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2004年大晦日の雪・・・

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●激しい雪をバックにモミジ

■久しぶりの雪。積もりそうになるのは何年振りか!!
それも直径が2~3センチもあるようなボタン雪だった。
私の記憶としては積もったのは、息子が小学校以来だ?
今年の忌まわしい記憶は雪に閉じ込めて、
何処かへ飛ばしてしまおう!!

★スマトラ沖大地震、死者12万人超!!
どこまで増えるのか!!!
by barakan1 | 2004-12-31 17:45 | 日々雑感

紀宮様ご婚約内定・・・

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●花の文化園(温室のラン)

■紀宮様、黒田さんとご婚約内定。

★スマトラ沖大地震、死者7万人超。まだまだ増えると・・・。
by barakan1 | 2004-12-30 21:20 | 日々雑感

スマトラ沖大地震死者5万人超・・・

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●犠牲者の写真などを掲示、情報提供を呼びかける救援センターの掲示板に見入る人たち(タイ・プーケット島で)=田中秀敏撮影=読売新聞




■今日の昼で犠牲者が5万人を越えたと・・・。
不明者を考えると最終的には7万とも10万ともいわれているが・・・。
史上最悪の大地震となった!!
by barakan1 | 2004-12-29 20:28 | 日々雑感

スマトラ沖大地震(死者5万人?)・・・



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●津波の被害を受けた、タイプーケットの海岸ー=ロイターより

■スマトラ沖大地震(マグネチュード9.0)
26日発生日には、死者5000人、それが昨日、今日と日を追う毎に増え、28日の夜には28000人超という・・・。さらに拡大の恐れがあり、最大5万人を越えるのではとも言われている。史上最大、最悪の大津波だ!!
日本のような警戒と予報の体制があれば幾分かは少なくなったであろうが・・・。
自然の猛威の前にする度に、人間の無力さを痛感する。
その意識の上に、人間は謙虚に生きてゆかねばならない。
(人間の傲慢さを戒められたのか?・・・・)
by barakan1 | 2004-12-28 21:29 | 日々雑感

我家恒例タコ焼きパーティ・・・

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■昨日の日曜日、恒例のタコ焼きパーティをしました。
娘夫婦と、息子とその彼女(Yちゃん)、そして私達夫婦です。
妻は暫くして出て行ってしまい、Yちゃんが頑張って全部焼いてくれました。
昨年より美味しく、腕が上がったように思いました。
私は胃の調子が良くなくビールを飲めなかったのが残念でした。(;_;)
by barakan1 | 2004-12-27 18:16 | 日々雑感

河内古墳・古社寺探訪②ー⑥雄略天皇陵・・・最終章


●雄略天皇陵丹比高鷲原陵の碑
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■雄略天皇御歌
日下部の 此方(こち)の山と 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 此方此方(こちごち)の 山の峡(かひ)に 立ち栄ゆる 葉広(はびろ)熊白樫(くまがし) 本には いくみ竹生ひ 末方(すゑべ)には たしみ竹生ひ いくみ竹 いくみは寝ず たしみ竹 たしには率(ゐ)寝ず 後もくみ寝む その思ひ妻 あはれ(記)

【通釈】日下部のこの山と、平群の山と、あっちこっちの山の峡に、さかんに生えている、葉の広い大きな樫の木があるだろ。下の方には、こんもりと竹が生え、上の方にはぎっしりと竹が生えているんだ。で、その「いくみ竹」じゃないけど部屋に籠もって寝ることはできず、「たしみ竹」じゃないけど確かに共寝することはできなかった。でも後でしっぽりと寝よう、私の恋しい妻よ、ああ。

【由来】雄略天皇は若日下部王(わかくさかべのみこ)を娶ろうと、日下(くさか)の直越えの道を通って河内に行幸した。途中、経緯があって白い犬を得たので、それを妻問いの贈物にすることにしたが、若日下部王は「太陽に背を向けておいでになったのは恐れ多いことですから、私の方から直接宮へ参りましょう」と言ったので、天皇は宮へ戻ることにした。その時山の坂の上に立って詠んだのが上の歌であるという。
                            千人万首よりー
**この時です、前回書いた志紀県主の屋敷の鰹木を見つけ、
怒って焼き払おうとしたのは・・・。
それを赦して貰うために県主が白い犬を天皇に贈り、赦してもらったのです。

★大塚山古墳の側にに3年ほど住んでいました。学校をでて1年程してから勤務地が藤井寺になったのを機会にアパートで一人住まいを始めたのです。またその後結婚しましたが、その後も1年足らず住んで居た懐かしい所です。毎日古墳の回りをトレーニングの為走っていました。懐かしい思い出です。その時はそんな歴史があるとも思わずに・・・!!奇縁ですねぇ!
by barakan1 | 2004-12-26 16:38 | 旅日記

南河内古墳・古社寺探訪②ー⑤雄略天皇陵




●雄略天皇陵
●陵を荘厳化するために、径75mの丸山古墳と一辺50mの方墳である平塚古墳を前方後円墳のようにドッキングさせ、これを雄略陵とした。だから変な形です。
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■雄略天皇(允恭天皇の皇子で、清寧天皇の父)
安康三年(西暦463~464年頃?)十一月、兄の二皇子・眉輪王・圓大臣(葛城氏)・市邊押磐皇子(履中第1皇子)らを滅ぼし、泊瀬朝倉宮に即位。大伴・物部を中心とした伴造系氏族の武力を背景とし、いわゆる「葛城系」の勢力を排除しての即位であった。平群真鳥を大臣、大伴室屋・物部目を大連に任命。雄略九年、朝貢を欠く新羅を征伐するため、大伴談・紀小弓・蘇我韓子らを大将とし、新羅に派遣する。雄略二十一年(477)、百済に任那の一部を割譲し、百済はこの地を新都として再興する。478年、倭王武(雄略天皇説有力)、宋に上表文を送る。「王の先祖が自ら甲冑を纏い山川を跋渉し戦を続け、東は毛人55カ国を征し、西は衆夷66カ国を服し、海北へ渡り95カ国を平らげる」とある。順帝、武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙す。雄略二十三年(479)八月一日、崩御。陵墓は宮内庁によって丹比高鷲原陵(大阪府羽曳野市島泉)とされているが、 ※大塚山古墳(大阪府松原市西大塚)説が有力視されている。   千人万首よりー

天皇御製歌
籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそ座(ま)せ 吾こそば 告(の)らめ 家をも名をも(万1-1)

★万葉集巻1-1を飾る歌です。
by barakan1 | 2004-12-26 16:20 | 旅日記

南河内古墳・古社寺探訪②ー④伴林氏神社

●伴林氏神社
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■伴林氏神社:(ともはやしのうじのじんじゃ)
河内国志紀郡拝志郷の式内社 
祭神:高御産巣日神(たかみむすび)天押日命(あまのおしひ)道臣命(みちおみ) 
由緒,伝承:大伴氏の遠祖天押日は天孫降臨に際して迩迩芸の御前につかえ 三代後の道臣命も、神武天皇がこの辺りで天神地祇をお祀りし御東征されるに当たって、大軍を指揮して時には斎主となって、難路を切り開き、橿原の地で御即位されるまで、大功のあった神である。
道臣命以後武持、金村、吹負、旅人、家持と大伴氏は古代史をきらびやかに飾る氏族である。(由緒ノ碑要約)

★万葉集を編纂したといわれる、大伴家持の系譜を祀る神社なんですねぇ。歴史の割には新しい感じがするのは戦国時代信長に焼き払われたから?、またお守りしていた林氏が絶えたことも影響しているようです。
by barakan1 | 2004-12-26 14:34 | 旅日記

南河内古墳・古社寺探訪②ー③国府遺跡(衣縫廃寺)

●国府(こう)遺跡より二上山を望む   ●国府遺跡(衣縫廃寺)
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■国府遺跡
和名抄によると河内国の国府は志紀郡にあったという。古代の志紀郡に属する藤井寺市の允恭天皇陵の東側に国府という地名があり、その北側に惣社という地名と、神社が現存する。
河内国府も、おそらくこの地に置かれたであろうことは、ゆかりの地名が残っていることによって、推定されているが、まだ国府に関係した遺構、遺跡は発掘されていない。
その惣社地区に、旧石器時代から各時代にわたる各種の遺物が、発掘されているところがある。
国府(こう)遺跡という。旧石器時代のナイフ形石器や、縄文・弥生時代の人骨が90体以上出土し、考古学史上きわめて重要な遺跡である。

【国府は、古代日本の各国毎に置かれた政治の中心都市】
大化改新(645)により、中央集権の政治体制確立を目指した大和朝廷は、それまでの国造(くにのみやつこ)などの地方豪族による地方統治から、中央官吏による直轄統治を推進した。地方統治の単位である国毎に国府を定め、中央から国司を派遣して、徴税、軍事、治安維持等に当たらせたのである。
天皇中心の律令国家は、こうして次第に体制を整えていく。壬申の乱(672)を経て、天武・持統朝に強力に展開され、大宝元年(701)大宝律令の成立によって完成した。                  国府物語よりー
by barakan1 | 2004-12-25 19:26 | 旅日記

南河内古墳・古社寺探訪②ー②国府八幡神社・志紀県主神社

●左の森は南塚古墳            ●国府(こう)八幡神社
●●志紀県主神社
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■国府(こう)八幡神社
由緒:不明。社は最近整備され、新しい。

■志紀県主神社
由緒,伝承:「式内社」
神武天皇紀:弟磯城名黒早為磯城県主。古事記:雄略天皇が日下に居る母(長田大郎女)に会いに行き山腹で志幾(しき)大県主の堅魚木が立派過ぎたので怒ったとある。
国府のあった場所であり総社としても機能していたと思われる。

※大化改新(645):以前の地方制度に県(あがた)があり、その首長を県主(あがたぬし)といった。大阪府下では茨木市に三島県主、八尾市に三野県主(みのの)、柏原市に大県主(おおあがた)、藤井寺市に志貴県主(しき)、富田林市に紺口県主(こむく)、和泉の国に茅渟県主(ちぬ)の6首長があった。 古代であそぼよりー

★この辺りには、総社という名や、国府という名も見え、昔々から栄え人が住んで居たようだ。道も入り組んでいて、思うとおり歩けないが、かえって昔の村の風情を少し感ずることが出来た。
by barakan1 | 2004-12-25 18:54 | 旅日記