今回の注目個所は高麗寺跡と椿井大塚古墳です。上狛駅に着くや空が俄かにかきくもり、風と雨が降ってきました。まったく天気予報もチェックしたのにと・・・。でも、山城郷土博物館で40分ほど時間をつぶして、再度高麗寺跡へ戻る時分にはウソのようにいい天気になっていました。これで今日も、快適な探訪が出来そうです!!
コース概要。
天王寺8時~上狛着9時半~山城郷土博物館~高麗寺跡~狛弁財天~松尾神社~椿井大塚山古墳~稲荷神社~和伎神社(湧出宮)~蟹満寺~綺原(かんばら)神社~以仁王墓~高倉神社~井堤寺跡~小野小町墓~玉津岡神社~地蔵院~橘諸兄旧跡~六角井戸~玉水駅18時~天王寺着19時半。歩数39700歩でした。
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by barakan1 | 2006-04-26 15:22 | 旅日記

和泉市(池上曽根遺跡・信太山あたり)探訪(06.04.16)⑥信太森神社(葛ノ葉稲荷神社)・・・終

■信太森神社(葛ノ葉稲荷神社)  和泉市葛の葉町2番地   
祭神:宇迦御魂神、大己貴神、大宮姫命、素盞男命、猿田彦命、若宮葛乃葉姫
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■■葛の葉稲荷神社の伝説
「約千年あまり前朱雀天皇の御頃、今の大阪市阿倍野の里に阿倍保名(あべやすな)が住んでいた。父は豪族であったが、人にだまされ所領を没収されたので、保名は家の再興を願い、当地、信太森葛葉稲荷(しのだのもりくずのはいなり)に日参していた。
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ある日のこと、数人の狩人に追われた1匹の白狐を助けた。そのとき、保名は手傷を受けその場に倒れた。白狐は、葛の葉という女性に化け、保名を介抱して家まで送り届けた。それから数日後、葛の葉は保名を見舞い、やがて互いの心が通じ合い、妻になり童子丸という子供をもうけた。
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その子が5歳の時、正体が分かり、
恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
の1首を障子に書き残して、信太の森へ帰ったと伝えられる。
この葛葉伝説にまつわる狐がお祀りされているのがこの神社で、今も人々の信仰をあつめている」ー和泉市教育委員会ー
●本殿
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a0016431_12572539.jpg●和泉式部の詠んだ
秋風は すこし吹くとも 葛の葉の うらみがほには みへじとぞおもふ
の歌を刻んだ石碑もある。
なお、阿倍保名は阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の7代あとの子孫ということだ。
狐は、眠っているうちに神通力を失ったらしい。母を慕って泣く童子丸を背負い、保名が信太の森へ来て妻の名を呼ぶと、社前一面の葛の葉がいっせいに葉をそよがせざわめいたという。童子丸は、成長して阿倍晴明(あべのせいめい)を名乗り、陰陽博士として冷泉、円融、花山の3天皇に仕えたと伝えられる。
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●姿見の井戸
白狐が葛の葉に変身した姿を映した井戸といわれています。






a0016431_1245310.jpg●本殿と姿見の井戸の間に「知恵の樹」があります。
樹齢二千年の立派な楠の御神木で、 この樹の根本から「葛の葉」が走って来たのです。花山天皇がこの樹の枝ぶりが立派なのを見て、 「信太森千枝(ちえ)の楠」と名づけたそうです。
和歌に詠まれた信太の森
いづみなるしのだのもりの楠の木の千枝にわかれてものをこそ思へ  「六帖」
西行法師
秋の月しのだの森のちえよりもしげきなげきやくまになるらむ    山家集 
家隆
いづみなる信太の森は老いにけり千枝とはきけど数は少なき    玉吟集  
僧正行憲
千枝にもる信太の森の下露にあまる雫やほたるなるらむ      建保百首  


a0016431_12391493.jpg●この楠の樹の前に「葛の葉」きつねがいます。
恋しくば尋ねきて見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
葛の葉 の哀しいの気持ちがよく伝わって来ます。この句を眠っている子供と夫に残して、泣きながら阿倍野 から帰って来たのです。
「葛の葉」は悲しみの余り、石になってしまいました。 その石が「みたま石」なのです。本殿にあり、宮司さんにお願いすれば見せていただけるそうです。(私は見れませんでしたが・・・、残念)
※葛の葉稲荷神社の伝説は、聖神社の話と殆ど同じです。森と言う見方でいえば聖神社のほうが近いように思いますが、まあ、昔は信太の森の範囲はその両方を含めてもまだ小さいくらい大きなものだったのではないでしょか!!
葛の葉稲荷神社本殿右~右奥あたりはかなり、ゾクゾク感じました。
by barakan1 | 2006-04-23 13:08 | 旅日記

和泉市(池上曽根遺跡・信太山あたり)探訪(06.04.16)⑤聖(ひじり)神社~信太の森の鏡池・・・


■聖(ひじり)神社 式内社    和泉市王子町919番地 
●一の鳥居(前道は小栗街道)
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祭神 :  聖神
由緒 : 創建は天武天皇の白鳳三年(675年)秋八月十五日で、永く国家鎮護の神として、信太首が斎き祀ったものであり、信太聖神、又は信太明神とも云う。 往時は広大な神域を誇っていた。近くには景初三年銘のある画文帯神獣鏡出土の黄金塚古墳や池上曾根遺跡など重要な史跡がある。 当社は泉州五社(大鳥、泉穴師、聖、積川、日根)の三の宮である。現在の本殿は慶長9年(1604年)に豊臣家によって造営されたものである。
●神社境内
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祭神の聖神は素盞嗚尊の子神の大年神が伊怒姫を娶って生んだ、大国御魂神、韓神、曽富理神、向日神、聖神の末子である。「日知り」の神すなわち暦の神である。半島系渡来氏族の陰陽師が信仰していた神である。 陰陽博士として名高い安倍晴明の誕生に絡んだ伝説が伝えられている。今は、次の葛ノ葉稲荷神社(信太の森神社)の縁起の方が有名になっている。
●拝殿
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■■伝説(葛の葉物語)
昔、摂津の国住吉の里に、阿倍保名(やすな)という人があった。妻は葛葉姫(くずはのひめ)といったが身体が弱く、たびたび里に帰って養生していた。保名は日夜心を悩まし、神の助けによって一日も早く妻の全快と俊児を授けられんことを、当時最も信仰者の多かった信太明神(聖神杜)に祈願し、三十七日間おこもりをし、白玉を得、斉戒沐浴して池の堤に立っていた。すると水面に白狐がうつり、不思議に思って後ろを見ると一匹のねずみ(実は傷ついた白狐)が走ってきたので、このねずみを袖にかくまい、しばらくして山中に逃がしてやった(聖神杜境内には、この伝承に由来するねずみ坂 と鏡池ー現在は神杜の所有ではないーが残っている)。
●本殿(三間社入母屋造檜皮葺)
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●本殿装飾
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保名は満願の夜、疲れて社殿でいねむりをしていると、冠をかぶった白髪の老人が夢にあらわれて、「汝の日頃の信仰はほとんど寝食を忘れるほど誠意であり、願いは必ず成就する。妻の病気は全快し、俊児も近々賜るる、すこと憂うることはない」とお告げがあつた。保名は神心肝に銘じ、なおも深く祈願をこめて家に帰ったが、翌日の夕方に妻は元気な様子 で帰ってきた。保名は本当に信太大明神のお告げどおりだと、たいへん喜んで妻を迎えた。それからというものは楽しく日力を過ごし、妻はまもなく懐妊し・月満ちて男児が生まれた。夫婦の喜びはひとしおで、掌中の珠として愛育した。
●聖神社末社(左滝神社本殿:右三神社本殿)
○一間社春日造                ○三間社春日造は全国的にも珍しい遺構
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百余日を経たある夜、家中が光り輝き、驚いて眺めていると、妻は白狐神となって「我こそは信太大明神と議(はか)り仮に汝の妻となり願いの如く俊児を授けたる。今は神のおぼしめし告げる時が来て帰らねばならない。大切に育てるべし」と告げるやいなやいずこかへ消え失せた。保名はありがたさにむせぶうちに夜が明け、雨戸を開いて障子を見ると、文字が書き付けてあった。これが世に知られる
恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
の和歌である。 その後、本当の妻も病気が治り帰つて来て、二人でその子を大切に育てた。この子が非凡の天機を発揮し、成長ののちには陰陽博士として天下にその名を知られた安倍晴明であるという。  ー神南備にようこそーより

■信太の森の鏡池と姫塚古墳
和歌を残して葛の葉が消えてから、保名と童子は、母を求めて信太の森を探し歩きました。森の奥深くまできたとき、保名がふと振り向くと、一匹 の狐が涙を流してじっと二人を見つめていました。はっと気がついた保名は、「その姿では子どもが怖がる、もと の葛の葉なっておくれ。」 保名の声に、狐は傍らの池(鏡池のこと) に自分の姿を映したかと思うとたちまち葛の葉の姿となりました。
●鏡池と堰堤にある姫塚古墳
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※聖神社と鏡池は全体を見ればよく分りますが、キッと古墳ではないでしょうか!!池は周濠が切れたもののようだし・・、墳頂部に神社があるのはよく見る形態です。
信太の森はどこにあったのでしょうか。葛の葉神社の森との説と聖神社の森だという説があります。最近の研究では、和歌に詠まれた信太の森は聖神社の森だという説が有力だといわれています。とまれ、両方の森を含めて一帯に広がった森を指しているととらえて良いのではないかと考えています。
信太の森を詠んだ和歌
うつろはでしばししのだの森をみよかえりもぞする葛のうら風    新古今集 赤染衛門
秋風はすこし吹くとも葛の葉のうらみがおには見らしとぞ思ふ    新古今集 和泉式部
ー信太の森ふるさと館ーより
by barakan1 | 2006-04-22 12:20 | 旅日記

和泉市(池上曽根遺跡・信太山あたり)探訪(06.04.16)④伯太(はかた)神社~竜雲寺・・・

a0016431_12215536.jpg■伯太(はかた)神社 式内社 和泉市伯太町5-22 
祭神 応神天皇、比神、伯太比古命、伯太比命、天照皇大神、小竹祝丸、天野祝丸、熊野大神、菅原道真、天児屋根命
(平松王寺社も合祀されています)



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博多神社、丸笠神社とも言われた。鎮座している山を丸笠山と言った。
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白河院、この地より遥かに熊野に向かい遥拝するとの記事がある。これは王子社の役割である。 鳥居前に影向石、御車留等の古跡があった。
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明治維新までは禅宗新宮山龍雲寺があった。新宮山とあるのがいかにも熊野との関連を示している。現在は向かいに新宮寺がある。

■新宮山 竜雲寺  和泉西国三十三ヶ所 第十三番
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小さなお堂だが、泉観音で有名らしい
※小さな、まさに村の鎮守という雰囲気の神社です。よく手入れされ、綺麗に保たれています。
by barakan1 | 2006-04-21 12:38 | 旅日記

和泉市(池上曽根遺跡・信太山あたり)探訪(06.04.16)③曽根神社・・・

■曽禰(そね)神社  式内社  泉大津市曽根町1-4-12
●曽根神社・社叢(池上曽根遺跡西に隣接)
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祭神
饒速日命
伊香我色雄命(曽根連神饒速日命の六世孫)
素盞嗚尊
表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命
摂社  神社名 (祭神) 地域 明治四二年合祀
  日吉神社(大山咋神) 森
  菅原神社(菅原道真公) 千原
  池上神社(菅原道真公) 池上
  上泉神社(菅原道真公) 池上
  二田国津神社(天足彦神、二田物部神、菅原道真公) 二田
  菅原神社(菅原道真公) 南曽根
  白山神社(白山姫大神) 北曽根
●鳥居・参道
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由緒
曽禰氏の祖神を祀る。素盞嗚尊いかは後の配祀。 弥生前期の大規模遺跡である池上曽根遺跡に隣接している。神域ゆえ発掘されていないが、おそらくここからは祭祀関係の遺跡が出るものと思われる。 この遺跡の大型掘立柱建物のヒノキの柱は紀元前52年に伐採されている。和泉には大鳥大社の北側に四ツ池遺跡もあり、その他銅鐸も出ており、弥生前期より力のある豪族の存在を思わせる。
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この神社の西の海岸よりの地域を二田と言う。二田造は有力な物部一族であり『先代旧事本紀』によれば「五部造、伴領と為て天物部を率て天降り供へ奉る。」の筆頭にあげられている。この氏族の祀った国津神社の祭神は二田物部神とされている。曽根連は二田造の後裔であろう。     ー神奈備にようこそーより
by barakan1 | 2006-04-20 12:59 | 旅日記

和泉市(池上曽根遺跡・信太山あたり)探訪(06.04.16)①池上曽根遺跡・・・

■池上曽根遺跡  和泉市池上上町443
a0016431_17202564.jpg池上曽根遺跡
全国屈指の規模をもつ弥生時代の環濠集落として知られています。遺跡の総面積は60万㎡と推定され、その中心部の11万㎡は国の史跡に指定されています。

●広場全景
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大型掘立柱建物跡や巨大丸太くり抜き井戸の発掘をはじめ、土器・石器・木器など大量の遺物が出土。農耕集落の中枢施設が明らかになるとともに、大溝に囲まれた集落全体の様相が浮かび上がってきました。大型建物の柱が年輪年代測定法により紀元前52年に伐採されたことが判明、古代史に大きな波紋を投げかけました。
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JR信太山駅を降りて西へ6分ほど歩くと、国道26号沿いに「池上曽根遺跡」が見えてきます。弥生時代の大規模な集落として全国有数の規模を誇り、土器・石器・木製品など、日本最古の農耕文化を今に伝える貴重な文化財が数多く出土しています。なかでも、神殿跡ともいわれる大型建物跡や井戸跡などは、全国から注目を浴びています。
●大型住居
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平成11年(1999)には大型神殿「いずみの高殿」と大型井戸「やよいの大井戸」を復元。
●刳り抜き井戸
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●掘立て柱建物
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●竪穴住居
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a0016431_17425471.jpg平成12年(2000)には当時の住居「竪穴住居」をはじめ、金属器などの製作工房である「掘立柱建物」、「小型竪穴」などが次々と復元され、平成13年(2001)春に第1期整備工事が完了し、約三分の一が史跡公園として開園しました。




■大阪府弥生文化博物館
●卑弥呼の館(模型)
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●刳り抜き井戸と出土土器
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●発掘写真(大型建物跡・刳り抜き井戸)パネルより
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※この大型刳り抜き井戸については新聞に乗ったので覚えていました。展示してあったものを眺め、台の下をくぐって中へ入ってみましたがスッゴク大きいのが実感しました。また、別のコーナーには大型建物の柱の根っ子が展示してあり、これらの中から、年輪測定により伐採されたのが紀元前52年と判明したそうです。すごいですねぇ~。2000年以上前にここに環濠集落があったと思うと!!
●遺跡想像図
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by barakan1 | 2006-04-17 17:55 | 旅日記