難波八十島「姫島」コース探訪(2009-12-06)③住吉神社(大和田)・・・

大和田の浜(千船大橋よりみる)
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住吉神社(大和田)  大阪市西淀川区大和田5-20-20
祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
●正面
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●神社境内に「万葉歌碑の由来」との掲示板がある。
先の古歌について、この歌の大和田の地は、神戸市の和田岬に近く、かっての大輪田の泊と呼ばれた付近をよんだものであるとの説があるが、これは謬りで、摂津名所図絵には、大和田が「御手村の西北にあり此所尼崎に近くして河海の界なり、故に魚鱗多し、殊に鯉掴という。なお浦浜古詠あり。兵庫の和田岬とするは謬也とことわってある。郷土史家の厚い想いが伝わる。



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4世紀以前、当地は陸上であったか、海中であったか、であるが、姫島神社の創建初期には海中の岩礁でお祭りをしていたのではとの推測もなされる程の低地であり、徐々に島々がつながって来ていた時期ではとの想い。八十嶋祭りの原点。    
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ー神南備にようこそーより抜粋
●「判官松の碑の由来」
平家物語巻第十一逆櫨の記述によれば、元暦二年二月三日九郎大夫判官義経都をたって、摂津国渡辺(今の堀江)より舟ぞろえをして八嶋へすでによせんとす。三河守範頼も同日都をたって摂津国神崎(今の西淀川)より兵船をそろえて山陽道におもむかんとす」とある。
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平家追討の軍勢は折からの台風の襲来にあい、一時退避、その時義経はあらためて住吉大明神に海上安全の祈願し一本の松の苗を手植えした。それが判官の松の由来である。
亦一説に義経の軍が流れ着いた時、大和田の庄屋が鮒の昆布巻きを献上しこまごまと生活の煩事を援助した。喜んだ義経は食事の箸を地中に立てその意を天に示した。どうしたことかみるみるうちに生きかえり松の姿に生長した。
ー神南備にようこそーより抜粋
◆◇境内の万葉碑(和歌の名所としても知られています)
万葉集
巻6-1067
浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太(おほわだ)の浜
by barakan1 | 2009-12-14 17:20 | 旅日記
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