<   2005年 01月 ( 53 )   > この月の画像一覧

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑨元正天皇陵・・・

●元正天皇
a0016431_2002272.jpg

草壁皇子を父に、阿閉皇女(元明天皇)を母に生まれる。諱は氷高(日高)、または新家内親王とも。
 和銅八年(715)、一品に叙せられる。霊亀元年(715)、母元明天皇より譲位され、幼弱の皇太子首への中継的な天皇として即位する。同三年、美濃国に行幸し、多度山の美泉に因み養老と改元。翌年、藤原不比等らにより『養老律令』が撰修される。養老四年(720)二月、隼人反乱に際し大伴旅人を九州に派遣する。同年五月、舎人親王らが『日本書紀』を撰進。同年八月、不比等が薨去すると舎人親王を知太政官事に任命し、翌年には長屋王を右大臣に、藤原房前を内臣に任命する。同七年、三世一身法を発布。
 翌年の神亀元年(724)、皇太子首に譲位。以後は太上天皇として聖武天皇の後見的な立場にあったが、天平十六年(744)二月、聖武天皇の紫香楽行幸に際しては左大臣橘諸兄とともに難波に留まり、諸兄に難波遷都の勅を宣伝させた。この頃、難波堀江と諸兄宅で遊宴し、橘讃歌を詠むなど、諸兄に対する信頼を表明している。同年十一月、紫香楽に行幸。平城還都後の天平十八年(746)正月、橘諸兄らが諸王諸臣を率いて太上天皇の御在所(中宮西院)に参入し、雪掃きに供奉。この時諸兄・家持らが詔に応じて歌を詠んだ。同二十年四月二十一日、平城宮寝殿に崩ず。佐保山陵に火葬される。天平勝宝二年(750)、奈保山西陵に改葬。『続日本紀』元明天皇譲位の詔に「生れながらに心が広く、しとやかで美しく、朝廷の人々こぞって推戴し、その徳をたたえた」旨ある。万葉集に少なくとも五首の歌を載せる。

冬雑歌 (万8-1637)

幡(はた)すすき尾花逆葺(さかふ)き黒木もち造れる屋戸は万代までに

【通釈】皮つきの黒木を用い、尾花を逆さ葺きにして(古風に)造り構えたこの家は、万代の後までも絶えることなく栄えよ。

【補記】左注によれば、長屋王の佐保宅での詠。

霍公鳥をよみませる大御歌 (万20-4437)

霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我(あ)を音(ね)し泣くも

【通釈】ほととぎすよ、もっと鳴いておくれ。去年も来て鳴いてくれた懐かしい鳥よ、おまえをこんなに心にかけているのに、一声ばかりで去ってしまって、私を泣かせるとは、酷いではないか。

【補記】これに答えた薩妙観の歌、
 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験あらめやも

                   -千人万首よりー

★元明・元正天皇陵は隣り合わせにあります。母娘が並んで葬られているのです。
これが自然な形でしょうね!以前には遠く離れて葬られている天皇・皇后陵を紹介しましたが、この点からも??のつく陵はあるでしょうね!!
by barakan1 | 2005-01-31 20:15 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑧元明天皇陵・・・

●元明天皇
a0016431_19415526.jpg

 父天智天皇。母は蘇我倉山田石川麻呂の女姪娘。諱は阿閉(あへ)皇女。草壁皇子との間に軽皇子(文武天皇)・氷高皇女(元正天皇)・吉備皇女をもうけた。
 慶雲四年(707)、文武天皇崩御の後、遺詔により即位。文武の遺子首皇子(のちの聖武天皇)を将来即位させるための中継的な天皇と見られるが、和銅元年(708)の和同開珎、同三年の平城京遷都、同五年の古事記撰上、同六年の風土記編纂など、在位中に歴史的大事業が次々に成し遂げられた。和銅八年(715)九月二日、退位。皇太子首皇子はまだ幼少であったため、娘の氷高内親王を中継ぎとして即位させた(元正天皇)。養老五年(721)、病に臥し、長屋王と藤原房前を召して後事を託す。同年十二月七日、崩御。六十一歳。奈保山東陵に葬られる。在位はわずか八年であったが、この間不比等らを重用して律令官制の整備を大いに進めるなど、随所に卓越した政治力を窺わせる。

勢(せ)の山を越ゆる時に、阿閉皇女の作らす歌(万1-35)

これやこの大和にしては我(あ)が恋ふる紀路(きぢ)にありといふ名に負ふ勢の山

和銅元年戊申 天皇の御製(万1-76)

ますらをの鞆(とも)の音すなり物部の大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも
by barakan1 | 2005-01-31 19:52 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑦黒髪山・・・

●黒髪稲荷神社              ●佐保山西陵七つ石
a0016431_18445417.jpg

■祠に納まったお地蔵さんの右隣が史跡「大黒芝」、佐保山西陵七ツ石(いわ)、聖武天皇生母藤原宮子后宮墓稜石、中央に「石母」、右に「黒住大明神」、左に「豊國大明神」の大きな石碑が建っています。更にその右隣が、朱色の鳥居が12本建った「黒髪山稲荷神社」です。
万葉集
読み人知らず
巻07-1241
ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも
巻11-2456
ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降しきしくしく思ゆ    

★奈良市法蓮町の北、佐保丘陵(奈良山)の後方に連なる丘のような山が黒髪山らしいが、 奈良豆比古神社からダラダラと歩いていると着いたという具合で山というより、丘のつづきといった方がいいくらい・・・。
by barakan1 | 2005-01-31 18:51 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑥奈良豆比古(ならつひこ)神社・・・

●奈良豆比古(ならつひこ)神社      ●「拝殿」
●三神殿                 ●「翁舞」の額
a0016431_17372497.jpg

■奈良豆比古(ならつひこ)神社
 今から1200年前、奈良朝最後7代目、第49代光仁天皇の父・田原太子が病気療養のため、大木繁る那羅山(ならやま)にある一社中に隠居せられる・・とある一社で、毎年10月8日「夜宵宮祭」で、翁講によって奉納される無形文化財の翁舞(おきなまい)が有ります。
 なお、田原太子は天武(天智の弟)系で占められた奈良朝末期、女帝第48代称徳天皇に子がなかったので、天智(天武の兄)系の光仁天皇が即位した時に、その父として甦(よみがえ)り、彼は天智天皇の第7子です。

■「翁舞」が舞われる「拝殿」
 田原太子は、若い時に施基(しき、志貴)皇子と呼ばれ、万葉集に志貴皇子の詠った次の歌が有ります。

むささびは梢(こぬれ)求むとあしひきの山の猟夫(さつお)に会ひにけるかも 巻3-267

采女(うねめ)の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く  巻1-51 

また、田原太子の第2皇子が春日王で、春日王の子が浄人(きよひと)皇子、散楽(さんがく)俳優を好み父の春日王が病になった時、その平癒を祈願し、舞を春日明神に奉納したのが「翁舞」の起源で、その舞は翁と脇の3人舞や互いに対面せずに舞う三番叟と千歳の問答等著しい特徴を持ち芸能史で貴重な存在です。

■奈良豆比古神社の三神殿
 散楽は後の猿楽(さるがく)や能の源流で、明治維新頃迄、歌舞音曲の役者は「奈良豆比古神社」に詣でて興行許可を得なければ興行が出来ず。また、神社が有するお面は、翁、黒色尉、尉、中将、平太、怪士、般若、曲見等の能面と、祖父、武悪、狐、うそぶき、乙等の狂言面、総計25面が奈良国立博物館に保管され、「べしみ面」に、応永廿年(1413年)2月21日と室町時代の刻銘が有ります。
 御祭神は中央が平城津比古神{ならつひこノかみ、産土神(うぶすながみ)}、左が田原天皇と諡(おくりな)をされた志貴皇子で、右に皇子の子の春日王を祀っています。
                     -インターネット奈良観光よりー
★歴史のある、しかも手入れが行き届いた清澄さを感じる神社です。神社裏の樟の大樹(天然記念物)は一見の価値あり。久しぶりに立派だなぁと思える樹にであいました。
またこの神社は志貴皇子をお祀りしています。
by barakan1 | 2005-01-31 18:09 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪⑤般若寺の石仏達・・・

●般若寺の石仏達
a0016431_1801569.jpg

■境内の観音石仏(33体)は自らの病気平癒に感謝した人が造立寄進したもので(1703年)、体の不自由な人がいつでも巡礼出来る様に西国三十三所を模してあるそうです。
by barakan1 | 2005-01-30 18:02 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪④般若寺・・・

●楼門                 ●楼門より十三重の塔を見る
●本堂                 ●笠塔婆
a0016431_1764676.jpg

■般若寺
 真言律宗、法性山「般若寺」は、奈良時代735年(天平7年)聖武天皇の勅願により行基が建立して、895年(寛平7年)頃に聖宝(しょうぼう、理源大師)の弟子観賢(かんげん)が多くの学僧を集め学問道場とたが、1180年(治承4年)平重衡の大軍が奈良坂で東大寺衆徒を破り、大仏殿を焼いた時、南都防衛拠点の般若寺も全ての伽藍を焼かれ、その後に、叡尊と弟子の忍性が再興し「楼門」や国重文「経蔵」が建立されたけど、本堂は1490年(延徳2年)の火災で焼失し、更に1567年(永禄10年)松永久秀と三好三人衆の争いで伽藍の大部分を焼かれたが、幸いにも「楼門」「経蔵」「石塔」は難を免れました。

■楼門 
西国薬師第三番霊場「般若寺」の鎌倉時代建立の天竺様「楼門」です。

■国重文「十三重石塔
高さ約14m、宋の石工伊行末(いのゆきすえ)らが1253年(建長5年)頃に造りました。

■江戸時代初期に再建された「本堂」です。

■国重文「笠付き石塔婆」2基
宋人・伊行末の子、伊行吉(いのゆききち)が1261年(弘長元年)に亡父の追善供養と母の無病息災を願い、梵字を彫って建立された高さ4.8mも境内に建っています。

★今は冬とてスイセンしか花もなく、すこしさびしいですが・・・。
それにもまして沢山の石仏が気持を温かくしてくれます。
 
by barakan1 | 2005-01-30 17:22 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪③北山十八間戸~夕日地蔵

●北山十八間戸              ●夕日地蔵
a0016431_16294261.jpg

■「北山十八間戸」
 旧街道(京街道)奈良阪の三叉路の裏が「北山十八間戸」です。ハンセン病者救済のため鎌倉時代の中頃、真言律宗の僧、叡尊(えいそん)の弟子、忍性(にんしょう)によって初め般若寺の北東に建立されたが、1567年(永禄10年)に焼失の後、1660年代(寛文年間)奈良の北に位置して、東大寺、興福寺の堂塔が南に望まれる地に鎌倉時代の遺風を受け継いで建てた我が国初の病院で、18の間数の他に仏間も設け、裏戸に「北山十八間戸」と縦に刻書があります。

■奈良坂の「夕日地蔵」
 「北山十八間戸」から奈良坂を北へ上がった直ぐの右(東)側に写真の様な地蔵さんが西を向いて立っておられます。奈良市興善院町の「夕日地蔵」さんで、合津八一(秋艸道人)が「なんきんうたまくら」の中でこのお地蔵さんの事を次の様に歌っておられます。

 ならざかのいしのほとけの おとがひに
       こさめながるる はるはきにけり
                      -インターネット奈良観光よりー

★十八間戸は鍵が掛けられていて中へ入れず、外からのみの写真となりました。
by barakan1 | 2005-01-30 16:38 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪②祇園社~転害門

●祇園八坂神社「祇園社」
●東大寺「転害門」
a0016431_15572390.jpg

■祇園八坂神社「祇園社」
 本殿の御祭神三座は、建速須佐男命、櫛稲田媛命、八柱御子神で、末社に菅原道真朝臣、市桙島比賣命が祀られています。本社創立は、古記録によると、1338年(建武5年)6月5日になっていますが、確たる事は分明しません。なお、当社は、往昔より殊に疫病除けの神様として一般の崇敬並々ならぬものがあります。

■東大寺「転害門」
 東大寺の西大垣の北寄りに「転害門」があり、佐保路に面して開かれ、天平の雄渾な様式を今に伝える三間一戸、本瓦葺、切妻造八脚門です。東大寺の鎮守手向山八幡宮の転害会がここをお旅所とした(門の中央に御輿を置いた石が4個ある)所から「転害門」、又「佐保路門」「景清門」とも呼ばれています。
by barakan1 | 2005-01-30 16:01 | 旅日記

奈良佐保路の古墳・古社寺探訪①コース概略

a0016431_2211961.jpg
●般若寺石仏とスイセン

■前回廻り残した佐保路を探訪してくる。
寺田町(朝9時)~近鉄奈良~転害門~北山十八間戸~夕日地蔵~般若寺~西福寺薬師堂~奈良豆比古神社~黒髪稲荷神社~佐保山西陵七ツ石~元明天皇陵~元正天皇陵~眉間寺遺跡~聖武天皇陵~光明皇后陵~春日神社(氏神)~海龍王寺~法華寺~平城宮蹟~東院庭園~宇奈多理酢坐高御魂神社~朱雀門~西大寺~寺田町(17時着)全行程9時間でした。

★さすがにチョッと疲れました。明日から寄稿します。
by barakan1 | 2005-01-29 22:14 | 旅日記

海老沢元会長、顧問就任辞退・・・


a0016431_2291060.jpg
●昨日に引き続き近所のキク 

■一昨日、NHK顧問に就任すると発表された海老沢会長、
今日辞任と発表!!
何をやっているんだか?
これを醜態と言うんだろうなぁ!!
こんな感性ではNHKの抜本的な体質の改革なんて、
到底望むべくもないだろうなぁ!!
by barakan1 | 2005-01-28 22:15 | 日々雑感