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長谷寺(おまけ)⑤・・・最終章


●白髭神社         ●譽喜神社        ●長谷山口坐神社
●〃 拝殿         ●〃 拝殿        ●〃 拝殿
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■「白髪神社」
 749年(天平勝宝元年)10月15日に鎮座して、祭神は、猿田毘古命(さるたびこノみこと)、天宇豆賣命(あめノうずめノみこと)です。この辺り桜井市初瀬の寺垣外、上之森、下之森、与喜浦の4区域の氏神様で、奈良時代から氏子を見守って来られました。御祭神の由縁によって、縁結び、子宝の神として崇められています。

■与喜(よき)天満宮
 「長谷山口神社」の境内を通り越して反対の東へ向かって出ると、山際の坂道が「化粧(けはい)坂」、古代の倭姫命や後世の伊勢へ向かう女人が、長谷寺から坂を登って一汗かいて、化粧を直した坂です。なお、坂を左へ下りて行くと、右手に朱色の鳥居が建ち、石段を登ると、与喜山の中腹に「与喜天満宮」があります。鎌倉初期以来の古社で、菅原道真を祀っています。長谷寺との関係が深い社で、麓の初瀬川に架かっている「連歌橋」は、当社の連歌会に長谷寺の僧が渡って参加した橋です。

■延喜式内社「長谷山口坐神社」
 長谷寺の門前街の途中から右へ入って大和川(初瀬川)の赤い「神河橋」を渡ると、左側に元伊勢「磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域」の石碑が建ち、そこから丘へ上がると「長谷山口坐神社」です。祭神は、長谷山の鎮(しづめ)神として「大山祇神」を祀り、この地は古文で三神(みかみ)の里、川は神河、淵は神河浦と書かれて、崇神天皇即位43年9月9日より8年間「磯城厳橿(しきいつきかし)本宮」に「天照大神」を祀った時、随神「天手力雄の神」もここに祀り、「豊秋津姫の神」を北山の中腹に祀っています。また、近世になり、明治42年初瀬平田(ひらた)にあった豊受神社の「豊受姫の神」が合祀されました。
                       -インターネット奈良観光よりー

★この他、この近くにはまだまだ歴史や物語に出てくる、沢山の見所があります。
そんなことを読んだり、考えたりすると楽しくなりますよ。
by barakan1 | 2004-11-30 23:03 | 旅日記

長谷寺名跡④・・・

●紅葉   ●俊成・定家碑  ●五重塔  ●故里の桜 ●初瀬の大イチョウ
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■「新古今和歌集」藤原定家
 年も経ぬいのるちぎりは初瀬山尾上の鐘のよその夕暮れ  

■「古今和歌集」紀貫之
 人はいざ心も知らず故里(ふるさと)は花ぞ昔の香に匂ひける  
                              巻1-42

■連歌橋と天然記念物「初瀬の銀杏の巨樹」

★まだまだ沢山の見どころがあります。
次回は牡丹の咲く頃に訪れたいとおもいます。
by barakan1 | 2004-11-30 20:58 | 旅日記

長谷寺紅葉③・・・

●境内各所の紅葉 
  
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★きれいな紅葉を堪能してください!!
by barakan1 | 2004-11-30 19:23 | 旅日記

長谷寺(仁王門・登廊・本堂)②・・・


●仁王門            ●●紅葉
●登廊             ●本堂        ●本堂より仁王門を見る
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■長谷寺「仁王門」
 真言宗豊山(ぶざん)派の総本山、西国三十三観音霊場第八番札所の「長谷寺」は、万葉集で「こもりくの泊瀬(はつせ)山」と詠われ所に建ち、また、昔は豊初瀬(とよはつせ)とも呼ばれた所で、お寺を泊瀬寺、初瀬寺、豊山寺と呼ばれていました。第107代後陽成天皇の御辰筆による額が掛かっている国重文の総門(仁王門)は初め、第66代一条天皇の頃、平安時代に建てられ、その後9回も火災にあっていますが現在の仁王門は、明治18年に再建され、楼上に十六羅漢を安置し、左右の両脇に金剛力士(仁王さん)が立ち、仁王門を入ると、丸い長谷寺型灯籠を梁に吊す399段の回廊形式登廊が続きます。

■長谷寺の国重文、回廊形式の「登廊」
 国重文の「登廊」は初め、第61代朱雀天皇の頃、1039年(長暦3年)に春日大社の社司中臣信清が我が子の病気平癒の御礼で寄進し、現在の第一、第二登廊は、明治22年に再建されています。登廊を上がると、すぐ右に道明上人の御廟所、続いて宗宝蔵、月輪院、左に歓喜院、梅心院、慈眼院、金蓮院が建ち、天狗杉の角を右に曲がると蔵王堂、そこを右に見て、左に曲がると左右に三百余社、馬頭夫人社等が有り、108間の回廊を登り切ったら、尾上の鐘が懸かった鐘楼が建ち、そこをくぐると広場の納経所を囲む様に右から能満院、三社権現、愛染堂等が並び、そして、左が舞台造り、南面入母屋造本瓦葺の「本堂」です。

■初瀬山を背にした国宝の「本堂」
 現在の「本堂」は、1650年(慶安3年)に徳川第3代将軍家光によって寄進、再建されていますが、奈良は東大寺の大仏殿に次ぐ最大級の木造建造物で、間口柱間9間、奥行5間の正堂、9間・4間の礼堂の南に更に5間・3間の外舞台がある独特の建物です。安置されている重文の本尊「十一面観世音菩薩」は、1538年(天文7年)仏師東大寺仏生院実清良覚によって彫られた長谷寺型観音で、金色に輝き、右手に錫杖と念珠、左手に蓮華を挿した水瓶を持って方形の石の上に立ち、我が国最大の木造仏(楠の霊木)で、身の丈は3丈3尺6寸(約10m)、光背が4丈4尺(約12m)、観音と地蔵の徳を持っておられます。
                     -インターネット奈良観光よりー

★やっと、紅葉らしい紅葉に会えました。絵に描いたようなとはよく使う用言ですが、まさにその通り、絵に描いたような風景でした。上品に隙のない佇まいは、奈良のと言うより、京都のお寺にちかい感じがしました。
昔から大勢のお参りの人々を迎えてきた中でみに付いた洗練さでしょう!!
by barakan1 | 2004-11-30 19:00 | 旅日記

長谷寺(真言宗豊山派総本山)へ・・・①

●今日の訪問は牡丹で有名な長谷寺です。
 五重塔↓                        本堂↓
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■やっと何とか見られるモミジに会いました。
長谷寺は初めてですが、立派なお寺です。
周りにもいろいろ、神社やお寺があり、それも見て回ると結構時間がかかります。
今回は此処だけの見学でしたがそれでも家を9時出て、帰着16時でした。
写真は明日から掲載します。
by barakan1 | 2004-11-29 18:29 | 旅日記

醍醐町~耳成山(山口神社)⑨・・・最終章



●藤原京・海犬養門跡(アメノイヌカイモン)●●醍醐町環濠跡
●耳成山口神社入口   ●神社参道    ●耳成山口神社
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■伝藤原宮「海犬養(あめノいぬかい)門跡」
これは藤原宮の四方に各三門がありそのうちの北面西辺にあった「海犬養門」の礎石と考えられて、橿原市醍醐町の史蹟です。なお、醍醐町は、宮域地内では最も土地が低く、周濠の水を集めた西北辺からは濠跡と木簡等が出土しています。また、藤原宮都の建設は、壬申の乱の後、天武天皇の時代から計画推進されていたが、宮殿の完成を待って遷都(せんと)が行われたのは、694年(持統天皇8年)12月で、当宮都は主として中国洛陽の都城をモデルとし、条里制を採った我が国最初の都市です。
                             -奈良観光よりー
耳無の池し恨めし吾妹子が来つつ潜(かづ)かば水は涸れなむ 16・3788
二人の男に思われて耳無の池に入水自殺した鬘児(かづらこ)を偲ぶ歌である。耳無の池は近世まで山の北西にあった恋池だとされている。

★いつもそうですが、行程の終りになると時間がなくなり、急いで回るのが常です。それでどうしても、チェックポイントを外してしまいます。今回も町並みで見たいところがありましたが飛ばしました。次回の楽しみに取っておきたいと思います。
by barakan1 | 2004-11-28 17:06 | 旅日記

八釣山地蔵尊~畝尾坐健土安神社~藤原宮⑧・・・

●畑焼き風景        ●八釣山「興福寺」   ●畝尾坐健土安神社
●耳成山          ●畝傍山        ●天香具山
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■八釣(やつり)地蔵
 「八釣(やつり)山地蔵尊」の名で知られる浄土宗の「興福寺」です。585年廃仏派の物部守屋が飛鳥の「橘寺」を焼いたとき、金堂の地蔵菩薩が火を逃れて「香具山」の頂上に逃げて行きました。そこで聖徳太子が「香具山」の山麓に寺を建てて地蔵さんを祀ったと云われています。また、興福寺(八釣地蔵)には、聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛等に良く効きます。

■畝尾坐健土安(うねびにますたけはにやす)神社
 「八釣地蔵」の斜め前、道を夾んで西側に、「畝尾坐健土安神社」が鎮座します。「延喜式」神名帳にも載っていて式内社に比定された神社で、祭神は、健土安比売命(たけはにやすひめノみこと)と天児屋根命ですが、健土安比売命は、古事記の波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)で、母の伊邪那美命が火の神を生んでホトを焼き、苦しまぎれにしたウンチで、土の神です。なお、波邇夜須とは、埴粘(はにやす、祭具の土器を作る粘土)のことで、神武天皇が大和平定のとき、天香具山の埴粘から平瓮(ひらか)を作って神を祭り、遂に勝利を得ました。
                     -インターネット奈良観光抜粋よりー

■大和三山(藤原京より展望ス)

★藤原京は今回一番見たかったところです。明日香に較べればやはりずっと、展望も開けいい所だと思います。そして藤原京は大和三山に囲まれるように真中に位置します。どちらを向いても神の山に守られているのです。
広々とした中で思わず深呼吸をしてしまいました!!
by barakan1 | 2004-11-28 15:38 | 旅日記

天香具山神社⑦・・・

●●天の真名泉                  ●天香久山神社正面
●二の鳥居      ●天香久山埴安伝承地道の碑 ●拝殿
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天香久山(あめノかぐやま)神社
香具山山麓の北端に「天香久山神社」が鎮座しています。鳥居をくぐった参道直ぐ右に柿本人麻呂の万葉歌碑が建っています。

 ひさかたの天(あま)の香具山このゆうべ
 霞たなびく春立つらしも 
  巻10-1812

また、歌碑の横に「波波迦(ははか)の木」があり、昔その木の皮で雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。
                     -インターネット奈良観光抜粋よりー

★天香久山神社も畝火山神社と同じくらいの大きさで、山裾にポツンと鎮座しています。慎ましやかで、素朴な神社ですが、やはり歴史を感じます。
前の畑で野良仕事をしているおじいさんに道を尋ねましたが、親切に教えていただきました。ありがとう、ございました!
by barakan1 | 2004-11-27 17:55 | 旅日記

天岩戸神社~イザナミ神社~国常立神社⑥・・・


●天香具山        ●●天岩戸神社
●イザナミ神社      ●頂上へ    ●国常立(くにノとこたて)神社
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■天岩戸(あまノいわと)神社
 「香久山」の南に「天岩戸神社」が鎮座しています。神代の昔に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が幽居なさった天石窟と伝えられる岩穴を拝する所で、神殿はありません。「延喜式」神名帳にある十市(といち)郡「坂門(さかと)神社」で、神戸郷香山の南山野(麓)に在り、俗に「亀の岩戸」と云われていましたが、「亀の岩戸」が転訛して「天岩戸」になり、御祭神は、亀津比売命(かめつひめノみこと)です。玉垣内には真竹が自生していますが、これを往古より七本竹(女笹竹)と称し、毎年七本ずつ生え変わると伝えられています。
                      -インターネット奈良観光よりー

■国常立(くにノとこたて)神社
 香具山の山頂に小さな社の「国常立神社」が鎮座しています。祭神は、国常立尊で、俗に雨の竜王と称し、石灯籠に「天香山竜王」と彫られて、寛政十年(1798年)の銘があります。

★イザナミ神社
 登り始めて直ぐの急勾配の山腹にイザナミ神社があります。
周りは樹木が鬱蒼として昼なお暗く、深々としています。
今回はここで何かを感じました(!!!!)
by barakan1 | 2004-11-27 16:47 | 旅日記

元薬師寺~紀寺跡へ⑤・・・

●本薬師寺手前土塁、西塔跡  ●●金堂跡礎石
●明日香川沿い地蔵尊     ●明日香川        ●紀寺跡
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■「本薬師寺跡」
 680年(天武9年)天武天皇が病気の皇后(後の持統天皇)の為に建立を発願された寺ですが、698年(文武2年)頃ほぼ完成し、藤原京時代には大官大寺、飛鳥寺、川原寺などと共に官の大寺として栄え、寺域は藤原京内の右京八条三坊を占めたが、平城遷都に際し、718年(養老2年)寺は平城京右京六条二坊の地に遷され、旧地が「本薬師寺」と呼ばれ、金堂跡に方形の柱座を持つ大きな礎石と、東塔跡にも礎石が残っています。        -インターネット奈良観光より抜粋ー

■紀寺跡
 7世紀後半の創建、紀氏の氏寺とも言われています。

★先日、薬師寺に言ってきた所なので、そのあまりの小ささに驚きました。
(残っている物の)
根こそぎ平城の方へ持ってったんでしょうね!
当寺はあたりに何もなかったでしょうから、藤原京からもよく見えたでしょうね。

万葉集 大伴旅人の歌
わすれ草わが紐に付く香具山の故りにし里を忘れむがため  巻3-334
by barakan1 | 2004-11-27 16:16 | 旅日記