東大阪市(石切剣箭神社~日下あたり)探訪(08.05.02)⑩神武天皇聖跡「盾津顕彰碑」・・・終

神武天皇聖跡「盾津顕彰碑」
碑は、日下町の東大阪市立孔舎衙小学校の東側にあります。高3.04m、幅97cm、厚54.4cm。花崗岩製。昭和15年建立。碑の裏面には「神武天皇戌午年三月皇軍ヲ率イテ青雲白肩津二至リ給ヒ翌四月孔舎衛坂二戦ハセラレ其ノ津二還リテ盾ヲ植テテ雄誥遊バサレシ二因リ地名ヲ盾津ト改メタリ聖蹟ハ此ノ地附近ナリト推セラル」と刻んでいます。地図
●「碑」 左写真ー後方、家の部分を森に修正して見たる
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★磐余彦は兄の五瀬命らと船で東征に出る。(途中略)
戊午の歳の2月、船団を出して浪速国に至る。3月、河内国に入って、4月に龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めず、東に軍を向けて生駒山を経て中州へ入ろうとした。この地を支配する長髄彦が軍衆を集めて孔舎衛坂で戦いになった。戦いに利なく、五瀬命が流れ矢を受けて負傷した。磐余彦は日の神の子孫の自分が日に向かって(東へ)戦うことは天の意思に逆らうことだと悟り兵を返した。草香津まで退き、盾を並べて雄叫びをあげて士気を鼓舞した。この地を盾津と名付けた。ーフリー百科事典『Wikipedia』ー
by barakan1 | 2008-05-18 13:53 | 旅日記
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