2009年 01月 24日 ( 1 )

大阪市(東住吉区)探訪(2008・12・18)③山阪神社・・・

山阪神社    大阪市東住吉区山坂2-19-23
●神社(東南側)入口
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祭神
    天穗日命 (あめのほひのみこと)
配祀 野見宿禰 (のみのすくねのみこと)
合祀 猿田彦命 (さるたひこのみこと)
    宇賀御魂神(うがのみたまのかみ) 
    素盞烏尊 (すさのをのみこと)
●入口鳥居と狛犬
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摂社
荒川稲荷神社  「湯津志可由布比賣命 配祀 地主神」
遥拝社       「天照大神         産土神」
土公社(方除社)
祖霊社
●参道脇の「力石」              ●手水舎
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由緒
当社は一に田辺神社といい、三代実録にも掲載されている「田辺西ノ神」です。田辺の地名は、田辺宿禰に関係ありといわれておりますが、詳かではありません。
天穂日命の子孫が、この土地に住し、その祖神 天穂日命を祀って社殿を建立しました。さらに、その同族土師(ハジ)氏たる野見宿禰命を合わせて祀られたのが当社の創めとされています。
●社殿(左祖霊社、右稲荷社)
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後に土師氏弓部十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功をあらわしたとあります。凱旋後、摂津住吉神社創立と共に、その地に邸宅を賜り梅園氏と称し、住吉松葉大記によりますと、大海、大依羅、開口、座摩、生国魂の各末社の上位にしるされ、当社が住吉大社より重視されていたあかしでもあります。
●遥拝社(?)                     ●荒川稲荷神社
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当社の祭儀もこの頃より梅園氏によって行なわれ、その同族にして配下の田辺宮主即ち禰宜長ならびに舎人よりなる宮座によって奉仕されたのであります。
九月朔日の例祭には、当社および後に現れる田辺東ノ神の祭儀には梅園氏親しく奉仕し、ことに禰宜長以下の宮座は当社に奉仕すると共に、住吉神社の神馬を飼養し日々住吉神社へ曳くを例とするようになり、当社の宮座は住吉神社との間に古くより特殊な交渉があったものとかんがえられます。
●土公社(方除社)
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降って、平安朝に入り清和天皇の貞観四年八月十一日には、当社西ノ神、同東ノ神とともに従五位下に叙せられたと記録に残っています。思うに、田辺神社が東西にわかれてあったのは平安朝以前のことで、その時期は不明確ですが田辺発達の推移より考えまして、西ノ神まず田辺神社として創立され、次に人文の東方に発達するに伴い新たに田辺東ノ神を勸請され、何時か東西を付して両社を区別されたものと思われます。 以上
●神社西側入口鳥居(本殿裏で壁で囲まれて入れません。以前は入れた?)
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ー山阪神社しおりーより 
by barakan1 | 2009-01-24 20:45 | 旅日記