■田辺廃寺跡(境内看板より) 大阪府柏原市田辺1丁目16-38
●神社全景 西南→神社を見る
田辺廃寺は外来系氏族田辺史氏の氏寺として、白鳳時代末期に創建されたと考えられています。
●神社正面鳥居 (西向き)
昭和46(1976)年大阪府教育委員会の調査において、金堂、西塔、東塔、南大門、回廊の遺構が検出され、中門の北側に東西両塔を配した薬師寺式に属する伽藍配置が確認されています。
●境内参道
東塔の基壇はセンを積み上げたもので今も美しく残っています。一方の西塔は、平川らを積み上げた瓦積みの基壇となっています。また東西両塔の礎石はよく保存されており、当時の威容を誇った田辺寺を物語っています。
●拝殿
●拝殿・本殿
さらに両塔の北方、伽藍の中軸線上に金堂跡があり、中門後は現在の春日神社の社務所の西側にあって、礎石3個が搬出されています。
●西塔・東塔跡(林になっており、何も分かりません)
●境内南側(弁天社)
この調査で発見された遺物として丸瓦、平瓦の屋瓦類や、セン、釘、土器類などがあり、収蔵庫に収められています。 昭和55年3月 大阪府教育委員会
◆田辺廃寺伽藍配置図
西面する春日神社境内に、南面する形で寺跡は残されているようです。ただし春日神社周辺の寺跡は鉄条網で囲われ、立ち入り禁止の措置が採られていて、基壇・礎石等を確認することはできません。
秦氏一族田辺史氏の氏寺として白鳳時代に建立。東西両塔を持つ薬師寺式伽藍と確認されている。
※狭い麓に住宅開発が進み、道の狭く、クネクネと曲がっていて、今まで何度も横を通りながら寄ることがためらわれたが、やっと今日探訪する。由緒等情報が少なく、苦労しました。
河内国分寺跡と同じ尾根続きで西の端に当たる。数百メートルしか離れていない。
■田辺廃寺跡地図