橿原市探訪(2009.05.12)④膳夫寺(かしわてでら)跡2・芹摘姫の伝承・・

●膳夫寺(かしわてでら)
本尊は室町時代の虚空蔵菩薩
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●「膳夫寺跡」の保寿院
『大和誌』の膳夫村坐神祠には「称日二荒神一 興二出合村共祭二一 城内有二虚空菩薩寺一ー名二神宮寺一」とある。虚空蔵寺は一名保寿院ともいい、古の膳夫寺の後身で、かつて神宮寺として当社の城内にあった寺院と伝える。『談山神社文書』の永正十八年(1521)の「護国院御神殿造営銭日記」に膳夫庄内に「宮田虚空蔵田」の御免地があったことがみえる。 
膳夫寺境内各社                ●弁天社
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膳夫の由来
昔、藤原京が都であった頃、律令制の役人の中で大臣など閣僚の食事(膳)を作る人を大膳天皇の食事を調進する内膳司という職があり、その中で食事の調進を行う下級役人のことを膳夫と言われていたようです。
●庚申さん                      ●子安地蔵尊
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●??                        ●金毘羅大権現
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●境内案内板                    ●膳夫寺跡礎石
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膳夫寺跡からは、白鳳の古瓦や柱座のある礎石が出土、また、その後身と伝えられる虚空蔵寺には藤原期の孔雀文磬や室町時代の金剛盤が所蔵されている。
ー神社ふり~くーより
ここには、芹摘姫(せりつみひめ)の伝承があります。
聖徳太子が膳夫の村を通った時、病に伏した母親のために芹を摘む娘に心を打たれ、妃とされたと伝えています。今も貰田家には膳部夫人像や絵像が伝えられている。
ー私の町膳夫町ーより
●保寿院(元膳夫寺)裏(西側)より見た、左天の香具山、        右耳成山
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参考までにそのお話とは、
◇「三国伝記」(巻10-3)のお話。
聖徳太子が27歳の春に膳村のほとりに行啓(ぎょうけい)した時、太子は芹摘みをしている身分の低い3人の女性を見ました。二人は太子に走りよって奉迎しましたが、一人は芹を摘み続けていました。
●貰田家「膳夫姫の掛け軸」
a0016431_1659241.jpg不思議に思った太子が従者に理由を尋ねさせると、その娘は答えました。「私は赤子の時に橘山に捨てられ、膳村の老女に拾われて育てられました。今日初めて芹摘みに来ましたが、養母の恩に報いるためにたくさんの芹を摘みたいので、太子を奉迎する余裕がありません。」
太子は娘を気に入り、その夜、后にするために娘を訪ねることを約束しました。夜になっても太子がなかなか現れないので村人は嘲笑しましたが、太子は夜半過ぎに現れ、老女の接待を受け、娘を宮中に迎え入れました。そして、彼女を第一の后、膳手の后と称しました。
◇奈良県の「膳夫(かしわて)姫伝説」も同様のお話です。598年3月、芹摘みをしていた少女は、「私の養母は病気で、看病のために芹を摘んでいます。太子の御幸はこれからもあるでしょうが、私の養母の命はひとつだけです。奉迎しないことをお許し下さい。」と答えました。太子は少女の孝心に感心して歌を一首贈りましたが、少女の返歌の素晴らしさにも感心し、とうとう妃として宮中に迎えることにしました。少女は宮中で配膳などを任され、膳夫姫または芹摘姫と呼ばれました。
ーてぃんくの家ーより
by barakan1 | 2009-05-15 17:15 | 旅日記
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