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十津川へ(五条・谷瀬の吊り橋・玉置神社)(05.09.29)①コース概要・・・

a0016431_1643761.jpg●玉置神社より折立への道より

■今回の探訪は五条~谷瀬の吊り橋~玉置神社へと足を延ばしました。流石に玉置神社は遠く大坂から150キロ、5時半に出て、9時半に駐車場着でした。かなり急いだので見るべきところも見逃したようです。特に玉置山頂と玉石神社は見たかったのですが・・。今回は軽くチェックの積りですので、次回はユックリとあの凛とした静寂を楽しみたいと思います。
by barakan1 | 2005-09-30 16:49 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑩黒滝河合神社~桂原八幡神社 (最終章)・・・

■黒滝 河分神社(かわけじんじゃ)
滝村のほぼ中央、黒滝川と川谷川が分岐する場所にある河分神社は、吉野郡の赤滝、中戸、脇川、堂原、寺戸、御吉野の六ヶ大字の産土神で、古記録には河分大明神とあり、この地では「かわけみょうじんさん」と呼んで崇敬されていた。古くから祈雨、祈晴に霊験があると言われている。(黒滝村史より)
●河合神社
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●境内
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古くは祈雨祈晴の神として背後の宮山を信仰していたが、
いつの頃からか、奈良・春日大社の分神を祭り始めたとされている
●拝殿
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●本殿へ登廊
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●本殿
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■桂原 八幡神社
伝承によると、昔は社前の笠木川に注連縄を張り渡して流れを清め、日照りの時には川原の陰石(岩のくぼみ)に水をかけて雨乞いをしたという。
創立年代等不明であるが、境内には桂原の起源とされるカズラ(葛)の古木が茂り、古い木造神像や天明七年(1787)の銘をもつ木造狛犬などが残されている。
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また、桂原(長男)、笠木(次男)、長瀬(三男)の神社は兄弟だといわれ、近年まで祭日の順序も決まっていたという。   ー境内由緒看板よりー
by barakan1 | 2005-09-28 13:37 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑨蟷螂窟~蛇の倉七尾山~天水分神社・・・

■蟷螂窟(とうろうノいわや)
役行者が大峯山寺を建立した約1300年前、大峯山中「第一の行場」として開きました。なお、蟷螂とは「かまきり」の別名ですが、水の浸触により変化に富んだ神秘的な洞内へ入って行く時の修験者の姿が「蟷螂」に似ています。また、修験道中興の祖・聖宝理源大師が、890年頃(寛平年中)宇多天皇の勅命により大峯山再興の時、法力によって、大蛇を退治したのもこの辺りです。ー奈良観光より抜粋ー
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■蛇の倉七尾山
七尾山は北陸36不動霊場の別格本山となっています。蛇の倉山は霊山のため、写真撮影は一切禁止でした。(正面だけは国道沿いなので撮らしていただきました)
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■天川村川合 天水分神社
天水分(あめのみくまり)神社の泣き相撲 。赤ん坊同士が向かい合い、先に泣いた方が勝ちというユニークなお祭りです。
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※ここがそうでしたか!!関西ではよくテレビで紹介される泣き相撲です。
道理で境内に小さな土俵がありました!?
by barakan1 | 2005-09-27 17:59 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑧洞川湧水群~母公堂~女人結界・・・

■洞川湧水群の一つ「泉の森」
ごろごろ水が余り有名になりすぎたので、ここ泉の森ではユックリと水を汲むことが出来ます。私がいった時もおばさんが一人、タンク5・6個に湧水を汲んでいました。
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●泉の森 大神
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■ごろごろ水
ここは、村の入口である表鬼門にあたり、洞川の里では昔から鬼門に守護神を祀って疫病や悪人が村へ入るのを防ぎました。なお、こんこんと尽きることの無い「ごろごろ水」は、この奧にある洞穴から湧出していますが、清水は石灰質の地層で磨かれた水で、古来から万病に効くといわれています。
※平日というのに大変な賑わいで、茶屋のおじさんが何個もタンクに汲んでいる人に声を掛けて下さり、汲ましてもらわなかったら、いつまでも泉を汲めない所でした。日曜日などは2時間待ち位になるそうですよ!!(おじさんありがとう!!)
●ごろごろ水  源泉
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●ごろごろ茶屋したの洞川         ●水汲み場
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■母公堂(ははこどう)
大峰山で修行に励む役小角を案じた小角の母親が(白専女(しらたらめ)、麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとした。谷にさしかかったところ、大蛇がいた。2人が谷を渡ろうとすると、大蛇は大きな口を開けて襲いかかろうとして、行く手をふさぐ。2人はあきらめて洞川の里に引き返し、里に庵を結び、大峰山に手を合わせて小角の無事を祈った。すると、光の中から「阿弥陀如来」が現れ、「お前たちは小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待ちなさい」と告げた。以来、その谷が蛇ケ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里人は庵跡に堂宇を建立し、「母公堂(ははこどう)」と呼ぶようになった〉
●母公堂  (女人結界の石塔。以前はここに結界門があったそうです)
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※堂守のおじいさんに話し掛けられ、お茶とコンペン糖をごちそうになりました。丁度明日で大峯山の戸を閉める日だそうで、「よう、お参り」と言っていただきました。一通り母公堂のいわれを聞いたうえ、お堂にも上げていただき、白専女(しらたらめ)の像を目の前で拝まさせて頂きました。

■従是女人結界
ここ大峯山はいまも、女人禁制の山です。時代遅れと言おうか、麗わしい伝統と言おうか、その是非はともかく、1300年の長きにわたり守られてきた宗教的伝統です。日本では数えるほどしか残っていないのではないでしょうか!?
●大峯山                  ●発菩提心門と大峯大橋
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●従是女人結界(門)
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※女人結界門という一つのタブーを目の当たりし、なんだか厳粛な緊張感を覚えました。是非、一度登ってみたい(参拝したい)お山です。
by barakan1 | 2005-09-27 08:48 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑦龍泉寺・・・

■大峯山「龍泉寺(りゅうせんじ)」
山上ヶ岳のふもと天川村洞川は、標高800メートルの高さに開けた盆地です。龍泉寺は、その中心にあります。1300年前、大峯の山々を行場として修行された役行者が、山麓の洞川に憩われたとき、こんこんと湧き出る泉を発見しました。龍の口を名付けて、そのほとりに小堂を建て、*八大龍王をお祀りされたと伝えられます。それが龍泉寺の始まりです。
●竜泉寺山門
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それから200年後、龍泉寺の1キロ上流の蟷螂の岩屋に雌雄の大蛇が住みつき、修験者たちに危害を加えました。そのため、一時大峯修行を志す人が絶えて、龍泉寺も荒廃してしまいました。修験道中興の祖、聖宝・理源大師が、真言の秘法によって岩屋の大蛇を退治し、龍泉寺を再興したのです。
●大峯山第一水行場
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山門を入ると水行場があります。龍の口から湧き出る清水は、役行者以来、今も絶えることなく清冽な流れを境内にたたえ、修験者の清めの水として大峯唯一の水行場となっています。洞川から登る修験者は、宗派を問わず、龍泉寺に詣で、水行の後、八大龍王尊に道中安全を祈ってから、山上ヶ岳に向かうしきたりとなっています。
 「※参照:役行者霊蹟札所巡礼」
●本堂
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●本堂                  ●後鬼像と神聖殿
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また、洞川温泉宿は、役行者の弟子後鬼(ごき)が入山する修験者を慰労するために開いたとも云われています。
●竜王の滝
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*八大竜王=仏法を守護する、天・竜・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩呼羅迦(まごらが)の八神。
(大辞林より)
●なで石                      ●龍の口清浄水
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「なで石」
なでて持ち上げると軽く、叩いて持ち上げると重くなる石とありました。勿論試してみました。確かに叩くと重く、なでると軽くなるように感じました。
(前に試した人は、変わらへん!!といっていましたが・・・。よほど信心の無い人でしょか!?)
「龍の口清浄水」
龍泉寺後背の山から涌き出る、湧水です。マスが住んでいました。手を付けると本当に冷たい清水でした。
by barakan1 | 2005-09-26 13:33 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑥洞川八幡宮~面不動鍾乳洞・・・

■洞川八幡宮
この洞川八幡宮は天智天皇6年(667)役の小角が大峯山丹入峰にあたり守護と祈誓成就のため祭祀したと伝えられて入る。それ以来洞川の氏神さまとして宮参りや厄年参りなど永く人々に親しまれてきている。社殿の近くには樹齢千年を越える杉やケヤキの大木がみられる。十月の大祭は神輿や餅撒き、奉納演芸などで大変な賑わいとなる。(案内板より)
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■面不動鍾乳洞(めんふどうしょうにゅうどう)
洞川八幡宮から登りましたが、その勾配のきついこと、10分位と書かれていましたが、一気に汗が噴出しました。ただ、登り道からの展望は良く、洞川の温泉街や大峰山の奥駆道の方まで見えます。(今日は曇りで若干ボヤケて見えますが・・・)
●洞川の温泉街遠景
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面不動鍾乳洞は、鍾乳洞の少ない近畿圏に在って、 鍾乳石を楽しめる数少ない鍾乳洞の1つです。洞穴内は石灰岩の侵食による鐘乳石や石筍によって自然の迷宮を形成。時が造形した不思議な光景が目を楽しませてくれます。(県の天然記念物の指定を受けています)
●面不動鍾乳洞
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by barakan1 | 2005-09-26 12:12 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)⑤来迎院と坪内の大イチョウ・・・

a0016431_12395154.jpg■来迎院「坪内のイチョウの巨樹」
役行者が開基の「来迎院」は、天川弁財天社の鳥居の前(西)方の山麓にあり、堂横の県指定天然記念物「坪内のイチョウの巨樹」は樹齢約800年で、幹周りが6.5mほどあります。
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by barakan1 | 2005-09-25 12:41 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)④天河大弁才天社・・・

●石燈籠
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■天河大弁財天社
天武天皇の創建で、役行者が大峯山の山上ケ岳(標高1719m)で鎮護国家の祈祷中、最初に現れたのが弁財天ですが、山上ケ岳は女人禁制の為、ここへ祀り、後に、 弘法大師が高野山開山前の3年間、ここを根拠地として大峯山で修行をし、天川弁財天を「琵琶山妙音院」と号して一大聖地にし、安芸国(広島県)の宮島(厳島)、琵琶湖の竹生島と並ぶ日本三大弁天の1つで、古くから芸能の神様です。 ー奈良観光より抜粋ー
●鳥居、手水社
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神殿の下には古代の磐座(いわくら)があり、社伝によれば神武天皇がここでヒノモトの言霊を賜ったという。
●境内
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●狛犬
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●境内社
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また、天河大辨財天に古来より伝わる独自の神器の五十鈴(いすず)は、、天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝えられている。
●拝殿、
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天川社家のなかでも現宮司家には「大峯修験開祖の役小角に仕えた五鬼のうち、前鬼鬼童の子孫であり、節分の晩に鬼が泊まりにくる」という言い伝えがあるそうです。
●本殿
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※拝殿の中に能舞台が設置された変わった構造になっています。拝殿と別に能舞台のあるところは見ましたが(阿紀神社)・・・、こんなのは初めてです。本殿の下には磐座があるそうでが、確かに本殿のあるところは、プクンと小山のようになっていて、その上に本殿が鎮座しています。拝殿の飾りも、華麗で賑々しい。お賽銭箱の上には五十鈴をモチーフした鈴がありました。さすがに芸の神様だけあって派手ですね。
by barakan1 | 2005-09-25 12:29 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)②在原業平の墓・・・

■在原業平の墓
在原業平の墓と称される墓は全国いたるところにあるそうですが、ここ天川村の天河弁財天の側、天川中学の校庭横にもあります。
思わぬところで「在原業平の墓」の看板を見つけ辿って行くと個人の家の中に入ってゆきますが、尚も気にせずズンズン進むと又、朽ちかけた看板に当ります。そこを右に入ると墓があります。顕彰碑は最近建てたものらしく新しかったが、五輪塔(?)は結構古いように思えました。
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●「在原業平朝臣と天川」の碑
在原業平朝臣は第51代平城天皇の皇子阿保親王の第5皇子である。平安初期の大歌人で当時六歌仙として崇められた。また世紀の美男子として囃されたことも有名である。
在原業平朝臣
狩りくらしたなばたつめに宿からむ天の川原にわれはきにけり
紀の有常朝臣
ひととせにひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞおもふ
この二首の歌は第55代文徳天皇の皇子惟喬親王が、ときの天皇の特使として天河弁才天へ参詣されるにあたり、在原業平・紀の有常が同伴した時の歌である。
なお、紀の有常の歌によって在原業平がこの時以前にも、度々天川詣でをしていることが分かる。それは棚機津女(機織娘)との慕心の積み重ねでもあった。「河海抄」という書物に「在原業平天の川の岩窟に入定し給ふ」とあり・・・・・後略
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※伊勢物語の中に出てくる話のようですが(伊勢物語の方は大阪交野市に天野川になっています)、色々な場所で、色々な話があってもいいじゃあないですか!!
あくまで伝承なのですから・・・。
by barakan1 | 2005-09-24 12:51 | 旅日記

天川・洞川・黒滝探訪(05.09.22)①丹生川上神社(下社)・・・

●丹生川上神社正面より
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奈良県南部の神社の中で見たかった神社の中の一つです。
■丹生川上神社(下社)
奈良県吉野郡下市町長谷1-1
祭神:闇おかみ神(くらおかみ)、伊邪那岐大神、伊邪那美大神。
天武天皇の白鳳四年に「人聾ノ聞エザル深山二吾ガ宮柱ヲ立テ テ敬祀セバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霧雨ヲ止メム」との御神 海に因り創立された古社であるから、歴朝の御尊崇極めて篤く、 績日本紀に「天平宝字七年五月庚午丹生川上ノ神ニハ幣帛(へ いはく)ノ外特二黒毛ノ馬ヲ奉ル」と見え、この後は、祈雨に は黒馬を、祈晴には白馬を幣帛に添えて献ずることを恒例とされて居ました。
後醍醐天皇御製
この里は丹生の川上ほど近し祈らば晴れよ五月雨の空
(境内にこの歌碑があります)
●拝殿
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醍醐天皇の廷喜の制では名神(ミョウジン)大 社として案上の官幣に預かり、ついで二十二社の一(全国の大 社中の特別尊貴な神社)に列し給い明治の新政に及びます。 [丹生川上神社 パンフレットより抜粋]
※祭神は、伊邪那美命が最後45番目に産んだ火之迦具土神により、陰(ほと)を焼いて死んだので、怒った伊邪那岐命が、火神を十拳(とつか)の剣で殺した時、流れ出た血から生じた闇淤加美神(くらおかみノかみ)、祈雨または止雨の神です。
●拝殿絵馬
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●本殿
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●御神木  牛石・立石
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a0016431_18223585.jpg●丹生川
境内前を清流丹生川が流れる。丹生の地名は古来より、赫石土、赤土、朱(水銀)を産出する地で、古代の採鉱精錬の技術をもつ部族が産地を求め転々移動しその地名を残したというのが定説になっているそうである。

※丹生川上神社は三社(上・中・下社)あるわけですが・・・。ご本家さんはどの神社なんでしょうね。いろいろ議論はされているそうですが・・・。近々上社を訪ねる積りです。それはそうと、今回廻った神社は建物配置や構造がよく似ているように思います(拝殿から本殿への長い登廊があり本殿はズッと上の方にあること)。建てられた時期とか、祭神に関係があるのでしょうか?ね!?
by barakan1 | 2005-09-23 18:46 | 旅日記