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生駒山南麓(柏原)古墳・古社寺探訪(06.02.22)⑤青谷~河内竪上の地蔵尊・・・

■青谷~河内竪上の地蔵尊
a0016431_22575447.jpg●青谷より国分・高井田方向を見る
青谷の地蔵尊
柏原市青谷集落の西口あたりの道の曲り角に二メートル四方もあろうかと思われる巨大な岩肌が露出し、これを覆うような形で古びた懸崖造りの埃まみれの地蔵堂が残されております。


a0016431_2363589.jpgこの場所は地形的にみても丁度谷の出口にあたりますのでむかしから谷尻、又は切りつけの地蔵と呼ばれてきたということです。
村の一番高い場所のあたりにも大門所地蔵尊といわれる仲々格調の高い鎌倉期の地蔵さんがまつられております。


●①谷尻地蔵尊 
 磨崖地蔵菩薩立像
この像は国分~青谷~雁多尾畑(かりんどばた)を結ぶ古道に、露出した巨石を削り、地蔵菩薩像を浮き彫りにした磨崖仏です。像高108センチ、像容は右手に錫杖、左手に宝珠を棒持した声聞、立像形。頭立は比較的大きく、肩部はガッチリとした形態に造られ、衣文は蓮台にまでのびていて美しいリズムを刻んでいます。蓮台は岩壁の表面に蓮座を線彫しています。また、像を岩壁から削りだした際のノミの痕があたかも美しい光背のように残り、本像の大きな特徴となっています。「元亀三年壬申十一月吉日□阿」と銘刻され、室町時代の1572年に像形されたことが分ります。  柏原市教育委員会
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●②大門所地蔵尊 石造地蔵菩薩立像
この像は青谷のカモメ塚古墳出土と伝えられる家形石棺の蓋石に浮彫りされたもので、石材は兵庫県竜山産の凝灰岩です。蓋石は長さ1・8メートル、幅約1メートル、厚さ30センチ。像高は1・1メートル、蓮台高は約25センチ、。像容は右手に市内では珍しい五輪塔を彫出した錫杖、左手に宝珠を棒持した声聞、立像形。僅かに浮き出した美しい頭光、頭部と身体の自然な比率、美しいプロポーションなどが特徴です。像の両側に刻された銘には「正和二葵丑年十二月十□□末□之一結衆」とあり、鎌倉時代末期の1313年に造像されたことが分ります。    柏原市教育委員会
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●③竪上側の地蔵尊
詳細は不明。地蔵堂前に石碑がありましたが、字は読めませんでした。
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by barakan1 | 2006-02-27 23:12 | 旅日記

生駒山南麓(柏原)古墳・古社寺探訪(06.02.22)④史跡高井田横穴公園・・・

■史跡高井田横穴公園 柏原市高井田
a0016431_22162119.jpgここは総数200基以上と推定される大規模な横穴古墳群である。横穴は6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られたお墓で、二上山の凝灰岩と呼ばれる岩盤に洞窟のような穴を掘り、 死者をほうむったものである。横穴からは、土器や武器、装身具などが発見されている。


●横穴墳墓群
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また、人物、鳥、馬など様々な線刻壁画が描かれた横穴もある。
普段は鍵が掛けられていて、内部を見学できない。
●河内六大寺のひとつ大県廃寺(大里寺)の礎石  (ここに移されています)
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●高井田古墳(この横穴に葬られた一族の王とされる人物の墳墓)
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薄い板石を積み上げられて造られた横穴式石室を持つ古墳で、5世紀の終わりごろに造られたと考えられている。石室内からは、
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日本で2例目の発見となった火熨斗(ひのし=古代のアイロン)や、冑(かぶと)や甲(よろい)、多数の刀・槍などが出土している。石室の形や出土した物から、朝鮮半島と深い関係があった人物の古墳ではないかと考えられている。
by barakan1 | 2006-02-25 22:35 | 旅日記

生駒山南麓(柏原)古墳・古社寺探訪(06.02.22)③天湯川田神社~宿奈川田神社・・・

■天湯川田神社 あまのゆかわだ 式内社   柏原市大字高井田
祭神:天湯河板拳命・あまゆかわたな(天湯川桁)、 
相殿:天児屋根命・あまのこやね、大日霊貴命・おおひるひめむち、 
由緒,伝承:「式内社」。
古の鳥取郷、鳥取氏の祖天湯河板拳を祭る。景行18年、勅命にてこの地に宮柱を建て神地、神戸を定めた。
●天湯川田神社社叢
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垂仁11の皇子誉津別は壮年になっても言葉を話せなかった、ある日飛ぶ鵠(くぐい・白鳥)を見て言葉を発した。天皇は天湯川田板拳に命じこの鳥を追わせた。湯川田板拳は遠く因幡(鳥取)で雌を捕え、出雲の国で雄を捕え献上した。
誉津別はこの鵠をかわいがり言葉も話すようになった。天皇はこれを賞して湯川田板拳に鳥取造(ととりのみやつこ)の姓(かばね)を与えた。(書紀)
●神社参道・鳥居(目の前に玉手山古墳群が見える)
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境内に奈良時代の河内6大寺のひとつである鳥坂寺(とさか)塔跡があり、(756)孝謙天皇がこの鳥坂寺に参拝したとある。(続)
●拝殿・摂社
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*河内6大寺(奈良時代):三宅、大里、山下(大県)、智識、家原、鳥坂。
由緒 :式内小社。鳥取氏の祖天湯川田奈命を祀る。
●本殿
a0016431_19385185.jpg古代の鳥坂郷で東に隣接して鳥取郷がある。鳥取氏の居住地であった。角凝魂命の三世の孫が祭神の天湯河棚命で鳥取連はこの命の後裔とされる。旧社家の鳥取氏宅には三尊形式の神像があり、中央の一体は白鳥を抱いていると言う。 始祖の天湯川田奈命の本拠は和泉の日根郡鳥取郷である。   
ー神南備にようこそ=より

■宿奈川田神社 すくなかわだ  (白阪神社)  式内社
祭神 宿奈彦根命、高皇産靈命、級戸邊命
●神社前の大和川・鳥居
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由緒: 近くの天湯川田神社とともに鳥取連の祖神を祀るものとされる。宿奈川田神は記紀には出てこない。 『旧事本紀:孫引き式内社調査報告』によれば鳥取連のは祖神を少彦名としている。この神を祖神とする氏族は『新撰姓氏録』には見あたらない。
●拝殿・本殿
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神社案内板にこの地で、柿本人痲呂が詠ったという歌が載っていました。万葉集だと思うのですが、歌番号がないので・・・。
大和川を眼前に、竹原山(?)を見ながら詠んだのでしょうか!!
朝な朝な立秋霧の寒幾鴨竹原山の紅葉そめけむ
※小さな神社です。でも結構歴史は長いようです。
by barakan1 | 2006-02-24 19:54 | 旅日記

生駒山南麓(柏原)古墳・古社寺探訪(06.02.22)②古代の大和川・・・

■古代の大和川と「河内大橋」
昔の大和川は石川との合流点から北西に流れ京橋あたりで合流し、大阪湾に注いでいた。
現在の川は1704年(宝永元年)、堺市の北で大阪湾に注ぐように、大工事によって付け替えられたのである。
●妙見宮跡前あたり堤防上より見る
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歌に詠まれた片足羽川の名も残っていないし、「河内の大橋」が架かっていたという場所も不明である。
●憩うサギ(鶴でないのが残念)
a0016431_18275568.jpg説としては、①柏原市太平寺あたり。②河内国分寺ヘ参るため、龍田越えからの道として、現在の国豊橋ふきん。③国府と国分寺を結んだ、石川。3つの説がある。

河内(かふち)の大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌
高橋虫麻呂
巻9-1742 
しな照(で)る片足羽川(かたしはがは)のさ丹(に)塗りの大橋の上(うへ)ゆ
紅の赤裳裾引き山藍(やまあゐ)もち摺(す)れる衣(きぬ)着て
ただ独りい渡らす子は若草の夫(つま)かあるらむ
橿(かし)の実の独りか寝(ぬ)らむ問はまくの欲しき我妹が家の知らなく

●市役所前あたりより見る
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反し歌
巻9-1743 
大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを
●石川合流口当り
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※昔の大和川の流れの面影は、恩智川や寝屋川、平野川等に見られるように、このあたりから北西に流れ付近は葦原や湿地、がいたるところにあり今とは全く景観が異なっていたようだ。そんな川が入り乱れる沼沢地を鶴が群れをなして飛んでいるのを想像すると、心象風景を思い出すようで何か懐かしい。
●大和川付け替え
a0016431_22541049.jpg古代大和川は、ここから北へ流れ、現在の八尾市、東大阪市、大東市、寝屋川市を通り淀川と合流して大阪湾に注いでいたが、大雨毎に氾濫して河内平野は何度も洪水に悩まされた。これに心を痛め中甚兵衛の長年の嘆願により、幕府は宝永元年(1704)に僅か8ヶ月で完成させたと言う。
by barakan1 | 2006-02-23 18:45 | 旅日記

生駒山南麓(柏原)古墳・古社寺探訪(06.02.22)①コース概要・・・

●青谷の畦に咲いていた花とテントウムシ
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■コース概要
柏原(高井田・青谷・国分)古墳・古社寺探訪、コース概要。
生駒山西麓探訪の続きとして、今日は南の端柏原~国分を探訪。
天王寺9時~柏原南口~大和川・石川合流点~天湯川田神社~宿奈(白坂)神社~高井田横穴古墳群~磨崖地蔵菩薩立像~青谷寺~金山彦神社~河内堅上駅~国分大橋~河内国分寺~国分神社~松岳山古墳~JR高井田駅~天王寺15時半。24000歩。
朝方は曇り気味でしたが、午後より良くなり。暑いくらいでした。
by barakan1 | 2006-02-22 18:15 | 旅日記

生駒山西麓古社寺探訪(06.02.14)⑪玉祖(たまおや)神社~本間孫四郎墓・・・

□玉祖神社横の畑に咲いていた水仙の花(後方信貴山方向)
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■玉祖(たまおや)神社     (八尾市神立) 
●神社への参道と大楠
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祭神
本社三所大明神
 第一玉祖大明神(男神) 十一面観音
 第二香森大明神(女神:中ノ森) 釈迦如来  都夫久美神社の祭神
 第三鴨森大明神(男神:対ノ御前) 地蔵菩薩 鴨神社の祭神
 櫛明玉命 または 玉祖神
 配祀 イザナギ命、イザナミ命、宇麻志麻治命、ほか」
●拝殿
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●本殿
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●狛犬
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玉祖神社は、和銅3年(710)に周防国から分霊を勧請したもので、祭神は櫛明玉命である。『河内国高安郡玉祖大明神之縁起』によると、周防国一の宮である玉祖神社の神が一旦住吉浦へ上陸した際、鎮座の地を尋ねたところ、住吉明神は恩智の神が広大な土地を持っているので、分けてもらうように進められ、高安郡7郷のうち6郷をもらって鎮座したという。         
●摂社
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摂社 吉野三十八神社「木花開耶姫命」、恩智神社「大御計都彦命、大御計都姫命」、水神社「罔象女命」、山口神社「猿田彦命」ほか
     
a0016431_1632732.jpg玉祖神社裏山古墳は横穴式石室で有名である。社宝に木造の男女神坐像があり、女神の坐像は左足を立てている像で、日本では礼儀に合わないが半島女性の場合には一つの作法になっている形である。
 

石段下に大きい樟樹があり、石棒を巻き込んでいる。男根崇拝の名残であろうか。  
ー神南備にようこそー 


※、生駒山西麓の寺社には必ずと言っていいほど大きな楠があります。地域性か、生駒山の西麓の特性なのかとにかく沢山あります。言い換えればそれだけ古い地域だと言えるのかもしれませんlね。 


■業平伝説
玉祖神社のある高安の神立地区は、「業平河内通い」の伝説でも知られたところです。
                                  ●十三峠への道
a0016431_16445313.jpgその昔、六歌仙の一人在原業平が大和の龍田から十三峠を越えて玉祖神社に参拝した折り、茶屋辻にあった福屋という茶店の娘、梅野を見そめ、しばしば通ってくるようになりました。ある時、いくら合図の笛を吹いても娘が家から出てこないので、不思議に 思って東の窓から中をうかがうと、手ずからご飯を器に盛って食べている娘の姿が見えました。業平はすっかり恋心を失い、持っていた笛を神社に置くと急いでその場を立ち去りました。娘はこれに気づき、あわてて走り出ましたが追いつけず、悲しみのあまり近くの池に身を投げて死んでしまいます。
これ以来、高安の里では、東側に窓を作らなくなったということです。また業平が残して行ったという一節切(ひとよぎり)の笛が、今も玉祖神社に伝わっています。
この伝承は、伊勢物語から生まれたと言われています。
ー八尾市立図書館ー八尾の伝説
※茶屋辻・十三峠へは今回は行きませんでした。またの機会にします。

■本間孫四郎墓
孫四郎忠彦は相模の人で新田義貞の家来であった。弓の名人であったとつたえられ、足利尊氏が西海から大兵を携して東上するや、それを和田岬で拒けた。
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後にこの地の住人となり本間垣内の小字もあり、いまに子孫本間家がある。
この二伯の五輪塔は孫四郎の墓と伝えられ、梵字は一字あるが判読不明。鎌倉時代に属する。  八尾教育委員会碑文より
by barakan1 | 2006-02-21 17:00 | 旅日記

生駒山西麓古社寺探訪(06.02.14)⑩佐麻多度(さまたど)神社・・・

■佐麻多度神社(さまたど)   八尾市大字山畑340番地
●佐麻多度神社前道より神社を見る
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祭神
佐麻多度大神
摂社
 山畑天満宮「高坐御子神」
 山畑神社
●神社正面より
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『平成祭礼データ』から
大日本史によれば高安郡山畑(現山畑)東方天神山通称水垂に白華観音院と称す宮寺ありてこの寺領内に鎭座せしとあり。年代は詳ではないが約一千四百年前、大和時代と言い伝えられている。当時神宮と共に神仏合祀にて祭祀の奉仕を司りしが、
●佐麻多度神社              ●山畑神社・山畑天満宮
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●拝殿より本殿を見る
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●本殿
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明治五年、神仏分離令にて寺は廃絶し佐麻多度神社は村社に列し、同年四月山畑神社と合祀。明治三十二年六月、現在地に遷座された。    以上
※山畑神社
高座明神とも言われ、『大阪府全志』では延喜式内社の春日戸社座御子神社の可能性を指摘。 『河内志』では春日戸社座御子神社の場所は未詳とする。
by barakan1 | 2006-02-20 22:08 | 旅日記

生駒山西麓古社寺探訪(06.02.14)⑨信貴道~権現社~楠稲荷~服部川八幡宮~天王社・・・

高御座神社からの下りの山道で、今年初めてのメジロを見つけました。メジロは熟し干からびかけの柿を啄んでいました。
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■信貴道
教興寺四つ辻から信貴山毘沙門天ヘ向かう参詣道で、今も町石や道標が数多く残っている。
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■権現社
慶長年間(1596~1614)、熊野権現を勧請したそうである。
信貴道もこの前を通っている。
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■楠稲荷大明神  由緒不明
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■服部川八幡宮
服部川八幡宮  八尾市山畑
祭神 誉田別命(応神天皇)、菅原道真公(天神社)
江戸時代以来、服部川村の氏神として、八幡宮、八幡社として崇拝された。
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■天王社   八尾市郡川
祭神 本殿 須佐男命 
   金毘羅宮 櫛名多比売命 
   稲荷社 大国主命、事代主命
創祀 323年、仁徳帝の御世鎮座      ー河内風土記よりー
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※祠を少し大きくしたような神社ですが、由緒書きによればなかなか歴史のある神社のようです。また、ここの狛犬、右側の方は一目見て猿に似ていると思いました。
by barakan1 | 2006-02-19 17:15 | 旅日記

生駒山西麓古社寺探訪(06.02.14)⑧安養寺~岩戸神社・高御座神社・・・

■安養寺
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四国八十八カ所巡り、弘法大師像、不動堂、護摩壇と揃っているから、ここは真言宗の寺である。毎月二十八日のお不動さんの日にはかなりのお参りがあり、盛大に護摩がたかれるようである。
左奧に本殿が、その右、突き当たりに護摩壇があって不動明王が祀られている。
●本堂・護摩堂
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奧の石段を登って行くと裏山の外れに「銅鐸出土の地」という石碑がある。恩智神社の裏山からこの辺りにかけて銅鐸がいくつか発見されたそうである。




□岩戸・高御座神社鳥居・参道
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□両神社入り口付近(左岩戸・右奥高御座神社)
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■高御座神社(たかみくら)  天照大神社、天照大神高座神社。
式内社 八尾市垣内(かいち) 祭神
天照大神、高皇産霊神(神社栞)
また 天照大神、高座神
また天照大神、春日戸神
また伊勢津彦命、伊勢津姫命
由緒 高座神社
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式内社で天照大神高座神社二座 元を春日戸神と号すとある。大和岩雄氏は『日本の神々3』の中で、当地の高安郡に春日戸村主広田の名などが見えることと、 「戸」が岸俊男氏によると朝鮮半島からの渡来人の集合を称したものと紹介している。
渡来系の氏族が太陽と祖先を神として祀ったと見ておこう。
●拝殿
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『神社栞』には元伊勢国宇治山田原から約1500年前の雄略天皇二十三年に当地に遷座したとしている。 『神社栞』は皇祖神の天照大神を勧請したと言うことであろうが、 別に伊勢津彦命、伊勢津姫命を祭神とする説もあるようだ。 この伊勢津彦命は『伊勢国風土記』に「伊勢と云うは、伊賀の安志の社に坐す神、出雲の神の子、出雲建子命、又の名は伊勢津彦命、又の名は櫛玉命なり。」 と出てくる神であり、「この神は昔、石を持って城を造りここに住んだ。阿部志彦神が来襲したが勝てずに還り去った。」とあります。 信濃へ去ったと言われますが、これは後生の付会かもしれません。出雲建子命、出雲建男命をして建御名方命に比定したいと思う人のしわざかも。
●拝殿・拝殿内
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●本殿(拝殿の磐座上10メーターくらいにあり)
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a0016431_16502927.jpg天照大神高座神社には白飯之滝があり、どのような旱天でも水が絶えることがないと言われ、水神としての建御名方命を彷彿とさせている。

※当日、朝鮮の人たちが家族?一族で?拝殿の中の玉砂利に大きな御座を敷き、お祀りをされていました。なるほど、渡来系の人々が祀った神社であったのですね!これで納得できました!!


■岩戸神社
岩戸神社の鳥居
祭神 市杵島姫大神
由緒:俗に岩窟弁天と言われる。弁財天はインドの神。御神体は木彫りの極採色の弁才天であるが、現在は教興寺に鎮座。
●岩戸神社鳥居・拝殿
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巨巖怪石累々として重畳とし、或いは猛虎の躍るが如く、或いは獅子の跼するが如く、その状頗る奇観なり。この石壁を穿ちて石祠を安置す。 里人、これを窟弁天と称したと言う。 元々、天照大神高座神社が鎮座していたのを、、巨岩巍々たる岩壁をしてアナグラ(女陰)への信仰としての弁天信仰の発生であろう。 岩戸神社はその規模で式内社を上回っている。
●拝殿・本殿(磐座上に建つ)
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『神社栞』には、今より約1100年前、僧空海、高座神社参詣中、大神の御託宣により創建されたという。 古来日本最古の岩窟弁財天と称せられたという。と紹介されている。
 ー神南備にようこそーより
by barakan1 | 2006-02-18 17:20 | 旅日記

生駒山西麓古社寺探訪(06.02.14)⑦天王の森~恩智左近墓~恩智城跡・・・

□先日、回り損ねた古寺社を探訪する。9時半自宅発~恩智駅着10時半~天王の森(旧恩智神社鎮座地)~恩智左近の墓~恩智城跡~安養寺~岩戸神社・高御座神社~権現社~天王社(郡川地区)~神宮寺~楠稲荷大明神~服部川八幡宮~佐麻多度神社~玉祖神社~伴林光平の墓~本間孫四郎の墓~服部川駅4時半~自宅着5時半。
■天王の森
道路に面して恩智石器時代遺蹟の碑がある。この辺りは生駒西麓では大きな扇状地で、少し掘れば、鏃(やじり)や土器の破片が出るという弥生時代を中心とした遺跡である。
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この地が「天王の森」と呼ばれる恩智神社の旧社地である,森というが今はほとんどが広場になっている。広場の端に八坂(祇園)社の祠がある。「天王」の名の由来は祇園社の祭神、牛頭天王からきている。
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■恩智左近の墓 (楠木正成八臣の一人)
恩智氏は中世この辺りの豪族であった。南北朝時代には南朝に荷担して恩智左近は楠木正成に仕えた。九州から攻め上ってくる足利尊氏を兵庫の湊川で迎え撃って、正成と共にその地で戦死した。
●左近の墓と墓への上り口
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■恩智城址
南北朝時代には南朝に味方して勢力を伸ばした恩智左近は、東高野街道を見下ろし、西に展望のきくこの地に城を築いた。ここから北の方を見渡すと、遙かに四条畷から飯盛山まで見える。
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この城を築くのに、下にあった恩智神社を城のさらに上手の山麓に新築した社殿に移した。中央に「恩智城址」と大きな字で刻まれた石が置かれている。
●城址より天王の森を見る ●●城址付近の石段
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by barakan1 | 2006-02-16 15:58 | 旅日記