西国街道探訪Ⅱ(長岡京市~向日市)(08.11.01)⑤光明寺(こうみょうじ)・・・

光明寺(こうみょうじ) 浄土宗西山派総本山 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
●光明寺は、法然上人が43歳の時、日本で最初に念仏を唱えた所。
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光明寺は、建久9年(1198)一の谷の戦いで有名な武将、熊谷次郎直実(蓮生法師)によって創立され、法然上人を開山第一世と仰いでいます。
●総門                       ●女人坂
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熊谷次郎直実は、戦による積もる罪業を償い、後世菩提の道を求めるために、東山・吉水(大谷)の御庵室に居られた法然上人を訪ねました。その時、上人からありがたいお言葉をいただいたことで、直ちに剃髪、弟子入り。上人から法力房蓮生との名をいただき、上人の教えを受けました。
●参道                       ●本堂
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西国街道探訪Ⅱ(長岡京市~向日市)(08.11.01)⑤光明寺(こうみょうじ)・・・_a0016431_13171450.jpg     ●手水舎・鐘楼
しかし、吉水の地は馬車の音がやかましく、人の往来も激しいので、静かな所で余生を念仏三昧に過ごしたいと願い、上人ゆかりの粟生野・広谷の里に寺を建てました。ご本尊には、蓮生が弟子入りする時に背負って持ってきた、江州堅田(滋賀県)の浮御堂千本仏の中尊仏である、阿弥陀如来像(恵心僧都作)を安置しました。
●国光大師石棺                  ●阿弥陀堂
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入仏落慶法要を営み、法然上人に開山第一世と仰ぎ、自らは第二世となった。この時、法然上人から「念仏三昧院」の寺号をいただいた。
この念仏三昧院が光明寺の前身です。
●国光大師火葬の地               ●勅使門
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第三世、幸阿上人の代の建暦2年(1212)1月25日、法然上人は80歳で亡くなられ 遺骨は東山・吉水(大谷)に埋葬されました。しかし比叡山の僧は、上人の墓を暴き、遺骨を鴨川へ流そうと企てました。それを知った上人の弟子たちは密かに石棺を持ち出し、 嵯峨・二尊院、そして太秦・西光寺と移しました。
●薬医門と参道
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ある夜、上人の石棺から数条の光明が放たれ、南西の粟生野の地を照らすという不思議なことが起こり、上人ゆかりの粟生野・広谷の里(「念仏三昧院」)で荼毘(火葬)に付して裏山に遺骨を(現・御本廟)埋葬しました。
●女人坂・総門の紅葉
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仁治3年(1242)1月9日、四條天皇から「光明寺」の寺額を賜り、これ以降寺号を光明寺と改められた。そして、永禄6年(1563)3月10日、正親町天皇から「法然上人の遺廟光明寺は浄土門根元之地と言ってよし」と賜り、光明寺が「浄土一宗の御本廟」と定められ、「浄土門根元之地」といわれることとなった。ーうろちょろ京都散策ー
by barakan1 | 2008-11-08 13:28 | 旅日記
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