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某百貨店屋上園芸コーナー②・・・

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■ヒメフウロソウ(姫風露草)
レネー山脈からスペインの北部原産の多年草
白地にアカの模様が入り、私には白目の血管のように見え少しきになりますが・・。
by barakan1 | 2005-03-31 20:13 | 花探索

某百貨店屋上園芸コーナー・・・


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■クリサンセマム・ムルチコーレ
2週間振りでしょうか、某百貨店園芸コーナーで見つけました。花種もグッと増え見て回るのが楽しい時期になりました。10種ほど写してきました。
by barakan1 | 2005-03-30 21:33 | 花探索

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪⑨御厨子(みずし)神社(終章)・・・

■御厨子(みずし)神社
池之内の稚桜神社の西方に、平地をへだてて橿原市東池尻の御厨子(みずし)神社の丘がある。清寧天皇の宮跡は『大和志』に池内御厨子邑とあり、この御厨子神社のあたりが甕栗宮跡(みかぐりのみや)であろうとされている。社名の古くは磐余池の尻辺に位置するので、『水尻神社』といい、根柝(ねさく)神、安産霊(やすむすび)神と供に應仁(室町時代)より「妙法寺」の鎮守「八幡神社」を合祀して誉田別命を祀り、今の社名に改められ、旧村社です。なお、水尻とは、直ぐ東側にあった磐余池(いわれいけ)の樋口(水司)の事で、また、当社の北西に膳夫(かしわで)町があり、御厨子所(みずしどころ、内膳司)とも関係があるとか。(net奈良観光より)
境内の石神 「石折神(根折神と同じく生気を授ける神)」
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●御厨子(みずし)神社拝殿             ●本殿
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●磐余路の野草
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■御厨子観音
717年(養老元年)吉備真備が安倍仲麻呂らと供に入唐する際、航海の安全と学問の成就を祈り、無事に帰国した後、息子の善覚律師に命じて735年(天平7年)観音堂を創建しました。本尊は、一願成就の「十一面観世音菩薩立像」、真備の念持仏です。
★吉備池までで余程帰ろうかな?と思いましたが、なかなか次回といっても来れないので、頑張って回る。ここも清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれみかぐりのみや)跡伝承地です。本当に古代宮蹟の地ですね!!
★ちなみに磐余の古代宮跡は
磐余稚桜宮 神功皇后(203年)○ 磐余玉穂宮  継体天皇(526年) /
  同   履仲天皇(401年)○ 磐余幸玉宮  敏達天皇(575年) /
磐余甕栗宮 清寧天皇(480年)○ 磐余池辺双槻宮 用明天皇(585年) /
★★万葉集 (巻13・3325)
つのさはふ磐余の山に白たへにかかれる雲は皇子(すめらみこ)かも)
(磐余の山に白くかかっている雲は、お亡くなりになった皇子であろうか)
by barakan1 | 2005-03-29 19:12 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪⑧吉備池廃寺・・・

■吉備池廃寺跡 百済大寺(くだらおおでら)?
桜井市吉備の吉備池廃寺で大な飛鳥時代の金堂跡が見つかり、639年に舒明天皇が初めて造営した寺院「百済大寺」ではないかと注目されている、一辺30mに及ぶ塔の基壇跡が確認された。塔は100m近い高さだったと推定され、この規模から、日本書紀に記された百済大寺の「九重塔」の可能性が高く、吉備池廃寺は百済大寺であるとの見方がさらに強まった。 日本書紀によると、百済大寺は舒明天皇の十一年(639年)に着工され、約30年間存続して、天武天皇の二年(674年)に香具山の西に移されて高市大寺となった我が国最初の官営の寺である。(参考:毎日新聞)
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■吉備池畔歌碑 
◇大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬(はふ)る時、
大伯皇女の哀しび傷(いた)む御歌   
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む   巻2-165
◇大津皇子、被死(みまか)らしめらゆる時、磐余の池の陂(つづみ)に涕(なみだ)を流して作りましし御歌一首
もヽつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲かくりなむ   巻3-416
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●磐余路の野草
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■吉備春日神社歌碑
◇大伯(おお)皇女  大津皇子、薨(かむあが)りましし時、大伯皇女伊勢の斎宮(いつきのみや)より京に上る時の御歌
神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに 巻2-163 
◇懐風藻 大津皇子
金烏、西舎に臨い 鼓聲、短命を催す 泉路、賓主無く 此の夕 家を離り向う
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by barakan1 | 2005-03-29 17:38 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪⑦安倍寺跡~稚櫻(わかざくら)神社・・・

■安倍寺跡(国指定史跡)
安倍寺の建立は山田寺の創建時代(641~685年)とほぼ同じ頃で、伽藍が整備されたのは、阿部朝臣御主人の時代にいたってからだということもわかってきました。
「仲麻呂屋敷」と呼ばれる方形の土壇があり、この土壇が方15mの塔跡で、東方の土壇は、金堂跡と思われる。なお、北方の土壇は、未調査であるが講堂であろう。 おそらく、法隆寺式伽藍配置をもつこの寺は、孝徳天皇勅願あるいは阿倍倉橋麻呂の創建との所伝をもち、安倍寺の出土瓦からも異議はなさそうである。 (桜井市教育委員会・歴史街道、案内板より)
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●磐余路の草花
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■稚櫻(わかざくら)神社付近
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■式内「稚櫻(わかざくら)神社」(池之内)
●稚櫻神社遠景
「日本書紀」神功皇后摂政紀によると、第14代仲哀天皇が亡くなった後、気長足姫命(おきながたらしひめノみこと、神功皇后)が息子の誉田別皇子(後の第15代応神天皇)を皇太子にして、磐余に都を造ったのが「稚櫻宮」で、また、第17代履中天皇が401年11月6日、船を磐余市磯池(いわれノいちノいけ、神社の東下に昔あった池)に浮かべて宴遊をした時、膳臣余磯(かしわてノおみあれし)が酒を奉ったら、盃に桜の花びらが浮かび、天皇は不思議に思われ、「季節外れに桜とは珍しい」と云われて、物部長真胆連(もののべノながまいノむらじ)に桜の在処を探させると、掖上室山(いけノうえノむろやま)で探し当てたので、天皇はそこを「磐余稚櫻宮」とされ、長真胆連を稚櫻部造とし、また、膳臣余磯を稚櫻部臣(わかざくらノおみ)と名付ました。
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「稚櫻神社」の拝殿
「稚櫻神社」のご祭神は、出雲色男命(いずもしこおノみこと)で、「新撰姓氏禄」によると、出雲色男命は物部氏の先祖、ニギハヤヒ命の三世の子孫で、長真胆連(稚櫻部造)の4代前の先祖です。「旧事本紀」によれば、出雲色男命は第4代懿徳天皇の時に、大夫(まえつぎみ)になり、次に大臣(おおまえつぎみ)になりましたが、これが大臣の号(な)の初めです。 (net奈良観光より)
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★平野の真中の小山にポッツリと浮かんだように神社はありました。これでしたら景色は八方よく見えたでしょうね。直ぐ側まで池の水が来ていたとすれば、チョとした観光地気分でしょうね!!
②紹介の若桜神社とこの稚櫻神社とが、神功皇后と履中天皇ゆかりの宮跡を称して多年両説相譲らないそうである!?
by barakan1 | 2005-03-29 13:03 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪⑥安部文殊院~

■安倍文殊院
安倍山崇敬寺(すいきょうじ)文殊院と号し、東大寺と同じ華厳宗です。安倍氏の氏寺として645年(大化元年)左大臣の安倍倉橋麻呂によって創建されましたが、松永久秀の兵火により全焼して、南西約300mにある国史跡「安倍寺跡」から移り、1665年(寛文5年)現在の本堂・礼堂が再建されました。本尊は、高さ7mの木造騎獅文殊菩薩像で、脇侍の木造善財童子像と共に国重文で快慶の作です。
但馬の天橋立・知恩寺「切戸の文殊」、奥州永井(山形)「亀岡の文殊」と共に日本三大文殊の1つです。
●文殊院本堂                     ●浮御堂
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■特別史蹟文殊院「西古墳」
境内には、二基の古墳があり、「西古墳」は、南に開く石室が全長12.4mで中に入れますから、美しい切石造をよく観察して下さい。特に両側の石材数を揃えるために、一石の中央に線を刻んで二石に見せかけたり、巨大な一枚岩の天井石の中央を削りアーチ式にする精緻な加工が見られ、現在玄室(げんしつ)内には不動明王立像を彫った石仏が祀られています。
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「東古墳」は南に向けて開口された横穴式石室内に井戸があるので「閼伽井(あかい)古墳」と呼ばれています。
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●磐余路路傍の草花
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■天文観測の地
この場所は、安倍清明公が天文観測を行い吉凶を占った地として古来より伝承されています。(2004年は清明公1000回忌です)
●白山堂                        ●天文観測の地
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■安部文殊院東門
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by barakan1 | 2005-03-29 11:53 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪⑤上之宮庭園遺跡~・・・


■上之宮庭園遺跡
四面庇建物を中心とする掘立柱建物群とそれを囲む溝や柵が東と南側に造られ、西側には、写真のような半円形の排水溝をともなう方形石組遺構が造られて、一辺が約100mの方形区画の中に収まっているところから、古墳時代末期から飛鳥時代初期にかけての豪族居館の跡と考えられ、同時に出土した木簡、琴柱、ベッコウ等の貴重品や、ここの地名上之宮(うえのみや)から聖徳太子の上宮(かみつみや)と考えられています。
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●磐余路の草花
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■メスリ山古墳
西向き二段築成の前方後円墳で、全長230m、後円部は径120mで高さ21mですが、前方部の幅80mで高さ9m、後円部に比べ前方部が極めて低い古墳です。周濠は存在せず、前方部に45m幅の切り通しがあり、古墳時代前期(4世紀)のものと見られ、近鉄桜井駅と朝倉駅の中間で、国道165号線沿いの「茶臼山古墳」や、山の辺の「箸墓古墳」等と同じ大型前方後円墳と共に一系列をなし、墳丘を巻いて並ぶ円筒埴輪や、縦穴式の石室に特長があって、初期の大和政権の大王墓と見られています。
●艸墓古墳よりメスリ古墳を見る     ●メスリ古墳後円墳頂上の石組み
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■メスリ古墳前方部より艸墓・文殊院方向を望む
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★メスリ古墳では石室が見られるのではと後円墳部を探し歩きました。結局はそれらしきものは見つけられませんでした。葺石らしきものはゴロゴロしていましたが・・。
お陰でヘトヘトになりました。
by barakan1 | 2005-03-28 23:18 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪④等弥(とみ)神社・・・

●鳥見山丘陵遠望
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■式内社等弥(とみ)神社
鳥見山(標高245m)の西の麓に「等弥神社」が鎮座しています。
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入口は狭いが、境内は広く、150余基の石燈籠が竝立する参道を進むと、境内社として、弓張、恵比須、黒龍、金比羅、稲荷、猿田彦、愛宕の7社と、桜井市の護国神社があります。
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参道を上がった「上社」に天照皇大神が祭られ、
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裏参道を下ると「下社社」に春日大神と八幡大神が祭られています。
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また、上社より「鳥見山」の山頂へ道が続き、この山は神武天皇が霊畤(まつりのには)を立て天津神を祭り大孝を延べられた所です。鳥見霊畤とは神武天皇(当時は磐余彦命)が大和を平定したことを宣言した場のことで、日本書紀に記されている。ここの他に数ヶ所の伝承地があります。
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■境内には万葉歌碑があります
紀朝臣鹿人 巻8-1549
射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
大伴坂上郎女 巻8-1560
妹が目を始見の崎の秋萩はこの月ごろは散りこすなゆめ
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■鳥見霊畤(まつりのには)拝所にたつ万葉歌碑(写真上) 巻10-2346
窺狙(うかねら)ふ跡見山(とみやま)雪のいちしろく恋ひば妹が名人知らむかも
(鳥見山につもっている雪のような目に立つ恋をしたならば、いとしい人の名をば人が知り出すであろうかなあ)
by barakan1 | 2005-03-28 18:06 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪③安倍山城址~土舞台・・・

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■桜井公園「安倍山城址」
1341年(暦応4年)北朝方の細川顕氏が陣を構え、南朝方戒重西阿の戒重城を攻め、1565年(永禄8年)松永久秀もここで布陣し、鳥見山城(外山)の筒井順慶と戦いました。
何も知らずに行けば単なる山頂と広場と間違うでしょうね!!

■芸能発祥の地「土舞台」
「日本書紀」によると、612年(推古天皇20年)の記事に百済人からの帰化人、味摩之(みまし)が呉(くれ)で「伎楽の舞」を習得したというので、聖徳太子が彼を桜井に住まわせ、少年たちを集めて、その「呉伎楽舞(くれうたノまい)」を少年達に伝習させた所です。即ち、我が国初の国立演劇研究所と国立の劇場が置かれた所でです。
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沢山の人がグループでやって来てガイドさんの話を聞いていました
(私もチョコッと盗み聞きしました)
by barakan1 | 2005-03-28 13:37 | 旅日記

古代宮跡の地・磐余(いわれ)探訪②桜の井~・・・


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■桜井駅を出て直ぐに寺川を渡ります。河の周りはゴミで汚かったが、川の水は結構きれいでした。







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■桜井市発祥の地「桜の井」
桜井市谷に「桜の井」と云う井戸があります。井の深さは九尺余り、径約二尺二寸、円形に積み上げた石は苔むしていますが、水は水量豊かで鏡の如く澄み、特別の甘味があり、昔から大和の七ツ井の1つで、ここは若桜部氏の祖神を祭る若桜(わかざくら)神社の北にあり、今から約千六百年前、第17代履中(りちゅう)天皇が井のほとりに桜を植えて、清水をめでさせられたので「桜の井」と呼ばれ、この辺りが履中天皇の磐余(いわれ)若桜宮跡とも云われ、ここが奈良県桜井市の発祥の地です(桜の井の碑より)
■式内社「若桜神社(高屋安倍神社)」
こちらは桜井市市谷の「若桜神社」です。祭神は、第8代孝元天皇の長子・大彦命の後裔である伊波我加利(いはがかり)命です。また、当社には、「延喜式神名帳」に記されている安倍氏の氏神「高屋安倍神社三座」も合祀され、三座の祭神は、大彦命、屋主彦太思心(やぬしひこふとしたま)命、産屋主思(うぶやぬしおもい)命で、いずれも安倍氏の祖神です。
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高屋は、舎人皇子によって万葉集で次の様に詠われ
ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに   巻9-1706
なお、この辺りが磐余(いわれ)で、神武天皇が磯城(しき)の八十梟帥(やそたける)を征伐したところです。(net奈良観光より)
by barakan1 | 2005-03-28 13:26 | 旅日記