<   2004年 09月 ( 36 )   > この月の画像一覧

はや、9月末です・・・

●台風一過!!
a0016431_18225447.jpg

■一日涼しい風がふきました。
 空も真っ青でした。
 秋です。
by barakan1 | 2004-09-30 18:28 | 日々雑感

落葉

a0016431_17571329.jpg
■落葉            ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。



鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
             上田 敏訳

★今日は憂鬱な1日でした
by barakan1 | 2004-09-29 18:07 | 日々雑感

今日は中秋の名月ですが・・・

●(南)山之辺の道にいった時、撮ったツユクサです。
a0016431_17274413.jpg
花の汁を染み込ませた紙を青花紙といい、
友禅などの下絵を描くのに用いるそうです。
昔は染色にも使ったと読んだことがありますが・・・

■それにしても、どうしたのでしょう?・・・
お彼岸も過ぎ、今日は「中秋の名月」というのに!・・・
一向に涼しくなりませんね!!
もう、多分、
お隣に、いらっしゃるのでしょうが!!!
by barakan1 | 2004-09-28 17:36 | 日々雑感

何かで変わる・・・

●苔むす木
a0016431_17294532.jpg

■先日、いつも散歩で通る道で思いがけず写真のような
「苔むした木」を発見しました。
発見というより、いままで、気が付かなかったと言った方が正しいと思うが・・・。その木を毎日のように見ていながら気が付かなかった!!
たまたま前日に雨が降り、その湿気が苔を活性化させたのであろうが! 
私にはまったく別の木のように映った。

この様なことは、いろいろなことに言えるのではないだろうか!!
赤と考えていたものが白かったり。
白と思っていたのが、黒かったり。
その逆だったり。 \(◎o◎)/!

あまり思い込まない方がいいようだ。
信ずるとか、信じないとかの問題ではなく
出来るだけ真実の姿を知るために!!・・(x_x)

私のように
馬鹿なように見えるが、やっぱり、バカだったり。
貧乏そうに見えるが、実は、やっぱり貧乏だったり、
そんな、みたまま人間もたまにはいるが・・・(°_°;)
by barakan1 | 2004-09-27 18:04 | 散策によせて

(南)山之辺の道⑨


●玄賓庵                 ●大神神社
a0016431_12301069.jpg


■いよいよ今回の旅の最終章です。
玄賓庵
 今から千百年前、平安時代初期、高徳僧で名医でも有った玄賓(げんぴん)僧都が俗塵を離れて隠棲して修行していた所で、三輪山の麓にひっそりと建つ真言宗の小寺が「玄賓庵」です。元はもう少し北の三輪山中の桧原谷に在りましたけど、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により現在地へ移されました。小さな本堂内に平安時代の作で、重文の木造不動明王座像や、玄賓僧都像が安置され 、「玄賓庵」と木彫りした扁額も有りますが、ここ「玄賓庵」は、世阿弥の作と伝えられる謡曲「三輪」に登場します。その筋書きでは、玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされました。

古事記にも載っている「挟井(さい)川」(写真はありません)
 三輪山の麓の「玄賓庵」から「山の辺の道」を北へ辿ると、東の三輪山から西の奈良盆地へ「挟井川」が流れ、古事記では、この川の畔(ほとり)に大神神社(おおみわじんじゃ、三輪明神)の祭神、大物主神の子、伊須気余理比売命(いすけよりひめノみこと)の住居が在ったと伝えられています。挟井とは山百合の事で、初夏に辺り一帯に可憐な花を咲かせ、古来より此の地は「出雲屋敷」と呼ばれ、我が日本国(やまとノくに)の建国にかかわる極めて重要な場所でした。

 挟井河よ 雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ
  風吹かむとす 
   古事記(中つ巻)の歌

※川とありますが、小川のようなものです。
しかし古事記にも載っているということは、やはり重要な場所なんでしょうね!!

大神神社
 「三輪明神」の名で親しまれている「大神神社」は写真の拝殿の背後に本殿は無く、三ツ鳥居と瑞垣とが在るのみで、三輪山そのものが神々が鎮まる神奈備で有り御神体です。日本全国古い神社は沢山有りますがその中でも古社中の古社で、神殿を持たないこの様な神社形式は、日本神道の古い姿で、ここでは今もその原像を保ち伝えています。祭神は大物主神、すなわち大国主神の和魂(にぎたま)で、国土草創の神です。また、酒と薬の神様でも有り、造酒屋の軒に吊されている杉玉は三輪山の杉で造られています。なお、元旦未明に大松明を掲げて三輪山の麓を離れることが無く摂末社を巡回する繞道(にょうどう)祭は有名です。  ー奈良観光ー

★23日に訪れてからやっと今日26日にアップできました。有名な道だけにどうかな?と思っていましたが・・。評判に違わず、少なくとも私の好みに合う環境と歴史でした。見落とした所や時間と体力の関係で止むをえず飛ばした所もあり、次回は逆からゆっくりと回ってみたいとおもいます。
 説明はwww://urano.org/kankou/ より 引用させていただきました。
by barakan1 | 2004-09-26 12:50 | 旅日記

(南)山之辺の道⑧

●巻向川①             ●巻向川②
●三輪山の裾道を桧原神社へ     ●桧原神社
a0016431_11555396.jpg


■大和青垣
「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる大和し 美わし」古事記
巻向、三輪あたりは古人の最も馴染みの深いところです。
山之辺の道に沿って万葉歌碑が点在します。

ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾き
あしびきの山かも高き巻向くの岸の小松にみ雪降りけり
巻向の山辺とよみて行く水のみなわのごとし世の人われは
   柿本人痲呂

みわやまの山辺まそゆふみじか木綿かくのみからに長くと思いき  高市皇子


大神神社の御神体「三輪山」
 三輪の語源は古事記によると、昔大和盆地に住んでいた活玉依毘売(いくたまよりびめ)が夜毎に通って来る男によって、とうとう懐妊しましたが、その男の正体が判らず、ある時、男の着物の裾に麻糸を付け、その糸を辿って行くと、糸は鍵穴を抜けて青垣をなす円錐形の威容のある山の社に達して、そこには大蛇が髑髏を巻いてました。このことから男が大物主大神である事が判り、また、糸が三勾(さんこう、三巻)程残ったので、その土地を「三輪」と名付られました。なお、古事記、日本書紀で、大物主(おおものぬし)大神となっている三輪の祭神は、出雲造神賀詞で云う因幡の白兎で有名な「大国主神」の事で、同神です。

桧原(ひばら)神社
 三輪山の麓を歩くと、神殿も拝殿も無いのに、写真の様な「三ツ鳥居」だけが建っている「桧原神社」ですが、元は皇居に祀られていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神霊を紀元前50年頃、第10代崇神(すじん)天皇が娘の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめノみこと)を最初の斎宮(いつきノみや)にして託しまつり、倭笠縫邑(やまとノきぬがさむら)と云われていた所に遷(うつ)し祀ったのが起源です。だからここの別名を元伊勢(もといせ)と云います。今でも三輪山を御神体として、御祭神に天照大御神を祀っています。
柿本人痲呂
いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原(ひはら)にかざし折りけむ 7-1118

なお、神殿の無い祀り方は古い祀り方です   -奈良観光ー

★桧原神社はなんだか平ったく感じる神社です。圧迫感がなく少し夜都技神社に似たところがある。ここからの二上山に落ちる夕日は絶景だそうです。ぜひ一度夕日を見に訪ねたいと思う。
by barakan1 | 2004-09-26 12:15 | 旅日記

(南)山之辺の道⑦

●崇神天皇陵(行燈山古墳)  ●景行天皇山邊道上(やまノべノみちノへ)陵
●珠城山古墳群        ●景行天皇陵より三輪山遠望
a0016431_1039364.jpg


■長岳寺から「山の辺の道」を南へ歩き、すぐ手前に見えるのが崇神天皇陵(行燈山古墳)です。
 行燈山(あんどんやま)古墳と「山の辺の道」を挟んで山側(東側)にあるのが「櫛山古墳」、全長約160mの大型古墳で、円部の後ろにも更に方形部を取り付けた奇妙な型の古墳で、全国的にも余り例のない「双方中円墳」です。

景行天皇山邊道上(やまノべノみちノへ)陵
 崇神天皇陵の「行燈塚古墳」から南へ1キロ行った天理市の最南端、渋谷町に在るのが第12代 景行天皇陵の「渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳」です。全長300m、前方部幅170m、後円部径168m で、周囲には濠を巡らし3段に構築され、前期古墳として全国で最大規模の古墳です。 また、周辺に陪塚を幾つも持つ景行天皇陵は、崇神天皇陵、天神山古墳、櫛山古墳、黒塚古墳、アンド山古墳、上ノ山古墳、シウロ塚古墳、柳本大塚古墳等と共に「柳本古墳群」を形成し、造築時期は、 古墳時代中期と考えられている黒塚古墳を除き、殆どが古墳時代の前期と推定されています。なお、景行天皇は、ヤマトタケルの父です。

山の辺の道から見た「三輪山(標高467m)」
 第12代景行(けいこう)天皇陵の背後(東側)に「山の辺の道」が通って、この辺りから「三輪山」が全容を現して来ます。古代から三輪明神、大神(おおみわ)神社の御神体として崇拝され、古事記の三輪山神話では、御諸山(みもろやま)と称されています。
 また、第38代天智天皇が667年(天智6年)3月飛鳥から近江の大津へ遷都(せんと)の時、額田王が「山の辺の道」のこの辺りで振り返って詠まれだ歌が万葉集に有り、その歌碑がこの辺りに建っています。   -奈良観光ー

 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 万葉集巻1-17の反歌、18

★この辺りは本当に山之辺の道という感じで見通しがいいところです。でも両陵とも正面は山之辺の道より離れて西に回りこまなくてはならないので正面から見る人はすくないようです。私も崇神天皇陵はパスしました。
by barakan1 | 2004-09-26 10:56 | 旅日記

(南)山之辺の道⑥

●長岳寺総門(肘切り門)        ●鐘楼門
●境内の石仏たち
a0016431_1919418.jpg


■釜口山「長岳寺の肘切り門」
 弘法大師空海さん開基で、釜口(かまノくち)大師の名で親しまれている長岳寺の総門「肘切り門」です。1349年(貞和5年)建立の四脚門で、昭和49年解体修理をされていますが、昔は、梁(はり)の付き出した部分の肘(ひじ)に刀傷が在りました。何でも注文の刀に僧兵からケチを付けられた刀鍛冶が、ムッとして、それならと門の肘木を切り落とし刀の切れ味を証明したので今も「肘切り門」と云われています。門を入ると大きなツツジの生け垣の参道が続きます。
「楼門」(平安時代、重要文化財)
日本最古の鐘楼門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物である。上層の鐘を釣った遺構があるので鐘楼門という。      -奈良観光ー
境内に鎌倉~江戸時代の石仏多数あり。石仏の寺といってもいいのではないか!
                         
★鐘楼門を入るとこじんまりと引き締まった境内である。本堂にお参りしあと、大石石棺佛があるという境内奥の山のようになった所を、4・50mも登ったであろうか!大きな石仏(古墳の石棺を利用したものだそうだ)が見えた、お参りの跡もう少し上のほうにも石仏があったが、急にヒンヤリとした風と影が私を包んだ!!
背中にゾクゾクするものを感じ、
慌ててこの区域から出た。何か!霊のようなものを感じた。
今日はお彼岸、たくさんの霊が来ていらっしゃるのだろう。

※内山永久寺にせよ、この長岳寺にせよ、百余年前明治の廃仏毀釈の影響をもろに受けた口だ。今から思うと何と愚かなことをしたことか!!
既存勢力というか、体制を壊す狙いがあったのだろうが、今となっては取り返しのつかない事をしたものだ。
歴史とは創造と破壊の繰り返しにほかならない・・・。
by barakan1 | 2004-09-25 19:21 | 旅日記

(南)山之辺の道⑤


●山之辺の道からみる「衾道、引手の山」
a0016431_17285654.jpg


■柿本人麻呂の万葉歌碑(写真の横に建っています)
「念仏寺」や「中山大塚古墳」の「中山廃寺」を通り、前掲写真のお地蔵さんの祠の前を過ぎると、「万葉歌碑」が建っています   ー奈良観光ー
歌碑は、柿本人麻呂の巻2-212で、

 衾道(ふすまぢ)を 引手(ひきて)の山に妹を
 置きて 山道(やまぢ)を行けば 生けりともなし


★正面の山が引手の山(竜王山)です。
東西(山・盆地側)とも展望のほ開けた絶好の場所です。
柿本人麻呂が妻のい亡骸を背に慟哭した道!!。
千数百年前の感傷・慟哭を目の前にできます。
by barakan1 | 2004-09-25 17:50 | 旅日記

(南)山之辺の道④

●念仏寺前の地蔵尊         ●「大和稚宮(おおやまとわかみや)神社」
●中山廃寺跡の地蔵尊
a0016431_1763265.jpg


■中山大塚古墳(写真はありません)と御旅所、中山廃寺跡
 これも全長約132mの前方後円墳「中山大塚古墳」です。後円部をやや北東向きに置き「山の辺の道」に沿って南北に築かれ、後円部径は約73m、高さ約10mです。なお、墳丘裾部は木立と土に覆われているけど、葺石基底石を石垣の様に急角度で積み、古墳縁を取り巻く周濠は確認されていません。また、前方部は大和神社のお旅所が鎮座し、少し削られているけど、整備された墳丘頂上には、東側の細道から登れます。
 「中山大塚古墳」の前方部を少し削った所に「大和(おおやまと)神社」の境外末社、御旅所「大和稚宮(おおやまとわかみや)神社」が在り、毎年4月1日大和神社の「ちゃんちゃん祭」で、JR桜井線の長柄駅の近くに在る「大和神社」を出発した渡御の長い行列が、銅鑼を叩いて「ちゃんちゃん」と鳴らし、また神輿を担ぎ、神主は白馬に乗り、更に氏子が同道し、遠路2キロのここ「中山郷大塚山(中山大塚古墳)」の「御旅所」まで来て、御供物を奉納され、「扇舞」「龍の口」と云う田楽舞を舞われて後、また一服して、渡御は再び長い行列を組んで「大和神社」まで帰って行きます。ー奈良観光ー

★このあたりは特に、どちらを見ても古墳だらけです。
歴史が古いだけにお地蔵さんの数も膨大です。一体一体お堂を持つのは少なく地蔵塚のように集めて祀ってあるのが目立ちます。
行き場がなくなったのを、集めて祀っている内にこうなったのでしょうか??
by barakan1 | 2004-09-25 17:20 | 旅日記