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マンションでのトラブル・・・

a0016431_17283732.jpg●近所の塀のクレマチス
去年と同じように、同じ所にクレマチスが咲きました。

■私はマンションに住んでいますが、交通の便もよく、管理も良くされていて住みやすいと常々思っていますが・・・。今日こんなことがありました。私は一階に住んでいます。こんな暑さですし、窓を開けて(カーテンだけ閉めて)本を読んでいました。そこに、我が家の前の駐車場に車が帰ってきてエンジンをかけたまま何処かへいったのです。私はすぐにエンジンが切られるだろうと思っていましたが・・・・。5分経ち、10分経っても変化無し、かれこれ20分近く経ったでしょうか、もう辛抱たまらず、駐車場に出て行った所に、車の持ち主が出てきました。非常に腹が立っていましたが、抑えて「駐車する時はエンジンは直ぐに切ってくださいね!」とお願いしました。本人達も悪いと思ったのかスイマセン、気をつけますと言ったのでそれ以上は何も言わずに帰ってきました。本来なら怒鳴りつけてやりたかったのですが・・・、きっと人から言われるまでそのことが人の迷惑になっているなんて思ってもいないのでしょうね!?どうも最近の日本人は思い遣りというか!感受性が鈍くなっているのではないだろうか!人のことなどどうでもいい、自分のことだけ良ければいい。そんな人間になっていないかと反省する1日となりました。
by barakan1 | 2005-04-30 17:53 | 花探索

暑いです!! ツツジです・・・

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●我がマンションのツツジ

■今日は28度。33度を記録したところもあったようです。
まるで真夏です!!

●万葉集 ツツジバナを詠み込んだ歌。―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―

天平(てむひやう)元年(はじめのとし)己巳(つちのとみ)、攝津国(つのくに)の班田(あがちだ)の史生(ふみひと)丈部龍麻呂(はせつかべのたつまろ)が自経死(わなき)し時、判官(まつりごとひと)大伴宿禰三中(みなか)がよめる歌一首、また短歌   巻3-0443
   天雲の 向伏(むかふ)す国の 武士(ますらを)と 言はえし人は
   皇祖(すめろき)の 神の御門に 外重(とのへ)に 立ち侍(さもら)ひ
   内重(うちのへ)に 仕へ奉(まつ)り 玉葛 いや遠長く
   祖(おや)の名も 継ぎ行くものと 母父(おもちち)に 妻に子どもに
   語らひて 立ちにし日より 足根(たらちね)の 母の命(みこと)は
   斎瓮(いはひへ)を 前に据ゑ置きて 一手には 木綿(ゆふ)取り持ち
   一手には 和細布(にきたへ)奉(まつ)り 平けく ま幸(さき)くませと
   天地の 神に祈(こ)ひ祷(の)み 如何にあらむ 年月日にか
   躑躅花(つつじばな) にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと
   立ちて居て 待ちけむ人は 王(おほきみ)の 命畏み
   押し照る 難波の国に あら玉の 年経るまでに
   白布(しろたへ)の 衣袖(ころもて)干さず 朝宵に ありつる君は
   いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を
   露霜の 置きて去(い)にけむ 時ならずして               
by barakan1 | 2005-04-29 22:36 | 花探索

福知山線の脱線転覆事故、午後8時で106名・・・

a0016431_20384714.jpg●近所の藤の花
■福知山線の脱線転覆事故、午後8時で106名、運転手も発見さる。

●万葉集
山部赤人(やまべのあかひと)巻8-1471
恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり
よみ人知らず 巻10-1901
藤波(ふじなみ)の咲く春の野に延ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しくもあらむ
by barakan1 | 2005-04-28 20:46 | 日々雑感

福知山線脱線事故・死者92名・・・


●大道公園の梅の花(05.04.23撮影)
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●万葉集
大伴家持 巻19-4139
春の苑(その)紅にほふ桃の花下照(したで)る道に出でたつ少女(おとめ)

■福知山線脱線事故、本日正午現在で死者91名。
まだ1号車に閉じ込められている乗客がいるという。
まさに悪夢だ!!・・・・・・・・・
by barakan1 | 2005-04-27 17:10 | 花探索

倉橋溜池で見つけた花・・・

a0016431_22415574.jpg●倉橋溜池付近の畦で見つけたミツバツチグリ

■昨日の福知山線の脱線事故は酷いものでした。今日の時点で、死者73名、負傷者441名の大惨事です。ニュースに写し出される、助けられた乗客の呆然自失振りは眼を被うばかりであった。どんなに気丈な人も大きなショックを受けるとああなるのかと、見ているだけの私までショックを受けてしまった。1日も早く、元気になられることをお祈りいたします。
by barakan1 | 2005-04-26 22:53 | 路傍の草花

桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑩笹岡家~八咫烏神社~宇太水分神社~墨坂神社・・・

■笹岡家住宅
笹岡家は、江戸時代に近郊九カ村の大庄屋を代々勤めた家。主屋は寛永年間(一六二四~四三)の建物で、五代目当主五兵衛が力比べの功によって、藩主より拝領した松の木を使って作ったものと言われています。重要文化財に指定されています。
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■八咫烏(やたがらす)神社
祭神は3本足の八咫烏(武角身命、たけつのみノみこと)で、彼は初代神武天皇が日向(宮崎県)から東征の時、皇軍を熊野から大和まで道案内しました。その功績を讃え、705年(慶雲2年)9月第40代天武天皇が武角身命を祭神として、
●鳥居                   ●拝殿
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●●本殿
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a0016431_13491010.jpg鳥居越しに伊那佐山の見える当地へ「八咫烏神社」を創建して祭りました。なお、山城国(京都)の下賀茂神社は、武角身命の苗裔(びょうえい)で、故に両社の神紋は共に葵(あおい)とされています。





■宇太水分(みくまり)神社、井足(下社)
芳野川に沿って、中山(芳野)「惣社水分神社」は童躰、玉岡(古市場)「上宮」は男躰、田山(井足)「下宮:当社」は女躰とされている。 かっては、中山から田山への神輿の御渡があったそうである。
 吉野水分神社、葛城水分神社、都祁水分神社とともに大和国四所水分と言われている。
●鳥居                    ●参道・拝殿
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●本殿(左右よりみる)
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■墨坂(すみさか)神社
近鉄大阪線榛原駅南口を東へ行くと、宇田川の対岸に赤い鳥居の「墨坂神社」があり、神武東征の砌、大合戦のあった墨坂から、1450年(文安6年)遷座された神社で、本殿は、1864年(元治元年)奈良の春日大社の本殿を拝領しました。
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祭神は、古事記に登場し、天地が開けた時、始めて高天原に現れた天御中主(あめノみなかぬし)神、次に現れた高皇産霊(たかみむすひ)神、更に現れた神皇産霊(かんむすひ)神の造化3神と、最後に現れた伊耶那岐(いざなき)神と伊耶那美(いざなみ)神、更に、大物主神の計6神を総称した「墨坂大神」です。         -奈良観光よりー
工事中のため橋からは全体像が見えず残念でした。
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★今回の旅は初めて車を使いました。やはり早く、気楽に色々な所を見回れますが、唯印象というか、感激は少ないように感じました。テクテクと歩いて回り、草や、花や、風や、雲を愛でながら行くのが旅だと思いますね。要は使い方で遠く掛け離れた場所を廻る時には大変便利だと思います。桜は終りかけでしたが、新緑の季節、益々頑張って旅を続けます!!
by barakan1 | 2005-04-25 14:08 | 旅日記

桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑨宇太水分神社・・・

■宇太水分神社(うたみまくりじんじゃ)中社、古市場
当神社の創祀は太古まで遡ることができ、第十代崇神天皇七年二月の勅祭と伝えられている。また、大和朝廷の勢力範囲の東西南北に祀られた水分の神の東に当たるのが、当社である。
速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)の水分三座が祀られています。
●社殿(左より)
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また「玉岡水分社縁起(たまおかみくまりしゃえんぎ)」では、大和国宇陀郡の水分大明神(みくまりだいみょうじん)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の分神で、垂仁(すいじん)天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えています。本殿は三社造りで中央と左右の三殿からなる一間社春日造り(いっけんしゃかすがづくり)(国宝)。水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股 など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます。
●社殿(右より)
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●二の鳥居                       ●手水舎
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●頼朝杉と拝殿
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●夫婦杉
●霊石は当社の霊山高見山(高氷山)、雲かがりして降臨される水分大神を遙拝し、遠くは伊勢の大神日の神を拝する遙拝石で、古く昔は雨乞祈願をされる神聖な所でした。
●薬の井(御神水) 推古天皇が莵田野に薬狩りをされた時、この井泉で心身を清められたとの伝えから、この水を田にいれると稲が豊かに稔ると言われている。
●頼朝杉 樹齢400年の杉は二代目の頼朝杉と言われ、初代は頼朝が杉苗を植えたとの伝えである。
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■本殿(国宝)
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★今回の旅で是非見たかったところです。立地が想像の外平地にあったので驚きました。もう少し深山幽谷の中にあるのかと思っていたので・・・。最近改修されたのか朱の色がとても映えて華やかな印象を受けました。芳野川の流域に水分神社は3社あるのですが、一番奥に位置する惣社水分神社には行けませんでした。是非次回に・・・。
by barakan1 | 2005-04-24 16:03 | 旅日記

桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑧阿紀神社~大願寺・・・

■阿紀神社
神武天皇紀州熊野の難所を越し大和国宇陀へ出て当地阿騎野において御祖の神を敬祭り国中へ押出すとき朝日を後に戴きて日神の御位勢をかり賊軍を打ちはらい御運を開かせ給ふと当社古文書にあり祭神は伊勢神宮と御同体の天照大神社殿は神明造り南向と伊勢神宮と全く同じ建て方になっております。境内にある能舞台は宇陀の地が元和以来織田藩の治所となり三代長頼公時代に始められたものといわれている。(案内板の表記)
●阿紀神社鳥居               ●能舞台
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日本書紀では、第11代・垂仁天皇の時代。それまで豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して大和の笠縫村で祀っていた天照大神を、倭姫命(やまとひめのみこと)に託して別の場所に祀ることになった。倭姫命は大神を鎮座する場所を探して先ず訪れたのが、宇陀の篠幡(ささはた)だった。それが当地で、ここで大神を祀ったのが当社の始まりとされている。(要するに元伊勢のひとつ)その後天照大神は遷宮を重ね最後に伊勢に鎮座された。
●阿紀神社拝殿               ●舞台横より拝殿を見る
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■持統天皇6年(692)、草壁皇子の遺児である軽皇子(683-707、後の文武天皇)の一行が狩を行うためこの地を訪れた。一行に同行した宮廷歌人の柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)は、そのとき猟を始める払暁の雄大な情景を歌に詠みこんだ。それが次の歌である。
ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ (巻1-48)
●かぎろいの丘(又兵衛桜より阿紀神社方向を)●又兵衛桜(散っています)
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★かぎろいの丘は阿紀神社前の丘あたりと考えられています。

a0016431_13473749.jpg■大願寺【由緒】
日本最古の霊場にして(室生八十八ケ所宇陀三十三ケ所の札所)万葉の昔に現れた菟田阿騎野の地にあり、聖徳太子(574-622)が蘇我馬子(?-626)に命じて建立されたと伝えられている。その後、松山城主織田出雲守高長は、本尊十一面観音菩薩に深く帰依して同山を祈願所とし、伊豆守信武は、毘沙門堂を建立した。山門の額は、信武の筆によるものである。また、山城守長頼は、鞍馬寺の尊像と同作とつたえられている毘沙門天を勧請して奉るなど、寺運は大いに栄え、人々の信仰は厚く今日に至っている。本尊十一面観音菩薩は、明治18年(1885)の災厄に逢うも、不思議に面相と両手を無くしたものの、離れた土中より後に発見され、「焼けずの観音」として広く世に知られている。「大願成就」と「火災厄除」の観音菩薩である。(案内板)
●大願寺境内                    ●本堂
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●オチャメ庚申                   ●仏足石
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★今を基準に考えると、何でこんな田舎にわざわざ来るのか?と考えてしまうがその昔は結構知られた所であったのでしょうね。(神武東征以来、この付近はよく知られていた?)
by barakan1 | 2005-04-24 14:01 | 旅日記

桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑦栗原寺跡・・・

■栗原寺跡遠景
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■粟原寺(おおばらでら)跡
粟原の集落の傾斜地を南へ上がって行くと、高台に「天満神社」が鎮座し、その裏、南側に「粟原寺跡」があります。江戸中期、談山妙楽寺(今の談山神社)から発見された「粟原寺三重塔露盤の伏鉢」の銘文によると、「粟原寺」は中臣の大島が草壁皇子を偲び創立を誓願したが果たせずに没したので、後に比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が694年(持統天皇8年)から715年(和銅8年)まで22年を要し、この地に伽藍を建て、丈六の釈迦仏像を造り、金堂に安置し、三重塔も建て、草壁皇子と共に発願者の大島の冥福をも合わせて祈りました。-奈良観光よりー
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●春日神社
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この地には、かの有名な女流歌人額田王終焉の地という伝承があります。
天智天皇の子、弓削皇子は壬申の乱後の微妙な立場を生きました。持統天皇の吉野行幸に随行した皇子は、離宮の井戸の上を鳴き渡ってゆくほととぎすをの声に託して密かな懐旧追慕の情を額田王に訴え、これを受けた額田王は「わか心とからだの内外を通り過ぎさった人々の回想追憶の悲しみ」を歌いました。
弓削皇子 巻2-111
古(いにしえ)に恋ふる鳥かもゆずるはの御井の上より鳴き渡りゆく   
額田王 巻2-112
古(いにしえ)に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし吾が恋ふるごと    
by barakan1 | 2005-04-23 17:26 | 旅日記

桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑥舒明天皇陵~鏡王女~大伴皇女墓・・・

■舒明(じょめい)天皇押坂内陵
第34代舒明天皇は、飛鳥にて岡本宮を営み、当初は飛鳥に埋葬されましたが、後に押坂の地に埋葬され、舒明天皇の皇子が、天智天皇と天武天皇です。
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万葉集に葬旗の青幡(あおはた)を立てた歌があります。
こもりくの泊瀬(はつせ)の山
青幡(あおはた)の忍坂(おさか)の山は
走出(はしりで)の宜(よろ)しき山の
出立(いでたち)くはしき山ぞあたらしき山の
荒れまく惜(を)しも            
     巻16-3331
■鏡女王押坂墓(かがみノひめみこおしさかばか)
欽明天皇陵から前の小川に沿って更に東の奥へ向かうと、小川の中に鏡女王の万葉歌碑が建ってます。
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秋山の木の下隠(したがく)り行く水の我れこそ増さめ御思(みおも)いよりは 巻2-92
更に少し行って、広い畑の所へ出ると「鏡女王墓」があります。彼女は額田王の姉で、藤原鎌足の正室でもありました。
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風をだに恋ふるはともし風をだに来(こ)むとし待たば何か嘆かむ 巻8-1607
■また、「鏡女王墓」の前を通り過ぎて、右へ曲がり裏へ廻って北へちょっと上がると、「欽明天皇皇女大伴皇女押坂内墓」もあります。
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★直接的にはあまり関わりのない人たちの墓がかたまってあるのは何かゆわれがあるのでしょうか!?
by barakan1 | 2005-04-23 15:40 | 旅日記