時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終

宇度墓(うどはか)古墳   大阪府泉南郡岬町淡輪
●写真撮影ポイント
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_2328798.gif
別名淡輪ニサンザイ古墳とも呼ばれ、垂仁天皇第2皇子、※五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の陵墓とされ、宮内庁の管轄下にある「陵墓参考地」である。
●A地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23305220.jpg
3段築成の前方後円墳で、5世紀後期の築造といわれています。墳丘の規模は、三段構築された後円部の径100m、高さ13mで、前方部の最大幅は120m、高さ12mを測り、墳丘全長は180mとなっています。また、前方部と後円部のつなぎ目である括れ部の幅は65mとされています。
●B地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_2331213.jpg
両側に南側は30×20mの造り出し部が付設されています。墳丘の周囲にはいまも水をたたえた水濠となっている二重で幅25~40mの楯形をした周濠があります。この周濠のさらに外側には堤があります。これらの外周施設をふくめた兆域の全長が300mになることが知られています。
●C地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23314432.jpg
円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、家形埴輪、鳥形埴輪などが採取されており墳丘には埴輪の配列がなされていました。葺石が墳丘に施されていたとみられています。
●D地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23321465.jpg
この古墳は、西陵古墳に続いて、築造されたと考えられており、被葬者は紀伊を本拠地とする人物が、葬られているのではないかと、想定されているのだそうです。
●E地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23323782.jpg
『日本書紀』によると、五十瓊敷入彦命は茅渟池を造ったり、菟砥の川上宮(現在の大阪府阪南市自然田付近か?)で剣一千口を造り、石上神宮に納め、神宮の神宝を掌ったとあり、その後、「自分は年をとったので、神宝を掌ることが出来ない、大中姫がやりなさい。」と云ったことになっている。
●F地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23331061.jpg
大中姫も出来なかったので、物部十千根大連に治めさせたとある(物部氏が石上神宮の神宝を管理する由縁はこのことであるという)。墓は、泉南の宇土古墳とされている。
●G地点
時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コース探訪(2009.01.18)⑧宇度墓(うどはか)古墳・・・終_a0016431_23335096.jpg
※父は垂仁天皇。母は、丹波道主王の娘・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。
  ・妹に倭姫命(やまとひめのみこと)がいる。  (伊勢神宮の起源説話)
(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2010-01-27 23:36 | 旅日記
<< 等乃伎(とのき)神社~取石(と... 時つ風吹く吹飯(ふけい)浜」コ... >>