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国津(くにつ)神社(2013-06-03)神社探訪⑤・・・

国津(くにつ)神社  和歌山県有田郡湯浅町田3
●社頭看板                ●参道階段
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祭神
大己貴命、少名彦命、大穴牟遅命
配祀神 少名彦命、天照大神、伊弉册命、速玉之男命、奇御気野命、事解男命
境内社 恵美須社、妙見社、住吉社、他
飛地神 幸神社、逆川神社、秋葉社
●手水舎
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由緒
「素戔嗚命・大己貴命・建御名方命等が澳津島に至り、その後、小浜の大蛇島に移り、大己貴命は宇気(壁の口)の巖窟に鎮座したまう。」との伝説がある。
元正天皇御宇「吾この地にいること久し。吾に一宇を創建せよ」との神託があり、祭祀された。
●拝殿・本殿
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村上天皇御宇三輪大神が「紀伊の浜辺に大己貴命鎮座せり。」との神託があり、訪ねた所、「吾この地にいること久し。一宇を創建し奉祀せよ。」とあった。
その後、小浜の巖窟(物原)から遷祀し、さらに宇賀の森の現在地に遷座したのである。 熊野王子社の逆川王子を合祀しているとされる。
●神社付近より紀伊水道を見る
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ー神南備にようこそーより引用  ★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2013-06-18 14:50

須佐神社(2013-06-03)神社探訪④・・・

須佐神社(すさじんじゃ) 名神大社  和歌山県有田市千田字中雄山1641
祭神  素盞嗚尊
●神社全景
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境内社 (式内社調査報告)
参道脇
子安神社(湍津姫命)、金山神社(金山毘古神)、
南龍神社(徳川頼宣言)、湊川神社(楠正成)、伊太祁曽遥拝社
●社頭 (参道階段)
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拝殿前
厳島神社(市杵嶋姫命)、住吉神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)、
五ヶ庄神社(軻遇突智命外三柱)、琴平社(大物主命)
本殿右  東方殿 (天照大神・月読尊・手力雄神)
本殿左  西方殿(伊弉諾尊・伊弉冉尊)
●手水舎・社号標
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有田市千田(ちだ)の南部、中雄山という丘陵の中腹に南面して鎮座する。古代の紀伊国在田郡須佐郷に属すが、「須佐」の地名は『万葉集』に「あぢの住む渚沙(すさ)の入江と詠まれた「渚沙」であるとの説もある。鎮座地名に因み「千田神社」・「お千田さん」とも通称される。
●神門と境内
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『万葉集』 物に寄せて思ひを陳ぶる歌
巻11-2751
あぢの住む渚沙の入江の荒磯松(ありそまつ) 我(あ)を待つ児らはただ一人のみ
※知多半島の先端に近く伊勢湾に面した愛知県知多郡南知多町豊浜の須佐湾(現豊浜港)を指す
●鈴門                   ●五ケ庄社・稲荷社、住吉社、厳島社、神谷社
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由緒 有田市ホームページより
社伝によると和銅6年(713)、今の神社の山頂に吉野郡西川の峯より移されたが、海上を通る船舶が帆を下ろして敬意を表しないと難破をしたので、間もなく現在の地に移したということになっています。
●鈴門と狛犬
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従って、海上安全守護の神として、又一面災難除の神として、戦前は武運長久の神、戦後は交通安全の神として信仰を集めています。もともと剣難除の神として信仰篤く、延喜式神名帳(927)には名神大社と記されており、明治4年県社になっています。
●祝詞殿拝殿                ●春日造本殿
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豊臣秀吉の紀州ぜめの時に戦火に会い、現在では古文書は何も残っていませんが、徳川時代は紀州藩の擁護を受けており、吉宗奉納の因州住景長作の大刀(重要文化財)を社宝として保存しています。なお、神社の紋は全国でも珍しい夏桃です。毎年10月14日に行われる千田祭りには、神前に供えられた6枚の鯛を奪い合う荒々しい祭りで、鯛を手にすると一年間大漁といわれています。

a0016431_14581336.jpg◆本居宣長
いたけるの神のしきます
   紀国といはふかぶろの
           神の宮これ

この歌は本居宣長が寛政六年、須佐神社に詣でて詠んだ歌である。
紀の国を治めた五十猛命の親神素戔嗚尊を、お祀りしているのはこの宮であるとの意味だと石碑にも刻されている通り、当社と伊太祁曽神社は往古より深い関係があったと云われる。
●階段脇末社と神馬
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※なかなか立派な神社です。名神大社の貫禄と言いましょうか! 神主さんがお花の用意をされていました。何か行事があるのでしょうかね!!
◆出雲市佐田町の須佐神社
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by barakan1 | 2013-06-16 15:00

立(たて)神社(2013-06-03)神社探訪③・・・

立(たて)神社   和歌山県有田市野698
●社頭
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祭神 大屋毘古神 國常立神、伊弉諾尊、伊弉册尊
摂社 熊野社  早玉男命、 熊野皇子櫛御食野命
●案内看板
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野の西端にあり、祭神は大屋毘古神を祀っています。嘉応元年(1169)宮崎定範が宮崎郷を領し、一城を築き、この立神社境内へ別に社殿を創造し、熊野十二柱の神を祀り、数代崇敬しました。
●境内
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天正年間(1573~91)、豊臣氏の南伐に当り、居城も攻め落とされ、その兵火により当社殿も焼失しました。また、代々の紀州藩主の信仰が厚く、徳川光貞が石の鳥居、治宝が扁額を寄進しています。
●社殿(拝殿)
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なお、社叢にはホルトの木、ばくちの木、ヒメユズリハ、スダジイなどが繁り、蝶類のヤクシマルリシジミの本県における最北端の分布記録地で県自然環境保全地域として指定されています。
●本殿と両脇に摂社
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古伝によると、この地は有田川の衝に当り、巌下は深淵をなしていて、その上に立つ数丈の奇巌を「立石」ということから考えると、立神の称はこの巌から起こったものとされ、水主神を祭ったものだろうといわれています。 有田市ホームページより
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by barakan1 | 2013-06-15 16:57

下津町 長保寺(2013-05-23)神社探訪④・・・

慶徳山 長保寺    和歌山県海草郡下津町上
●正面入口付近
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●長保寺案内図
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□歴史
慶徳山長保寺は一条天皇の勅願により長保2年(1000年)に創建されたといわれ、開基は書写山円教寺を開いた性空と伝えられている。
創建当時は現在の場所からかなり離れたところにあったが、鎌倉時代末期に現在の場所に移り、伽藍も整備されたようである。
戦国時代になると衰退していたが、寛文6年(1666年)に初代の紀州藩主徳川頼宣が長保寺を菩提寺と決めて以来、紀州徳川家の廟所となり栄えた。
●大門
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大門には仁王像が安置されているがこれは弘安9年(1286年)に堪慶によって刻まれたと伝えられている。
●参道石段
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●本堂
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「本堂」は延慶4年(1311年)の建立といわれている。本堂内には本尊釈迦如来坐像が安置されている。本尊は鎌倉時代の作といわれ、正徳4年(1714年)藩主が吉宗の時に修理されているという。
●多宝塔
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「多宝塔」は鎌倉時代末期、正平11年(1357年)の建立で、ここには長保寺で最も古い仏像である大日如来が祀られている。
「本堂」、「多宝塔」、「大門」とつの建造物がそろって国宝に指定されているのは法隆寺と長保寺だけである。
●紀州徳川家墓所(初代徳川頼宣墓)
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「本堂」の北側から東側にかけて山の斜面に歴代の紀州藩主及びその夫人の墓所が江戸時代に造営された。将軍になった5代藩主吉宗と13代藩主慶福の2人を除いて28基の墓碑が1万坪の広大な土地に設けられており、すべてを回り参拝すると1時間以上の時間を要するほど規模が大きい。
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※※私が訪問した時、本堂から訪れる人に媚びることなく悠々と読経の声が響いていた。
静寂の中威厳を保持した風格のある寺である。(何か!別世界に来た趣であった)
by barakan1 | 2013-05-31 15:39

下津町 粟嶋神社(2013-05-23)万葉歌碑③・・・

粟嶋神社    海南市下津町方1101
●神社全景
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祭神  少毘古那神
●神社由緒書き
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摂社
八幡神社「應神天皇」 、蛭子神社「事代主神」 、百拝神社「祭神不詳」 、浜ノ宮神社「天照皇大神」
戎神社「事代主命」 、浜戎神社「事代主命」 、牛神社「祭神不詳」 、道祖神社「猿田彦命」 、
厳島神社「市杵嶋姫命」 、辨天神社「市杵嶋姫命」 、八坂神社「祇園天神」 、傳神社「祭神不詳」
稲荷神社「倉稻魂神」 、金刀毘羅神社「崇徳天皇」
●元々は参道入口の、その名も宮川に架かっていたのだが、河川改修工事に伴い撤去移設。寛政九年1797年(今からざっと200年以上前)に架けられた太鼓橋である。
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由緒
社伝によると、当社は、景行天皇二年八月、二十一人の民人が少彦名命降臨の地粟 嶋におまつりしたのが始まりであるという。当時粟嶋は島であり、その崎硯浦の森に 宮居を営み、奉仕した民人二十一人が方(かた)村を開いたとされる。今も、その遠 い子孫が、宮座として、神社に奉仕している。
以来、神社は次第に栄えた。浜中荘領家が京都仁和寺に送った古文書は、文永年間 (1264-1275)、当社が浜中荘領主からの寄進地をもち、現在地宮ノ谷へ遷 座されて荘厳を極めていた事実を明らかにしている。
●舞殿               ●本殿への参道石階段          ●本殿前手水
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海路の安全を守るという御神徳は、中世以来、深い信仰を集めた。正平十二年(1358)、征西宮懐良親王が西海に赴く道すがら、海難を克服できたのは、侍臣渡辺 某が粟嶋さまの御加護をお祈りしたからだとして、豊後に分祠をおまつりしたと伝え られる。 当神社の御神威は、豊饒や海路の安全を祈る人々によって広く語りつがれている。
また、万葉の昔から、縁結びの神として有名。
また医薬、ムスビの神として女性の信仰ことにあつく、千羽鶴や女の肌身につける品などが多数奉納される。
●参道石階段               ●淡嶋山龍泉寺
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集落を野南側、宮川にそった森である。 境内に旧別当寺院である淡嶋山龍泉寺があり、明治の神仏分離を免れた神仏習合時代の名残をとどめている。旧村社。
●拝殿                            ●本殿
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平成祭礼データから
社伝によると、当社は、景行天皇二年八月、二十一人の民人が少彦名命降臨の地粟嶋におまつりしたのが始まりであるという。当時粟嶋は島であり、その崎硯浦の森に宮居を営み、奉仕した民人二十一人が方(かた)村を開いたとされる。今も、その遠い子孫が、宮座として、神社に奉仕している。
 以来、神社は次第に栄えた。浜中荘領家が京都仁和寺に送った古文書は、文永年間(一二六四-一二七五)、当社が浜中荘領主からの寄進地をもち、現在地宮ノ谷へ遷座されて荘厳を極めていた事実を明らかにしている。
●・浜ノ宮神社 、蛭子神社、本殿            ●本殿、八幡神社、百拝神社
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海路の安全を守るという御神徳は、中世以来、深い信仰を集めた。正平十二年(一三五八)、征西宮懐良親王が西海に赴く道すがら、海難を克服できたのは、侍臣渡辺某が粟嶋さまの御加護をお祈りしたからだとして、豊後に分祠をおまつりしたと伝えられる。
●金刀毘羅神社、八坂神社)・傳神社、稲荷神社          ●戎神社、道祖神社、厳島神社
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当神社の御神威は、豊饒や海路の安全を祈る人々によって広く語りつがれている。また、万葉の昔から、縁結びの神として有名。 以上    ー神南備にようこそーより抜粋
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◆境内万葉歌碑
作者不詳
巻07-1216 
潮満たばいかにせむとか海神(わたつみ)の神が門(と)渡る海未通女ども
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by barakan1 | 2013-05-30 17:10

富田林・河内長野市神社探訪(2013.05.18)⑤美具久留御魂神社・・・終

美具久留御魂神社(みぐくるみたま)  大阪府富田林市宮町3-2053
●正面・参道
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祭神
 主神  美具久留御魂神(大国主命)
 左殿  天水分神、弥都波迺売命(みずはのめ)
 右殿  国水分神、須勢理比売命
●神社案内板
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摂社 利雁神社(物部氏の坂戸造に関連 )
末社 皇大神社(天照大神、事代主命、大物主命)、
   天満宮
   南木神社
   熊野神社(伊弉諾命、素戔嗚尊)、
   貴平神社(須佐之雄神、宇迦之御魂神)他。
●神社配置図
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   由緒
この付近は喜志台地、尺度、蔵の内を包含した弥生時代の水分文化圏の中心地である。出雲軍の上陸の地、かつ居住地であった*2とされている。河内の先住支配者の斎祀った神社である。 ここから2km北で銅鐸が発見されている。
●手水舎・下拝殿
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『社頭の略記』には、崇神天皇の御代、この地に大蛇が出没し、これを大国主の荒御魂のしわざとし、ここに奉斎したのが創始であるという。 また日本書紀には丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして「玉萎鎮石(たまものしずし)。出雲人祭(いずもひとのいのりまつる)真種之甘美鏡(またねのうましかがみ)。押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ)底宝御宝主(そこたからみたからぬし)。山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ)。底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)」 (訳)「玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲の人の祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。」 と宣託したとあり、皇太子の活目尊が創始したと伝えている。
●上拝殿への参道
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『日本書紀 崇神紀』 六十年に、吉備津彦らを出雲に派遣し出雲振根を誅したので、出雲臣等は「この事に畏れて大神を祭らなくなった。そこで丹波の氷香戸辺の託宣があり、皇太子が天皇に奏して祭ったとの記事があります。この「祭った」と言うことを『岩波文庫注』では、鏡を出雲臣に返却したものかとしていますが、それなら皇太子が祭ったとは言わないはず、この事は出雲大社に替わって美具久留御魂神社を創建し、出雲大神を祭ったと理解すべきだろう。
●上拝殿と社殿群(左より)
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千早赤坂村の建水分神社を上水分神社というのにたいして下水分神社と称する。また恩地神社を下水分と呼ぶ向きもあり、この場合には中水分となる。和爾池の西側だから和爾社とも云われた。
●上拝殿と社殿群(右より)
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神宝は生太刀・生弓矢とされる。『略記』によれば、生太刀は出雲大社の神劍で、これを当社祭神の大国主神の御神体とすべく崇神天皇が出雲振根に使いを遣わし、弟の飯入根が献上、後で知った振根が弟を殺した物語が『崇神紀』に詳しいが、再度言うが、出雲大社に替わって当社が祀るようになった。
●南木・貴平神社         ●熊野神社               ●本殿
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その頃の社司を支子青箭有禰(きし・・)と云うそうであるが、当地には任那からの渡来人の大国吉士が住んでいた所で、地名も河内国石川郡大国郷と云う。当地の吉士は朝廷の屯倉を管掌したようで、当神社の東1kmに桜井屯倉があった。大国郷と称したのは当神社の祭神と関係があったかどうか定かではない。
● 本殿                            ●皇大神社
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■『大阪府史蹟名勝天然記念物』から
沿革 伝説に依れば太古大国主命の天の下を治められ給ひしとき、此の地に御城ありて、神武天皇の御世に至るまで猶存せしが,社は其の御城の氏神にして出雲大社の創建よりも早かりしなりと、叉一説には其の創立は神代に ありとし或は亦神武天皇の八年なりなどとも伝えらるヽ處より見て此の伝説を其儘信ずる能はずとするも創祀の遠 く上古に在りしを想見し得べし。社記によれば太古此の地は支子の茅原と呼ぶ一帯の草原にて巨蛇多く棲息し、農 民を悩ませしかば、崇神天皇深く宸襟を悩まし給ひ、十年幣吊を捧げて親しく此の支子の茅原を分け入らせ給ひ、 妖蛇の栖む霊窟を見、詔して「是れ大国主命荒魂のすさぷる所なり宜しく祀るぺし」とて是に初めて当社の勧請を見 るに至りたるなりと。
●天満宮                             ●利雁神社
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崇神天皇の六十年に出雲大社の神宝を見んと思召して使を遣し献ぜしむ。會々右神宝を主れ る出雲国造振根筑紫に行きて不在なりしかば、其弟飯入根等勅を奉じて神宝を貢上せしを、振根帰来りて大に怒り 弟を殺せり。此の事朝廷に聞えしかば又振根を、誅せしめらる。
●白雲宮                  ●稲荷社
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斯る騒動にて出雲臣等大社の祭祀を断つに至りしか ば茲に丹波氷上の人水戸香辺なるものヽ子に神憑りありて「玉 鎮石出雲人、祭眞種之甘鏡押羽振廿御神底宝御宝 主、山川之水沐御魂云々」と、神詫ありて、武ヌナ川別命を出雲に、活彦命を河内の当社に佐遣せられて祀らしめらる。 神詫のことは大国主命の荒魂の爲し給ひし所なればとて、同七十二年に至りて官祭を行はせられ、其の自ら宣ひし 水沐御魂をにより美具久留御魂の御名を奉り、相殿に天水分神、国水分神、彌都波廼売命、須勢理比売命の四神を配祀。 
ー神南備にようこそーより引用
■本殿の背後の真名井ヶ原の丘陵にある宮裏山古墳は古来神奈備山とよばれる神体山である。
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※事前に調べていなかったので、現地で見学して驚きました。大変立派な神社です。社殿も社叢もです。それに広大な社域の割に手入れがよく行き届いています。もう一つ奥の古墳のあたりまでいけばもっとビンビン来るんではないでしょうか。稲荷社あたりではゾクゾクしましたから・・・・。
by barakan1 | 2013-05-25 15:48

富田林・河内長野市神社探訪(2013.05.18)④佐備神社・・・

佐備神社  式内社  大阪府富田林市佐備467番地
●神社正面鳥居・参道・手水場
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祭神
天太玉命を主祭神として中央に祀り、
左相殿に松尾大神(大山祇神・中津嶋姫神)、
右相殿に春日大神(建御賀豆智命・伊波比主命・天子八根命・比売神)を祀る。
『本殿が三社造りであるのに文献では天太玉命・松尾大神としか書かれておらず、もう1座の祭神が不詳であったが、寛文6年の修理木札に「左松尾大明神、右春日大明神」と記されていたことから右相殿に春日大神が祀られた』
●境内         社殿                          割拝殿
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歴史
社伝では天安2年(858年)正月の創建としている。当地は忌部氏の流れを汲む佐味氏の居住地である石川郡佐備郷であり、祖神として天太玉命が祀られたものとみられる。
●社殿(狛犬)
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延喜式神名帳に「河内国石川郡 佐備神社」と記載され、小社に列している。明治5年村社に列格し、大正元年、神饌幣帛料供進社に指定された。
●本殿
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※忌部氏
新撰姓氏録右京神別に「斎部宿禰。高皇産霊尊子天太玉命之後也」とあり、
忌部首→連→斎部宿禰(本宗家)
延暦22年(803年)斎部と氏名を改めた。祭祀に必要な物資を貢納する忌部を統率した。中央伴造氏族で宮廷内の神事に携わり神物を納める斎庫を管理したと伝える
【境内社】摂社
          ●水分神社                        ●??
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水分神社
天神社(祭神 素盞嗚命) -- 元は楠木正成が嶽山山頂に築いた龍泉山城の鎮守・大将軍祠であったと伝えられる
【境内社】末社
●????
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相模国一ノ宮 寒川神社
丹後国一ノ宮 籠守神社
撞賢木神社
山城国一ノ宮 加茂神社
信濃国一ノ宮 諏訪神社
菅原神社
妙見宮           ーウィキペディアーより
※道路より一段高くなった地に鎮座します。小さな神社ですが、よく手入れされています。鳥居横の狛犬は「獅子っ子」と言って親獅子が参道の上で待っています。珍しく・ユニークな狛獅子さんです。
by barakan1 | 2013-05-24 16:24

富田林・河内長野市神社探訪(2013.05.18)③長野神社・・・

長野神社  大阪府河内長野市長野町8-19
●西側入口燈籠・階段
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御祭神
素盞嗚大神(牛頭天王)
天児屋根命
菅原道真
●神社境内正面より
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長野神社の本殿は、一間社流造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風がつき、屋根は檜皮葺きです。この建築年代は、天文18年(1549)の棟札のある観心寺の訶梨帝母天堂や天文12年の棟札のあった堺市の多比速比売神社本殿とも似ていますので、これらと同時代と推定されています。この本殿は昭和25年に重要文化財に指定されています。
●恵比寿社           ●本殿             ●五社          ●天神社
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●御本殿     一間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺
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長野神社は、明治初年の神社合祀でつけられた名称です。江戸時代には「木屋堂宮」あるいは「牛頭天王宮」と呼ばれていました。この「木屋堂」は正和2年(1313)の後宇多院御幸記に木屋堂御所の記載が初見です。その後も元弘3年(1333)の粉河寺文書や応永6年(1399)の日野観音寺大般若経奥書に「木屋堂」の記事が見られます。  参考文献:『河内長野市史 第十巻 別編二』
●境内社    ●恵比寿社           ●五社              ●天神社
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by barakan1 | 2013-05-21 18:21

富田林・河内長野市神社探訪(2013.05.18)②錦織神社・・・

錦織神社  大阪府富田林市甲田378番地
●鳥居と社号標
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主祭神:建速素戔嗚命、品陀別命、菅原道真公
配  祀:天照皇太神、伊戔円尊(いざなみ)、倉稲魂神、天水分神、高オカミ神
摂 社:(東)春日社、(西)天神社、(南)金毘羅宮、(北)弁才天
●鳥居と参道
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●境内案内図
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この地方は、いにしえより「錦部郡(にしこり)」と呼ばれ、大和の都に通じる要路で、浪速よりの水路を主とする要衝であったため、早くから大陸文化が移入され「和名抄」にみえる百済郷とも称される集落をなしていた。
●拝殿前
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「爾之古里」とも表記されて、後に錦部郡となったというが、古代においては百済より渡来した織物の技術を持つ人々が住みついて、綾錦織等を朝廷に奉り文化の向上に大いに貢献したことが伺える。
この宮は錦部郡の一ノ宮、また河内の三水分のひとつと云われたとも伝えられる。
現社殿は足利時代の建築で、本殿、両摂社も重文である。
この地方は石川源氏、錦織氏一族が在住していたといわれる。
                     以上は「錦織神社由緒略記」を参照
●本殿と両脇殿
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平成祭礼データから
由緒略記
当神社の創建年代は詳かではないが去る昭和十年国宝本殿大修築の際、本殿敷地の土中から古社殿に使用されていたものと推定される鎌倉時代の古瓦大獅子口一対、又藤原時代の物と推定される鐙瓦字瓦が多数出土したことによって藤原時代以前の創建であることが裏付けされた。又出土した古瓦獅子口より創建当時の当社社殿は現社殿よりも大きい建造物であったことも推定される。
●本殿瑞垣前左右から
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当地方は古来「錦部郡」と称し、大和朝廷に通ずる要路を占めていたために浪速京より水路を主とする交通の要点にもなって早くから大陸文化が移入され、「和名抄」に見える余戸郷、百済郷との称もあり、帰化人の郡落をなしていた。
●瑞垣内本殿(左より)
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又「爾之古里(にしこり)」とも称され、後に錦部郡となったものであるが、古代においては、百済より帰化した諸藩が広く土着して綾錦織等を朝廷に奉り、文化向上に貢献したことが伺われる。当社の鎮座地は錦部郡の最北端に位置し、郡の咽喉を扼し「社殿は南面して全部を一望の内に睨せられる要所にあり」且つ郡内の水流も亦此処一所に集まる地であったので、古来から人呼んで水郡の郷と称え、錦部の名に訓の通ずる所から何時の頃からか水郷と変遷し、当社の社名も水郡天王宮と呼称されるようになった。
●瑞垣内本殿(右より)
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又この宮を錦部の一ノ宮とも或は「河内の三水分の一つとして」上の水分戸称えられた様である。「即ち美具久留御魂神社を下水分とし、建水分宮を上ノ上水分と呼称されたことは今に古老の口碑に残っており」当社は往古からの大社であったことがうかがわれる。 以上
◆本殿概要
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国重文 本殿 室町中期 正平18年(1363年)
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺
正面の向拝には丸みを帯びた唐破風を造り、屋根の斜面正面につけられた三角形の千鳥破風が唐破風の上に位置する。こうした屋根形式は室町時代の神社建築としては珍しく、貴重なものとされる。この建築様式は江戸時代に建築された神社に多く採用され、「錦織造り」と呼ばれ、日光東照宮にも影響を与えたといわれている。
◆摂社概要
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国重文 摂社天神社本殿(左) 室町末期 文明12年(1480年)
国重文 摂社春日社本殿(右) 室町末期 文明12年頃(1480年頃)
共に二間社流見世棚造、檜皮葺
殿と呼び兩殿とも二間社という特異な形式になり、本殿を中央に三殿並立の古式を呈する。
◆末社    弁財天                  金毘羅宮
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※ナビ設定が悪かったのか、参道と反対側の道に出て、道も細く駐車スペースもなく困って、儘よ!と一周すると正面鳥居前にでました。参道も長く、ズ~と先に拝殿が見えます。中に入ると本殿はまだ建て替えられて(?)新しく、本当に綺麗な神社です。ネットでチェックした以上に立派な社殿で感激しました。!!宮司さんより話を少し聞き、長野にも同じ作りの神社があるとのことでしたので、訪問することにしました。(今回はこの神社のみ確定し後は現地での様子で訪問先を決めようと考えていましたので・・・。
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by barakan1 | 2013-05-20 14:41

富田林・河内長野市神社探訪(2013.05.18)①コース概要・・・

河内長野市~富田林市探訪コース
a0016431_13542100.jpg●本殿の御装飾

自宅発10:45~錦織神社~長野神社~佐備神社~(板茂神社側まで行きましたが車が入れませんでした)~美具久留美魂神社~自宅着17:30。走行距離75㌔。
短時間で、距離も短い探訪でしたが、久しぶりなので帰宅すると結構疲れていました。
(本日の目玉は錦織神社です)
■コース

by barakan1 | 2013-05-20 14:06