■金津山古墳
●古墳を南から→北
「金塚、黄金塚を別称にもつ市内最大の墳丘を残す古墳で、昔々打出の村人を愛した阿保親王が万一の飢餓に備えて財宝をこの塚に埋めたという伝説があります。
そして、次のような歌が伝えられております。
朝日さす入り日(いりび)かがやくこの下に金(こがね)千枚瓦万枚
●北から見る ●西から見る
周濠部分の調査をくり返し、全長55m、後円部径40m、前方部長15mの前方後円墳であることが判明しています」。ー案内板ー
※実際には、打出の海浜部にあり海上交通を支配した豪族が埋葬されたとされています。
※御覧のように、今は住宅に囲まれわずかに南側だけが駐車場になって、開口しています。これ以上古墳が破壊されなければよいのですが・・・。